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人情岬~秋元康-後藤次利ライン一作目

人情岬
リリース:1986年10月21日

オリコン最高順位:2位
ザ・ベストテン最高順位:2位

これまでも指摘しているように、
とんねるずの楽曲は2曲1セットの形で新たな展開に変わっている。
・コミックソング(一気、青年の主張)
・演歌(雨の西麻布、歌謡曲)
・アイドル路線(やぶさかでない、寝た子も起きる子守唄)

前作の勢いを借りて売れるのは2作目まで。
それを続けると飽きられる。
このパターンは、90年代の小室哲哉プロデュース作品や
21世紀以降のつんくや秋元康プロデュース作品にも繋がっているパターンと言える。

ドラマ主演主題歌
映画主演主題歌と
80年代アイドルのような活動をしていたとんねるずが
1986年ラストにぶつけたシングルは、人情岬。

前年秋にリリースした「雨の西麻布」に続く演歌路線である。
といっても曲調は、雨の西麻布と異なる明るい口調。

歌番組で歌う際には「納沙布は・・・ンニャ」
と水前寺清子を意識したような歌い方と振り付けもあり、

雨の西麻布⇒クールファイブ
に続いて
納沙布岬は、水前寺清子的な明るくノリのいい演歌といえよう。

この時期のリリースということで当然紅白歌合戦を目指す曲。
当時の紅白はまだ民放色や宣伝効果の強い歌は毛嫌いされている時代であり
1986年作品
歌謡曲⇒前のレコード会社所属時代の曲
やぶさか⇒テレビドラマ主題歌
寝た子も⇒映画主題歌
ということを考えてか、ノータイアップソング。
紅白でとんねるずが歌って盛り上がりそうな曲。
ここを意識して作られたと思われる。

北海道の岬がついた歌といえば
森進一の襟裳岬が有名。
「襟裳の春は何もない春です」
という歌詞が物議を醸しながら、それが襟裳岬の知名度アップにも繋がり、
今でも襟裳岬のお土産屋などでは森進一の曲が流れている。
「納沙布は人情岬」
「恋に破れたら来ればいい みんなのための岬さ」
この曲が納沙布岬のお土産屋で流れたかどうかは定かじゃないが、
恋に破れた・・・失恋に限定してしまったところが、
「何もない」と歌った襟裳岬ほどのインパクトを与えることができなかったのかもしれない。

この曲ザ・ベストテンでは初登場で2位にランクイン。
特筆すべきはレコード・有線・ラジオ・ハガキの4要素のランキングの中で
ハガキランキングがチェッカーズ、中森明菜らを抑えて1位だったこと。
当時「とんねるずのオールナイトニッポン」で
ベストテンで1位になろうと、リスナーにハガキを送るよう指示していた。
しかもレコードが発売されて、ランキングに影響が出るタイミングを見計らい
「まだハガキを出さないで」
「今週からハガキを書いてください」
と、とんねるずが煽り、ワンフーが従う。
ネットもスマホも何もない時代から
とんねるずは昭和のインフルエンサーだったのだ。

紅白歌合戦出場を狙ってリリースした「人情岬」だったが、結局この年の紅白歌合戦には出場することができなかった。

そのことを後日、木梨が「やっぱり花嫁舟だったよ」とネタにして話すことがある。
「花嫁舟」は1986年ラストシングル候補曲。
「人情岬」にするか「花嫁舟」にするか。
石橋は前者、木梨は後者を推したが、
秋元らを含むスタッフと協議のうえ、「人情岬」がシングルに決定。
「花嫁舟」はB面となる。
「あの時花嫁舟にしておけば・・・」
というのは、その翌年以降もラジオなどで木梨がトークでネタにすることが多々あった。

最後に
この曲から後藤次利が初めてとんねるずのシングルレコードの作曲を担当している。
秋元康-後藤次利-とんねるずの黄金ラインが誕生した曲。
それが人情岬だった。


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