読書感想文#22 誰の味方でもありません
今回の本
今回読んだ本はこちら。
古市憲寿さんの「誰の味方でもありません」という本です。
この本を手に取ったきっかけは、とにかく古市さんの本が読みたいなーと思ってメルカリを漁っていた時に、前回紹介した「だから日本はズレている」とセットで販売されていたこと。
内容
彼が新潮社の雑誌に持っていた連載がまとまっているものです。
簡単なエッセイと、それに対する彼自身の意見や考えがまとめられています。
感想
エッセイの中からなんとなく彼の生き方というか、生活の様子を伺うことができました。
大抵は、どこかに旅行に行っただとか、何かのイベントなどの際に誰かと話しただとかという内容ですが。
羨ましいとか、そういった生活がしたいとかいうことはおいておいて、彼のような人生が、生き方もあるのだなということをしみじみと感じました。
彼の意見を読んでいて思うことは、「知識」がない批判には全くもって意味がないということだ。
何かしらの批判があった際や、意見がある際にも、「それでは実際のところうどうだったのか」という疑問を抱いてしっかりとした調査を行い、それに基づいた話をしている。
対照的に、世間一般には、部分的に切り取られた情報のみを参考にすることによって感情的に物事を判断している。
司法の判断においても同様である。実際のファクト以上に「被害者の気持ち」という感情的な部分を優先することが存在する。
であるからして、僕自身も何か物事を判断する際には一次情報に触れるまで情報を取得してから発言を行う必要があると感じた。
これは、最近多く見られる炎上においてよく見られている現象だ。
その物事をよく理解していない人や、背景をしっかりと把握していない人が近づいてきて正論を浴びせかけ、あたかも炎上者が間違っているような振る舞いをする。
正論のみを浴びせかけられているものだから、炎上している人からしたら釈明の余地はない。
ちょうど最近ではオリンピックに出場が内定していた選手の事件もあった。
彼に対してみんなが正論を振りかざして好き放題に言っている様子が印象に残っている。
果たして、そんなことをして世の中はよくなるのだろうか。
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