茶色について②

 どうも舎弟のならたです。今回は、『茶色』を開催することになった経緯について話そうと思います。

 まず、僕たち舎弟と爆弾世紀末の出会いからです。ニ組とも養成所などには通わず、裸一貫でお笑い芸人になりました。漠然とフリー芸人としてライブに出る中、自分たちの居場所やお笑い芸人としてのアイデンティティを見つける為、マセキ芸能社のオーディションを受けました。舎弟は2018年の11月に初めてオーディションに受かり、爆弾世紀末はその2ヶ月後オーディションに受かりました。

 そして、マセキ芸能社のオーディションライブ「オリーブゴールド」で二組は出会いました。正直、初めて会った時のことは覚えていません。ただ、二組ともコンビともに喫煙者であった為、喫煙所でなんとなく意気投合したのだと思います。

 「オリーブゴールド」出続ける中、いつ間にか僕たちはセットで見られるようになりました。今マセキのオーディションライブでずんぐりむっくりのどうしようもないコンビが二組も出てるぞ!なんて噂がお笑いライブ界で話題なったとかなってないとか…

そんなこんなで、自分たちの中でも仲間意識が芽生え初めた頃、ツーマンライブやりたいねなんて飲みながら話していました。ただ、二組ともライブを主催したことがなかったので、まあそのうちなんて感じで話は停滞していました。

 そして、二組にとって大きな出来事がありました。それは二組とも「オリーブゴールド」に落選してしまったのです。今まで主戦場にしていた場所を失い、路頭に迷うことになりました。しかし、そんな僕らに吉報が入りました。先輩芸人でよくライブを主催している栗原さんから、ライブ会場を貸してあげるという話を頂きました。僕たちは二つ返事で「是非、お願いします!」と返答しました。
 
 その話を頂いたのがライブ開催日の一週間少し前だったのですが、そこから内容や企画を考え、仲間の芸人にも手伝ってもらい無事、『茶色』第一回が開催されたわけです。

 余談ですが、このライブの名前を考える時、シンプルに二組の名前をくっつけたものなどが案に上がっていたのですが、爆弾世紀末の藤崎がゴールドに落ちたから金色じゃなくて茶色だろと言ったので『茶色』という名前になりました。ではまた、『茶色』でお会いしましょう。

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