宮沢和史/THE BOOM ディスコグラフィー資料 1989年-2006年8月

世田谷文学館で2006年に開催の「宮沢和史の世界」展用にまとめた資料。この2006年以降の記録を補完してくれる人がいれば……。

後半の他のミュージシャンのためのコメント(特設サイトであったりCD帯用)をまとめたものが特に貴重。

2021年4月3日、ディスコグラフィー更新


● 宮沢和史 ディスコグラフィー

Sixteen Moon(1998.3.18)

AFROSICK(1998.07.18/1998.10.16 ポルトガル語ヴァージョン) 

MIYAZAWA(2001.11.28)

MIYAZAWA-SICK(2003.1.16)

SPIRITEK(2004.1.28)

コシカ/ひとつしかない地球(2005.4.20)

寄り道(2007.5.15)

MIYATORA(2013.11.6)宮沢和史 & TRICERATOPS

MUSICK(2015.12.2)

留まらざること 川の如く(2019.5.22)

次世界(2021.1.20)


● GANGA ZUMBA ディスコグラフィー

HABATAKE!(2006.8.02)

DISCOTIQUE(2006.11.29)

UM(2007.4.25)

シェゴウ・アレグリア!~歓喜のサンバ~(2008.4.9)

足跡のない道/きみはみらい(2008.6.18)

GANGA ZUMBA(2008.8.20)

GZ BEST TRACKS ~Essential Live Sounds~(2009.3.18)

THE BOOM ディスコグラフィー

A Peacetime Boom(1989.5.21)

アルバム・タイトルは戦争景気を意味する「A Wartime Boom」という経済用語から宮沢和史が造った言葉。〈いつ壊れるかわからないかりそめの平和景気かもしれないけど、だからこそこういった歌を歌っている〉(宮沢和史)。

本来はもっと自由だったのに、いつのまにか約束事にしばられ、カテゴライズされてしまった「ロック」。そんな形としての「ロック」に背を向け、どんな場所でも響く「うた」を求めてあらゆるジャンルを横断して音楽の旅を続ける。それがTHE BOOMというロック・バンドの生き方であり、その旅の記念すべき第一歩となったのがこのファースト・アルバムである。

THE BOOMは山梨県甲府生まれの宮沢和史(ボーカル)、小林孝至(ギター)、山川浩正(ベース)と、上京後に彼らが出会った栃木孝夫(ドラム)の4人によって1986年11月に結成された。当時のTHE BOOMに影響を与えていたのは1980年代初頭にイギリスで起きたニューウェイヴと、宮沢が少年時代に愛聴していた日本のテクノポップやフォークソングなど。

「星のラブレター」「おりこうさん」「ないないないの国」など、デビューするまでの約2年間、毎週日曜、原宿の歩行者天国(ホコ天)で演奏していたレパートリーから、代表的な11曲を収録している。

ホコ天は、デビュー前のTHE BOOMのホームグラウンドだった。80年代後半は「バンドブーム」と呼ばれ、日本のロックバンド最盛期だった。しかし、THE BOOMには当時、一緒にライブハウスに出演するバンドがあまりいなかった。そのため、1987年7月からTHE BOOMは毎週日曜、通行人を相手にホコ天で路上ライブを始める。最初は数十人しかいなかった観客も最初の冬を越える頃には、遠くから見てもすぐわかるぐらいに大きな輪を作るようになった。「不思議なパワー」や「雨の日風の日」といった曲もこの時代のホコ天で書かれた曲。

アルバム最後の曲「虹が出たなら」は、自分ならではのオリジナルを模索していた学生時代の宮沢が、「自分にしか描けない世界が初めて書けた」というプロとしてやっていく自信につながった作品。デビュー翌年に行なわれた初の日本武道館ライブでは、この曲が11,222人の観客とともにリコーダーで合奏された。

(再発盤)ボーナス・トラックの「愛のかたまり」は、1992年5月発売のシングル『それだけでうれしい』のカップリング曲。ホコ天時代の代表曲のひとつである。

サイレンのおひさま(1989.12.1)

ファースト・アルバム『A Peacetime Boom』のリリースからわずか6ヶ月後に発表されたセカンド・アルバム。短いスパンでのリリースだったが、これはファースト・アルバムとセカンド・アルバムの二枚でTHE BOOMの持っているふたつの局面を見せたかったという理由によりデビュー時にあらかじめ計画されていたことだった。

「この森には音楽で世界を変えようとしている4人組がいるが、彼らの言うことに騙されてはいけない」と魔女が森の怪物たちを集めて警告する語りから始まるこのアルバムには、幼女連続誘拐殺人事件、女子高生リンチ殺人事件、それに隣の中国で起きた天安門事件などこの年の社会背景が「危機感」として反映されている。バブル期の浮かれた日本で、THE BOOMは人々が目をつぶったり、耳をふさぎたくなるようなことを歌い始めていた。「FISH DANCE」は90年代になって増加する少年犯罪を予見するようなフレーズに満ち、「ダーリン」は核戦争後に生き残った虫のつがいを主人公に“これが二人の未来さ”と語らせる地球に対する悲観的なストーリー。「晩年—サヨナラの歌—」は円谷幸吉の遺書を連想させる、正面から自殺と向き合った歌詞。「気球に乗って」は時代の激動や社会の変化に対する自らの無力感を表明している(この曲が初めて歌われたのは湾岸戦争が開戦された1991年1月16日である)。

〈刺激、刺激でおかされて今日も一人の青年が大勢の人から「おまえはおかしいよ」とされた。ふと我にかえる。「俺じゃなかった、危ねー危ねー」。みんなといっしょに泳いでいられればいいけど、もはやプールははちきれそうだ。僕らは子供たちや、もう手おくれになるまで育ってしまった子供たちの風上にたって、流れにのせるように歌を放っていたい。だからどうなるもんでもないと思うが、たれ流すように毎日毎日そうしていたい。まずはとっかかりです〉(宮沢和史)

「釣りに行こう」は、宮沢和史が憧れのミュージシャン矢野顕子とのデュエットを想定して書いた曲。このアルバムのリリース後、実際に矢野顕子とTHE BOOMのレコーディングが実現。ジャンルや国内外を問わないTHE BOOMのコラボレーションの最初の作品となった。

(再発盤)ボーナス・トラックの「僕がきらいな歌」は、その矢野顕子とのシングル『釣りに行こう』のカップリング曲で、1990年2月、渋谷公会堂でのライブテイク。

JAPANESKA(1990.9.21)

若い世代から絶大な支持を受けたファースト・アルバム。続くセカンド・アルバムではその世界観とともに宮沢和史の詩人としての才能も評価された。そこでいよいよ、欧米のロックやポップスからの借り物ではない、THE BOOM独自の音楽を創り出していくという新たなテーマに取り組んだのがこのサード・アルバム。そのタイトルは「ジャパネスク」と「スカ」を融合させたTHE BOOM流の造語。〈沖縄民謡や阿波踊りはジャマイカのスカに結構似てるなと、以前から思ってたんです。合いの手の入れ方や、シャッフルのリズムや、独特の高揚感が。もしもこれらがジャマイカのような土壌で育ち、発展していったらどうなるんだろう、と僕なりにシミュレーションしてみたかったんです〉(宮沢和史)

沖縄との出会いをきっかけに音楽の旅をスタートさせたTHE BOOMにとって大きな転機となった作品である。その後、長く深い関係を持つことになる沖縄を、初めて訪れたのもこのアルバム・ジャケット撮影でのこと。撮影の間、宮沢和史がバスの中で書き上げた“おくら畑にうめといた……”で始まる歌詞が、沖縄音階とスカをミックスした曲の上に乗って、「ひゃくまんつぶの涙」が生まれた。

美しいメロディと歌を最大限に生かすアレンジの集大成で代表曲のひとつとされる「中央線」は、宮沢が番組構成とDJを務めていたラジオ番組から生まれた曲。上京後、最初に住んだのも中央線沿線という宮沢は、故郷の甲府と新宿を結ぶこの中央線に親しみを感じていた。「からたち野道」も、欧米のロック、ポップスの影響を少年時代に受けた彼らが、初めて自分たちの育った「日本」を掘り下げた作品。

アルバム・リリースの翌日からスタートした“TOUR JAPANESKA”は全73本。ライブ後半のスカ・コーナーでの観客の熱狂的なダンスは、一部の会場から公演を拒否されるほどの振動問題を引き起こした。

(再発盤)ボーナス・トラックの「恐怖の昼休み」は、当時、NHK『みんなのうた』のために書かれた曲。

D.E.M.O.(1991.3.21)

デビュー前のレパートリーで、それまでアルバム未収録だった4曲をリメイクしたミニ・アルバム。ファーストの『A Peacetime Boom』には入りきらず、その後のセカンド、サード・アルバムには次々と生まれてくる新曲を収録していったため、THE BOOMにはこの4曲を改めて発表するための「理由」が必要だった。それが、〈一番古くて、一番新しいTHE BOOMです〉(栃木孝夫)という、ホコ天時代の曲を新しいセンスでアレンジしたらどうなるかという実験場『D.E.M.O』の意義となった。山川浩正はウッドベースに初めて挑戦。「誰も知らない」では、当時流行のダンス・ミュージックのリズムも取り入れている。

この前年から、宮沢和史は東京の住まいとは別に、山梨の山奥に農家を借りてオフの日を過ごすようになった。このジャケットに宮沢が描いたのはその住処である。ケース裏の写真はTHE BOOMがデビュー前に出演していた渋谷のライブハウス前での撮影。2004年5月には、デビュー15周年記念ライブをここで行なっている。

(再発盤)ボーナス・トラックの「TAKE IT EASY」は1992年夏に大阪万博記念公園で開かれたイベントでのライブ・テイク。

思春期(1992.1.22)

『JAPANESKA』のツアーを終えたTHE BOOMは、初の海外レコーディングで、まずはタイへと飛んだ。結果的にバンコクでは「子供らに花束を」「きょうきのばらあど」のデモ・テープを録音するだけに終わったが、まずは行動し、出会い、感じること。これがその後のTHE BOOMの行動規範となった。〈十日間いろんな出来事やカルチャーショックが僕をあきさせなかったが、心に残ったバンコクの一番の印象は、人々の生き方、生活態度だった。たった十日だからたぶん表面しか感じとれなかったはずだし、本当のところは何もわかっていないかもしれないが、第一印象としてはそれを強く感じとった。特に町で夕方、屋台で働く子供たち、町の中で一日中寝ている犬たちに強くそれを感じた。かれらは生きるために生きている。僕らのようにムダなことをしてムダな金で時間をすごすのではなく、まさに生きるために生活していた。その姿がとても美しく僕に映った〉(宮沢和史)

『思春期』は、このバンコクや、「島唄」を生んだ沖縄への旅、ミックスのために訪れたジャマイカ、さまざまな人との出会いなどによって芽生えた問題意識が凝縮して込められた、THE BOOM4枚目のアルバム。メッセージの強さや、大ヒットした「島唄」が注目を集めるアルバムだが、レゲエ、スカ、ハードロック、フォークなど、音楽的にも非常にバラエティに富んでいる。「憂鬱なファーブル」は山川浩正のボーカル。アルバム・ジャケットの黒・白・黄の3色でできた旗は、“地球の旗”として考えられた。

(再発盤)ボーナス・トラックは、〈いつか、自主制作テープとしてでいいから沖縄で発売して、沖縄のおじいちゃん、おばあちゃんから子供まで、多くの人に聴いてもらいたい〉という宮沢の夢から、レコード会社を説得して実現した沖縄限定リリースの「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」。沖縄から火がついたこの曲の全国的大ブレイクで、THE BOOMを取り巻く環境もまた大きく変化する。しかし、リリース後のツアーが終わるとTHE BOOMは初の「休止期間」に突中。〈身近な大切な人たちにも背を向けてみたかった。「サラバ」という歌なんかも、そんな気持ちからうまれた。一人きりになりたかったんだ。誰も信用できなかった。自分自身でさえも〉(宮沢)。宮沢はシンガポールのディック・リー主宰のオペレッタに唯一の日本人キャストとして単身参加し、シンガポール、香港、日本を数ヶ月かけてツアー。この経験によって、宮沢は時代も国境も越えた歌を作りたいという、音楽を作り始めた頃からの思いを強く再確認する。

FACELESS MAN(1993.8.21)

THE BOOM活動休止期間の間に宮沢和史が参加した、ディック・リーがプロデュースするオペレッタ『ナガランド』。アジア各国から選ばれた出演者の中で宮沢が唯一の日本からの参加。シンガポール、香港、日本で公演というこの汎アジア的なプロジェクトこそ、宮沢を、そしてTHE BOOMをより高い地点へと飛翔させるきっかけとなった。この『ナガランド』で宮沢が観た風景、アジアの中の日本人として感じたジレンマ、手に入れた技術や表現力、そして一気に広がった人脈などのあらゆる要素がこのアルバムに投入されている。〈国を越えての友情もできたし、同じアジアの国といっても違うなあとも思ったし。そこで考えたのは、彼らにも受ける歌を作ってみたいということ。『ナガランド』のあとに俺が作る曲はガラっと変わった。「月さえも眠る夜」みたいにポップで強い曲に〉(宮沢和史)

THE BOOMの多ジャンルにまたがる音楽世界を一望できる、16曲入りのこのアルバムには、沖縄+バリ+レゲエのミクスチャー「いいあんべえ」、ディック・リーがコーラスで参加した「真夏の奇蹟」、「幸せであるように」の体育館での一発録り、「いいあんべえ(毛遊び)」の沖縄でのフィールド・レコーディングなど、新たな試みも数多く見られた。

アルバム・タイトルは、〈自分にはルーツなんかないんだから、僕に顔はいらない。僕が体験してきたこと、好きな音楽、旅した場所、出会った人、そういうものを全部コラージュしてDJになりきったというか〉(宮沢)という拠り所のなさを肯定するところから始めるという、THE BOOMのアイデンティティを表している。

THE BOOMはこのアルバム以降、多大なる好奇心と卓越した臭覚によってさらに世界をフィールド・ワークし、自分たちのステージを広げていく。

(再発盤)ボーナス・トラックはシングルのみに収録されていた曲「deja vu」と、「18時(オリジナル・ヴァージョン)」。

REMIX MAN + REMIX MAN '95(2005.8.3)

『FACELESS MAN』収録の「いいあんべえ」「18時」をバーミンガムのBally Sagoo、ロンドンのMad Professor、ジャカルタのWiwied S.がリミックスした『REMIX MAN』、『極東サンバ』収録の「帰ろうかな」「berangkat」「Far East Samba」をBally Sagoo、ジャカルタのGuest Band、キングストンのSly Robbie、渡辺省二郎・朝本浩文のR.J.Wがリミックスした『REMIX MAN '95』の合計12トラックをまとめたのが本作。

1980年代後半からイギリスで起こったバングラ・ビートと呼ばれるエイジアン・ダンス・ミュージックの牽引者Bally Sagooは、バリ島のガムランとケチャ、ジャマイカのラガマフィン、沖縄音階と沖縄言葉がミクスチャーされた「いいあんべえ」に、さらにインドのパーカッションやパキスタンのボーカルなどをミックス。ルーツと現代、西洋と東洋をハイブリッドさせ、越境させる彼のリミックスは、音楽による新たな世界地図を作っていこうとするTHE BOOMの姿勢と呼応し、クラブでも頻繁にプレイされた。

極東サンバ(1994.11.21)

1994年5月、宮沢和史は初めてブラジルを旅した。この『極東サンバ』に収録されたいくつかの曲、サンバの「風になりたい」、ボサノヴァの「Poeta」、ポルトガル語での歌に初めて挑戦した「HAJA CPRACAO」はリオデジャネイロ滞在中に書かれている。

当時のブラジル音楽への傾倒を、宮沢はこう語っている。〈最近、僕の聴いてる音楽が、ジャマイカにしろ、キューバにしろ、ブラジルにしろ、地球の反対側のものが多くて、それをやってみたいと思ったのが『極東サンバ』の始まりです。でもそのまんまの模倣はしたくないから、リズムとか音の構築とか演奏の仕方をもとにしながら、日本人や日本にいる外国人たちの手で、東京という場所で響かせてみようと思ったんです。東京でみんなが踊れて、いちばん気持ちよく解放されるリズムが、僕らにもできないかなと、そのヒントがサンバにあるような気がします。ひとりがひとつのことをまっとうして、大人数でひとつのものを作っていく。サンバやキューバ音楽ってそうでしょ。誰かひとりの力でもないけど、大きな渦になっちゃう。そんな音楽が東京や日本だけじゃなく、世界の人にも届くように〉。

音楽に込められたメッセージを伝えるため、ビジュアルにも力が入った。5万枚の限定盤にはさまざまなフォトグラファーが撮った東京の光景を収めた大型ブックレットが付いた。アルバムのリリースから半年後に、ツアーでの人気からシングルカットされた「風になりたい」が大ヒットを記録。「TOKYO LOVE」は映画『(ハル)』(森田芳光監督)のエンディングで使われ、宮沢も俳優として出演している。

(再発盤)ボーナス・トラックは、シングルのみに収録されていた「五分後」と、1996年にブラジルで発売された、『極東サンバ』のブラジル盤『Samba do Extremo Oriente』に収録されていた「風になりたい」ポルトガル語ヴァージョン「Vento de amor」の2曲。

TROPICALISM -0゜(1996.7.1)

商業的にも大成功を収めた前作『極東サンバ』より、さらに深くブラジル音楽へのアプローチと、これまでにTHE BOOMが創りあげてきた世界との刺激的な融合を試みたアルバム。決められた枠組みから意識的に逸脱し、調和と安定をあえて壊してまで新たなる創造を手に入れようとする「闘い」の跡がはっきりと感じられる。「TIMBAL YELE」「Call my name」「手紙」は、リリース直前のブラジル・ツアーでも訪れた、ブラジル北東部バイーアの強力なリズムを全面的に取り入れている。他にもサンバの「Samba de Tokyo」や、宮沢和史がジョアン・ジルベルトばりにささやくように歌うボサノヴァ「街はいつも満席」、ミルトン・ナシメントの名曲を沖縄テイストでカヴァーした「砂の岬」など、ブラジル色の濃い曲が収録されている。

アルバム・タイトルの「TROPICALISM -0゜」はカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらブラジルのミュージシャンたちが1960年代後半に興したムーブメント「トロピカリズモ」へのTHE BOOMからの回答。リリースから1年後にヨーロッパ・ツアーのドイツにてジルベルト・ジルと同じステージに立った宮沢は、「トロピカリズモ」とは音楽のジャンルではなくアティテュードだ、という言葉をジルから直接授かっている。

(再発盤)ボーナス・トラックの「手紙」はシングル・ヴァージョン。この曲はテレビの人気番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)の中で演奏することを前提に書かれたもので、実際に1995年10月に同番組生放送で初演されて反響を呼んだ。バイーアの激しく強烈な打楽器のリズムにポエトリー・リーディング、そこに割れたノイジーなエレキギターがかぶるというスタイル、日本の音楽シーンに異議申し立てする歌詞。日本では異端の、そしてTHE BOOMにしか作り出せないロックンロールであった。

No Control(1999.5.12)

デビュー10周年の1999年にリリースされた、THE BOOMとしては通算10枚目のアルバム。THE BOOMは前作『TROPICALISM -0゜』のリリースとそのツアーを終えると、それまで一気呵成に展開してきた活発な音楽活動に急速にブレーキをかけた。『THE BOOM 2』『THE BOOM 2(BLUE)』という2枚のベスト・アルバムを出し、海外における挑戦ともいえるフランス、ドイツ、スイスでのイベント出演を除けば約3年間に渡り活動をストップ。その間、宮沢和史はロンドンとブラジルでそれぞれにコンセプトが異なる意欲的な2枚のソロ・アルバムをレコーディングする。そしてそのリリースと初のツアー。そんなブランク明けに発表されたのが、『No Control』、すなわち「制御不能」と題されたこのアルバムである。

オープニングの「墓標」は、多くの中国の伝統楽器と日本の純邦楽の楽器を使い、アルバム一枚分にも及ぶ制作費をかけてほぼ1年に渡りレコーディングされたという大作。同じ時代を疾走してきた、日本のミュージシャンたちが実名で次々に歌詞の中に登場する「敬称略」、いつまでたっても何ら状況が好転しない沖縄の現実が「島唄」へのアンサーソングとして歌われる「オキナワ」、子供たちのアカペラによる言葉遊びの歌「ごはんがたけた」(THE BOOMのメンバーがボーカル含めひとりも参加していない!)など全12曲を収録。「月に降る雨」「大阪でもまれた男」「故郷になってください」の3曲がシングル・カットされた。

(再発盤)ボーナス・トラックは同年大晦日に大阪城ホールで行なわれたカウントダウン・ライブでの「月に降る雨」(acoustic live version)。

LOVIBE(2000.10.4)

〈肩の力を全部ぬいて、ズボンのベルトをゆるめて、歌いたい歌を、気負わず、しかし丁寧に一曲一曲歌った。THE BOOMの中で最もハッピーなアルバムに仕上がった〉(宮沢和史)。

THE BOOMのレコーディングの基本は、宮沢がまず曲を作り、さらにその曲の完成形を想定したデモ・テープを作ってから、メンバーやプロデューサー達と仕上げていくというものだった。しかし、このアルバムでは、そんなデモ・テープ作りをやめ、ギターを弾いて歌った原型だけでメンバーにイメージを伝え、レコーディングに入った。「いつもと違う場所で」は等身大の視点で生命のサークルを描いた作品。「口笛が吹けない」は宮沢の少年時代の憧れだった、中村雅俊が主演するドラマ『エイジ』(重松清原作)のために書き下ろした曲。「そこが僕のふるさと」は初期の代表曲「中央線」と同じくJR中央線がモチーフになっているが、中央線に乗ってふるさとから東京に出てきた彼ら(=THE BOOM)は、いくつもの海を渡り歌を作り、そして再び中央線で久しぶりにふるさとを訪れる。

〈THE BOOMのこれまでの10年というのは僕にとって20代が中心で、あっちこっち「取材」に行ってみんなと出会って、音楽を作っていたような感じがありました。でも最近、そういう時期は終わったなという気がするんです。このアルバムには実はブラジル色があったり、いろんな要素が含まれているんですけど、そういうことを“今、ブラジルやってます”と知らせたいわけじゃなくて、自然に出ている。だから今回のアルバムがこれまでの旅の成果といえば成果。到達点といえば到達点です。自分の引き出しの中に、今までの10年の旅が全部入ってて、何かやろうとすると勝手にみんな引き出しから出てくるという感じかな〉(宮沢)。

これまでの旅でいっぱいになったリュックサックを置いて歌う、自然体のラブソングたちが収められたアルバム。

(再発盤)ボーナス・トラックの「天に昇るような気持ち(Bossa Version)」は、テレビ番組のテーマソングに使用されたアルバム未収録ヴァージョン。

OKINAWA〜ワタシノシマ〜(2002.6.19)

百景(2004.6.30)

四重奏(2009.10.7)

よっちゃばれ(2011.11.23)

世界でいちばん美しい島(2013.6.19)

THE BOOM HISTORY ALBUM 1989-2014~25 PEACETIME BOOM~(2014.9.17)

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● 宮沢和史ワークス(提供曲、参加曲など)

□ 艾敬/私の1997〜version plus〜

95年11月22日 SRCL3294

□ アナム&マキ/ファイト!

2002年10月9日/GSCA-5004

2002年6月のイベント、FM802 13th Anniversary Specisl JAPANESOUL @大阪城ホールで宮沢和史とアナム&マキが共演した際のライブ音源「酒と泪と男と女」収録。

□ 新垣勉/命どぅ宝(ぬちどぅたから)〜沖縄の心 平和への祈り

2005年7月21日 VICC-60447

宮沢和史書き下ろしの「白百合の花が咲く頃」収録。

□ INSPi/ちっぽけなボクにできること

2002年11月20日 UPCH-5132

INSPiは2002年5月に「風になりたい」のカバーをリリースし、THE BOOMの日比谷野音でのライブでも共演したコーラスグループ。彼らの熱い要望に応え、宮沢和史が書き下ろした楽曲。

□ 江口透子/Tauko

1994年10月26日 PHCL2038

宮沢和史作詞の「コバルト」収録。

□ Emi with 森亀橋/Rembrandt Sky

2005年11月2日 PCCA-02187

Emi with 森亀橋は、森俊之、亀田誠治、佐橋佳幸と、ル・クプルの藤田恵美によるユニット。収録曲「海よりも虹よりも」を作詞。作曲は森俊之。

□ MCU/A Peacetime MCU

2005年3月9日 BVCR-19641

「MCU feat. 宮沢和史」名義によるコラボレーション曲「ありがとう」収録。詞曲とも二人の共作。

〈 MCUから届いたデモテープを聴いたとき胸が高ぶり、心が熱くなった。「ありがとう」

なんてシンプルですてきな言葉だろう。「ありがとう」というこの言葉は人から言われると、もちろんうれしいのだけれど、「言われる」言葉ではなく「言う」ための言葉なのかもしれない。ここ数年僕が注目し尊敬し、共に音楽を作っている仲間達がこのレコーディングセッションに集まってくれた。皆MCUが伝えたいことに共感し、我らが愛する「音楽」への感謝の気持ちを込めて演奏した。この曲にはたくさんの「ありがとう」が込められている。「ありがとう」とは「有難い」、つまり存在するということはそれだけでとても難しいことで、そうするためにはたくさんの人の手助けが必要だということ……。やはり「ありがとう」は「言う」ための言葉なのだ。〉

□ 織田裕二/My Pocket

1999年9月29日 PHCL-5127

収録曲「いちばん小さな島で」を宮沢和史が作曲。作詞は織田裕二。

□ おおたか静流/静流 SIZZLE

00年12月1日 PSCR-5928

収録曲「ひがらがさ 〜Across The River〜」を作曲。

□ 小野リサ/エッセンシア

1997年11月7日 TODT-5068

収録曲「シ・ア・ワ・セ」を作詞。この曲は2005年に山下久美子がカバー。宮沢和史とデュエットしている。

□ 加藤登紀子/モンスーン

1993年8月21日 SRDL3710

「島唄」のカヴァー収録。コーラスでTHE BOOMが参加。

□ 我如古より子/恋の花

1994年11月2日 VPDC20584

収録曲「あの海へ帰りたい」を作詞作曲プロデュース。同収録曲「西武門節」ではデュエット。「あの海へ帰りたい」はその後、宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。

□ 我如古より子 with 吉川忠英/唄遊び2

2004年10月20日 RESD-91

宮沢和史作詞作曲の「うんじゅぬ島」を収録。

□ 上條恒彦/お母さんの写真

2003年7月30日 TOCT-25120

宮沢和史作詞作曲の「何もいらない」を収録。アルバムには「中央線」のカバーも収録。

〈上條恒彦さんからお話をもらったとき、どんな曲を書けばと正直悩みました。それで、考えるためにタイに行ったんです。リュックひとつでタイに行って、汚い安宿に一週間ぐらいいたのかな。昔、20代の頃はそういう旅をよくしてたんですが、久しぶりでした。エアコンもなく天井にファンがまわる部屋の中で、何もいらないよ、生きていくのに、と思ったんです。いろんなものを見て、希望も絶望も知り尽くすと人間ってどういう境地になるんだろう。愛する人がいてくれる、それだけで何もいらない。僕はまだまだそんな境地に行ってませんが、想像して書きました。〉

その後、宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。

□ 川村結花/around the PIANO

2003年3月19日 ESCL-2396

宮沢和史作詞の「誰よりも遠くから」収録。

〈2002年夏、ソロでのスペイン公演のあと、ポルトガルに初めて行ったんです。そのときロカ岬というヨーロッパの最西端に行きました。その岬に立ったときにいろんな感慨があったんです。ブラジルやアルゼンチンなど、ポルトガルより遠いところに行ったこともあるのですが、その岬に佇んだときに、遠くまで来たなあと思ったんです。大航海時代にはポルトガルからたくさんの人たちが家族や恋人を置いてここから旅に出たんだろうし、そんな歴史も想像しながらホテルに戻ってこの詞を書きました。歌詞を書く作業というのはたいていつらいんだけど、この詞作はすごく楽しかったですね。いちばんあなたから離れたところで、いつまでも愛してるという、愛のひとつのあり方、究極の愛の形を歌ってます。メロディがすごくよかったから、言葉を載せるのは楽でしたね。〉

その後、宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。

□ 川村結花/native colors

2004年6月23日 OECL 2012

収録曲「 long way home」に宮沢和史がゲストヴォーカルとして参加。

□ 喜納昌吉&チャンプルーズ/RAINBOW MOVEMENT

1993年11月26日 PHDL1014

喜納昌吉と長崎・軍艦島でキャンプし書き上げた曲「地球の涙に虹がかかるまで」と宮沢作詞作曲の「愛は私の胸の中」を収録。

〈愛することはすばらしい事である。そして、愛されることもまたすばらしい。『RAINBOW MOVEMENT』は、愛し、愛され、呼びあった者達が集まり作られた作品である。人と人とのつながりは、かけても、たしても答えは無限大なのだという事をじっくりと味わってもらえるはずだ。〉

「愛は私の胸の中」はその後、宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。

□ 小泉今日子/厚木I.C

VICL-61083

〈20年ものあいだ第一線で活躍し続け、数々の成功を収めてもなお、新しい表現を探し求めてゆくその姿は、美しく、感動的ですらある。歌い手であり女優(時にはモデル)である前に、小泉さんはきっとアーティストなんだと思う。デビュー21年目の新たなる船出のときに花束を渡せたこと、進み行く船に手を振れたことを、とても光栄に思っている。〉

宮沢和史は「モクレンの花」など4曲を提供。

□ coba & 宮沢和史/ひとりぼっちじゃない

2002年7月10日 TOCT-4401

2002年劇場版ポケットモンスター『水の都の護神〜ラティアスとラティオス』のエンディングテーマ。宮沢和史は作詞と歌を担当。

□ 坂本美雨/ブランク

2001年4月11日 WPC6-10125

宮沢和史が作曲、プロデュースした「時雨の森」収録。

□ 坂本龍一/SMOOCHY

95年10月20日 FLCG-3014

収録曲「HEMISPHERE」を作詞。

□ SARAH/優しい日々

2000年5月24日 TECN-30633

「We're gonna go home」を作詞、「あたたかな夢」を作曲。

□ SAYOKO/MI・LUV・YU

95年2月22日 CTCR14000

「夢の旅人」を作曲、「SPIRITEK」を作詞。ジャマイカでレコーディング。

〈「一人でジャマイカに行ってレコードを作ってくる」と、タカハシサヨコは、そうあっさりと僕に告げた。男の僕でも少しひるんでしまうタフネスなキングストンに3ヶ月行くというのだ。やってくれるなあ、と心の底から応援していた。このアルバムは僕の知る限り、日本人におけるレゲエ・アルバムのうち1、2を争うものになっていると思う。こういうものが日本のポップ・シーンに当たり前のように登場することを心底望むし、そうなるだろうと、ここで予言したい。〉

その後、両曲とも宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。

□ SAYOKO/MI・LUV・DEM

95年6月28日 CTCR-14010

「SPIRITEK」を宮沢自身がリミックスしたAguas de Maio mix収録。「Aguas de Maio」とは5月の水という意味でブラジルのスタンダード「3月の水」にかけている。

□ SAYOKO/PeeP

97年9月26日 CTDR24013

収録曲「MIX UP」「空にはばたいてゆく日」を作曲。

□ SAYOKO/アンダートーン

2000年1月23日 HIFUMI, HFM001

収録曲「水晶のビーズ」「夢の玉ゆら」を作曲。

〈とても日本的なアルバムだと思います。2000年の現代人が2000年に聴くにふさわしいアルバムだと思います。なにものにもカブレていないサヨコの今の姿がとてもたのもしく、カッコよい!!〉

□ SANDII/DREAM CATCHER

94年1月21日 ESCB1467

タイトル曲「DREAM CATCHER」を作曲。

□ SANDII/WATASHI

96年1月21日 ESCB1717

収録曲「サンビイニャ」と「パルス」を作曲。久保田麻琴のプロデュースで、ブラジルのミュージシャンたちとレコーディングされている。

〈「パルス」を書いた90年代中頃、僕はブラジルにどっぷりはまっていました。この曲を提供したSANDIIさんと一緒にリオへカーニバルを観に行ったこともあります。「Pulse」はその時期に、ブラジル録音のアルバムを作るということでSANDIIさんに頼まれて書いた曲のうちの一曲です。〉

□ 島田歌穂/MALACCA

97年11月12日 TOCT-9979

収録曲「涙の浜辺」を作曲。久保田麻琴のプロデュース。島田歌穂はアルバム『カホ・シマダ・ウィズ・ケン・シマ〜デュオK&Kイン・バラード』(1995年)で「中央線」をカバー。

□ JAJAJAH ALL STARS/SINGS JAPANESE SONGS VOL.4

SRCL3276

NAHKI & BABY B名義の「女と兵器とラガマフィン」を作詞。

□ SMAP/SAMPLE BANG!

2005年7月27日 VICL-61888〜90

収録曲「僕の太陽」を作詞作曲。

□ 高橋幸宏/MR.Y.T

94年11月16日 TOCT8601

収録曲「Wind that blows to Bikal」を作詞。

□ 竹中直人/ERASER HEAD

96年10月18日 AGCA-10001

収録曲「国分寺1976」を作詞作曲。

□ TAMAO/Talking Marimba

96年8月25日 ZA-0012

収録曲「夏が終わる」を作詞。

□ CHITOTIHC/KULA-kura

93年11月21日 VICL487

チト河内、細野晴臣らによるグループ。収録曲「ボロボエの吹く朝

」の作詞、ギター。宮沢は彼らのライブにも参加している。

□ CHAKA/with friends

96年9月21日 SRCL-3648

収録曲「Dawn〜はじまりの唄」を作曲。

□ CHAKA/Gift〜CHAKA Best Collection

1999年11月20日 SRCL4711

宮沢作曲の「僕等はもっとすごいはず」を収録。同曲はシングルカットされ、カップリング曲「新しい日々」も宮沢の作品。

□ ちわきまゆみ/Singles

94年9月25日 AMCW4203

収録曲「ため息つかせて」を作詞作曲(歌詞はちわきまゆみとの共作)。

□ Dick Lee/シークレット・アイランド

95年4月21日 FLCF3563

ブラジルの作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた曲「ANTONIO

(with love from Miya and Dick)」を作曲。

□ 友部正人/遠い国の日時計

1992年5月21日 MDC8・1176

宮沢作曲、友部正人作詞、THE BOOM演奏の「すばらしいさよなら」を収録。

□ 友部正人/あれからどれくらい

2003年8月 TM011〜012

2003年1月12日に鎌倉芸術館小ホールで行なわれた友部正人30周年記念コンサートを収めたライブ・アルバム。収録曲「鎌倉に向かう靴」を作曲。

□ 夏川りみ/彩風の音

2005.11.23  VICL-61733

〈あの小さな身体のどこにあの力が宿っているのか、いつも不思議に思う。彼女の歌には、ここまで歩んできた人生のその全てが込められている。一流の歌手となった今に至る道のりは、けして平坦なものではなかったはずだ。だが、夏川りみさんはその苦労を歌の中にそのまま乗せるようなことはしない。今、この瞬間に歌を歌える歓びにいつも満ちあふれている。だから、僕たちも勇気づけられる。「今この瞬間を大切に生きよう」と強く思わせてくれる。彼女は花だ。どこにいても、どんなときも、ずっとずっと咲き続ける花だ。つらい時、悲しい時、がんばった時、がんばらなければいけない時いつも僕らの心の中でそっと咲き続けてくれる花なのだ。〉

□ 夏川りみ/RIMITs

2006.03.22 VICL-61915

宮沢作詞作曲の「愛よ 愛よ(かなよかなよ)」をデュエットで収録。

□ 夏川りみ/風の道

2004.09.22  VICL-61480

宮沢作詞作曲の「愛よ 愛よ(かなよかなよ)」と「掌の海」を収録。「掌の海」はTHE BOOMもアルバム『百景』でカバー。

□ bird/MINDTRAVEL

2000年11月22日 AICT1284

「これが私の優しさです」で谷川俊太郎の同名詩を宮沢が朗読。birdとは宮沢のアルバム『SPIRITEK』でタイトル曲をデュエットしている。

□ 宮沢和史 with 久石譲/旅立ちの時

97年9月10日 TODT-5042

長野パラリンピック冬季競技大会テーマソング。作詞はドリアン助川、作曲が久石譲。

□ P.J/ACTION!

92年7月22日 KSCL11

収録曲「フレンド」はPJとの共作詞。

□ 本田美奈子/晴れときどきくもり

95年6月25日 PHCL5018

「僕の部屋で暮らそう」「かげろう」「月見草」の3曲を作詞作曲、プロデュース。

「僕の部屋で暮らそう」はその後、宮沢のアルバム『SPIRITEK』でセルフカバー。以下はアルバム『SPIRITEK』に寄せた本田美奈子さんのコメント。

〈初めて宮沢さんのコンサートを拝見させて頂いた時の感動を今でも覚えています。ステージ・客席全て音楽が大好きな人達の集まり。“音楽”の文字通り、皆さん音を心から楽しんで輝いていました。私はその時「宮沢さんに曲を作って頂きたい」と強く思ったのです。その願いが叶い「僕の部屋で暮らそう」が生まれました。このメロディーは心に優しく優しく溶けてゆき、そして詞の世界のヒロインになってみたい、こんなに愛されて、大切にされ、心と体を全て包み込んでくれる恋愛をしてみたいと、女性なら誰もが思う事でしょう。「君の笑顔をひとつ残らず見逃したくないから僕の部屋で暮らそう」なんて言われたら、心の底からときめき、そして輝く未来へ向かって歩んで行く力が湧いてくる。宮沢さんの曲・詞は、人々の心に響き渡る、果てしないエネルギーを持っています。私も宮沢さんが作って下さった曲を歌うと心が躍るんですョ。これからも人々の心を躍らせ続けてください。〉

□ MISIA/SINGER FOR SINGER

2004.12.8 RCD-21061

「君だけがいない世界」「風のない朝 星のない夜」の2曲を作詞作曲。

〈MISIAさんはきっとどんなタイプの歌でも自分のものにしてしまうシンガーでしょうから、自由に作曲できることは楽しいなと思う反面、制約がない分、アイデアが無限に広がりそうになってしまい、この2曲の候補曲を作るのに少し手こずりました。でもMISIAさんにブラジルのJAZZ SAMBAというか、HARD BOSSAをぜひ歌にしてほしくて「君だけがいない世界」を作りました。歌唱力がある人は下手すると、歌っている自分に酔ってしまって、音楽より自分が前に出てしまい、「自分を見て!」みたいなスタンスにおちいることがあります。そういう歌は心の奥には届きません。少なくとも僕の心には。MISIAさんは歌い手ある自分をとてもよく自覚している、頭のいい、すぐれた歌手だと思います。美空ひばりさんやジャニス・ジョップリンのように。あらゆるタイプの歌をうたってほしい。「何々系」というふうにカテゴライズされそうになったら自分の手でそれをたたきこわしてほしい。そしてどんな場所でも歌ってほしい。きっとあなたの歌声を聴いて心救われる人が世の中にたくさんいるはずだから。〉

□ 南佳孝/Festa de Verao

96年7月25日 KTCR-1381

収録曲「太陽のメロディ Melodia do Sol」を作曲。レコーディングにはバランサが参加。

□ 宮野弘紀/道の陽

97年6月21日 XYCF-50003

タイトル曲を作詞。

〈5本の指でナイロンの弦を弾 (はじ) くだけで、風を呼び雨を降らせ、岩を砕き、波を起こし、凪をさそう。ドレミファソラシドなんて誰でも知ってる音なのに、その音程を無限の表情で奏でている。僕はこのアルバムを聴いて、さらにギターが好きになった。〉

□ 矢野顕子/LOVE LIFE

1991.10.25 ESCB1255

「湖のふもとで猫と暮らしている」を作詞(矢野顕子との共作)。

〈確かな愛さえ心にあれば、どんな明日が来たって平気です。またまた心に愛がふえそうです。あなたにも僕にも。〉

□ 矢野顕子/SUPER FOLK SONG

92年6月1日 ESCB1294

共作「それだけでうれしい」や「中央線」カバーを収録。レコーディングの様子は映画『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。』で。

〈本当に待ちに待ったアルバムが完成した。矢野顕子初の全編ピアノ弾き語りカバーアルバムである(矢野顕子の作品ももちろん含まれている)。僕はアッコちゃんを聴き始めてこの十数年、このアルバムをずっと待ち望んでいた。と言うより、何故弾き語り集がないのか不思議だった。矢野ファンなら皆そう思っただろう。アッコさんはピアノがあれば全てを歌えてしまう人だけれど、弾き語りを聴くチャンスは、意外に少ないように思う。ジャンジャンやピットインで年に数回行なうコンサートでしかちゃんと観ることはできない。このアルバムのラインナップはここ数年ジャンジャン、ピットインで演奏されていたものということからもアッコさんファンはもちろんファンならずとも喜ばしい一枚だ。それに音が抜群にいい。こうやって改めて聴き直してみると思うのは、アッコさんが歌うと、アッコさんの曲になるから不思議だ。特にM2、8、11など男性の作ったもの(これらの作品に登場する男性像を僕は大変好んでいる)をアッコさんが歌うとまた新たな作品に生まれ変わってしまう。僕自身が作ったものも完全に僕の手を離れ矢野顕子の作品になっている。今回だけにとどまらず、これからも第2弾、3弾と期待しています。僕も少なからず参加していけたらとても幸せです。さあ皆さん、このアルバムをずっとずっと何年も一緒に聴き続けましょう。〉

□ 矢野顕子/LOVE IS HERE

93年6月2日 ESCB1403

収録曲「TIME IS」「あなたには言えない」を作詞、「LIVING WITH YOU」を作曲。

□ 矢野顕子/ひとつだけ/the very best of 矢野顕子

ESCB1776

共作の「二人のハーモニー」と「中央線」カバーを収録。

□ 山下久美子/Duets

2005.12.21 TOCT-25862

宮沢作詞の「シ・ア・ワ・セ」をデュエット。宮沢は2002年のアルバム『ある愛の詩』収録曲「あなたが望む方へ」の作詞もしている。

□ 有里知花/TREASURE THE WORLD

2003年6月25日 TOCT-4514

日本ASEAN交流30周年記念事業“J-ASEAN POPs”イメージソング「TREASURE THE WORLD」を作曲。オリジナル英語版「TREASURE THE WORLD」の作詞はディック・リー、日本語版「あなたに会いに行こう」の作詞は大貫妙子。もうひとつの宮沢作曲「IF NOT FOR YOU」はその後、「天国へ落ちる坂道」というタイトルでTHE BOOMがカバー(アルバム『百景』に収録)

〈知花さんは会う度にナチュラルになっていく。キャリアと共に着飾る人はいるけれど、彼女は何かを体験する度に着ている物を脱ぎ 捨てるかのように自然体になっていく。これからもきっと歌う場所を探して旅を重ねてゆくのだろう。どこかの町でバッタリ会えたらうれしいね。〉

□ RIKKI+宮沢和史/からたち野道/朱鷺—トキ—

2003.03.19 UMCK-5089

奄美島唄が注目を集める中、その代表であるRIKKIと彼女の音楽的な良き理解者であり、世界を舞台に精力的な活動を展開するTHE BOOMの宮沢和史。そして日本を代表するギターデュオ、山弦(佐橋佳幸&小倉博和)との豪華コラボレーション!!みずみずしい思春期を歌ったTHE BOOMの名曲「からたち野道」と「朱鷺 -トキ- 」を山弦プロデュース・パフォーマンスのもと、RIKKIと宮沢和史がデュエットする 超話題作。いつまでも心に残る名曲です。

収録曲「巡る思い」も宮沢作曲。

□ RIKKI/RIKKI

95年12月2日 BVCR-733

収録曲「哀しみにバンソウコウ」を作曲。作詞は松本隆。

□ RIKKI/蜜

2002年8月21日 UMCK-1115

「涙のようにきれいな星」「巡る思い」を作曲。THE BOOM「からたち野道」のカバーも収録。

□ Let It Go/地球の上で

96年4月25日 WPD6-9084

宮沢が作曲、プロデュースを担当。

□ VA/アトムキッズ

98年11月26日 WPC6-8522

手塚治虫生誕70周年記念アルバムに「カノン」を作詞作曲、ヴォーカルで参加。タイトルの「カノン」は手塚治虫の短編作品。

〈子供の頃、実はあまり手塚マンガを読みませんした。なんかとても優等生マンガというふうに、僕の目には写ったからだと思います。光の向こうにある影の部分が、子供だった自分にはまだ見えなかったのです。手塚さんは人間の美しさばかりを描いていたわけではありません。人間の罪深さ、だらしなさ、愚かさをも教えてくれました。 短い作品ですが、僕のこのカノンが大好きです。たった20ページ程度の中に光りと影の両方が同居しているからです。僕の1曲のなかでその両端を歌いたいといつも思っています。〉

□ VA/MOTH POET HOTEL

1996.8.31 COCA-13627

〈トリビュート・アルバムは、愛がないと絶対にできないと思う。その点、(今作は)元メンバーのモーガンのアイデアから始まって、彼自身が指揮をとったものだから、すごく燃えますよね。全然関係ない日本人が思いついてやったものじゃないから。全員がそれぞれに曲に思い入れがあって、愛情をもってやっている。僕の場合は、キャッチーなイントロとサビの部分はきっちり聴かせて、あとは詞を朗読するというスタイルをとりました。つくった人の魂が入っている歌詞をいじるのはどうかなって思ったけど、ただ直訳しても僕の歌にはならない。だから、元の歌詞を壊さずに、ちょっとしたサジ加減をしつつ、僕の気持ちを言い表せるようなものにしたかった。ぜひ、日本の良識のあるロック・ファンにこのアルバムを聴いてもらいたいですね。〉

イギリスのロックバンド、モット・ザ・フープルの曲「I WISH I WAS YOUR MOTHER」を弾き語りでトリビュート。

□ 谷理佐/素敵を探す

宮沢和史作曲の「橋」収録。以下は谷理佐からのコメント。

〈宮沢さんにいただいた曲をはじめて聞いた時、部屋の中でギターを手に鼻歌を歌ってる人の姿が見えるような気がしました。もともと、人間の声で歌われたメロディーがデモテープの中ではシンセサイザーで奏でられていたけれど、本来のカタチに戻るのを待っていて、きっと私の言葉を温かく迎えてくれるという安心感の中で詞を書くことができました。何故、歌なのかということの原点をテープの中の宮沢さんの姿にみて、おしえられた事も多かったと思っています。素晴らしい曲をどうもありがとうございました。(谷理佐)〉

□ フェリシダージ トリビュート・トゥ・ジョアン・ジルベルト

2003.9.3 TOCT-25177

宮沢がカバーした「Pra Machucar meu corasao」、THE BOOMの「街はいつも満席」を収録。

〈数限りなくあるジョアンのレパートリーの中から僕は名盤『ゲッツ・ジルベルト』の中の1曲「Pra Machucar meu corasao」を取り上げ、歌いました。ブラジルの偉大なる作曲家アリ・バホーゾの曲です。歌ってみたい曲は他にもたくさんあったのですが、初めてジョアンの歌声に触れ、彼を好きになった思い出深い曲なのでこれを選びました。「街はいつも満席」は「きっとジョアンはこんなメロディーを好きになってくれるんじゃないかな」という思いで作りました。ピアノは矢野顕子さん、ギターはブラジルのミナスジェライス州出身のトニーニョ・オルタの演奏です。〉


● おまけ 宮沢和史お勧めアルバム

□ Pat Metheny & Lyle Mays/As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls

POCJ-2032

〈僕が大好きなギタリスト、パット・メセニーがライル・メイズと一緒に作った作品です。僕も矢野顕子さんに薦められるまで知らなかったのですが、ずっと前の作品であるにも関わらず、全然古くささを感じさせない素晴らしく美しい作品です。『極東サンバ』を作るにあたって、直接的でhないですが、「これに負けない音楽にしよう」という心の支えになったアルバムです。〉

□ 細野晴臣/MEDICINE COMPILATION

1993.3.21 ESCB1302

〈いつ聴いても細野さんの作る音楽は古くならない。決して風化しないんだ。いつでも何十歩先を歩いている。時代がそこに追いついた時には、もうそこには居ない。それはきっと、一番新しいとされているものが、実は一番古いものなのだという真理を知りつくしているからではないだろうか。〉

□ ボブ・マーリィ/LIVE!

〈高校2年生の頃、友人から、このアルバムを借りて以来、すっかりレゲエにハマってしまった。4chのMTRを使って、自分でもレゲエの曲を作ってみたけど、リズムの打ち込みがすごく難しかったのを憶えている。数あるレゲエ・アルバムの中でも一番聞き込んでいる1枚。〉

□ BLACK UHURU/GUESS WHO'S COMING TO DINNER

〈FMで偶然ブラック・ウフル日本公演の模様が中継されているのを聴いて、マイケル・ローズの歌声にすっかり一聴惚れ。レコード屋にこのアルバムを買いに走った。ボブ・マーリィはその“歌”に感動したけど、これは初めてレゲエを体で感じた。インパクトという点ではボブ・マーリィの『LIVE!』よりこちらの方が強かったかもしれない。“聴く”というよりも、一日中部屋の中で漂っているという感じの一枚。〉

□ 槇原敬之/SELF PORTRAIT

〈ある意味で、イエロー・マジック・オーケストラの第一のフォロワーは槇原君だろう。YMOは、音楽はもちろん、ファッション、グラフィック、ビジュアルと、いろんなジャンルにフォロワーを生んだわけだけれど、この曲を聴かせてもらって、純粋に“アレンジ能力”“選音能力”という意味で、僕はそう感じた。そして、ここまでポップスとしてきちんと成り立っているのは、きっと槇原君の天性のバランス感覚と、誠実さによるところだろう。僕は彼と会ったことはないけれど、楽曲からそれが伝わってきた。毎日の生活の中で、ふとできたニュートラルな時間の隙間に思った気持ちを、ここまでポップに表現できる感性も、とても興味深かった。僕は時々、普遍的なものを歌に求めすぎて、自分の曲の中で溺れそうになることがあるのだが、とても良い刺激を受けた気がする。自分を偽ることなく、自分のままで表現できるこの人と、機会があったら、ぜひとも会って、ゆっくり話してみたい。〉

□ SERGIO MENDES/BRASILEIRO

WMC5-513(日本盤もあると思います WARNER)

〈発売した頃は、あまりのスゴさに閉口してしり込みしてしまったが、今聴き直すと、素直に笑顔が漏れ、踊り出してしまう。僕自身の南下現象が進んで、今、心がシンクロしたのだと思う。〉

□ ランキンタクシー/RUFF BIZ TODAY

MRCA-10032

〈それまでマニアのための音楽だったレゲエが、ランキンさんを筆頭に、日本のポップ・シーンに登場してから10年ほど経った。ひとつの音楽が、その土地に根づくには充分な時間だ。10代の若い人達が、どんどんジャマイカに渡っていく時代になった。ニュージェネレーションから新たなジャパニーズ・レゲエが生まれる日も近い。そして、パワフルなランキン・パパの新しいメッセージに祝杯をあげたい。〉

□ ペドロ・ルイス&パレーヂ/E TUDO 1 REAL 全部1レアル

1999.8.11 WPCR10445

〈彼と僕とは非常によく似ている。それは性格とか個性とかのことではなくて、立っている環境が、である。年齢も近く、自分のグループを持っていて、ほとんどの曲と詞を自分で書き、何か新しいことをしようとしている。だからこそ言葉をそれほどたくさん使わずとも、すぐに深く解りあえたと思う〉

□ マルコス・スザーノ/FLASH

〈スザーノの探求心にはいつも頭が下がる。彼の前では、世界中の音楽はすべて平等だ。ジャズ、ロック、レゲエ、ヒップホップ、何であれ彼は、ありとあらゆるリズムを咀嚼し、パンディエロという極端にミニマムな楽器によって解析し、再構築していく〉

□ レニーニ/未知との遭遇の日

BVCP-6075

〈レニーニのように歌う奴はいるかもしれない。レニーニのようなギターを弾く奴もどこかにいるだろう。だけどレニーニのようにギターを弾いて歌う奴はどこにもいない。模倣されることを笑顔で拒む……! それが彼の音楽だ〉

□ カルリーニョス・ブラウン/オムレツ・マン

1999.2.10

〈人類でもっとも神に近づいた男〉

□ ヴィニシウス・カントゥアリア/トゥクマン

1999.2.17 POCP-7372

〈はかなさを知りつくした者だけが、こんなにも強い音を生み出せる。〉

□ DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカ/音アシャギ

2006.4.28 SPRD-1005

〈知花君にはずっと我が道を貫いている印象があった。その姿勢は今も変わらない。新作を聴いて、ドアを開けて外へ飛び出した印象を受けた。自分の住処から羽ばたいていく決意みたいなものを感じた。〉

□ カエターノ・ヴェローゾ/CAETANO SONGS

2005.4.27 UCCM-4022

〈ブラジルの音楽に関心を持つ人がいたら、僕はやはりカエターノを薦める。ブラジルの曲を歌おうが異国の曲を歌おうが、彼の歌にはブラジルの音楽の過去と未来、そのすべてが含まれている。〉

□ ジョアン・ジルベルト/ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー

2004.2.21 UCCJ-1005

〈ジョアン・ジルベルトのアルバムを聴いて、本格的にブラジル音楽に足を踏み入れました。ジョアンのように歌いたいと思い、部屋でひとり、彼の歌をまねして、耳で覚えたポルトガル語の歌を歌っていたのですが、やればやるほどジョアンの背中が遠のいていく。ピッチ、リズム感の正確さ、インテリジェンスとウィット、静かさとラディカルさ……ジョアンの魅力は語り尽くせません。〉

□ CHABA/春—旅立ちの歌—

2005.2.23 KSCL768

〈今までどおり現実をしっかり見すえながら、流行にとらわれない歌を歌い続けて欲しい。今日新しくかっこ良く見えるのは明日になれば一番古いモノになっているのだから。〉

□ 嘉手苅林昌/ジルー

VICG-60283

〈ロックだけが一番かっこいいだとか、そういうふうに思ってないんですけど、そのきっかけはやっぱり沖縄だったかもしれないですね。もう亡くなってしまいましたけれど嘉手苅林昌ささんが、三線を弾いて声を出したらもう惚れ惚れしてしまいます。ファドも然り、モナルコのサンバも然り、生で聴くと本当に男惚れします。それとジミヘンがギターに火を付けるというのは優越がないし、僕にとってはどっちもかっこいいんですよ。デビューして以来ロックだけが本当にかっこいいのかという疑問はあって、考えながら歩いている途中で沖縄に会ったんです。〉

□ ドゥルス・ポンテス/プリメイロ・カント

POCP-7449

〈もう一回生まれ変われるんだったら女性に生まれ変わって、ファドを歌いたいですね。今までリスボンを知らずにファドを聴いたんですけど、(リスボンに)着いたら「あ、そうそうこういう街だろうとおもった」って思いますよ。ファドが、音楽全部景色を僕に今まで教えてくれていたんだってびっくりしました。ファドの素晴らしさは、言葉とかよりもむしろサウンドと表現力ですね。去年(2002年)初めてポルトガルに行って、しかも生のファドを見て感動しました。鳥肌がたって涙が出ました。人間の業とか性とか素晴らしさとか全て表現できる音楽だなと思いました。〉

□ 大貫妙子/note

2002.2.20 TOCT-24719

〈今までの作品とは詞が違っていました。かたく結んでいたひもを全部ほどいているような印象を受けました。今までは口に出すことを拒んでいた言葉を笑顔で独白しているようでした。そんな大貫さんの強さ、大きさに感動しました。どの曲にも通じるキーワードはきっと「感謝」なんじゃないかな?〉

□ SUPER BUTTER DOG/grooblue

2001.12.6 TOCT-24696

〈いい歌を書いたね。カッコつけたりたそがれてる歌はまっぴらだ。歌の中にきっちり生活があるね。それがいいんだと思う。聴いた人が歌によりかかれるもの。〉

□ CATIA/Naturalmente(ナチュラウメンチ)

2005.4.21 OWCF-2003

〈彼女が歌い始めると風も歌い、鳥達は巣から空へとはばたいてゆく。パリやリオデジャネイロで見た空を想い出す。そして僕は思う。世界中の空はつながっているのだと。〉

□ SIMONE MORENO/SIMONE MORENO

WPCR-206

〈バイーアの魂は、ブラジルの魂、ブラジルの魂は、ラテンアメリカの魂。そんなことを思わせてくれるアルバムだ。人は本来、自分を正当化するために生きるのではなく、生きるために生きているのだというような、存在自体の歓びを教えてくれる気がする。CDとしてはちょっぴりかしこまってる印象もあるが、CDには収まり切れない生命力が、ステージでは爆発するのだろうということは、容易に想像できる。それにしてもバイーア音楽は、レゲエやファンク等々、いろいろなものと結びついて力強さを増していく。それは移ろいやすいということではなく、確固たる自信と生命力に裏付けされるものであろう。〉

THE BOOMと1996年に東京とブラジルのリオで共演。

□ アストル・ピアソラ/※アルバムタイトルがなかったので入手しやすいもの、ベスト盤などを。

〈ピアソラの曲を取り上げたオーケストラアルバムを三年ほど前に聴いたのが、出会いです。彼の音楽には、とてもスリルを感じる。生きる悦びの陰には、常に危機というか、狂気が寄り添う。ピアソラの音楽の「核」も、そうしたスリルなのではないでしょうか。音楽のジャンルはどうであれ、曲のテンポが速かろうが遅かろうが、音楽には常にスリルが必要だと思います。生命の生み出すスリルが。情熱的な音楽という意味では、ポルトガルのファドも大好きです。ファドには女性の情念を強く感じる。タンゴには、男の女のかけひき、すなわち人間の美しさと醜さがどちらもあからさまに表現されている。その時の音楽をひっくりかえし、後の音楽のあり方を決定づけるものが革新的な音楽だと思う。タンゴ以外のジャンルにも強く影響を与えたピアソラの音楽は、そのような意味からも、これからますます革新的だという評価を得ていくのではないでしょうか。〉

□ ジョイス/フェミニーナ

1993.12.15 TOCP8112

〈ジョイスの音楽に触れた者は、きっと皆ブラジルに渡ってみたいと思うはずだ。実は僕もその一人。彼女のやわらかくてスリリングな音楽を知って「入り口はあるが出口のない」ブラジル音楽の迷宮に迷い込んでしまった。未だ抜け出せないでいる。〉

□ ミルトン・ナシメント/ミュージック・フォー・サンデイ・ラヴァーズ 2003年5月8日 TOCP67159

〈ミルトンが作る歌の背景には広大なブラジルの内陸部ミナスジェライス州の自然、そしてそこに生きる人々の姿を感じ取ることができますが、彼の歌を聴いてるとミナスというある地域を超えて、誰しもが心の中に持っている懐かしく愛おしい理想郷のような所が思い浮かんできます。しかしもしかしたらそのような理想郷はもはやこの地球上には存在しなくて、ミルトンは歌の中にそれを夢見ているのかもしれません。何年か前にバイーアの女性シンガー、シモーネ・モレーノが来日し、ペペウ・ゴメスのギター1本で「砂の岬」をゆったりとしたテンポで歌い上げた時、僕にとっての理想郷である沖縄の空がパーッと視界一面に広がりました。その時に三線を使い、民謡歌手の我如古より子さんとデュエットするというアイデアを思いつきました。日本語訳に関してはなるべく原詞の世界を壊さないように心がけ、アフリカから労働力としてサルヴァドール経由でミナスまで遠い遠い道のりを旅した物語と、沖縄からブラジルへ理想を掲げ、夢を見て海を越えた人たちとの物語をだぶらせて詞を書きました。〉

□ 大島保克/島時間〜Island Time〜

2002.4.24 VICG-60505

〈全国各地の多くの民謡が、過去を伝承する形にとどまりつつあるのに比べ、沖縄では時代とともに、さまざまな新しい唄が生まれ続けている。そして今日まで、沖縄の人々は民謡を歌い継いできた。大島さんはこの作品の中で、現代的なメロディーの曲と、沖縄民謡と、そしてご自身による現代の新作民謡との三つのスタイルに取り組んでいる。伝統を継承しながら、これからの島唄のありかたを追求している。現代社会にこびることなく、静かなる戦いに挑む姿を見ていると、八重山はもとより、沖縄の各地から大島さんのような唄者が出てくることを求めたくなる。さらなる若い世代から出てきて欲しいと、切に願う。〉

□ MAMBOSSA/MAMBOSSA

ヴィヴィッドサウンド

〈マンボッサの一番の魅力はライブである。そしてこのレコードは限りなくライブに近い形で録音されている。目を閉じて聴いてみて下さい。ほとばしるプレイヤーの汗とモクモクとただようタバコの煙が見えてくるはずだ。〉

GANGA ZUMBAのパーカッショニスト、今福健司のバンド。

□ BID/Bambas & Biritas Vol.1

2005.01.16 RCIP0081

〈リオ、サンパウロ、サルヴァドールで現地のミュージシャン達と録音した1998年の僕のアルバム「Afrosick」でBiDは4曲、Producerという形で参加してくれた。彼は本当に人なつっこくて冒険好き。スタジオでは笑いが絶えなかった。自分の意見を押し通すのではなく、常にスタジオにいるほかの人間が気持ちよく感じる音に仕上がりつつあるかをきにしながら作業は進んでいった。きっとクラブシーンをホームグラウンドにしているからだと思う。ミキサーの前にみんなで陣取って、リアルタイムのDUBで盛り上がった事をいもあでもよく思い出す。彼の音楽には国境がない、彼は音楽を愛するすべての人を愛する。最高の音楽家だ。〉

□ ソウル・フラワー・ユニオン/スクリューボールコメディ

2001.7.25 リスペクトSF-050

〈背中にリュックをしょって方方をバックパッキングしていると、なぜかひょんな所で出喰わす顔見知りがいる。言葉をかわさずとも、お互いのよごれたシャツや適度に焼けた顔を見ては何だかうれしくなる———。僕にとってソウルフラワーはそんな存在である。なぜ旅の途中でばったり会うのか? もしかすると僕らは同じものをさがし求めているのかもしれない。〉

□ 琉球アンダーグラウンド/琉球アンダーグラウンド

2002年 リスペクトRES-60

〈沖縄にほれこみ、住みついてクラブミュージックを創っているアメリカ人とイギリス人の2人組がいる、と知らされたのは数年前のこと。それを聞いただけで「イェー!!」と思った。きっといい音楽やるんだろうな〜と思って聴いてみたら、沖縄を、そして民謡を本当に愛しているんだな、というのが伝わってきた。それがうれしかった。沖縄を素材として使うんじゃなくて、「もっともっと沖縄を知りたい」っていうハートが音から感じられる。そのスタンスがいいんだよね。〉

□ ソウル・フラワー・モノノケ・サミット/デラシネ・チンドン

2006.06.07 XBCD-1012

〈今作に対してコメントを頼まれ、今聴いているのだが、言うことが浮かんでこない。これは何かを語る音楽じゃない。三線や太鼓の音、中川敬のキレイな日本語、よくとれた昆布ダシが五臓六腑に染み渡り、日本列島に生まれ、暮らしていることが嬉しくなった。日本の歌謡史の縦の線と日本列島の横の線がこの一枚を見事に立体的なものにしている。彼らに会いたくなった。偶然がいい。道ばたがいい。〉

□ V.A./Non Vintage|林立夫セレクション

2005.10.26 MHCL593-594

〈林さんにドラムをたたいてもらい、すばらしい体験をした。ドラムを含むベーシックトラックをレコーディングした後、その他の楽器や歌を重ねていくわけだが、そのたびにドラムの音とフレーズが全体の中に溶け込んでいくのではなくて、際立っていった。作業が進むにつれ林さんが選ぶひとつひとつの演奏の意味が浮き彫りになり、確固たる説得力をこの曲に与えてくれた。林さんのドラムプレイは僕らを支える柱であり、その家の印象を決定づける屋根瓦だ。〉

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●コンピレーション

□ 音の棲むところ ボサノヴァ

96年4月23日 PHCR-1439

□ 音の棲むところ ロック・ブラジレイロ〜ヒップ・ホップ、ラガ&アシェー〜

97年3月21日 ESCA-7626

□ 音の棲むところ ポップ・ブラジレイロ

97年12月10日 TOCP-50291

□ 音の棲むところ ボッサ・ブラジレイラ

98年8月7日 TOCP-50644

□ 音の棲むところ サウダーヂ・ダ・バイーア

00年7月28日 PHCA-1117

□ 音の棲むところ ジャズ・ボッサ

00年7月28日 POCJ-1696

□ LOVE DUB ARIWA MIYA SELECTS MAD PROFESSOR

94年10月1日 JICK89467

MIYAから MAD PROFESSORへの尊敬という名のラヴ・コール。宮沢選曲によるアリワ・レーベルのコンピレーション。

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●お勧め映画

□ ラテンアメリカの光と影の詩

RF-1055

〈答えを知りたくて旅に出る。そして答えなど、どこにもないことを知る。あるとすればそれは心の中にある。〉


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