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エスパー&弾撃ち問題

さて前回、イオは実際に何をしているのかしつこく追求してまいりましたが、ふと我に返って思うのは、「イオは全然何やってるか分かるほう」ということです。

聖闘士星矢の必殺技を俯瞰しますと、どれも当たり前に我々の知る物理法則から逸脱してはいるのですが、その性格において量的な逸脱と質的な逸脱に大別できるように思います。
量的な逸脱とはいわば現実の誇張で、例えば単純打撃系の必殺技。これらは流星拳からギャラクシアンエクスプロージョンまで、拳足の速度をひたすら上げていった先に音速や光速があるのだな、と思えます。速度はともかく動作だけなら小学生でも真似できますし、当たれば多少は痛いでしょう。
つづいて幻魔拳やデッドエンドシンフォニーといったデバフ系。これらは要するに、打撃や音響によって人間の脳を刺激して強力な催眠状態を作り出し、神経が損傷するほどの恐ろしい幻覚を見せたり、全身の力が抜ける暗示をかけたりしているわけです。無論実際に再現するのは困難ですが、あの世界ではそのための高度な技法が伝承されているのだと考えれば理屈は通る。チベット仏教に見られる、おどろおどろしいまでの重低音で人間を瞑想状態に誘う読経などを思うと、そこまで荒唐無稽な話でもないでしょう。(参考動画)https://www.youtube.com/watch?v=ih7vIO0CJ14

同時に、音波系の技が発揮する物理的破壊力についても、音は周波数さえ合わせれば硬い物体も割れますから全然アリだと思います。(参考動画)


一方でそうした解釈では到底説明のつかない、質的な逸脱が見られる必殺技も多々あります。マハローシニーの人体に有害な光はいかにして放たれているのか。なんでシャカは気合い入れただけで相手の五感を剥奪できるのか。待って原子の運動を鈍らせて低温を生み出せる人たちスゴすぎない?
これらの技はどう考えても、高めた小宇宙を未知のエネルギーに変換して超常現象を起こしており、先に挙げたクソ速パンチやトリック技とは一線を画すファンタジー度を有しています。
双子座兄弟が使う、人間を異次元に飛ばす技も、まあここに入れていいでしょう。理屈を言えば、光速拳の作用で空間位相に変化を起こしワームホール状のものを発生させている、といった疑似科学的解釈も可能かもしれませんが、やはりアイオリアやアルデバランのシンプル光速拳との間には質的な壁があると感じます。

かように小宇宙が生む奇跡の数々を前に、我々は毎度「そうはならんやろ」と思いつつ「なっとるやろがい」と口をつぐむ他ありません。
そんな中、地味にモヤモヤを生むのが「エスパー枠」の存在です。
時は超能力、心霊、UFOブーム華やかなりし1980年代。『風魔の小次郎』でもサイキックソルジャーの竜魔と武蔵は強さが別格ですし、『聖闘士星矢』にもムウを筆頭にいわゆる超能力の使い手が登場。聖闘士の超人的な体術とは別枠で、テレポーテイション(瞬間移動)やサイコキネシス(念動力)といった、精神の働きを物理的な力に変換する能力を披露します。(5巻でムウが白銀聖闘士たちに仕掛けた強力な眩惑も、テレパシーと解釈すると同じサイキックカテゴリかもしれませんが、今回は一旦おいておきます)
なおこれらは黄金聖闘士クラスなら大なり小なり使えるらしく、アイオリアのようなパワーファイターでも星矢とシャイナをまとめて引き寄せる程度の念動力は朝飯前の様子。アイオリアのサイキック修行ってあまり想像できませんから、どうやら一定以上に小宇宙が高まれば副産物として体得可能らしい、ということがうかがえます。しかし同時に素質の有無もあり、同程度の小宇宙の持ち主なら誰でも同等に発揮できるというわけではない。現にあのシャカがムウを「黄金聖闘士でも並外れた念動力を持つ者は君だけだ」と評し、完全に一目おいています。
この、当時世間一般に「超能力」として認知されていたスキルだけがちょっと特別扱いされている感じ、時代の空気を感じて味わい深いところです。
ジョジョ三部での「スタンド=念動力をビジュアル化したもの」という革命的発明を経て、少年漫画の世界観構築における「能力」の扱いが整理されていく以前の時代ならでは、という言い方もできるでしょう。

これは何も星矢に限った話ではなく、ドラゴンボールで言えばギニュー特戦隊のグルドが「超能力者」として特別視されています。チャオズもそう。そもそも、かめはめ波や舞空術、なんならギニュー隊長のボディチェンジはなぜ「超能力」と呼ばれないのか? 手からエネルギー弾が出て、気の持ちようで空が飛べて、他人と肉体を入れ替えることが出来る奴がいる世界で、なんで時間停止や金縛りや念力だけが「超」能力扱いされるのか…? という疑問が浮かんだ人は結構いるのではないでしょうか。
グルドに関しては後年『ドラゴンボール改』の挿入歌『参上!ギニュー特戦隊』に「グルドは俺だ 時間止めてやるよ Wow 本当のエスパーさ」という歌詞が登場し、えっわざわざ「本当の」を強調するってことは、DBの宇宙って現実世界と同じく「エスパーを名乗る偽物」が結構いたの…? と、さらに混乱しました。

そんなこんなで、サイキックが特別枠なのは分かった。では名前のついた必殺技にはどの程度その力が用いられているのか? クリスタルウォールは? スターダストレボリューションは? スターライトエクスティンクションをフェイクで使った時の正体はテレポーテイションなんだろうけど、相手を消滅させる本来の効果の方はどうなのか? …などと考え始めると、気づいたら一日経ってて今日何もしてねえな、みたいなことがあります。おのれムウ。
とくにモヤるのはスターダストレボリューション。光速拳による連続打撃というよりは、光の弾のようなものを湾曲した軌道で撃ち出しているように見えます。
ここでひとつ前提を確認しましょう。星矢とDBという、近い時期に世を席巻したジャンプ超人バトルの両巨頭ですが、大きな思想的差異として格闘戦における「飛び道具」の扱いがあるのではないでしょうか。DBがかめはめ波以降、「肉体が生み出したエネルギー(気)が、破壊力を持つ可視光線となって放出される」というファンタジーを採用している一方、星矢はそれをやっていない。聖闘士の打撃技もたいがい遠くまで届くのですが、それはあくまで拳の威力によって生じた衝撃波であって、「人体からエネルギー弾が発射される」という解釈にはなっていない。「両者の間でくすぶっている威力を押し戻す」みたいな描写になるとだいぶ怪しいですが、それでも「威力」という言い方にとどめ、そこにあるのはあくまで余波なんだ、技の主体は拳のほうなんだ、という意識が見えるのです。格闘技志向、肉体信仰の強さと言い換えてよいでしょう。
以上、星矢のキャラは「打撃の延長としてのエネルギー弾」を撃たない、という前提確認でした。
…からの、スターダストレボリューションです。繰り返しますが、すごく「撃ってる」ように見えませんか。「拳の余波」でなく、打ち出された光弾の方が攻撃の主体に見える。あくまで個人的感想ですが、星矢の必殺技の中で同じ印象を強く受けるものは他にありません。たとえばグレイテストコーションは、同様に手元から無数の光弾が発射されているように描かれることがありますが、ラダマンティス自身が「俺の拳」と言っていますし、軌道が直線的なことから、スターダストレボリューションほどの「弾撃ち」感はありません。平手による連続打撃と見るのが妥当でしょう。
てなわけでツナ缶ちゃんによるスターダストレボリューションの暫定的な解釈としては、「光速拳連打に相当するエネルギーを、可視光エネルギー弾に変換し曲線軌道で撃ち出す」というDB的な性質を持つ特殊技であり、その変換作業や軌道操作には、おそらく念動力に類するサイキックな才能が用いられている。ゆえにジャミール勢のオリジナルになっている、というものです。
疲れた。

かつてマジシャンのナポレオンズは、自称超能力者・霊能力者を集めたトーク番組で、「皆さんがこの固いスプーンを本当に不思議な力で曲げているというなら、同じ力でスプーンを1ミリでいい、宙に浮かせて見せてほしい。出来ませんか」と言いました。
まとめると、いわゆる異能バトル漫画と格闘アクション漫画の中間の世界観を持つ聖闘士星矢において「不思議な技とそうでもない技」の線引きを真面目に考え出すと軽く病む、でも今さらやめるわけにもいかないので一生病んでいこう、という話でして、ここまで読んだ人ほんとお疲れ様でした。

積尸気冥界波の話はまた今度…しなくてもいいか。
あの世はあります!

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