「国道0号線」


東京の真ん中で、水槽を見つめていた

クラゲが漂っている。

インクを水の中に落としたみたいな、ポップでカラフルな水槽の中で、
水の流れに揺らめいている。流されているだけにも見えなくはない。
別に、深い意味なんてないのだけど。

その後、スカイツリーのてっぺんまで登って光の箱庭のような世界を見下ろした。

どこにでもあるような日常。ありふれた生活。


夜景を見つめながら、隣に立っていた誰かが
「夜景は誰かの残業でできてる」
と呟いた。

あの明かりのついた高層ビルの中には誰がいるんだろう。
遠目で誰なのかはよくわからない。誰であってもいい。
お金を稼ぐサラリーマンは、家族への想いを背負って働いている。
夢を届ける仕事は、遠くにいる誰かのために生み出されている。

ひとつひとつが、煌めき方は違う。
だけど、誰かへの想いが込められた光。
そんな小さな光が集まって、この世界は出来ている。

この世界に転がっているのは、キラキラしたハッピーエンドばかりではない。
でもひとつひとつが懸命に、光を燃やしている。


夜の高速で車を走らせる。ネオンサインが点滅する。
時々ピントがずれて視界がぼやける。そのたびに目を凝らす。目を数秒瞑って、一呼吸置く。そうすると、ぼんやりとしていた視界が明瞭に次第に切り替わる。

いつしか、夜ドライブに出かけたことを思い出した。
助手席に座って、ラジオを流して笑っていた。スマホの接続を互いに切り替えて好きなアーティストの曲をかけ合った。
眠くなったら停止しているときに黙って手を繋いだ。
何も話していない時間も好きだった。

帰り道が近くなったら、いつもお決まりの曲を流した。あまり有名ではないけど好きなバンドの曲で、いつも歌詞になぞらえて「助手席の君に話を聞いてもらう」と口にしていた。
横で眠ったフリをして、その時間が幸せだった。


これはずっと前の記憶。


今、私は自分で運転席のハンドルを握っている。


少し前の記憶。
100均に売っているもので材料を揃えて、ペンダントライトを作った。
理想はホームセンターで売っている大きめのペンダントライトだった。天井に設置できる場所が無くて、見よう見まねで、エアープランツと、電池式の電球、それからぐるぐるのバネみたいな部品を集めて作った。
それは既製品よりもお気に入りになって、友達に見せた。

いつしか流行ったプロジェクションマッピングの星空も、素直にきれいだと思っていた。きれいだ、すごい、と言い合って友達と食べた食事は特別な感じがしておいしかった。

どちらも、つくり手の気持ちは本物だ。
どれだけ費用がかかっているとか、どこに飾られているとか、そういうことは関係ない。そこには心がある。
きれいだ、と感じて誰かが笑っていればとりあえずそれでいい。そう思う。



就活の面接に向かう途中で、新宿駅で降りたことがあった。
こちらを見つめる、壁に埋め込まれた大きな目。

面接の前には、入念に準備をして失敗がなるべく無いように「正解」をあらかじめ考えて用意した上で臨んでいた。拒絶されることが、怖かった。

決められたスーツに身を包んで、面接では個性を求められて、迷走していた。

とにかく自立して働かなければと思っていた。周りがそうしているから、出来なかったら「社会」からつまはじきになって置いてきぼりになる。「できなかったやつ」の烙印を押される。
そこまで気持ちが無い企業にも合わせていった。生活のために。面接に合格するための練習をするために。「まわり」がしていることが「正解」だから。のけ者にされるのが「怖い」から。

不採用です。お祈り申し上げます。その言葉をつげられるだけで、自分を否定された気がしていた。単純に、価値観が合わなかっただけだったことに気づけていなかった。


たくさんの面接を受けて、結果的に就職をした。
結局続かなかった。
自分の本音を見つめることを放棄したことの、代償なのかもしれないと思った。

私たちは社会で生きる上で人目に晒されている。人は大勢の人の波の中で生きているから、それは当然だ。
揶揄されることが、時々怖いと感じる。
だけど、生きていれば必ずぶつかってしまう誰かはいる。当たり前だ。人間は、工場で規格通りに生産されている機械じゃない。



PAの看板が見える。
外に目をやると、暗い海面になにかが集まっていた。
ウミホタルだ。夜光虫って言い方もあったっけ。
光に集まる性質がある、って何かの本に書いてあったっけ。


一瞬、強い光が目の前に瞬いた気がした。

飛行場の滑走路が見えた。

ここはどこだっけ。

「国道0号線」の看板が見える。

私は一瞬ヘッドライトを上向きに光らせ、アクセルを踏んだ。



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