見出し画像

ヒートウェイヴ 伊那・歌の宅配便

2000年5月27日(土)信州大学農学部演習林土場(写真=関口美意)

前夜の段階では翌日の長野の降雨確率は50%。そして言うまでもないが、その確率は雨男・山口洋がまだ都内にいる時点での確率である。森の中の野外ステージ。雨だったら体育館だそうだ。いかにも蒸し暑そうだし、往復7時間かけて東京から行くのに、体育館では森の空気も吸えそうにない。

スタッフは渋滞を避け都内を午前4時発。メンバーは午前6時発。われわれは午前8時発。窓を開けるのをためらうような週末混雑的灰色排気一色的な中央道を突っ走る。午前11時半。信州大学の門をくぐった途端に現れたゆりのき並木に車内全員が思わず歓声をあげる。駐車場には松本や長野ナンバーの車に並んで、大阪やら名古屋やら横浜ナンバーの車もあり、頼もしい。

聞こえてくる音をたよりに少し歩くと「HEATWAVE前座祭」と描かれたステージがあり、そこで信州大学の学生らしき男性(あとから主催者のひとりということが判明)がフォークギターでクジラについての歌を歌っていた。おやきやホットドッグも販売している。牛乳は煮沸したものと、煮沸してないもの、どちらも100円。「おいしいほうをください」と言うと、売り子の学生3人は少し迷った末に「どちらもおいしいですよ」と答えた。

ヒートウェイヴのステージはそこから早足で5分くらいの距離にあった。森の奥へと歩く。木立の間からドラムのサウンドチェックが聞こえてくる。矢印の案内でさらに歩くと、そこがライヴ会場。もともと演習林の中にある、伐った木を貯蔵する場所らしい。主催者曰く「本物のWOODSTOCK」そりゃそうだ。ステージはトラックの荷台がベースになり、ビールケースを積み上げたもので面積を広げ、やはり木材で補強。客席は丸太である。適当に腰かけてたら松ヤニがジーンズについた。

画像2

「雨だけが心配なんだよな」。空を見上げる山口洋。ステージの上にかぶせてある運動会の本部っぽいテントも(実際に「南部小学校」と書かれていた)、このまま雨が落ちてこなければ使う必要がない。

「THE BOOMもホコ天で雨が降ってきたら、歩道橋の下に移動してそこで演奏してたよね」とYAMAさん(山川浩正)に言うと、「それ、10年以上も昔のことだよねー」という答えが返ってきた。とにかく心配は天気。それ以外は何の問題もない。というか気持ち良すぎるシチュエーション。

開演時間。スタッフが入場する人たちに古新聞を手渡していく。丸太の席にはこの新聞を敷いてから腰を下ろす。伊那の知恵。オーバーオールをはいた主催の姿君と前座祭で歌っていた赤茶色の髪をしたスタッフが開演の挨拶にステージに立った。精一杯の気持ちが込められた挨拶。そして「高気圧音頭」。これがすごい。「高気圧音頭で踊りましょう!」という珍妙な掛け声とともに観客が右回りで回転する。メンバーもステージに登場。それぞれの楽器で「高気圧音頭」をサポートする。つまりこの日のライヴ、オープニング曲は「高気圧音頭」。そして、申し訳ないがここからの記憶はあやふやになってしまった。「森との調和」「風にハーモニカ」「森を歩く」。すべて断片的な記憶。だから山口洋が後日、ホームページで発表した日記を転載します。

朝6時、起床。と云うより殆ど寝てない。友人Nを乗せていざ伊那に出発。俺はこのライヴを楽しみにしてたのだ。土地も自然も若者(バカ者)も大好きなのだ。心配なのはただひとつ、雨だけだ。幾つかの渋滞を抜けて、10時に伊那に到着。空は今にも泣き出しそうだ。降水確率は50%。つまりは雨は避けられないと云う事だ。主催者の若者達と協議した結果、我々は運を天に任せる事にした。バンドを木々に囲まれた場所に呼ぶために皆、苦労してきたのだ。「想い」が天気を変えることだって、いやせめて雨を持ちこたえる位の「想い」は通じるはずなのだ。普段、開演が遅れる事があっても、早くなる事はない。けれど今日は15分早く演奏を始める事にする。まず伊那の若者に伝統の「高気圧音頭」を踊ってもらう。彼等の踊りは数々の場面で天候を「味方」に変えてきたのだ。ステージにはテントが用意されてたが、それも外した。こっちが弱気だと雨に負けそうな気がしたからだ。ステージから見上げる空は曇ってはいたけれど、素晴らしく解放的だった。ミュージシャンでいられることの喜びとはまさにこんな瞬間だ。本当はここの自然と調和した「森のスーパーエコー(この場所は本当なら日本最高の音がする)」を生かしたライヴ盤を創って、もう一度アルバムとして伊那に届けるつもりだった。けれどそれは次回に廻すことにした。ライヴ中パラパラと雨が降り出した時、天に向かって祈っている若者をステージから見たからだ。がってん九州人、絶対何とかしちゃるけんね。方針を変更し、ギアをトップに入れた。若者がバカ者へと変身する。踊り狂うバカ者達。舞い上がる土煙。俺はそれを吸い込んで呼吸困難に陥りながらも幸福だった。ライヴなんてなるようにしかならんのだ。そして一瞬、木々の隙間から陽が差した。太陽が「ちゃんと見てたよ」と云っているようだった。ミラクルだったのだ。素晴らしすぎるじゃないか。終演後、若者達と話した。伊那の若者もずいぶんソフィスティケイトされてきたように思う。けれど今や絶滅の危機に瀕したはずの「バンカラ気質」はちゃんと受け継がれていた。俺はそれを嬉しく思う。ここの若者とて抱えている悩みは都会のそれと同じである。「これじゃない何か、ここじゃない何処か」をいつも探し続けている。けれど彼等は自ら行動を起こしている点で「あるべき若者の姿」を持ち続けていると、俺は思う。しまいにゃ、若者と踊ってる間に膝蹴りを顔面にまともに食らって(事故だよ、事故)俺はしばし、失神した。真面目な話、星が見えた。でも悪くなかった。美しい眺めだったぜ、それも。またいつでも歌いに行くよ。本当に有難う。ケツの穴から特大級の愛と感謝を込めて。(山口洋)

そうそう、ライヴ中盤、心配していた雨が落ちてきた。無視できない大きさの水滴。スタッフがステージ横に移してあったテントに走る。これをステージにかぶせて続行するのか、それでも観客は完全にずぶ濡れになる。「そのままでいいよ」と山口洋がスタッフを制止した。「雨が降ったら濡れればいい!」と、客席から女性が反応する。そしてグレッチで天空との会話。信じられないことに雨が止んだ。グレッチとまさに呼応するかのように、ステージ後方の曇天から一筋の光が差した。山口洋が「ミラクル」と呼び、「実は泣きそうになった」とアンコールのときに語った、その瞬間。僕らは何かに包まれていた。何に? なんだ、なんなんだ、雨を止め、陽を呼び、感情を揺るがしたものの正体は?

画像2

ライヴが終了するとほぼ同時に雨がまた落ちてきた。機材の片付け、久々に再会した友との交歓、エトセトラ。ついさっき奇蹟を起こした人、山口洋はビールを片手に、ホットドッグをほおばってる。非常にださい。ライヴ中、会場のいちばん後ろでいちばん目立った踊り(笑えるぐらい自由な踊り。特にキックがすごい)をしていた男性が三線を爪弾き始める。ゴミ捨て場で拾ったものとかで、チューニングが狂ってるそうだ。誰かがどこからかバックパッカー用の小型ギターを持ち出し、小さな宴がまた始まる。「もう帰るの? 伊那の本番はこれからだよ。俺、これが楽しみで毎回、帰らないんだから」。そんな山口洋の声を背に駐車場に向かう。伊那、面白いです。楽しいです。ライヴ中、4回ぐらい泣きそうになりました。また来たいです。伊那の人、どうぞ来年もよろしく。

(『HEATWAVE 1999-2000』より転載)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?