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宮沢和史とディック・リー

宮沢和史をアジアの国々の才能や音楽に導いたディック・リーは、1956年、シンガポール生まれのミュージシャン。アルバム『マッド・チャイナマン』(1990年)が日本でも知られています。

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■ オペレッタ『ナガランド』への出演

宮沢とディック・リーは1992年、雑誌『宝島』の企画で出会いました。対談のテーマは「新しいアジア人のアイデンティティと音楽」。

宮沢 『マッド・チャイナマン』というアルバムが好きだったんで、ぜひ会いたいと(『宝島』の)編集者に言ったら、ちょうどディックが日本に来ていて、そこで対談したのがきっかけです。ディックはその日、派手なオレンジ色のシャツを着てきたんですよ。ディックは「日本人はみんな黒い服を着てる」って言うんです。「黒い服は僕も好きだけど、暗い服を着ると心も暗くなるから東京では明るい服を着るんだ」って。それから僕も派手な服を着るようになりましたね。(1995年、COSMOPOLITAN MEETING)

同年6月、宮沢はディック・リーの誘いでオペレッタ『ナガランド』にただ一人の日本人キャストとして出演しました。『ナガランド』はディック・リー原作、主演の舞台作品。西洋化されたアジアに住む一人の青年が、夢の啓示を受けて訪れた東洋の神秘の島「ナガランド」で、不思議な伝説の世界に巻き込まれる。宮沢は、ナガランドに住む役人の息子を演じました。シンガポールでの約1ヶ月のリハーサルを経て、シンガポール、香港、日本で公演ツアーが行われました。

この『ナガランド』によって得たアジア各国のミュージシャンやダンサーたちとの人脈、公演の合間に旅したバリ島での経験が、THE BOOM、1993年のアルバム『FACELESS MAN』やそのツアーに繋がっていきます。ディック・リーは「真夏の奇蹟」にコーラスで参加します。

1994年12月8日、二人が敬愛するブラジルのミュージシャン、アントニオ・カルロス・ジョビンが死去の知らせが世界を駆け巡りました。宮沢はすぐに「アントニオ」というボサノヴァ曲を書き、ディック・リーが歌詞を書き、歌い、同曲はディック・リーのアルバム『シークレット・アイランド』(1995年8月)に収録されました。

1996年のアルバム『TROPICALISM-0°』では、ディック・リーは「JUSTIN」、「CALL MY NAME」のコーラス、「JET LAG」の英詞などを担当しています。

宮沢 歌詞はディック・リーとの共作です。まず僕が書いたものを一度英語に訳して、それをシンガポールにテープと一緒に送り、それをもとに彼が作詞してくれました。歌詞は英語ですけど、要するに気難しい男の歌です。あちこちを旅している男で、ひねくれてて皮肉っぽい。スティングの作る歌に出てくるような男。あちこちを旅しているからいつも「時差ボケ(=JET LAG)」になっている。僕らのしているレコーディングという作業も、日本にいながらにして時差ボケ状態ですから(笑)。そういう意味も込めて、時差ボケ。タイトルは最初からそう決めていました。ディックはそういうのをメロディに乗せるのはもうプロ中のプロですから。「時差ボケ」というタイトルと詞の内容を伝えたら、彼が曲に合わせて自分で歌ったテープを送ってきたんですよ。そのテープの終わりに、ディックがぽつりと一言「ムズカシイでしゅよ、MIYAちゃ〜ん」って(笑)。それ聞いてすごくムカついて、「完璧に歌ってやるぞ!」と決意した(笑)。(「BOOMER'S PRESS 」1996年6月号、インタビュー=下山ワタル)


■ 『CLUB ASIA』と『TREASURE THE WORLD』

1994年、1995年には宮沢とディック・リーを中心にアジアの音楽イベント『CLUB ASIA』を日本で主催。当時の宮沢との対談でディック・リーは、「僕は常に東と西の音楽を交互に、そしてある時は融合した形で聴いてきた。今こそ東にいる僕たちが新たな東西のミックスを創るべきだ」と話しています。

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1994年の「CLUB ASIA」、出演はTHE BOOM、DICK LEE(シンガポール)、艾敬(中国)。特別ゲストに我如古より子(沖縄)、マリベス(フィリピン)、周華健(台湾)。


ASEAN10カ国のシンガーが歌った2003年の「TREASURE THE WORLD」では宮沢が作曲、作詞をディック・リーと分担。日本語詞は大貫妙子。日本では有里知花が「あなたに会いに行こう」(日本ASEAN 交流年2003 J-ASEAN POPsイメージソング)というタイトルで歌いました。

「80年代の終わりからアジアのアイデンティティについて、彼は作品でもそれ以外でも発言してるし、僕よりももっと広い視野で歌詞を書いてくれるだろうと思って頼んだんです。ディックがすごいなと思うのは“未来”を感じさせてくれた。“郷愁”を感じてほしくて僕が作ったメロディにディックが“未来”をプラスしてくれた。これから仲良くしていこう、素晴らしい世界を作ろうというメッセージを。僕は物事をどちらかというと真剣に考えすぎるらしいんですよ。ディック・リーはすべて前向きに、楽観的に考えることができる。ふたり合わさると強いなって(笑)」(宮沢和史)

映像は、2003年、横浜パシフィコホールにて。
宮沢和史が作曲、ディック・リーが作詞した歌「TREASURE THE WORLD」をASEAN各国の代表歌手がその国の言葉で歌っていく。音楽監督は高野寛(下の動画のうち、2番目が高野監督によるリハーサル映像)。

宮沢和史 → ディック・リー → 有里知花 → ブライオニー(タイ) → タニア・チュア(シンガポール) → アレクサンドラ(ラオス) → ジョリーナ・マクガンマクダンガル(フィリピン) → Koh Mr. Saxman(タイ)→ プリァップ・ソヴァット(カンボジア) → レーピュー(ミャンマー) → ラムチューン(ベトナム)→ ローライダー&ハンス・アンワル(ブルネイ) → AB Three(インドネシア)→ シティ・ヌルハリザ(マレーシア)

2004年、宮沢和史作曲、ディック・リー作詞の「IF NOT FOR YOU」をシンガーの有里知花さんに提供。この曲はTHE BOOMもアルバム『百景』(2004年)で「天国へ落ちる坂道」としてレコーディングしています。

宮沢とディック・リーの共作詞は、2006年、GANGA ZUMBA(ガンガ・ズンバ)のアルバム『HABATAKE!』の中、「Survivor(Featuring MISIA)」でも聴くことができます。

2010年には東京で、サンディーのイベントに宮沢、ディック・リーが出演して久しぶりの共演となりました。

2023年3月、東京でのディック・リーのコンサートに宮沢が訪れ、久しぶりの再会を果たしました。「再開できて本当に嬉しかったですね。彼も66歳になったのかな。信じられないぐらいの時が経ちましたけど。本当に若々しくてカッコよかったですね」(2023年4月6日、「琉球ソングブック」より)


※ 2006年、世田谷文学館での「宮沢和史の世界」展に書いたテキストを基にしています。


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