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ガチャガチャ・タイムトラベルラブストーリー


《プロローグ オブ ガチャガチャ》
部屋の整理をしていると、何かが転がり出てきた。
拾い上げると、それはぼろぼろに色の剥げたカニ爪のガチャガチャだった。

私は思い出した。キラキラした金平糖みたいな、あの日々のこと。


私は中学生のころ、学生カバンや携帯電話にガチャガチャのストラップをぶら下げるのが好きだった。
統一性は無くバラバラで、友人からはよく「なにこれー!」とイジられていた。
構ってほしかったのか、ストラップで個性を表現していたのか、今となってはよくわからない。
多分、何も考えずに好きなものを付けまくっていたのだと思う。鞄を他の子のものと取り違えないように。それは表向きの理由で、どこか不思議な世界観の彼らをぶら下げているとなぜか安心した。
自分の好きなものは自分の一部のように思っていた。

初めはそんな、どこにでもあるようなありふれた理由でガチャガチャ愛の歴史は始まった。



《カニ爪スターティン!》
カニ爪のガチャガチャは、中学三年生の頃から持っているものだ。
東急ハンズで売っていたもので、食品サンプルが爆発的に流行りだす直前にめざとく見つけ、「絶対にこいつを筆箱に付けていたい」という謎の信念に駆られた。アホなので、すぐ買った。
爪の部分はプラスチック製で、身の部分は柔らかい素材で出来ていた。触るとふにふにする。永遠に触っていられる。授業中も、休み時間も、昼休みも。まるでライナスの毛布ならぬ我のカニ爪。もにもに。
割とリアルに出来ていて、しかも「カニ爪」というマイナーなところを狙って(?)売り出されていたそいつは存在感があった。

平和なとある一日の昼下がり。事件は起こる。
カニ爪が、クラスの男子の餌食になった。
休み時間に友達と話している隙に、身の部分が無残にももぎ取られていた。そこには爪だけが残されていた。
男子は「俺たちはふざけて遊んでいただけ」という顔をして足早に去っていった。
しばらく放心状態だった。心をもぎ取られたような気持ちに3秒だけさせられた。

その事件によって、クラスの中で一時期変なものを付けるのが一部のコアな層の間で流行った。
私は知っている。ひっそりとではあるが、やんちゃなグループの芸人ポジションの男の子が、真似して(?)シュールなガチャガチャストラップ(押すと中身がぷりぷり出てきてやめられないとまらないやつ)を付けて騒いでいたこと。

私のが先だったもんね。別にいいですけど。
カニ爪はその身を犠牲にして、流行の起爆剤となってくれた。カニ爪スターティン!

《サクセス バイ ワサビパワー》
やがて時は過ぎ、受験の時期がやってきた。
周りが本格的に勉強に熱を入れ始めた高2の冬。
自習室で勉強していた私のもとへ友人がやってきた。
隣の席に座り、こっそりと「手を出して」と囁いた。
何だろうと思い手を差し伸べると、そこにそっと置かれたのはワサビのガチャガチャだった。
「これで、受験頑張ってね。お守り」
はたから見れば、きっとしょうもないし意味が分からない。
だけどもはやその頃には、私や私の周りの人間関係の中におけるガチャガチャはコミュニケーションの方法の一つとして大きなポジションを獲得し始めていた。
受験はなんとか上手くいった。
聖なる祈りの込められた、ワサビパワーのおかげで。

《カニ爪フレンド》
大学一年生の頃、第二外国語の講義で私はそわそわしていた。同じ学科の人が少なく、黙って机に座っていた。
講義が終わった後、前の席に座っていた女の子から声をかけられた。
「え……これ、何?」
キラキラした目で問いかけられ、「カニ爪だよ。空腹に耐えられなくなったときに我慢するために付けてる」と答えた。
私たちは、カニ爪がきっかけで親友になった。

《運命のタマゴタケ》
大学二年生の頃、バイト先の飲み会で知り合った男の子がいた。彼とは飲み会の時に連絡先を交換して、仲良くなった。
「もしかして、もしやしなくとも、これは空前絶後の恋が始まっちゃうんじゃないですか?なんつって」そんな妄想を脳内で繰り広げていた。
映画を二人で見に行った。何もなかった。
なんでもなかったのかなあ、そう思っているとスマホにLINEの通知が来た。
画面を確認するとタマゴタケのガチャガチャの写真だった。
「これ、道端に落ちてたの偶々拾ったんですけど、なんか見覚えあるなと思って」
それは紛れもなく、トートバッグに私が付けていたタマゴタケの本体部分だった。見るとストラップの紐部分だけが、バッグの紐部分からぶら下がっていた。
ストラップと本体を繋ぎ合わせて、私たちは付き合うことになった。

《ミーアキャット小噺》
その彼と、顎がしゃくれた二体のミーアキャットを半分こした。
ちょっと引いてたけど、二人で一つだった。


《アスパラ事件》
大学卒業後、私は塾講師になり小学生を担当することになった。
そこでは鉛筆の先っちょに、アスパラの肉巻きのキャップを付けて授業をしていた。生徒からは「アスパラ先生」という名で呼ばれていた。度々、アスパラ部分だけ奪われそうになっていた。いつも、追いかけられていた。みんな、アスパラの肉巻きが大好きだった。私じゃなくて?
ある日、アスパラ部分だけ紛失した。送り迎えのついでに、駅まで探しに行った。教え子が
駅員さんに「アスパラ道端に落ちてませんでしたか」と聞いた。
どんな顔をしていいかわからなかった。駅員さんはアスパラの持ち主は私ではなく教え子だと認識していたと信じたい。
結局出てこなかったが、今となっては最高にファンキーでクレイジーでアスパラ―な思い出だ。

《バイト君へ 考えなくていいよ》
アルバイト君が仕事の仕方で悩んでいる様子だった。
教室で働いていたアルバイトくんに絡みたくて、わざと黙って「考えない人」のフィギュアをデスクに置き去りにして反応を伺っていた。
一瞬固まったけど、スルーして普通に事務作業始めてた。
悪趣味なダルがるみ。ツッコミ待ちは大体失敗するという学び。

《ようこそ沼へ、サメさん》
新しい彼氏が出来た。
浅草の商店街に遊びに行ったときのことだ。老舗の酒屋前にガチャガチャが設置されていた。
成人した大人二人がはしゃいでいたのが物珍しかったのか、お店のおじいさんが「欲しいものと交換してあげましょうか?」と私たち二人に声をかけた。
彼氏は体育座りをしたサメを、私はお願いのポーズをとっているアライグマを引き当てた。
彼は特にガチャガチャを嗜好する趣味は持っていなかった。
だけど、このとき以来二人でよく小銭を握りしめてガチャガチャのハンドルを回していた。
その時のサメが、彼の家のテレビの上で穏やかに体育座りをしていたのが今でも心に焼き付いている。


思い出の記憶は、いつしか色褪せてしまう。
思い出にまつわるモノは、いつまでもそこで優しく見守り続ける。
そして、そのときそのときのタイミングで出会いと別れを選択していく。思い出を傍に置き続けることもあれば、手放すこともしてきた。


そんなこんなで、彼らはいつも傍で私の人生を見守ってきた。小さくてとぼけた顔をしているが、意外にもやるときはやる子たちなのだ。手のひらサイズの愛おしい物語たち。


ゼンマイ仕掛けのカブトガニがのろのろと前に進む。正直、Gにしか見えない。
ボールみたいに二体合体している(なぜかトランスフォームできる仕様になっている)テントウムシ。

意図はまったくわからない。たぶんそんなものはない。理解不能でキモ可愛いのが彼らのチャームポイント。


人生はガチャみたいなところがある。今日も私はハンドルを力いっぱい回す。

100円から始まるラブストーリーの沼に、あなたも足を踏み入れてはどうだろうか。

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