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聖闘士星矢とわたし外伝 慟哭! ひいじいちゃん

慟哭、というと工藤静香の歌、もしくは「本当は裏切っていないのに裏切り者の演技をキープしなきゃいけない境遇の人たちが心の中で血の涙を流すこと」だと思っている人も多いことでしょう。
星矢を読みすぎている人は大体そうなんじゃないかと思います。
しかし実際のところ「慟哭」の意味は「悲しみのあまり、声をあげて泣くこと」だそうで、声ひとつ出さずに血涙を絞り出していた三人組とはちょっとイメージが異なりますね。
大の大人が声を上げ、肩を震わせて泣く場面というのはそうそう来るものではないですし、「慟哭」という言葉自体も日頃そうそう使えるものではありません。
とはいえ星矢ファンなら誰しも憧れているはずです。日常生活で「慟哭」を自然に使う機会に。
今回はそんな皆さんに送る、ツナ缶ちゃんのファミリーヒストリーです(なぜ)。

先に、須田綱鑑というペンネームはひいじいちゃんの兄から取ったという話をしました。日帝時代の台湾で地方長官というまあまあエリート官僚だったらしい兄・綱鑒氏と違い、ひいじいちゃんは40歳で国鉄をスーパー早期退職し、長すぎる余生を道楽に明け暮れたハイパー穀潰しとして一族に悪名を轟かせています。
なにせこの男、無職にもかかわらず服を買うとなれば銀座の一流店まで仕立てに行き、遊ぶとなれば熱海に繰り出し芸者をあげて飲み明かすような放蕩家。一生かけても使いきれない資産家ならいいでしょうが、残念ながらうちはそこまでのお金持ちではありませんでした。
実際、ツナ缶ちゃんが生まれ育った頃の実家は中流家庭丸出しで、バブル時代にも全く羽振りが良くなかったのですが、聞くところによると、うちより明らかに広い両隣が昔はうちの敷地で、ひいじいちゃんが借金のカタに手放すまでは庭でチビッ子が野球できたとのことです。土地の2/3以上を失うまでに他の家財もどれだけ売り飛ばしてきたかは想像に難くありません。
そんなひいじいちゃんの道楽の一つに夏目漱石がありました。たいへんな愛読者で、作品や全集が出るたび初版をしっかりコレクションしていたそうです。
そして、彼の残した日記にこそ、あの言葉があったのです。それは、敬愛する文豪の死が報じられた日の一文。

「漱石翁の訃報に触れ、余は慟哭した。」

まず「漱石翁」です。「城戸光政翁」以外でなかなか見ません、翁。さらに一人称が普通に「余」です。一般には冥界の王とか以外あまり使わないとされる、余。無職なのに…。さらにそこからの「慟哭」。現代人がシラフで書くのはかなりハードルが高いコンボと言えましょう。

ちなみに漱石コレクションは後年、ひいじいちゃんより数段パワーアップしたアルティメット穀潰しである伯父が、遊ぶ金欲しさにほとんど盗み出して売ってしまいました。当時高校生、クソガキの域をはるかに超えた邪悪の化身です。慟哭チャンスふたたび到来!としか言いようがありませんが、ひいじいちゃんが慟哭したかどうかは日記が残っておらず謎なのでした。

そんなわけでツナ缶ちゃんが皆さんにお伝えしたかったのは、我々もSNSとかで、「ぴえん」とか「泣いちゃった」ぐらいカジュアルに「慟哭した」と書いていきましょう、ということです。明治生まれには普通だょ?

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