8歳の息子を犯した母を犯した∞【SWU】

誰かを喜ばせるためや、自分を愛してもらうためにセックスをしなくてもいい」ということを、幼い頃から誰かに教えてもらいたかった。それは本当の愛ではないということを。父親が(私に)したことも、私が(息子に)したことも、病的だということを。

こう話すのは、8歳の息子を強姦したとして有罪判決を受けた米フロリダ州出身の女性Tracy(トレイシー、以下T)。

聴き手は、アメリカ社会の闇に意識を向けるインタビュー動画集「ソフト・ホワイト・アンダーベリー/Soft White Underbelly(SWU)」の製作者マーク・レイタ。


両親に育てられましたか?

T: そうとは言えません。合計で3、4年くらいは一緒に暮らしていたけど、幼少期のほとんどは児童養護施設や里親のもとでで育ちました。

どのような幼少期でしたか?

T: 孤独。里親は必ずしも良い人たちばかりではないんです。お金のためにやっている人もいて、子どもには関心がないことが多い。虐待をしてきた里親も何人かいました。メイドのように掃除や家事をさせられたり、子供たちの面倒を見させられたりしました。

母親は父親と暮らしていたので、あまり会えませんでした。弟と妹と私の3人は仲良かったです。弟だけが、妹と私と別の里親に預けられることもありました。

私が5年生くらい時、祖父母が私たち3人を引き取り、1~2年は一緒に生活しました。その間おばやおじとも暮らしたので、常にどこに行かされるかわからない状態でしたが、親族は私たちのことを理解してくれて愛情を与えてくれました。私たちがどういう経験をしてきたか、どういう里親に預けられていたか、父親や母親の元彼とのことも知っていたので。

でも祖父母が高齢になって私たちの面倒を見られなくなってから、児童養護施設に移されて3、4年暮らしました。

私が中学3年生の時に母親が迎えにきて、高校を卒業するまで一緒に暮らしました。卒業後、私は一人暮らしを始めました。

父親や母親の元彼と何かあったんですか?

T: 父親から強制わいせつをされ始めたのは、私がおそらく4歳の頃だったと思います。というのは4歳下の妹がまだベビーベッドで寝ていたのを覚えているからです。

母親と父親は頻繁に喧嘩しては別れを繰り返し、父親はしょっちゅうベビーシッターたちをもてあそんでいました。

そんな父親は私と「ゲーム」をし始めました。母親は常に働いていたので、私に部屋の掃除をさせ、ベッドメイキングの時になると「お父さんの可愛い娘」「愛している」などと言ってきました。2年生になるまでエスカレートして、始めのうちは口内性交などをさせられました。

成長してから強姦され、私は叫びました。その時私を黙らせるために「みんなに知られたかったら、道端でやってるよ」と言われらました。

父親は「お前が黙っていうことを聞けば、弟や妹に手を出さずに済む、お前は特別だ、愛している」などと言っていましたが、同時期に弟や妹にも強制わいせつをしていたことを後に知りました。 

父親としばらく別れた母親の彼氏からも私は強制わいせつをされ、弟は殴られていました。弟はドレスを着せされ、ドアのフックに吊るされました。弟は床に落ちて両足を骨折しました。 

母親はその後、父親と寄りを戻し、私は再び父から強制わいせつを受け続けました。

ある夏休み、父方の祖父母を訪ねていた時、弟が告白したため、祖母は私に検査を受けさせ、心配しないようにと言いました。でも結局、両親の元に連れ戻されました。そして、児童保護サービス(DCF)が名刺を置いていった後、父親が「誰が嘘をついたんだ」と叫んだ時、私をかばうために弟が「自分が言った」と言い、父親に酷く殴られました。

DCFの事務局に行った際、小さいクマのぬいぐるみや人形を使って、起きたことを説明しなくてはなりませんでした。部屋に母親と一緒に座っていたとき、廊下で父親が「やっていない」と怒鳴り散らしていたのが聞こえました。母親は私を見ながら「あなたが父親にしたことをごらんなさい。嘘をつかないで、本当のことを言いなさい」と言いました。

その後、DCFが私たち引き取ることになり、両親はその場を立ち去りました。私たちはとは父方の祖母のところで隠れていたのですが見つかってしまい、里親に預けられました。2年生から5年生の間のことです。

里親からも強制わいせつされました。その頃には「性行為をすれば、欲しいものが手に入る」ということを学んでいたので、里親の父やおじさんや、片想いをしていた乳兄弟と性行為することに抵抗がなくなっていました。

……児童養護施設でも、性行為を頻繁にしました。愛しているなら、性行為をする。父親から「お前は俺の可愛い娘だ、お前は俺のことを愛していて、俺もお前を愛している。愛している人とはこういうことをするんだ」と言われ続けていたので、その通りにしょっちゅうセックスをしていたのです。

私が12歳の時に児童養護施設で、16歳の人と性行為をして妊娠しました。私が若すぎたので、中絶させられました。

中学3年生の時、母親と弟と妹と一緒に暮らすようになりました。ある日、ベッドの端に座っていたら、義理の父親から……。とてもおかしなことなので説明すると、私が育った家庭では、一家の主を喜ばせなくてはならないという教育を受けていたということが大前提にありました。なので、私は義理の父の足をさすったり、料理をしたり、色んな場所に一緒に出かけたり、一緒に踊ったりしていたわけです。背中をさすって欲しかったら、さすってあげたりしていたのです。

そこで、ある日、私がベッドに座っていたら、義父は腕を私に回して、私の胸を触り、「俺の子どもをお前が産んだら、お前のお母さんはどう思うと思う?」と聞いてきたのです。「そうすれば、子どもは母親の血統であることには変わらないし、子どもが欲しいから」と。私は家を出て、向かいに住んでいる年配の女性と暮らし始めました。当時まだ、高校3年生でした。

高校を卒業してからは、いとこと同棲し始めました。大学には短期間通学していましたが、出会った男と性行為をしていていたら、妊娠しました。その男は息子ダスティンの父親です。彼は酒と麻薬をしていて、私は関わりたくなかったので別れて、実家に帰りました。

当時11歳年上の男性と付き合っていて、その人は「私の息子を自分の子どものように愛す」と言ってくれていたのだけど、私は息子の父親と結婚することになって、でも妊娠中に殺されそうになったので1ヶ月後に別れることにしました。そして母親の家に行きました。義父とは別れた後でした。

例の付き合っていた男性は、息子を養子に取り、とてもよくしてくれたのに、私は酒に溺れ、しょっちゅう浮気をしていました。セックスをすることに意味はなく、ただ常にやってないといられないようになっていました。幼少期から飲んでいたうつ病やPTSDの薬を飲まずに、酒を飲んでいました。

そして旦那を置いて、8歳の息子を連れて出て行きましたが、息子は喜んでいなくて。でも、息子に喜んで欲しくて。愛していたので。

当時、ネットで知り合ったカリフォルニア在住の男がいて、「家族にセックスをしてもいいかと聞けば、セックスをしてもOKだ」というルールを設けていると話ていた。「自分が相手を愛していて、愛情を表現しているだけなんだから」と。

私がしたことの言い訳はしません。私がやったことは間違っているから。今ならわかりますし、当時もどこかでわかっていたところがありました。でも、私はただ、息子に愛されたくて。息子に「私とセックスをしてくれるか?」と聞いたのです。
息子はまだ8歳でした。

その頃、私の父親が再び姿を現わし、大人になった私とセックスをしにきたのです。ある夜、父親が家に来て、私は怖くなりました。ネット上の男に相談したら「息子とのセックスをウェブカメラで見させてくれたら、カリフォルニアに連れて行って全てから解放する。父親から離れられる」と言われました。そこで息子に聞いたのです。

そして男が見ているウェブカメラの前で、私は息子に性交しました。男は私たちに色々と指示しました。

息子はまだとても幼くて。私は世界で最も尊いものを彼から奪ったのでした。それを取り戻して、彼に返したい気持ちに毎日、駆られます。

私は刑務所に入りました。カリフォルニアの男は見つかりませんでした。

事件の後、そのことについて息子と話し合いませんでした。カンザス州に逃げて、ネットで知り合った別の人たちの元に行きました。私はエスコート嬢として働いて、息子を学校に入れました。

ある日、お世話になっていた人たちと殴り合いの喧嘩になり…..私は逮捕されました。執行猶予中、テキサス州にいる妹のところに行きました。

息子を見るたびに、自分が犯したことを思い出し、育てることができなくなり、彼の父親の元に戻しました。

息子は、私と同じ犯罪を犯してしまいました。13歳の時に、小さな男の子か女の子かに猥褻をし、その後、強盗もしたそうです。

現在は、結婚して良い人生を送っているらしいです。たまに話します。彼は私を許してくれたと言っていますが、忘れることは難しいとも言っています。

私も父親に対して同じです。たまに話をしますが、彼はいまだに私にしたことを認めません。彼は叔母たちの作り話で嘘をつかれていると言います。私は真実だとわかっています。

私はただ、「誰かを喜ばせるためや、自分を愛してもらうためにセックスをしなくてもいい」ということを、幼い頃から誰かに教えてもらいたかった。それが本当の愛ではないということを。父親がしたことも、私がしたことも、病的だということを。

……私はいまだに悪夢を見ます。父親から猥褻を受けている場面をフラッシュバックするたびに、テーブルの下に潜って隠れることもあります。

現在は以前よりはマシになりました。再婚しました。薬も飲んでいます。旦那と会社を経営しています。

私の人生はこんな感じです。

どのような感情と一番葛藤しますか?

T: 憎しみ。自分に対する憎しみ。なぜなら、いまだに自分のことを「モンスター」として見てしますからです。友達が私を見るように自分のことを見られません。父親が私にしたことと同じことことをした人ととしてでしか自分を見られません。

20年間という月日を失った憎しみと悲しみ。息子と過ごせたはずの20年間という貴重な時間を失ったこと。人生のわずか10分程度という短い時間の中で犯した犯罪のために、息子の人生を一生壊れたものにしたのです。だから、いくら息子が私を許して、愛していると言ってくれても、私自身が自分を許せないのです。どんなに良いことが起きようとも、優しさというものを知っても、私はいつだって「モンスター」なのです。誰がなんと言おうと。憎しみと悲しみ。

今、色んな薬を飲んでいるから、涙を流すことが難しいんです。

でも、目を瞑らなくても、息子が浮かびます。私を信用してくれていた。なのに私はそれを全て壊したのです。そこまでのことをしておいて、何もなかったかのようにいくわけがないと思うんです。

あなたは被害者にも加害者にもなった。性暴力が子どもに与える影響についてどう考えますか?

T: 悲惨です。人生が狂わされます。
さっきも言ったように、もし誰か一人でも、時間を割いて話を聴いてくれたら。なだめて、薬を飲ませて「全て大丈夫。もう話題にしないで」と言うのではなくて、話を聴いてくれていたら、もしかしたら、問題が起きなかったかもしれない。タラレバを言っても、後悔は後に立たずだから意味がないかもしれないけど。

でも性被害者が全員、性加害者になるわけではない。
私の弟や妹はなっていない。彼らは健康的な人生を送っている。
でも破壊的で、健全ではないことには変わりはないと思うんです。
話さないで薬を飲んでいれば全てが大丈夫と言って、誰も立ち止まって被害者の声に耳を傾けないのは、健全ではないと思います。

刑務所にいたとき、性犯罪者の女性の9人中10人は子どもの時に性被害を受けていました。

息子にしたことで刑務所に?どのように発覚したのですか?

T: 息子がYMCAにいた時、他の男子たちと「セックス」の話題になり、息子が「セックスしたことある」と言っても、信じてもらえなかったため「お母さんとした」と言ったことで、カウンセラーの耳に入り、YMCAがDCF(児童保護)に通報しました。

息子とガラス越しに対面した時、私が父親から聞きたかったたった一つのことを伝えました。「本当のことを話したことを誇りに思う」と。

父親は私に一度も謝罪したことがありませんでした。
私は捕まったから謝罪したのではなくて、息子をひどく傷つけたから。息子はとても混乱していて。なぜなら、問題があることさえも理解していなかったからです。

息子も、私が小さかった時と同じような気持ちだったことを知りました。その気持ちを息子の口から聞かなくてはならなかった。
彼は悪いことだと思っていなかった。悪いことをしたと思っていなかった。

ブランコに座りながら話したのが最後でしたが、彼に「ごめんなさい」と伝えました。「真実を語ったことを誇りに思っている」と伝えました。息子は9歳になったばかりでした。

息子の「混乱」「愛情」「傷つき」を同時に見るのは、悲惨です。
そんな感情を子どもに抱かせるものではない。
子どもは、愛して、養って、安心感を覚えさせてあげないとならないのに。子どもの人生を破壊するのではなく。でも、私は後者をしてしまったのです。

何年服役していたのですか?

T: 9年と15年の執行猶予がつきました。出所してから約8年が立ちます。

アルコールやドラッグは使用してましたか?

T:  アルコールと大麻。たまにジョイントにコカインを入れるヤツ……プリーモをやってました。私はアルコール中毒でした。いくら飲んでも、全てがなくなることはなくて。いくら処方された薬を飲んでも、解決することはなくて。いくらハイになっても、気持ちが晴れることはありませんでした。

中毒は、父親からの被害の後?それとも息子への加害の後のこと?

T:   両方。最近見る悪夢は滲むように、父親から始まって、自分で終わるんです。なので二つを区別することは難しいです。自分が父親として見えるからです。

罪悪感や羞恥心はどのような影響がありますか?

T:  息子との件があった後、自殺しようとしました。やり方がわからなくて、薬を飲んでアルコールを飲みました。意識を失っているところを友人に見つけられました。

食事を取らなくなり薬ばかり飲んでいたのでマグネシウムとカリウム数値が低くて、意識を失っていなかったら、心停止になっていただろうと医師からは言われました。それが目的だったのですが。

走行中の車の前に飛び出して自殺を図ろうともしました。腕を切
ろうとしたところに母親に見つかったりもしました。

終身刑刑務所に行く前の拘置所で自殺しないように監視されていました。何もしませんでした。部屋で隔離して、誰にも話しませんでした。誰にも会いませんでした。

目を覚ましたくない日もあります。以前よりは少なくなりましたが。カウンセリングを受けていて、医師に話しているのが、助けになっています。PTSDの薬も飲んでいます。鬱の薬と、双極性障害の薬も飲んで、安定させています。

酒はたまに飲みますが、泥酔はできません。晩酌にワインを一杯飲みことはありますが、それ以上は飲みません。飲みすぎないように旦那と母親からサポートを受けています。

でも、完全になくなることはありません。関係なく、悪化します。悪化します。

マークが「話を聞かせてくれてありがとう」と言うと、トレイシーは「どこかで誰かのためになればと思います」と答えた。

おわりに

生まれながら性犯罪者である人はいない。
性犯罪者は加害者になる前に被害者になっている。

被害者が加害者になることが約束されているわけではないけど、高い確率で連鎖することがわかっているなら、被害者を作らない方がいい。

ただ、トレイシーの父親のように加害の意識がない(加害を認められない)までに狂ってしまっている人が多いということ。ここまでになっている大人を社会に野放しにしていることも、罪の意識が根付かない要因の一つ。結果、被害者数は拡大する一方だ。見せしめとして一生、刑務所で更生プログラムの実験台になるほか、罪を償う方法はないと思われる。

刑務所業界を繁盛させるより、大人への性教育を優先するべきだろう。ここでいう性教育とは、性的侵害を断り、逃げて、助けを求める練習だ。

✔︎加害者が、知らない人であるより、肉親や知り合いの方が多いという事実を知ることが大前提になる。性犯罪は当事者間で「信頼」が築かれた上で起きているという構図を理解することが大事だ。

✔︎大声でNO!やだ!やめて!やめろ!などと言う発生練習を繰り返す。

✔︎逃げて誰かに話すというロールプレイイングを練習する。この時、トレイシーのように叫んでも暴言と暴力や立場で黙らせられることが多いことも知り、信頼している人に話しても、トレイシーの母親のように信じてくれないことが多いことも理解することも大事だ。それでも諦めず誰かに話し続ければ、マークのようにいずれ話を聴いてくれる人に出会えるという希望を与えるのも重要だ。

子どもへの性教育も大事だけど、大人が性教育の基本を理解していなかったら、子どもに伝えられるわけがない。

性教育の基本は、力関係が不平等な状況での望まない性行為の予防と対策をいかに学ぶか。NOが言えない状況で、YESの感覚がわかるわけがない。社会の性に対する主流な学びの方法は、足し算引き算の前に三角方程式を教えているようなもんだ。対等な関係性の上での同意がある愛情表現ではなく、非平等な立場を利用した支配欲から生まれる性行為を感覚的に学んだ被害者および加害者は、愛情と支配をごっちゃにして捉えてしまうから、悲劇が拡散される。

だから、あいうえおやABCより先に、やめてとNOの発声練習。
性犯罪者は「信頼」を築いた上で犯行に及ぶ構造を理解する。
信じてもらえないことを覚悟した上で誰かに話し続ける勇気。
護身術でいう目つき、金的蹴りの練習も身を守るために有効。
自分自身の体と尊厳を守れない人は、他人を思いやることもできない。
人類がこのままでいいはずがない。
これまでやってこなかったことを実践したら、被害者も加害者も増産されない社会を作ることはできるのではないか。


子どもへの性的支配、近親姦、売春、ドラッグ、ギャング、ホームレス、精神障害者、貧困……。

LAにあるアメリカ最大級のスラム街を中心に、社会の底辺にいる人らの生い立ちから聴き始める顔出しインタビュー動画集「Soft White Underbelly」は、主流メディアが伝えないアメリカの現代社会の闇をありのままに見せている。

それをたった一人で制作しYouTubeなどで配信しているのが、大企業の広告を撮影してきた超一流カメラマンのマーク・レイタ。

大企業を更に繁盛させる手助けよりもっと重要なことをするため、社会の問題に意識を向けるために配信している。

「意識を向けなければ、問題は拡大し悪化する一方だ。耳を傾けること、理解しようとすること、認めること、行動を変えることをすれば、変化が起こるかもしれない。次世代の親がお手本として子どもたちに希望を与えられるよう手助けができればと思っている」

ありがとうございます^^励みになります。