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死がふたりを分かつまで

※人の生死の話が出てくるので、苦手な方はご注意



先週日曜日。
土曜日から鼻の調子がおかしかったのが悪化し、熱も出てきて1日寝ていた日のこと。

夕方、うつらうつら寝ていたところふと目が覚めて携帯を確認したら母からのLINE。


祖父が亡くなった連絡だった。


何年か前からガンを患い、胃を全摘出し何度も入退院を繰り返していて。
食べるのが大好きだった人が全然食べれなくなっていく姿は辛かった。


昨年12月ぐらいには「いよいよやばいかも」といって、特別養護老人ホームに入るかという話も出ていたけれど、結果的にずっと家で過ごせたようだった。
亡くなるその時は少し目を離した、誰の意識からも外れた一瞬で、この世を去ったらしい。

最期のその時まで、自分の家で過ごせて良かったなと思うし、
一瞬のことだったってことだからたぶん無駄に苦しむことなく人生を終えれたのであればそれもよかったな、という気持ちになった。


祖父の家に着くまで、正直全然実感がなかった。
やっぱり遠く離れて住んでいるし。
でもやっぱりその姿を見るとだめで、涙が溢れた。
こんなにも身近な人を亡くすのは人生で初めての経験だったから。


小学生の頃、家が諸々あったので
金曜日の夜から日曜の夕方くらいまで祖父母の家で過ごすことが常だった。

いろんなところに連れて行ってもらったし、いろんなことを経験させてくれたし、大人ぶるわたしのこともちゃんとわかってくれてたような気もする。

わたしが色々あった過去を経ても、
道をそれることなくそれなりに真っ直ぐ生きてこられたのは間違いなく祖父と祖母のおかげだなと思ったので、本当に感謝しかない。


そして一人残された祖母。
祖母はアルツハイマーが進行していて、何度も同じことを繰り返し話す。
ただ徘徊したり、暴力を振るったりすることはないので、ちいさい子供みたいになっている。

通夜の夜、葬儀場に孫と祖母で泊まった。
トイレにいくには祖父のいる部屋の前を通らなければならず、そこに祖父がいることに気づくたびに涙ぐんでいた姿がとても切なかった。
葬儀のすぐあとは、葬儀をした人が祖父であることも忘れてしまっていたので、もしかしたらあまりにショックが大きく、記憶が混乱してしまったのかと思う。


大事な人を亡くして記憶が長く続かない中、祖父が亡くなったことを思い出す、(あるいは知らされる)たびに、祖母は悲しい気持ちを何回も味わうことになるのだろうか。

どうか祖母の残りの人生が、寂しくなく満たされたものでありますように。



わたしが帰る時もすごく寂しそうだったから、近いうちに、また帰省しよう。



余談
マナー的にどうなのかって話もある中、家族葬だったし気を遣わなければいけないような人たちは来ないとのことだったのでネイルを外すことなく葬儀に参列した。
母に「ネイルしたままでも、じいちゃん多分怒んないよね」と聞いたら、「うん、そんなんなんも言わんよ」とちょっとわらって言ってくれたのが、うまく言葉にできないけどすごくよかった。



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