2020.12.27<むかしむかし、あるところに…>

今日は私の昔話をするよ。

10年前、2009年とか2010年のころの私のこと。23とか24のころのことね。

私そのころ、精神的に闇に病んでいて、今みたいにきれいじゃなくて、太っていたし、歩けば誰もが笑うような風貌の女だったの。きっと昔の私の写真を見たら朔ちゃんもあおくんも整形を疑うと思う、それくらい別人だったの。

仕事もしていない、勉強もしていない、友達付き合いもかろうじてあみちゃんとつながっていたくらいでそのほかは何もなし。

日々の楽しみ?食べること。母が毎日のように外へ連れ出してファストフードを食べさせてくれた。車で30分かかったところにあるモスバーガー。23にもなって親の金でファストフードを食べるのが楽しみって今考えても当時でもすごくみじめだよ。悲しいんじゃないの、みじめなの。みんなが生き生きしているように見えた、キラキラしているように見えた。でも私は動けない。かわいくもないし、学歴も働く気力も目標もない。毎日毎日寝て、起きて、食べて、寝て。その繰り返し。時々、母が怒るの「こんなことしてて!将来どうするの!!」って。泣いたよ、大泣きした。そのうち母が言うの、「泣くな!!!」。あの声は今でも覚えている。擦り切れそうなほどに怒りに震えた大きな声。あの声と同じ声色だった、私が元夫に抗議したときの声。怒りのリミッター外れた時の声なんだってわかった。どうしてそんな擦り切れそうな大声出るのかってこともわかった。どうしようもないんだよ、解決策がなくて痛くて苦しくて、どうしようもない、そんな時にあの声が出るの。ああ、親子だなって思った、血がつながってるなって、悲しくなった。だって、あの声の恐怖を私は知ってるから。でも、元夫に対する怒りには悲しみはない。

まあ、とにかく、10年前はみじめだったの。食べることが楽しみで、おしゃれもできない、自由にどこへ行くこともできない、恋をすることもできないし、ただただ家の中で身を潜めて、息を殺して、怒りを誘発しないように静かに暮らすことだけだった。つらかった?ううん、みじめだった。すごくみじめだった。

もちろん、10年後こんなに幸せになっているなんて、こんなに自由になっているなんて考えてもいなかった。未来なんか見えなかった。とりあえず、実家で一生を終えるのだろうとそう信じていたし、変わりたくても動けなかったの。

今の私がこんな苦労話をみんなにしたところで何の助けにも何のなぐさめにもならないことはよく知っている。美談にして売り飛ばすには美しすぎる私の傷み。みじめな時、夢も見れなかったの。

人は多くを望んでいる。お金が欲しい、あの人にあんなふうに接してほしい、きれいになりたい、人よりも勝りたい。すべて悪いことじゃない。でも違うと思う、私はね。あのみじめな時、私のそばに誰がいてもだめだった。お金があっても、恋人がいても。ただね、あればよかったものはわかる。自信があれば、私をひとつ立たせる自分だけの自信があれば希望を持てたと思う。

私は何も持っていなかったの。美貌も、職業も、学歴も、人間関係も、社交性も、お金も、自由も、そして今こんなにもみんなに求められる最高の笑顔もね。それを誰かに語ったところでそれはおとぎ話でしかないから私は語ることをしない。それにどうしてこんなサクセスストーリーを与えられたか?って私は知らない。とにかく、こうなっていたの。客観的に見たら理由は見えるのかもしれない、でも私は本当にわからない。だから語れないの。裏を返せば、「いけ!」って神様がおっしゃったその瞬間からとにかく追い風に押されて前進することのみに夢中になっていたのかもしれない。がむしゃらに進め!進め!!って見えざる声が私を鼓舞して私はただ前進することのみを目標としていたのかもしれない。

この昔話をふたりにしたかったのは、たぶん、ふたりも約10年前どん底を見た頃じゃないかなと思ったからなの。何か奇遇なことがあれば私たちの運命をさらに感じてもらえるかなって思って。

人は美しくなれる。

朔ちゃんのようにすべてを捨てれば道は開ける。

あおくんのように素直に信じれば人はよくしてくれる。

私のように笑っていれば誰かが助けてくれる。

あおくん、朔ちゃん、今日もありがとう。お疲れ様。

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