2020.12.23<来年こそは星降る夜に騒げるように>

舞浜の浜辺から見える夕陽を想像すると、ビーズのライブで歌われる裸足の女神を思い出す。あのライブでは、大勢の人の熱気以上に稲葉さんが何か、出会ったことのない一人一人に力いっぱい命をかけて歌っている感覚を覚える。

「oh my 裸足の女神よ」という稲葉さんが賛美するのは見果てぬ、縁もゆかりもないどこかで頑張っている女性なんだろうなあ。

こんな関係が私は好きだった。見果てぬ誰かのためになることが、自分の意図せずなっている。人のためになることは何もすぐに結果に結びつくとは思えない。そしてその人に贈る愛が必ずその人だけの助けになるとも思いたくない。それが私にとっては信仰でもあって、誰かの悲しみに今は何もできなくても、巡り巡って、時間の不可思議さがスパイスとなって誰かを助けてあげられたらいいと思う。

簡単なことだった。自分の対象者に絶えずポジティブな励ましと、絶えず愛をもって接すればいいこと。文章でもそうだし、態度でもそう。今この瞬間に花にならないことでも、きっと人のためを思っての言動は必ずいつの日か花になる。

悲しみなんか瞬間で枯れさせてしまうような、見劣りさせてしまうような花が咲く。折り合えない人のことを考えて、悲しみに暮れていてはきっとのちの世の誰かにまでその悲しみが伝わってしまう。そんなことは嫌だったし、私にとっては不本意だ。できる限りこんなふうに残るものには誰かの一助になりそうな内容を書くようにしている。そう務めている、そうならなくても。

自分の失敗は絶対に残しておくべきだと思う。失敗ほど人のためになる話はない。それは反面教師ではなく、「努力は何らかの形で報われる」というとてもシンプルな構造だ。失敗ほど晒すべきである、後世の同種の失敗者のために、そして未来の自分の成功の時のために。

私たちは失敗して生きていく。そしてその失敗は自戒すればいいだけであって、他者にアホみたいに突っ込まれる必要はなくて、だからこそ突っ込まれたときに私はその人の代わりに口汚くののしってやりたいと思っている。第三者が言う悪口は誰の人生においてもさほど影響がないから。そうやって人は助け合って生きていけばいいと思っている。

失敗は世のため人のための教材。成功は還元するための資源。そして日常は成功と失敗と両極端へ歩んでいくための成長段階だ。


あおくん、一年お疲れ様!後半はわけわからないことに巻き込んでしまってごめんね。でも私はあおくんがいる2021年を迎えたいと思っている。来年は新しい私たちがもっともっとパワーアップして再会できるといいね。

私自身、修正すべきところがわからないほど様々に中途半端。でも、感性に触れたことはやってみようと思っている。修正するような、本業と呼べるようなものに出会えるかもしれないからね。

私たちが見た2020年はきっと私たちの中で永遠に語り継がれる。窓に映る夕暮れも、駅の中で目が合致したあの瞬間も、ショッピングモールの映画館でさえ、その前を通ればほほ笑んでしまうほどに幼く一生懸命だったと愛しくなると思う。

来年、また会えますように!

そうそう、ツイッターは私も常にいると思うww

つながっているって感じられるだけで安心だから。

良いお年をお迎えください^^(たぶん街中で幾度も偶然に出会いまくると思うけれど)

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