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人生のシュレッダー

ネット検索は便利ではあるが、その中の情報は玉石混交であるし、細切れかつ粗悪なものも多くて考えものだ。その点ではまだ紙媒体のほうが遥かにマシである。

タイムリーなことに、朧さんが「たまには新聞を読め」というエントリを書いていたけれど、わりかし同意できる。

ネット民は既存メディアを叩くけど、インターネットニュースの一次ソースって多くは既存メディア発だったりするから、その手の批判は少し底が浅いと感じてしまう。偏向報道に関しては大いに叩かれればいいとも思うけど。

また、ネットサーフィンは細かい時間を埋めてくれるが、それだけに人類から相当の「まとまった時間、まとまった思考」を奪っている気がする。

もちろんおれも例外ではなくて、ついついSNSを閲覧したり、スマホゲームをしたりしているうちに馬鹿にならない時間をドブに捨ててしまっている。

インターネットというのは「人生のシュレッダー」だ。人はまとまった仕事をしてまとまった成果を上げるものなのだが、それを細かく切り刻んで人の営みを停滞させたまま、いつのまにか歳を取らせる恐ろしい効果があるのだ。

対処法としては、そもそもネットに触れる時間に制限を掛けるか、それでもスマートフォンやパソコンに触ってしまうのならば、なるたけまとまったインプット、アウトプットを自身に課したほうがマシではなかろうか。

最近のおれがなるたけ本を読んで、ネットに触れるにしても、ある程度長い文章を書くようにしているのもそういうことである。

さして長くもないおれの余生を、ネットに砕かれたまま死にたくないからだ。そういう無為だけは真っ平御免である。

テレビ、とくに昨今のバラエティ番組やワイドショーの類は馬鹿発生装置だと思うが、インターネットだってそのような性質をきっと帯びている。

どちらもまるっきり避けては生きていけないし、流されればラクなこともあるだろうが、それでもどうにかして抗っていきたいのだ。

(了)

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