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小学生酩酊部隊

はい。こんにちは。miriamです。先日は、やたら大きな仏壇を持っている父方の親せきのことについてお話させていただきました。ので!今日は母方の親せきのことについてお話させていただきたいと思います。私は父方の叔父(父の兄)のことはキライでしたが、母方の叔父(母の弟)のことは大好きでした。叔父さん・・・と呼ぶと、「俺は独身だしまだ叔父さんなんて呼ばれる年じゃない!」といわれたので、「お兄さん」という意味で「おにい」と呼んでいました。年の近いいとこ(2人姉妹)と私の3人、幼いころからいつも一緒に行動していた私たちを、いつも気にかけてくれ、スケートリンクに洋酒喫茶に甲子園球場の阪神・巨人戦など・・・いろんなところに連れて行ってくれました。以前書いた「宇宙戦艦ヤマト」の映画に連れて行ってくれたのも、おにいです。ぶっきらぼうでしたが、根はとてもやさしい、すてきな「おにい」でした。まだ若いというのに星になってしまった・・・本当に惜しい人を亡くしてしまいました。今でも悔やまれます・・・。

私たちいとこ同士の3人は、幼いころから仲良く育ちました。私たちが叔父のことを「おにい」と呼ぶのに対しておにい側が私たちのことをどう呼んでいたか、といいますと・・・「3バカ」でした。「おーい3バカ、スケート行くか?」というように使います。ひどいでしょ💦でもこれが、おにいなりの私たちへの愛情表現なのでした。

小学生のころから、私たちは毎年夏休みになるとおにいのいる母方の祖父の家へ行き、泊りがけで遊ぶのが習慣でした。あ、夏休みの宿題も持参して、一緒にやっていました。おかげで夏休みが終わる寸前に焦りまくって青くなる、ということは避けられたのですが、やっぱり宿題なしで遊びに行きたかった、というのが私の本音です。

小学生のある夏の夜のことでした。、いつものように泊まりに来ていた私たちに、おにいがいきなり「おいお前ら、これからサイダーの瓶の大きい奴、買ってこい」というのです。サイダー?あの炭酸の?と聞くと、「そう。早く買ってこい」私たちはおにいからもらったお金を持って近くにあったジュースの自動販売機まで走り、1.5Lのサイダーのボトルを持って帰ってきました。「こんなもん、どうするんだろう?」「風呂上がりに・・・って、ワタシらもう入ったもんねぇ」「おにいも入ったよ」いぶかしく思いながら2階で待っているおにいのもとへ「買ってきたよー」と持っていくと、なんとおにいが取り出したのはブランデーのボトルでした!

「お前らに今からうまいもの飲ませてやる」の言葉とともに、おにいは氷の入ったグラス4つに少しづつブランデーを注ぎ・・・そしてその上からさっき買ってきたサイダーをトクトクトク・・・。それをマドラーでくるりとかき混ぜると私たちに勧めてきました。「まあ、飲んでみろ」私たちは顔を見合わせながら一口、二口・・・「おいしい!!」普通のサイダーの甘みとともにブランデーの風味が相まって、とてもおいしいのです。こんなおいしいものを飲んだのは、もちろんみんな初めてでした。

「そうだろー」おにいはニヤニヤしながら私たちを見つめています。「でも、私たちまだ小学生で・・・」というと、「じゃ、やめとくか?」「ううん!!飲む!!おいしいね、これ!」飲むにしたがって当然のことながらアルコールに慣れていない私たちの顔は真っ赤に染まり、なんだかとても気分がよくなってきました。持参した宿題の山のことなんてどうでもいい、なんとかなるさー♬グラスの中のブランデーのサイダー割を一口口に含むたびに、気分はハレバレ、踊りたくなってきました。みんなで肩を組んで好きなアニソンを何曲も歌う・・・それも真夜中に。何度、同居している叔母「おにいの姉2人)に「あんたら!うるさいよ!今何時だと思ってんの!!」と、階下から叱られたことでしょう。

それから2杯目のブランデーサイダー割りを飲み終えたころには、すっかり私たちは出来上がっていました。目の前はフワフワ。ココロはハレバレ。宿題の山ぁ?そんなもんどーとでもなる、どーとでも!!さ、さ、飲もう!!そのうち、誰からとなくこんな話が持ち上がりました。「ねえねえ、明日の朝、公園でラジオ体操をしたら、その足で河川敷までマラソンしない?」「しよう!しよう!」「約束だよ~!」「絶対!」「うん!絶対に!!」おにいは盛り上がる私たちの姿を、苦笑しながら、優しい目で見守ってくれていました。

そして、次の朝。ふっと目を覚ました私は、いとこたちが起きてくるかと布団の中で気配をうかがっていました。・・・が。誰一人として起きている気配はありません。「おかしいなー、二人とも、昨夜の約束忘れたのかなー・・・」そう思っていると。「おい!!3バカ!!」出勤のためネクタイを結びながら、おにいが階段を上ってきました。「お前ら、ラジオ体操はどうした!マラソンするんじゃなかったのか!!ほらほら早く起きろ!!」足先でそれぞれの体を蹴って、おにいが起こしにかかってきます。「うにゃ~~~・・・」「おにい~~~・・・やめてよ~、いたーい!!」私もおにいの足先の洗礼を受けて、あいてててと顔をしかめました。

この小さな子供たちの「呑み会」はその後何年も続き、おにいは毎年のようにブランデーの新しい瓶を用意してくれていてみんなで楽しんでいたのですが、そのたびに交わされる「明朝、ラジオ体操ののち河川敷までマラソン」の約束は一度として実行されることはなかったのでした。私たち3人みんな、朝が極端に弱かったのです。懐かしい、夏の日のことでした。

あれからずいぶん時間がたって、今、私はとうとう亡くなったときのおにいの年を越えてしまいました。あんなことさえなければ、おにいは今も元気で私たちのそばにいてくれたでしょう。そう、あんなことさえなければ・・・。

「いったいどんなことが?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。そのことについては、また回を改めてお話しできれば・・・と思います。それを書くには、長くなってしまいましたから・・・。

それでは、今回はこれで失礼いたします。もし、またご縁がありましたら、どうぞお立ち寄りください。お待ちしております。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました☆


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