いのちと向き合う
暮らしの学校では
毎回、朝には海に行きます。
そして、前日に仕掛けに魚が入っているかを確かめたり
その日の昼食にいただく魚やカニやエビを獲ったりします。
生きていくためにわたし達は
他のたくさんの命をいただいている
そんなことを感じるリアルな体験の場
しかり、魚を獲るという行為は
ゲーム性もあり
いつの間にか
多くを獲ることや獲れることの面白さに意識が向かってもいきます。
先日、こども達がたくさんのやどかりやカニを捕まえてきました。
「この子たちどうするつもりなの?」
と聞くと
「餌にする」
「飼う」
という答え
結局は餌にすることも飼うことも現実的ではない状況で
ただ、捕まえることが楽しくて後先を考えず
捕まえてきたというのが本心のようでした。
命の行く末を考えない
遊び感覚でたくさんの命を捕まえる。。。
その姿を見て
魚をいただき調理する時の大人の姿勢がどうだったか・・・
魚を獲る時の大人の在り方はどうだったか・・・
そんなことを思い返しました。
食べるものも満たされ、溢れている時代
そんな中で今獲れた魚に自分たちの命を繋いでもらえる・・・
そこまでの感覚にはなかなか湧き上がらないもの
しかし、それでも
自分が獲るのか、自分の知らないどこかで
誰かが獲ってくれたものをいただくか違いはあれど
そうした営みがあって
それを与えてくれる大自然があって
わたし達が生かされていることは間違いないこと
それは、魚ではなくとも
お野菜でもお肉でも
同じことだと思います。
食べるものと
わたし達の間の繋がりが見えにくい時代
だからこそ
その繋がりを体験することは
やっぱり大切なことだと思うのです。
商品は「買う」という行為で関係は完結してしまうけど
一方で
大自然の恵みから様々な「贈り物」を受け取る時
またわたしも
その環境をよきものにしようと思う相互の関係が生まれる
「商品」と「贈り物」は
たとえ同じものであったとしても
全く異質のものになると思うのです。
しかし、わたし達大人が本当にそこまでの気持ちで
命に向き合っていたのか・・・
そんなことを考えらされる日々でもあります。
こども達にそれを感じろというならば
大人がまずはそういう在り方を示していきたいと改めて思いました。
少しづつですが、ゴミをひらったり
命を決して無駄にしないように
今日、食べる分だけをいただくこと
その命をいただくまでの工程を
自分たちでやっていくことを大切に
こども達と、わたし達大人も
命と向き合うことを学んでいけたらと思っています。
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