見えない善意

展示どうだった?って今日聞いてくれた人がいて。

自分の知ってる人に案内を出して、来てもらったのがほとんどだから、みなさん褒めてくれてましたね~。っていった。


すると「他の人は?」って全然知らない人の反応はどうだったか聞いてくれた。

インスタのフォロワーがちょっと増えたくらいですかねぇ。数人にはささってくれたのかなぁ、といったら「行動しなかった人がいると思うよ」ってその人はいってくれた。

どういうことかと思ったら、いいなって思っても、たとえば周りに人がいてよく見れなかったり、声をかけずに終わった人がいたり、そんな風に行動にはうつさなかったけど、いいなって思った人がたくさんいると思うよ、って。

すごく目が肥えてて、いいものをたっくさん知ってて、いろんなものを見てきた人にそんな風にぽつりといってもらえてうれしかった。その人がいいものを見てきた人じゃなくても、それはすごくやさしい言葉なのでうれしいんだけどね。


その人の一番大切にしているセンスに関わる場合、人はお世辞をいうのをためらうと思うんだよね。それをいいと思う自分のセンスだと思われたくない、というか。
(主語が大きいですね、私の場合はそうなのです。)

だから、いいとは言わず、他の言葉で代用する。それもお世辞なのかもしれないけど、否定はしないけど認めはしないというか。

こういう考えがあるので、私はその人が大切にしている(であろう)価値観の上で自分がジャッジされるときに褒めてもらえると、それはその人の本心だと思ってしまいます。

その現象?が今日起きたのでした。その人の好みではないけど、ポテンシャルはあると思ってもらえてるのかな、って。

自惚れてるかもね。

とにかく、

おすすめの音楽を教えてもらって、日常に溢れたいいものをたくさん見せてもらって。
刺激的だったー。
今度金魚の絵を描こうと思ったよ。

もっといろんなことがあったけど、今はそれだけ。

明日もいい日になりますように。


来週もいい日になっていますように。



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