見出し画像

認識割れを生むために学ぶわけじゃない

この記事は「書きたかった一人アドベントカレンダー、リキッドルームに」18日目の記事です。

特に整合性なく書きたかったことだけ書いておきます。

資格試験の勉強をしていると「このような例はだめ」と書いてあることがあります。それを読んで自分の正しさに満足してしまうことはありませんか?
また、色々体系的に学ぶにつれ、学ばない人、体系的な知識が無い人にがっかりするようなことはありませんか?
私はそんなことがかつてあって、そんな自分がとても嫌になりました。

学ぶ理由とは何でしょうか?
何かの正しさを証明することでしょうか。
何かを学ぶことによって「そうでない人」と分断を深めるのではなく、何か辛いことを少しでも良くする方向に使えるといいですよね。

もし、学ぶことによって「そうでない人」に失望しそうになったら
今一度「なんで自分は学ぼうと思ったんだっけ?」を振り返ってみたりするのはどうでしょうか。