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遠い昔の記憶...
こんにちは! タルサです🤗
あと数時間で今年も終わりますね。 早いなぁ…
毎年の様に言ってる事だけど、ホント早いです。歳を重ねると早いと感じる感じ方が加速するのかな? 皆さんはどんな一年でしたか?
さて、ブログを新たに始めたはいいけど、まだ自己紹介してませんでしたね😅 今日はプロフィールよりももう少しつっ込んで簡単な自己紹介と音楽との関わりなんかをお話し出来たらと思います。
タルサにとって音楽との最初の接点は、ラジオでした。恥ずかしながら当時我が家にはまだテレビという名の文明の利器は存在していませんでした。母子家庭で団地住まいだった我が家では唯一の楽しみはラジオです。
正確な番組名は忘れましたが、母親がたまたま付けていたラジオの土居まさるがパーソナリティだった番組(ハローパーティ?)から流れてくる洋楽を当時は聞くとはなしに聴いていたのが耳に残る… そんな感じでした。ところがある日の番組で突然流れてきた音楽が衝撃でした! それは….
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まだ英語も分からない小学6年だったタルサ少年にとって洋楽とは未知の音楽、流れてきた“Let It Be”を何も分からずただただ聴き入っていました。この曲を聴いた時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。たぶん人生で初めて“電気が走った”体験をしたのがこの時です。ピアノのイントロから始まり間奏のオルガン、エレキギターが奏でるメロディに震える様な感覚だったのを覚えています。恐らくこの曲との出会いがなかったら洋楽にハマることはなかったのでは?とも思える程です。
当時の小遣いではレコードは買えなかった(筈)なので、何ヶ月分かの小遣いを貯めてレコード屋さんに買いに行き、初めてレコードと対面したんだと思います。
それからというもの小さなラジオにかじり付き、流れてくる音楽のタイトルとアーティスト名を片っ端からメモに取り、お小遣いを貯めてはレコード屋さんに行く様になりました。カーペンターズやサイモンとガーファンクル、ディープ・パープルやシカゴとの出会いも確かこの頃だったと思います。
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1970年と言えば、大阪で万博が開催され、皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」やドリフの「ズンドコ節」が大ヒットし、由紀さおり、内山田洋とクールファイブ、森進一、いしだあゆみ、藤圭子らがテレビで活躍していた時代です。
それ以降洋楽の沼にハマり、友達が女性アイドルを追っ掛けている時にひたすらレコード屋さんに入り浸っていました。ラジオから仕入れた情報を基にすっかり馴染みになったレコード屋さんの店員さんのお勧めとかも片っ端から購入してました。この頃には中学生になってお小遣いも若干増えてましたしね♬
キッスやエアロスミス、クィーン、ZZトップやレーナード・スキナードにハマり始めたのもこの頃でした。
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結婚して子供が出来てからも洋楽愛は衰えるどころか益々好きになっていきました。当時はディスコ全盛時代。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が大ヒットしたり、ABBAやアラベスク、ビー・ジーズやヴィレッジ・ピープルなどをカセットテープにダビングしては車の移動中に聴いてました。
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基本的にテレビやラジオからの情報が基だったので、いわゆる商業ベースのポピュラーな音楽が好きでしたね。誰がプロデューサーだとか、作曲が誰だったとか… もうそんな細かいことは気にしない”ワカチコワカチコ〜”みたいなww
今日のところはこんな感じで締めましょうかね。ダンスの世界に足を踏み入れて〜音楽番組を始めるに至る経緯は次の機会に譲りましょう。
それでは皆様 良いお年をお迎えください🎍
👋👋
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