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インターネット・サラダボウル

アラツー以下の若い世代のフェイバリットに深入り出来るのって、アラフォーが限界のような気がするな。ヒカキンとかDJ社長みたいな若者文化的オピニオンリーダーってそれ以下でしょ。

50を超えると若者との「文化的断絶」が決定的になるイメージがある。というかアラフォーのおれでもややきつい。心の老化を感じる今日この頃だ。

具体例をあげると「中高生はtiktokとか韓流アイドルがわりと好きな一方で/ネット右翼の主力は中高年以上」みたいな話な。二者の断絶はきっと深いし、相互理解は難しい。

インターネットの普及による情報の自由化は「若者と中高年」のような属性の異なる二者の交流を活発にしたかというと、むしろ溝を深めたと思うね。

なんでもそうなんだけど「自由」というものは「選択肢を増やすこと」であり「個人の拒否権の拡大」につながるんだよね。

「不自由」だと「いやなやつともある程度折り合いをつけていかなきゃいけない」けど「自由」だと「いやなやつとはサッサと離れて気の合う連中とだけつるめばよい」みたいなことになる。(このあたりは白饅頭さんの本の中に詳しく書いてあるから参照してほしい)

自由の国アメリカは言わずと知れた多民族国家なんだけど、あらゆる人種や民族が仲良く混ざり合ってるかというと、もちろんそうとは言い切れない。

フツーに「民族ごとのムラ」や「階層ごとのムラ」などを形成してしまっているらしいね。これを「サラダボウル現象」と呼ぶ。

「自由が融合を生む」というのは幻想で、群衆から仕切りを取り払えば取り払うほど、各勢力ごとに分かれていがみ合うという話。

なんというか、人というのはまことに御しがたく、業の深い生き物ですなあ。

(了)

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