リアム・オ・メンリィ (2009年5月19日)

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2009年5月19日の日記

リアム・オ・メンリィのライヴを渋谷で観て、飲んで、新宿まで歩いて、それから電車で家まで帰ってきたら腹立たしいニュースが届いていた。
明日朝から、沖縄の泡瀬干潟の埋め立て工事が再開されてしまう。


リアム・オ・メンリィのライヴ。僕は1999年と2000年に彼の東京でのライヴを観た。元ホットハウス・フラワーズ、アイリッシュのミュージシャン。

昨夜はゲール語(たぶん)のアカペラの曲から始まって、2曲目はバウランでリズムを重ねながら、3曲目は笛を吹き(他の曲ではサハラ砂漠で買ったという楽器を操っていた)、4曲目、ピアノの弾き語りで歌った歌がようやく英語だったのかな。アイルランドの音楽は不思議な節回しだ。構成も展開が読めない。ステージで話す言葉は英語だけど、固有名詞にゲール語が入ってくるのでぜんぶは理解できない。

途中、フィドルのゲストが演奏する曲があり、山口洋もまたギターで数曲参加した。僕は以前、リアムのことを「裸足の音獣」と呼んで記事を書いたんだけど、彼は本当に自由に音と戯れている。というか、そんな彼と共演できる山口洋恐るべき。
ホットハウス・フラワーズ時代の曲「ONE TONGUE」はやはり名曲だった。ずっと続いていくような曲。

終演後、楽屋で「10年前、あなたは僕がディレクターをしていたラジオ番組に出てくれたんですよ」ということを話しかけた。


以下は、当時のスタジオレポート(極東ラジオ 1999年9月11日放送)

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「大抵、すごい人は一緒に居る人を楽にする。」
 極東地獄ラジオ収録の帰り道、山口さんは私に言った。その言葉を借りれば、収録日のリアム・オ・メンリィ氏はまぎれもなく「すごい人」だった。
 おそらく自宅から履いてきたであろうビーチサンダルに、テロテロシャツ&テロテロズボンという風貌で登場したリアム氏は、スタジオ内を憩いの場と一変させた。彼は好きなように話をして、のびのびと行動していた。もちろん、横柄であったとか、自己中心的に振る舞っていたという意味ではない。彼は完全に楽にしており、周りはその「楽」に侵食されていった。彼の「楽」パワーは、周りを喜びの渦に巻き込んでいた。
 現在の自分の大きさや役割をきちんと理解して、すべき事をしていれば、無駄な力を入れる必要はない。すると自分が楽にしていられるから、周りが楽になる。皆が楽にしていられれば、よりコミュニケーションできる。これは当然の流れだ。この日の彼は楽にしていられる事の重要さを教えてくれ、山口さんは気付かせてくれた。今の私にはまだ出来ない事だが、幸運にも教えてくれる人に会えた。その先は自分で行かなくてはいけない。(文+上の写真=関口美意)

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