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「おもしろさ」とは何か

「おもしろさとは何か?」とさまざまな者に問うたとき、その答えはきっと十人十色に分かれるだろう。

だが、その中で強く印象に残っているものは、学生時代に国語教師から聞かされた解釈だけだ。

"おもしろさ"とは心が大きく動くことである。それはポジティブな感動に留まらない。ネガティブな動揺じみたものも含まれる。たとえば書き手や主人公の憤怒/悲哀/苦悶などからも読み手は共感や興味を得ることができる。言い換えれば軽度の苦痛を楽しむことができてしまう。それらを含めて"おもしろさ"と呼ぶ」

たしか、そのような内容だったはずだ。さまざまな名文に触れるたびに、このことを思い出しては「まさにその通りであるな」と再確認させられることが多い。

踏まえて、先日書き上げた記事に呼応してヤマーMCさんが貼り付けたテキストを紹介したい。

上のツイートのツリーにぶらさがる中島義道氏の一連の文章がそれだ。読み込むほどに胃の奥が重たくなる話だが、ついつい引き込まれてしまう。

われわれは、書き手の/主人公の/他人の/ときには身内や/自分の不幸までも、文字によって程よく希釈すれば「おもしろく」消費できてしまう心を持っている。

それそのものが良いことか悪いことかはわからないが、どうやらともかくそういうことらしいのだ。

自らの心の、もしかしたら醜いといえる機序を直視することはそれなりに厳しいことなのだが、ひょっとしたら、それすらも「おもしろく」捉えることは可能なのかもしれない。

(了)

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