ここで生きる権利について
わたしのことを応援してくれている人は、きっとわたしがもがいて生きているように見えるから、そこに共感なのか、がんばれなのか、面白いなのかわからないけれど、すれ違った数だけの気持ちでわたしを見てくれているんだと思う。
すごく有難いし、嬉しいし、応援してくれている人たちを見ていたいし見てて貰えたらもう少し人生を作っていけるような気がするよ。じゃなきゃ、マンホール覗く回数もロープの数も増えていただろう。楽しい瞬間をたくさん作ってくれてありがとうって毎回おもう。
でもその応援に、音楽があるような気はしていない。音源やMIXをしてくれているIron T Hawkさんことフェリちゃんの音源はいつも新鮮でアイディアの詰まった芸術なのに、わたしはそれを誰かに届けられている気がしない。
ネガティブになっているのではなくて、これはずっと前から思っていたことだけれど、じゃあ私は何がしたくて何をしたらいいんだろうと改めて思った。
わたしのなかの社会性は没し、精神を何度も破壊し、そもそも歌もうまくないうえに、人との距離を保たないと生きていられないわたしなんかがステージの上にたってなにを届けられるのかなと今日改めて思った。
アウェイ現場に呼んでもらえるのは有難いし楽しいからだいすき!(わたしはね。お客さんたちは知らない。)でもできるだけ、楽しんでほしいとは思うし、こいつ嫌いだなとか思ってほしい。
暇だなと思われるのが1番いや。でも今日はそれをやってしまった自覚があって、わたしの曲はわたしだからって歌えばよかったけど、明るく歌ったほうがいいような気が勝手にしちゃって、そしたら自分がまずつまらなかった。
本当にこんなこと書かない方がいいし、絶対隠したほうがスルーしてもらえるに決まってるけど、忘れたくないし、言っても言わなくても事実だからお金を払ってくれた人に対してごめんなさいと思ってしまった。
どんなにアウェイでも、歌詞間違えても、キー外しちゃっても、何もかも足りてなくても、全力でやればごめんなさいなんか思わない。今のわたしはこれです、目を見て歌えるようになりました、次は何見てもらおう、また来てくださいって思う。
前回はじめてライブハウスの人にフライヤー壁に貼るからちょうだいって言ってもらえて、めちゃくちゃ嬉しかったから今日行ったら写真撮ろうって思っていた。
でも今日のタイムテーブルの紙にかぶってて見えなくなってて、「そうだよね」って納得した。どこにも空きがなかったら、わたしだって窒圧5トンの所に被せる。当然のレベルなんだと自覚した。
二度とやらない。どんなにアウェイな場所でもわたしはわたしのやり方を絶対貫かないと、気持ち悪いくらいに凹んだ。
だれに届くかもわかんないこの歌詞と表現を諦める気は無い。人生が変化していくにはもうわたしにはこれしかない。
こんな電気ガス突然解約されてたり、借金まみれに夜働いたり、おもしろくないし、それが1番いやだし、何も続かなくて、一般的にかわいいとされる顔面じゃなくても、ずっと加害性のある愛を殴っててもわたし生きてるよ、って、
善も悪もない世界でただ存在確認して、死ぬのは面倒いし怖いからそのあいだ全力で生きてるよねって、お互い勝手になったらいいなって。そしたらわたしが助かるから。自動発生したものなら、本物だから、それを求めてステージに立ちたい
そのためには歌唱力も、表現力も、圧倒的自信も生きる意思も心の扉重たくて、なにもかも足りないけど、人間は強欲だからわたしは必ず成長する。ここまで死ねなかった人間がどうなって生きていくのかわたしは自分を殺してでも実験して、ちゃんと死にたい。本当に死にたいから全力で生きる。
今日だってちゃんと反省して、身体中のじんましんと一緒に1回寝て、またやるよ。
目を見て歌えなかったわたしが5回目のライブで人に何かを伝えたがっていた。
ステージの上で緊張しなかったわたしが、二度と会えないかもしれないと緊張感を持って靴を脱いだ6回目。
そして反省するほど、悔しい気持ちになるほど、ここに生きる権利がほしいと思った7回目のライブ。
たぶん7回目。おそらく
全部諦めてOK、できないことはできない、やりたくないことはやれない、のわたしが何かに悔しがるなんて思わなかったから、辞めないんだと思った。
だからそれを近くでも遠くでも見守ってくれてる人に、いつか音楽としてでも届けられるように、権利がほしいから、生きること=傷つくことに心を開きたい。誤魔化すだけのダサいカッコつけはやめたい。
何にもなりたくない、わたしはわたしで生きるから、最後まで巡らせる覚悟を持て。
22/08/21のわたしより
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