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お世話になっております。
経営学部経営学科2年の
久木田 大樹(くきた だいき)です。

前回の紹介にもあったように想真とはご近所で、毎朝15秒間の埼京線乗り換えレースを共にしている仲。クールな彼が内に秘めた気持ちを知れて良かったです。そんな彼からは学びが多く尊敬しています。

興味のあるような経歴もスペックもありませんが、テーマである「自己紹介」について書いていきます。

この記事を読んで、
「勇気や元気が出た」
「明日からの行動を変えよう」
「おにぎりを作ってみよう」
「久木田君に学食をおごろう」
など少しでもみなさんのためになってくれればうれしいです。

小学校Part1

小学3年生で山口県の一の宮SSSで私のサッカー人生が始まる。
きっかけは、同じ小学校のスーパーうまい人に憧れて始める。
そのきっかけとなった彼がいなければ今どうなっていたのかな。
今でも家族全員で彼の活躍を応援しています。

(写真真ん中の青いユニフォームで、水たまりの水を飲みあっている人が小学3年の久木田大樹)

父の転勤で小学6年ではるばる埼玉へ。
引っ越す前は、別れってこんなにも悲しいんだ。おじいちゃんとおばあちゃんにもすぐに会えない。
と、人との繋がりの大切さを小学校で味わっていた裏腹に
「関東かぁ。埼玉かぁ。楽しみ(笑)」
これも本音。

小学校Part2

埼玉到着。
普通に家から近い大利根SSSに入団。
「え、ここ埼玉??」
見渡す限りの田んぼ。
山口と全く変わらない。
でも、今となってはこういった落ち着いたところの方が合ってるのかな?

不安はもちろん友達できるかな、、

でも、サッカーをきっかけにあっという間に友達ができ、埼玉化されていった。
サッカーってスゴい。
いや、スポーツって凄い。
ボールひとつで輪が広がる。
絆が深まる。
人を知れる。

所属した両チームとも強豪でもなく人数も少なかった。でも、パッションは十分にあった。

録画したやべっちFCのスーパープレーを家の前で、真似することは、場所が変わってもやることはかわらず、サッカーを純粋に楽しむ気持ちは変わらなかった。
卒業の時に何かで書いた夢は
「感動の与えられるサッカー選手」

中学校

普通に地元の中学校へ。
そのままサッカー部へ。
中学校は今思い返すとホントに思春期。
やり直すなら、中学校をやり直したい。

所属したサッカー部は県大会に出るか出ないかくらい。
実は、部長もやっており、学級委員もやっていた。

やり直したいポイントが2つある。
1つ目のやり直したいポイントは「怪我」。
 2年の時2~3ヶ月ほど腰を痛めて、サッカーが出来なかった。ホントに急に走れなくなった。
原因としては心のどこかで妥協しまくる自分がいたと思う。


2つ目のやり直したいポイントは「統率力」。部長久木田率いる最後の大会はあっけなく地区2回戦敗退。
相手も1番負けたくないような雰囲気の相手。過去1泣いたかもしれない。
みんなの気持ちと先生の期待に、答えられなかった気持ち。
全てが浮かんだ。

コレが、キッカケで高校ではサッカーはそこまでやるつもりでなかったが、後悔のない生活をしたい。
その思いで、サッカーの事も少し考えて高校を選んだ。

中学校の時に恩師である先生の指導のもと書いたサッカーノートの表紙は全て
「感謝」

高校

埼玉県の越谷西高校へ。
実力的には県ベスト16くらい。
自分では、大きなステップアップであった。ここで、後悔のない3年間を送りたい。
その思いで1時間少しかけて通い続けた。

質より量タイプの学校。
精神的には、鍛えられた。
平日は、毎朝6時17分の電車に乗り全体で必ず朝練。授業が終わって午後練。

6月と2月の朝練は、近くのしらこばと運動公園の周りを走るインターバル走が行われる。
運が悪ければ、体育で持久走。それプラス21時までの練習の時は鬼の日。
ヘトヘトの日々。
私は勝手にフルコースと呼んでいた。
今思うとこれ以上辛いことはないと思いながら生活できている。

また、夏の朝はホントにえぐい。
公立のためシャワーなど設備もそろっておらず、水道水、シーブリーズ、汗ふきシートが我らの味方。

替えのパンツは当たり前。時には、2枚替えを準備してる時も。

土のグラウンドだったため、朝練が出欠ギリギリに終わった時は、頭や体に砂がついたまま汗だくで、授業を受けることもある。

色々な苦難や経験を経て、ヘナチョコ久木田は、3年間で着実にステップアップしていき、途中出場ながらも選手権県予選にも出場することができた。
入学当初は自分でも分かるくらいヘナチョコ具合。
着飾ってクールにプレーしようとも考えたが、やっぱり自分はガムシャラに汗水流しながらプレーすることがあっていた。

1番最後の試合は笑顔でした。
後悔はなかったと思う。

何よりも、お母さんが毎朝5時に起きてお弁当を作ってくれる。
このお弁当を毎朝リュックに入れると、後悔のない3年間にしようとパワーが出る。

ちなみに、好きなおかずは卵焼きです。


みんなの支えがなかったらここまで頑張れてないし、成長出来てないだろう。

ありがとう。

入学当初から卒業まで部屋の壁に、大きな紙に書いて貼り付けた言葉は
「感謝」

大学

東京理科大学へ。
勉強にサッカー共にすごい人ばかり。
高校サッカー引退した時は、絶対にサッカーはやらないと思っていた。

でもなんでだろう、サークルでサッカーをやっている自分が考えられなかった。
サークルに入るならボランティアサークルに入っていたのかもしれない。

ごみ拾いをしている時に、もしかしたらお宝を拾えるかもしれないからだ。

汗水かきながら何かをしている自分の方が好きだと感じたからだ。

冗談はさておき、今現在とても充実している。

まず、人工芝で練習出来ることが楽しい。

主体的にみんなが動き全員で作り上げていくチームが楽しい。

みんなから、学ぶことばかりで楽しい。

全力でサッカーをすることが楽しい。

また、2年からは新しい活動として東京都大学サッカー連盟の学生幹事としても活動させて貰っている。

学連の経験から今までの感謝の軽さを感じた。
試合を出来てるのはあたりまえじゃない。
裏で必ず尽くしてくれている誰かがいる。

正直、この経験をせずサッカーを離れなくて良かったと感じているほどだ。
自分の未熟さを感じられる経験となっている。

まとめ

始発の電車に乗り、約2時間かけてグラウンドに向かい、大遅刻で1時間程しか出来ない。
それでもプレーし続ける理由がある。

「サッカーに対する感謝」 

サッカーを通じて人格形成され、友達もでき、心身共に強くなった。
このままサッカーから身を引くのは申し訳ない。
そして、サッカーをするにしてもなんでも決して表に出ず、裏で支えてくださっているたくさんの方がいます。

何かを全力で取り組むことは素晴らしいことです。
皆さん、何をしている時の自分が1番好きですか?

「感動の与えられるサッカー選手」

はほど遠いかもしれないが、
普段の生活でもプレー中でも、元気や勇気を少しでも与えられるような人物として心がけていきたい。

とても長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回は我らの監督日比谷さん。試合中は熱く、ピッチ外では優しく寄り添ってくれる日比谷さん。
ここまで信頼される日比谷さんの過去はいかに。

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