"TOKYO MEETING" 2005年4月20日

CATIA

撮影=中川正子

"TOKYO MEETING"のトップバッターとして登場したのはブラジル出身、フランス在住のシンガー、CATIA。
Marcello(ギター)、Carlos Werneck(ベース、ギター)を従えた3人編成。彼女の美しい歌声と気さくな性格にステージが進むごとに会場の雰囲気も暖かくなってきました。3曲目にポルトガル語で「島唄」を演ることをMCで話すと、会場からは大きな歓声と拍手が沸き起こり、最後の曲「Magalenha」では会場が一体になって盛り上がりました。
また、この日は4月21日発売の彼女の最新アルバム『Naturalmente』(ナチュラウメンチ)も発売日にさきがけて会場で販売され、『コシカ/ひとつしかない地球』と合わせて買うお客さんも多く見られました。このアルバムには「島唄」と「ひとつしかない地球」のポルトガル語バージョンも収録されています。

以下は終演後にもらったメッセージです。
CATIA : Japanese people, It's amazing people! ありがとうございました。Obrigada. Thank you very much. Merci Beaucoup.See you next time!

ちなみに、このライブでベースとギターを担当していたCARLOS WERNECKはCATIAの実弟。とても陽気な方で、出番が終わり楽屋に戻ってからは、ブラジルを代表するカクテル・カイピリーニャを出す簡易バー(?)を開設。大きな体でライムを刻み、ロックアイスを砕く姿は、本職顔負けの貫禄。このカイピリーニャは出演者、スタッフに大好評。終演後には何十杯も作って、皆に振る舞っていました。

Night Snipers


高野  MIYAとディアナが2人ステージで並んでいると、同じスピリット、似たものを感じるよね。
宮沢  横にいるとシンクロしてるのを感じたね。

この会話は2月のロシアでの共演を振り返っての会話だけど、"TOKYO MEETING"でのNight Snipersのステージ、最後の曲で実現したNight Snipers featuring MIYAZAWAでの「コシカ」を観て、確かにDianaと宮沢和史の共通性を強く感じました。全身全霊での歌唱。Dianaも宮沢和史も、喉からだけでなく、突き上げた指からも、振り下ろした拳からも、重心を後ろに移した際の左膝からも、踏み込んだ右足からも、身体のあらゆる部分から歌を発している。そんな歌に僕らは撃たれるし、魅了されるんだと。

オルタナティブ・ロックバンドと形容されているNight Snipers。メンバーはDiana Arbenina、Ivan Ivolga (guitar) 、Fedor Vasiliev (bass) 、Dmitry Gorelov (drums) 、Ayrat Sadykov (keyboard)。
「コシカ」の前には、「your well known songをNight Snipersのスタイルで」と紹介して、ロシア語カバーの「Симаута(島唄)」を披露。力強い演奏に日本の観客も頭上に挙げた手を振って応えます。

以下は終演後のDianaインタビューです。
———今日の感想を教えてください。
Diana 約20曲の歌を、私の曲を知らないオーディエンスの前で歌うというのは私にとって初めての経験でした。MIYAZAWAさんと歌った「コシカ」はとてもアメイジングで、これまでと違ったものでした。日本のオーディエンスはとてもとてもとても素晴らしくて、ぜひまた日本に来て演奏したいと思っています。
———僕らのほとんどはロシア語もまったくわからないのですが、あなたの歌はとても心に響いてきました。
Diana 音楽にとって国境はありません。違う言語で歌っていてもオーディエンスはとても優しかったです。
———MIYAZAWA-SICKバージョンの「コシカ」はいかがでしたか?
Diana とても良かったです。(シンガーソングライターの)私にとって「作曲家」になった初めての体験でした(笑)。あの曲は7年前に書いた曲ですが、日本のMIYAZAWAさんが歌ってくれてうれしいです。MIYAZAWAさんの歌詞は日本の「俳句」のようにディープな意味を持っています。


Tomek Makowiecki

Tomek Makowieckiの歌を聴くことはMIYAZAWA-SICKのメンバーも楽しみにしていました。2003年のポーランド・ワルシャワ公演で出会い、今年2月のプシェミシル、ヴロツワフの2公演、移動を含めて5日間を共に過ごしたのに、ポーランドでは彼の歌は「島唄」と「ひとつしかない地球」のMIYAZAWA-SICKとの共演でしか聴くことができなかったからです。それは彼がMIYAZAWA-SICKポーランド・ツアーに自分のバンドで参加できなかったという理由があるのですが、ヴロツワフでのポーランド最後の夜には「次はぜひTomekの歌を聴かせてよ」「今度はMIYAZAWA-SICKとMakowiecki Bandでワルシャワのロック・フェスに出よう」などといった会話が交わされていたのです。そのときはまだこの"TOKYO MEETING"という再会の場も決まっていなかったのですが。

開演前の楽屋、これまでこのLIQUIDROOMに出演してきたミュージシャンのサインでいっぱいの壁に、Tomekは「NIHON DE UTAETE URESHII DES」とローマ字でサインしていました。「ポーランド語の難しさに比べたら日本語覚えるの簡単」というTomekはステージに登場しても、「ハジメマシテ、Tomek Makowieckiデス〜」と日本語でMCを進めていきます。22歳、初来日のポーランドのロック・シンガーをあたたかく迎えてくれる最高のオーディエンス。満員のフロアの中には赤と白のポーランドのユニフォームを着てポーランドの国旗を掲げている、たぶんポーランド人のグループもいます。

今回はSpecial Bandとして、高野寛、tatsu、伊藤直樹、フェルナンド・モウラ、クラウディア大城、土屋玲子、ルイス・バジェの7人がサポート。1曲目は4月29日にポーランドでリリースされるMakowiecki Bandのニュー・アルバムでもオープニング・ナンバー、英語詞の曲「Walking」。2曲目はポーランド語のロックンロール・ナンバー「Prosze...」。Tomekもギターを弾く。「Dlaczego milczysz?」では高野寛もコーラスに参加。
最後の曲、Kilie Minogeのカバー「Can't Get You Out of Miy Head」の前に、突然、Tomekは「いいことを思いついた。みんなと一緒に写真を撮りたいんだ」と提案しました。「みんな」とは日本のオーディエンス。自分のデジカメをtatsuに渡し、オーディエンスをバックに、(「イエーって叫んで」と観客に注文しながら)記念撮影! 沸かせ上手、Tomek Makowiecki!

以下は控え室に戻ってきてすぐのコメントです。

Tomek Makowiecki:
サイコー! サイコー! 最高に楽しかった。最初はお客さん、みんな緊張していたかなと思っていたんだけど、楽しかった。サイコウに楽しかった! 心から「ありがとう」と日本のファンのみなさんに言いたいです。すぐにでも、また何度でも会えることを望んでいます。

MIYAZAWA-SICK

撮影=中川正子

「いろんな町で歌ってきたシンガーと同じ町で集まって歌うというのは不思議な感じがして、またこれをきっかけで新しい化学反応が起きるような気がしています」———前日のリハーサルで宮沢和史が話していたこの「予言」が、まさに実現したライブでした。スタッフやリハーサル中のフェルナンド・モウラも着ていたツアーTシャツのバックには、1月28日のフランスから始まったツアー・スケジュールがプリントされています。そこには、2月25日の東京公演までしか記されていないけど、2月25日はツアー・ファイナルなんかじゃなく、4月20日の"TOKYO MEETING"も、22日の“アースデー コンサート”も終着点ではないです。終演後のバックステージでのみんなの笑顔、会話、何度も繰り返される特製カイピリーニャの乾杯が、旅はこれからも続くということを示していました。今回は"TOKYO MEETING"。次は、"MOSCOW MEETING"かもしれないし(マルコス・スザーノは実際、Night SnipersのIvanに「一緒に来ないかい?」と誘われていた)、"WROCLAW MEETING"かも、"OKINAWA MEETING"かも、あるいは"RIO DE JANEIRO MEETING"かもしれない。
ツアーをしながら出会ったミュージシャンとひとつの歌を、それぞれの町でレコーディングしながら、ライブでも一緒に歌う。ヨーロッパをまわりながら少しずつ成長してきたこの歌が東京で完成し、仲間たちは東京で再会し、そこには新たな出会いもあって(「ひとつしかない地球」にはこの日、新たな言語も加わって)、また新たな旅が始まる。ステージの終盤、「一緒に旅に出よう」と宮沢和史は観客を誘っていたけど、旅はこれからも、確実に続いていく。そんなことが本当に思える時間でした。

22日の武道館“アースデー コンサート”があるので、曲目など細かいレポートはまだ書けませんが、「パーティー・タイム!」とライブ中に宮沢和史が叫んだ言葉が、この夜のMIYAZAWA-SICKのライブを明快に表していました。終演は22時30分過ぎ。約3時間半の最高のパーティでした。


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