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【なぜスピリチュアルは嫌われる?】 旧時代の在り方を引きずるスピリチュアリスト達に告ぐ。


こんばんは☺️🌟
今日はなぜスピリチュアルは嫌われる?なぜスピリチュアリストほど本質を見失う?をテーマにお話してみようと思います😊

これまで否定されていた【目に見えない世界】を重要視する時代が到来!

昨今、スピリチュアルブームを直に感じています。
今までだったら怪しい、宗教っぽいとあしらわれて終わっていたような話題にも興味を持って頂けたり、実は以前からスピリチュアルに興味を持っていたんだ、と打ち明けて頂ける機会に恵まれています。
それだけ、スピリチュアルと人々とを隔てていた壁が薄くなっているのだろうと感じ、とても嬉しく思います。

もう、あっちもこっちもスピリチュアルの飽和状態!といった様子で
時代の変化と人々の意識の変化を直に感じる日々。
意識の変化、というよりはこれまで否定されていた目に見えない世界に重きを置く時代が到来したと言った方が適切かも知れません。

ニセモノは淘汰されてゆく?!

先日、タロット占いの記事をあげた際に、これまで良いとされてきたモノ(価値あるとされていた既存のモノ・形態)がことごとく死んでゆくとお話しました。

最近ではとある慈善団体が抱える闇の側面(疑惑)もようやく表に浮上してくるようになりましたね。
それはあくまでも表面的なモノで、実際はもっと根深く、今まで触れられて来なかったたくさんの真実がまだまだ奥に眠っている事でしょう。
まさに、ニセモノが淘汰されてゆく時代が到来したのだろうと日々実感しています。

私はもともと、スピリチュアル能力は選ばれし人にのみ扱える特別な能力ではなく、すべての人が平等に与えられた共通の能力だと考えていますので、スピリチュアル的な意識、そしてスピリチュアル能力を日常で活かせる人が増える事をとても嬉しく思っています。

私自身も日頃 目に見えない世界を感じ、日常生活に活かしておりますので、その輪がどんどん広がってゆく事を願っています。

【なぜスピリチュアルは嫌われる?】 旧時代の在り方を引きずるスピリチュアリスト等に告ぐ。

けれど、空前のスピリチュアルブームを肌で感じる中、同時に覚えるのは違和感です。

自分らしくを謳いながら、いざ行っている事は誰か(スピリチュアルリーダーさん等)の真似っこであったり
自分を信じると謳いながら、いざ行っているのは他者への妄信だったり
スピリチュアルは自分の実体験とともに腑に落としていく事が大切だと謳いながら、高額なセミナーにお金を落としたりなど…

俯瞰して見ると、結局やっている事はこれまでの旧時代と何も変わらない。

有名なスピリチュアルリーダーさんへの妄信や、スピリチュアルグッズへの過度な信頼。そのセミナーに対して、果たしてその金額は相応でしょうか?
スピリチュアルって本来そういうモノでしたか?
スピリチュアルってそもそも何でしたか?
神や仏、釈迦や仏陀は人助けにお金を要求したでしょうか?

今一度、スピリチュアルの本質に立ち返る事の必要性を強く感じています。

スピリチュアリストを自称する方のごく一部ではありますが、
言葉を都合よく使っていらっしゃるな、という印象を受ける人もいます。

美しい言葉、丁寧な言葉で美しい表現をされているから、さもそれが美しいモノなのだと人間は誤解釈してしまいがちですが…
どんなに美しい言葉や美しい表現をされて、丁寧にお話されていても、結果としてやっている事、事実は変わりません。どんな言葉で取り繕ってはいても。

私はnoteで実態のないエネルギー商品を販売するスピリチュアリストについて取り上げる事があります。
本日も、そういった事例をもとにお話を構築していきます。

何かしらの形ある商品(クリスタルでも、アクセサリーでも、なんでもそうです)を購入する際にお代金を支払うのは当然のこと。
お相手様が丹精込めて作られた、用意された商品を無銭で奪うような真似は明らかな法律違反であり、犯罪として断罪されるべきものです。

けれど、中には目に見えないヒーリングアイテムを売買されている方もいらっしゃいます。
例えば、「購入者様にエネルギーをお送りします」等…
なんでも、ネットでその商品を購入した方に特別なエネルギーを遠隔で送るのだそうです。何度聞いても驚きます。

実態のあるヒーリングアイテムを販売されている方でも、相場よりも高く値段設定されている方もいらっしゃいます。
そんなごく一部の方が仰られている謳い文句で特に驚いたのは、「商品に特別な気を込めてお送りします」というもの。
特別な方が特別なエネルギーを込めると、原価以上の価値がつくそうです。

なんだか、旧時代の資本主義社会を彷彿とさせるお話ではないでしょうか?

権威ある一族が「金は価値あるモノだ」と言った瞬間から、金は価値あるモノになりました。
そして銀行というシステムが出来上がり、この世は資本主義の価値基準で染まっていった。

特別な方が「この商品には特別なエネルギーを込めています」と言えば、たちまちそれは「特別なエネルギーが込められた特別な商品」になる。

もちろん、売る方も買う方もそれに満足しているなら問題ないかと思いますが、
実態のないモノに値段をつける行為、それこそがスピリチュアルを怪しい・宗教っぽいと言わしめる要因のひとつだと思いませんか?

どれだけ優れたスピリチュアルリーダーさんでも、事実として行っている事は
実態のないモノで利益を得ているお金儲けに他ならないと感じるのは私だけでしょうか?

念の為に申し上げますが、占いや鑑定も、内容的には実態のないモノを商品としている事に変わりありませんが、お相手のために時間と場所を作っているという点で
カウンセリング料を支払うのは当然だと思っています。
例えばオンラインでのカウンセリングであっても、その方の為に時間を割いてカウンセリングをしているという点でお代金を支払うのは当然の流れ。

けれども最近のスピリチュアルとは便利なもので、
今は購入した方にのみピンポイントで遠隔でエネルギーを送れるらしいのです。
私はそれを耳に、目にする度に愕然としてしまいます。
(余談ですが、クーリングオフなんて…できませんよね?💦)

人ぞれぞれ考え方が違うのは当然のことですし、私も私の考え、価値観を他者に押し付けるような真似はしたくありません。
ですから、こうして昨今のスピリチュアルを使ったビジネスについて疑問を投げかけることはあれど、結局、自分の身の振り方を正すほかありません。

これを機に、私も自分なりのスピリチュアルやその在り方について考え、実践していくタイミングだな、とひしひしと感じております。

購入者のみにピンポイントで遠隔でエネルギーを送る、実態のないモノで利益を得ている、実態のないモノを商品化してお金を儲けている、というのは
既存の某団体のように、壺を売ったりお札を売るなどの行為と何が違うのだろう?と疑問を抱いてしまいます。
そこに、どれだけ崇高な志しや理念があったとしても、やっている事は結局、旧時代に行われて来た事と変わりない気がするのです。
皆様はどうお感じですか?是非、シェアしてください。

最近、某慈善団体の問題がようやく浮上してくるようになりました。
人の為、困っている人々の為と集めた寄付金はどこに流れているのでしょうか?
集まったお金は全額、困っている人々の元へ届いているのでしょうか?
集まった寄付金の内、たった一円でも自分のモノとして懐に入れたならそれは利益を得た事になります。つまり、困っている人々の為という謳い文句でお金儲けした事に変わりありません。
金額の大きい、小さいの話ではありません。
事実、結果としてやっている事はお金儲けに他ならないのです。

その点について、私は昔から慈善事業に対する疑念が強かったので
(ほんの小さい子どもの頃からそれについて疑問や疑念を抱いていました)
最近では、寄付先は自分で調べた上で寄付をするかしないかを決めています。
また、困っている人がいたら、直接、何かお手伝いできる事はないかを聞くようにしています。

なぜ今回、慈善事業への疑念や疑問と、実態のないエネルギー商品を取り扱うスピリチュアリストについて取り上げたかというと、感じる違和感や不自然さが似ているなと感じたからです。

言っている事とやっている事が合致しない。
おそらく、私の違和感や不信感はそこから来ています。

慈善事業は人の為と言いながら、思惑は別のところにある。
(もちろん、すべての慈善事業がそうだとは言い切りません)

実態のないエネルギー商品を販売するスピリチュアリストは、スピリチュアルを広めたいと言いながら、スピリチュアルとスピリチュアルに嫌悪感や不信感を抱く人々の境界線を色濃いものとしている。
スピリチュアルを使ってビジネスをしています、利益を得ようとしていますと最初から宣言されていれば、きっとここまで違和感を感じる事はなかったのだろうなと思います。

実態のないエネルギー商品にはきっと、販売者が特別なエネルギーを込めていらっしゃるのでしょう。
そして、その込められたエネルギーは購入者が幸せを受け取れるよう、販売者の祈りが込められているのでしょう。

けれど私は祈りに値段をつける事はしたくありません。
常日頃、ご先祖様へ祈ったり、製作するイラストにも祈りを込めたり
家族や友人、世界中の人々、宇宙全体の幸せを祈っていますが
そこに値段を設定しようなどと考えた事はありません。
(もちろん、イラスト製作についてはお代金を頂いておりますが、別途お祈り料をプラスした事はありません😅)
なので、こういった実態のないエネルギー商品を販売されている方には愕然とするばかりです。

お祓いをしてくださる神社側からは、ご祈祷料はお気持ちでと仰って頂けました。
(もちろん、ご祈祷料を納めさせて頂きましたが)

お世話になっているお寺の法要では、お布施を用意できなかったのであろう方も
他の方と同様に法要に参加されている様子を見かけました。

なんて素晴らしい在り方だろうと感動しました。
本来、スピリチュアルとはこういうものだったのだろうと確信しました。
目に見えない世界は相手を区別する事なく、いつも私たちを見守り、包み込んでくれているのだろうと強く実感しました。

今、スピリチュアルという目に見えない世界に注目が集まっているこの時代だからこそ、私たちスピリチュアリストの在り方も同時に問われているような気がします。

そして、冒頭でも述べましたが、あらゆるニセモノ、あらゆる違和感が淘汰されてゆくこの時代で
私たちの精神性(スピリチュアリズム)もより練磨され、不要なモノはどんどん削ぎ落とされてゆくのでしょう。

そんな中、エネルギー商品という実態のない商品を取り扱うビジネスがこの時代に根付いてゆくのか?

今後も注視してゆこうと思います。

本日もお付き合い頂き、ありがとうございました😊
またお会いしましょう👋💖

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