パンコメ対談20191231 M-1/ぺこぱ/「誰も傷つけない笑い」雑感

パンス 『ポスト・サブカル焼け跡派』発売も徐々に近付いてきましたね! パンコメ対談、今回アップ分が今年最後となります。12月もいろいろありましたが、なかでも印象的だったことなどありますか?

コメカ もうバタバタで既に記憶が朦朧としてるんだけども(笑)、とりあえずあれだ、M-1観たよ。メディア体験として(笑)。

パンス 僕はお笑いにあまり馴染みがなくて、いままでちゃんとチェックしていなかったんだけど、話題になっている、ぺこぱ、ミルクボーイ、和牛を見てみたよ。Twitterタイムラインの反応が気になっていて。「誰も傷つけない笑い」というあり方が出てきたのかー、そうかー、って。

コメカ まあねえ……。ただ、「誰も傷つけない笑い」みたいな物言い自体は別に昔からあるもので、テレビの世界で言えばソロ活動以降の萩本欣一とか、ウッチャンナンチャンとか大メジャーな存在が色々いたわけでさ。要するに、イジリ芸や自虐芸ではないタイプの芸風が人気を集める状況がここんとこあるって話だと思うんだよね。今回のM-1とは関係ないけど、例えばEXITみたいな芸人もそういう姿勢を分かりやすく打ち出していたりする。80年代以降はテレビのお笑いが日本社会のコミュニケーションスタイルを牽引してたところがあるけど、そういう観点から見たときの潮流・状況の変化は確かにあるなーと思う。

パンス そういう話が聞きたかった! 最近まで続いていた潮流とは違ったものが出てきたんだろうと予測していた。「誰も傷つけない笑い」に対する反応を見ていると面白いんだよね。ギスギスした最近の社会状況に対する清涼剤のように受け取っている人もいれば、コンプライアンス至上主義の結果だ、的な皮肉を言っている人もいる。ただ、ぺこぱに「働き方改革」みたいなワードが出てくるからといって、そこにリベラリズムまで見出すのは性急だと思うけど。ひとつ言えるとすれば、現在の日本で一般的になっているコミュニケーションの外側を描いている点において、新鮮な驚きを与えているのかなと。

コメカ おぎやはぎの有名なフレーズで、「小木のやりたいことはなるべくやらせてやりたいと思っているからな」ってのがあるけど、ああいう相方の提案なりボケなりを否定せず受け入れるっていうギャグを、漫才全体のフォーマットまで落とし込んだのがぺこぱのネタだよね(笑)。ただね、あのネタって、ボケ側の行動の内実によって、そこで展開される世界観自体も実は変質するんだよね。ボケの行動が悪意の無いそれこそ天然ボケ的な行動だった場合は、ツッコミがそれを受け入れる構図は優しさになる。でも悪意があった場合は、ツッコミが被害を自分の内面だけで咀嚼して泣き寝入りする=怒らない、っていう全然リベラルじゃない世界観になるんだよ(笑)。

パンス ぺこぱのタクシーのネタを見てて、まさにそこが重要だと思った。要するに、ボケに悪意があったら、被害を受けた側の自己責任になる(笑)。降りかかってくる内実によっては、糸井重里言うところの「犬も猫も、告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったりしないんだ。ああ、大好きだ、あなたたち。」が適用されてしまう。そのパターンも含めて全体を戯画化しているところが素晴らしいと思った。ただ受け止める側はあんまり切り分けられていないというか……、とりあえず「優しさ」があるからイイ、というところで止まっているというのが現状なのかなと。

コメカ そうだと思うねえ。

パンス いま鶴見俊輔の演芸・漫才論(『戦後日本の大衆文化史』1984年)を読み返していて思うのは、お笑いの人々がネットでいわれるようなリベラルであるか否かというのはあまり重要ではなくて、大衆の思考様式みたいなものを体現しているんだなと。1980年代時点の鶴見俊輔はあくまでも階級の問題というか、高等教育を受けられなかった者による表現であるということを強調しているので、現在には置き換えづらい部分もあるのだけど、「(教育を受けられなかった者たちからは)与党の指導者たちだけではなくて、共産党、社会党または新左翼を含む反対諸政党の指導者たちもまた、日本を支配する官僚ときわめてよく似たもう一つの陰の官僚層のようにみえます」というのはアクチュアル。芸人が社会を無意識に代弁するのならば、芸人がやたら右傾化していたりするのもまた必然。そして抑圧的なコミュニケーションへの反発が社会に醸成されるのならば、それを反映した表現が出てくるのも必然でしょう。

コメカ お笑いっていうものを観賞するときに、どういう距離感をとるかっていうことだと思うんだよねえ。テレビなりネットなりでメディア体験としてネタやバラエティ番組に我々は触れるわけだけど、多くの人がそこで表現されているものに作家性や思想性を読み込もうとしがちであるとは思う。でも本来の芸人って大概は別に思想性なんて持ってなくて、「ウケればなんでもやる」っていう存在だと思うし、ぼくはそこにむしろ「市民社会の外側の住人」としての畏怖の念を持ってるんだけど。ただ、それこそM-1の盛り上がりで後景に追いやられ忘れられてしまった吉本の闇営業・労働問題にしても、先述したEXIT兼近のようなリベラル・ダイバーシティ的な発言をする芸人の登場にしても、お笑い芸人も昔みたいに市民社会の彼岸にいることはもう難しくなってるっていう現状はあるわな。

パンス ふーむ。

コメカ だから、ミルクボーイはぼくもすごく好きだけど、ああいう穏当な芸が「型」の面白さで優勝するっていうのは、もう吉本としては最高に助かる展開ですよね(笑)。さっき言ったような諸々の「綻び」を忘れさせてくれる。で、結局ぺこぱにしても思想的に読み込もうとすると何か勘違いをしてしまうような気はするねえ。あれも結局ミルクボーイと同じで「型」「フォーマット」が商品価値を持ってるというか、別に投入される内容はリベラリズムでも最中でも究極的にはなんでもいいんだよね(笑)。先述した闇営業問題や兼近の発言主体としての在り方のように、それそのものが状況に「綻び」を生み得るようなものではまあないよな。

パンス 僕は「お笑いを語る」において独特のハードルがあるなと思っていて、なかでも代表的だと思うのがさきほど出た「市民社会の外側の住人」っていう捉え方。そこに畏怖を覚える、みたいなのがまだよく分からなくて。その線でいくとお笑いが社会に綻びを生み出すことは本質的には不可能ってことになってしまうような……。来年はそのへんの歴史を踏まえるために勉強しようと思ってます。昭和以前まで遡って。この話題はまだまだ出来そうだね。 

さて、以前もやっていた「オススメ曲」も再開します! まず僕は、12/23「TVODの焼け跡パーティー」でDJしたときにかけ忘れちゃった曲を。

韓国のデリスパイスというバンドが1997年に発表した楽曲です。ソウル・インディ・シーン草創期のヒット。当時のUKロックの影響大で、「君の声が聴こえる」という歌詞が繰り返される、内省的な曲。日本のバンドでも「1997年の世代」みたいな言い方がありますが、同時期にこんな動きが韓国でも起こってたというのが興味深い! 年末っぽいでしょ。

コメカ はじめて聴いたけど、めっちゃいい曲だな~。ぼくはじゃあ、単純に好きな曲を挙げます(笑)。

beabadoobeeという、ベア・クリスティによるソロユニットの、「Space Cadet」という曲。マニラ生まれ・ロンドン育ちの人らしい。これは今年リリースされたEPのタイトル曲だね。こういうベッドルーム的なオルタナサウンドを若い世代(まだ19歳)がやってるのが面白いなーと。自意識とSFっぽい設定を絡ませる歌詞の世界も、結局ぼくこういうの好きなんですよねえ…。
ではでは、今回はこのあたりで。2020年、TVODは初の単行本『ポスト・サブカル 焼け跡派』を百万年書房からリリースし、ガンガン活動していく予定です。来年もよろしくお願いします~!

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