おれの余熱を聴いてくれ(『10倍速く書ける超スピード文章術』感想文)
10倍速く書ける超スピード文章術という本を読み終わったので、感想を述べてみる。退屈な書評だけで終わるつもりはないから、少しだけつきあってほしい。
結論からいうと良書である。その内容についてざっくり書くならば
書く前に素材を集めて、難しい言葉や言い回しは使わずに一気に書け、あとから直せ。
もちろん細々とした補足事項はたくさんあるが、ノウハウの主幹としては、ほぼこれだけである。
・書く材料を最初に用意しないからスピードダウンする
・うまく書こうとするからスピードダウンする
・細かい間違いをその都度直そうとするからスピードダウンする
これらを回避すれば最速で書ける。そういうことである。
実際、この本自体が大変わかりやすい文章で書かれており、サクサクと読めてしまう。美文名文の類はほとんど含まれていないが、ノウハウがスイスイと頭の中に吸い込まれるような快感があるのだ。
ただし「文章のうまさ」にこだわっていない、むしろ積極的に排している以上、伝達性の高いものに仕上がっているだけで、無味乾燥のつまらない文章ともいえる。
ビジネステキストには適しているが、小説などには向いていないし、物語の作り方などについても言及されていない。よって作家などを目指す方にとっては、あまり役に立たない本かもしれない。
筆者の主張としては「国語の教科書に載るような文豪の文章を手本にして、うまく書こうとするから書けなくなる。もっと気楽にシンプルに書けばよい」ということなのだろう。
そこは同感で「なにかを書き表して、他人からのフィードバックを得る」というのは、それ自体が楽しいことだ。
以前、ノート有料化の利点について述べたことがあるが、それを始める前の俺が、1円にもならん長文をだらだらとネット空間のそこかしこに残したのは「書くことそのものがどうにもやめられない」というだけなのだ。
したがって「記述速度を上げる」ことに加えて、書くこと自体のハードルを下げてくれる本書は、プリミティブな書く悦びを教えるツールとして機能しやすい。これが「良書である」とした理由である。
少し話は変わるが、先日取引先との飲み会に参加してきた。俺もたまには社会人的なムーヴをすることがあるのだ。
二次会の某スナックで、取引先の若手社員がカラオケを熱唱していたのだが、まあ正直上手くはない。
また別の折に、フリークたちが集まるカラオケにも参加したことがあるのだが、先の若手よりも歌唱力の高い参加者ばかりであった。
しかし、比べてみれば俺が心打たれたのは若手社員の下手な歌であった。彼が誰よりも楽しそうに酔っ払い、気持ちよく歌っていたからだ。
翻って「書くこと」も「歌うこと」も、本人が楽しければそれだけできっと尊いことなのだ。生きることそのものといってもいい。大袈裟に聞こえるかもしれないが、歳を取ると「純粋に楽しいと思えること」が、だんだん減ってくるのを、否が応にも実感してしまうのだ。
無心で何かを書いてしまう、読んでしまう、歌ってしまう、楽しいと感じてしまう、それは魂のしずくであり、時とともに失われてゆくものなのだ。俺はそのことを、この本に、彼の下手な歌に思い起こされてしまったのだ。
老いていくことは仕方ない。誰にも責められないし、俺自身を責めようとも思わない。
しかし、情熱のひとしずくでも自らの内に残っているあいだは、それを噛み締めながらこの世に垂れ流し、書き落とし、撒き散らし切ってから死にたいと切に願うのだ。
その結果、俺の「ああ楽しかったな」という想いを誰かと共有できたならば、ほんの少しだけなにかが報われる気がするのだ。
(了)
お酒を飲みます