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イルコモンズさんの授業を受けての感想ノート

文化人類学解放講座

2008年から2009年にかけて、イルコモンズこと小田マサノリさんの授業に潜ってました。潜る、というのは学生でないのに授業に出席すること。もう時効です。いくつか授業の感想ノートを取っていたのでここに解放します。

『クラ/島々をめぐる神秘の輪』を観た

2009年7月4日

中央大学で『クラ/島々をめぐる神秘の輪』というドキュメンタリー映像を観た。「文化人類学解放講座」前期の最終講義。
「クラ」とは、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島でおこなわれている、貝殻で作った宝飾品を交換する慣習のこと。もちろん僕は今日はじめてこの慣習や地名を知った。
腕輪は左回りに、首飾りは右回りに、島々を特別なカヌーでめぐりながら、「クラ」は続いていく。文字を持たない彼らの文化の中で、この慣習は3000年も続いているという。今日観た映像は1992年に撮影されたもので、先週は1971年撮影の映像がこの講義で上映されたそうです。
現代文明がこれらの島々にも押し寄せ、エンジン船が登場し、貨幣経済が流入しようとも、「クラ」の本質的な部分は変わらない。それが、与えることによって所有する、という「ギフトエコノミー」という文化。
ただし、文化人類学とは、こういった遠い場所の、特異な習慣を、分類し、標本にすることではない。今日の講義では、1910年代にこの地を調査した、ブラニスラウ・K・マリノウスキーの次の言葉が引用された。
〈原住民に関する研究で、ほんとうに私の関心をひくものは、彼らのものごとに対する見方や世界観であり、原住民がそれによって生きていく生活とそこで呼吸されている現実の息吹きである。あらゆる人間の文化は、その文化をつくる者たちに、一定の世界観をあたえ、はっきりとした人生の意味を示してくれる。人間の歴史をめぐり、地球の表面をさまよい歩いてみて、私の心をもっともとらえ、異文化にしたがって、異なるタイプの人間の生を理解しようという気持ちにならせたのは、人生と世界をさまざまな角度からみる可能性だった。人間の科学にとりくめるかどうかをきめるのは、さまざまな文化の多様性と独自性に愛情を感じるかどうかである。私たちの最終的な目的は、私たち自身の世界の見方をゆたかにし、深化させ、私たち自身の性質を理解して、それを知的に、芸術的に洗練させることにある〉(「西太平洋の遠洋航海者たち」より)
もうひとつの世界は可能だ、というスローガンがあるけれど、文化人類学とは、もうひとつの世界から自分たちの世界に必要な知恵を学び、フィードバックさせる方法だと思った。そして、この「文化人類学解放講座」では、知識は共有物であり、分け合うことが重要であるという。貝殻の装飾品は僕にはとりあえず不要だけど、こういった知識の共有、分け合うことにはとても興味がある。いまはもらうことばかりかもしれないけれど。


「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」

2009年7月6日

東京外語大での「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」に行ってきました。
「サンバに主人公はいない。誰もが主人公だ。そんな音楽を東京で作りたい」と15年ぐらい前に言っていたのはTHE BOOMの宮沢和史だったけど(その言葉通り、彼はリオで大量の打楽器を買い集め日本に送り、『極東サンバ』というアルバムを作った)、僕は今日はじめて、「主人公はいない。誰もが主人公だ」という言葉の本当の意味を知った気がする。この「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」に参加したことによって。みんなで作り出したリズムがどうしようもなく身体と心を揺さぶることも。

追記(7月9日) ドラムサークルは去年の年末、国分寺のカフェスローで初めて体験している。でも、そのときは住宅街にある会場という制約のために、いわゆる太鼓系のドラムではなく「トーンチャイム」やシェイカー系の楽器を使ったものだった。

今回の「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」は、教室の真ん中に様々な打楽器が置かれ、それを囲むように椅子が輪を作っている。
「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」という名称の中の「アナーキスト」というのは、無政府主義者という意味からではなく、リーダーもコーチもいないし、ルールもないということからだそうです。
用意されていた打楽器は、パンデイロ、タンボリン、ヘピニキ、アゴゴ、クイーカ、チンバウ、スネアドラムなど、ブラジル、ラテン系が中心だけど、その中にダラブッカやドラや、仏前で「ちーん」という音を出すもの(名前わからない)、インドのアルミのカレー皿などもある。「楽器の持ち込み歓迎」ということだったので、僕はプラスチックのワインクーラー(?)と菜箸2本を用意していった。
各自、好きな楽器を取るようにと、ファシリテーターのイルコモンズさんが言い、それぞれが自分に合いそうな楽器を取り、また席に戻る。僕はそのままワインクーラーと菜箸。隣の席の河原崎さんはスネアドラムを選んだけど、スティックがない。僕の菜箸を一本貸してあげようかと思ってたときに、イルコモンズさんが、「何か足りませんよね」と言い、ドラムスティックからバチや、先端が分かれているものまで、様々な形状のスティックを提示した。「この中から好きなものを選んでください」と。僕から見ても間違った組み合わせをしている人もいる。でも、「ルールはないから自由です」と。まるで、「禁止することを禁止する」みたいな。

この時点で、僕は(たぶん、僕らみんなは)早く音を出したくてうずうずしてたんだけど、その前にと、去年の沖縄・高江でのドラムサークルと、洞爺湖サミットへのアクションとして、初めて楽器を手にした人たちが数時間でそれなりのアンサンブルを形成していく映像、ニューヨークのセントラルパークでのドラムサークル、そして、いま公開中の映画『扉をたたく人』の予告編映像をスクリーンで見る。

イメージができ、音を出したい気持ちが最高潮に高まったところで(楽器を初めて演奏することにあたって、緊張とか不安とか恥ずかしいとかいう気持ちが一切なくなっていた)、1999年にシアトルで起こったデモの「音」を聴きながら、僕らがそこにいたらどんな音で参加しますかという課題が出され、ついに演奏が始まった!
わくわくしながらどかどかとぺこぺこ(←僕のプラスチックの音)とがしゃんがしゃんと叩く。楽しい。

イルコモンズさんは、どんな叩き方をするのも自由だけど、楽器には先人たちの知恵が詰まっている。だからそれを尊重してみましょうと、楽器とスティックの組み合わせが極端に合っていないものを示唆してくれ、その一方でマハトマ・ガンジーの「間違う自由が含まれないのであれば、自由は持つに値しない」という言葉を引用して、楽器や音楽への敬意と共に、演奏者の自由をも確保する。
小さな打楽器の音にも耳を澄ますことを学び、管楽器も加わり、僕らのアンサンブルは豊かになっていった。途中に10分の休憩時間が設けられてたんだけど、その間も自発的に演奏は始まり、それは輪を作っていった。あっという間の、100分のワークショップだった。

中庭では、イルコモンズさんもメンバーである「ウラン・ア・ゲル+T.C.D.C」の野外ライヴがこのワークショップの延長のように始まり、僕らも当然のように楽器を抱え、参加したのでした。


『ラディカルパペットの民族史』

2009年7月15日

先日の中央大の講義のときにイルコモンズさんから頂いた『ラディカルパペットの民族史』(イルコモンズ・アカデミー編)をじっくりと読みました。
1999年の「シアトルの乱」以降の新しいアクティヴィズムに登場したドラムサークル、クラウンアーミー、そしてパペットという戦術のうちの中で、特にラディカルパペットの起源、意味、実践の記録が綴られています。

「アクティヴィズム」とか「戦術」という言葉を見ると、なんか怖そうと思うかもしれないけど、デモにおけるこれらの新たな表現は、そこに「祝祭性」をもたらし、また、「敵対することなく、敵対者の調子をくるわせ、攻撃することなく、相手を判断停止においこ」むそうです。たしかに、洞爺湖サミットでの警察の過剰警備はなんだったのかと思う。
〈巨額の警備費を費やした警察にとって「解決策」となるはずの野蛮人は現れず、かわりにやって来たのは「非暴力」と「祝祭性」を象徴するパペットやクラウンアーミーたちだった。それらの抗議者たちは「対抗的想像力」によって、警察が設定した「60〜70年代の武装抵抗」という「見慣れた型」を、「シアトル以降」の「非暴力直接行動」の「新しい型」に再設定してしまった。(中略)実際、暴力をふるってやらない抗議者とパペットを前に動きのとまった機動隊の姿は「政府機関は武装抵抗という見慣れた型に陥ることを拒否するような革命運動にどのように対応すればよいのかをまったく知らない」ということを立証していたし、警官隊がデモ隊のトラックの窓ガラスを破壊し、運転手をひきずり出して逮捕する映像は、実のところ、暴力と荒れた現場に飢えていたのは警察ではなかったのか?ということを物語っている。〉(同書より)

僕が先日、四谷のオルタナ展で読みふけっていたファイルや展示は、イルコモンズさんがこの洞爺湖サミットのために準備してきた文章やデザイン、そして不当逮捕の報道やそのドキュメントなどの「物的証拠」であり、この『ラディカルパペットの民族史』は、それを補足する文化人類学的なテキストです。最後の「私たちはかつてないほど快活である」という章は特に心が躍る名文だけど、この章だけの引用ではもったいないので、僕に声をかけてこの小冊子を借り出して、全部読んでください(全24ページ、非売品)。
夜は高円寺の「VEGEしょくどう」に行き、友だちと美味しいご飯を食べました。それから、お店のかたから、小沢健二の『企業的な社会、セラピー的な社会』という本を借りました。


「反撃がはじまった」

2009年11月7日

太陽と休日は有効に使わないとね。ということで、洗濯ものを干して、お昼からは「文化人類学解放講座」に行ってきました。
講座は、まずチャップリンの『モダン・タイムス』(1936年)で、近代(モダン・タイムス)の資本主義が人間を「壊す」ことを観て、次に『ザ・コーポレーション』(2004年)というドキュメンタリー映画で、ポスト・モダンの現代、「企業とは何か」という本質的なことを分析しました(就職時に役立ちそうな授業!)。

イルコモンズさんの解説と映像の抜粋で、講座は進んでいきました。南米ボリビアのコチャバンバの水道をアメリカの私企業が民営化して値上げすることに対して、住民が反乱し、阻止したこと。アメリカの遺伝子組み換え企業「モンサント」へのインドの農民たちの抵抗。

1995年という年は、僕にとっては、大震災とオウムの年で、先日も「終わりのはじまり」という捉え方でインタビューをしたところだったけど、「文化人類学解放講座」的に見ると、「反撃がはじまった」年だそうです。
〈ストリートが広告文化の商品となり、ストリート・カルチャーが占領されてしまったことが、私たちの世代の皮肉な現実である〉(ナオミ・クライン)であり、それへの反撃もはじまっていた? 講座の最後のほうでイギリス・バーミンガムでの「Reclaim the street」(1998年)の映像を観て、わくわくする。ほんとだ、もうとっくにはじまっている。でも、その一方で、「ストリートが広告文化の商品となり、ストリート・カルチャーが占領されて」るのも現実の、現在の日本だ。ストリート・カルチャーを装った企業が公園を民営化しようとしてたりね。それでも「おかねしかないせかいをぬりかえていきて」ゆく方法はあるし、はじまっているってこと。


「続・反撃が始まった」


2009年11月21日

「文化人類学解放講座」に行ってきました。
11月7日の続きの授業。「続・反撃が始まった」と題された90分間の講義でした。
観せてもらった映像は、1999年、マクドナルドのフランス進出に反対行動をした農民たち(これは当時のニュースを記憶してた)、2001年12月のアルゼンチン革命(これも覚えてる。その数年後、僕はアルゼンチンの友人ができたし)。IMFや多国籍企業が引き起こした金融危機、銀行の破綻に対して、100万人もの民衆が路上に出てきて、抗議行動をしたというもの。

革命は、中世までのものではないということを改めて知る。学校の歴史の授業は、古代から始まって第二次世界大戦あたりで終わってしまい、「現代」を教わることがない。だから僕も、反撃なんて始まってないと思ってた。ところが、1999年のシアトルの乱(『バトル・イン・シアトル』というタイトルで映画化され、日本でもDVD(日本語字幕も付いてます)で見ることができる)や、先日の授業で観たボリビアなど、反撃は世界のあちこちで起こっている。

それを知ることが、大切ということ。「世界は変わらない」という思い込みが、人々をうつにする現代社会。「明日も昨日と変わらない」のではなく、「もうひとつの世界は可能」であり、世界のあちこちで反撃は起こっていて、その人たちの存在を知っていれば絶望はしない。だから、知ることは大事で、知れば、自分でできる方法でやってみたくなる。アクティヴィストとは日本語では「活動家」と訳されるが(漢字にしたそれは、ちょっときな臭いイメージがついてる)、ただ「アクティヴ」な人というだけ。反撃は始まってるし、いつでも誰でも始められる。

1999年、シアトルでのWTO開催に対して反対のために集まったアクティヴィストたちのそれぞれの行動を、イルコモンズさん編集の映像を観ながら学ぶ。
「bloc」という、主義主張の違う人たちわけるシステムがシアトルでの抗議運動には導入されている。
環境、人権、子どもの権利、女性の社会的地位、労働問題などさまざまな観点からWTOに反対するグループがいる。それが、「bloc」に分かれることによってお互いの違いには干渉せずに、WTOに抗議するという一点において連帯する。
「bloc」は色分けされて呼ばれている。「ブラックブロック」はアナキスト、「シルバーブロック」は音楽、ドラムなど。警察とデモ隊との緊張関係が高まっている間に登場して、そのシリアスな空気をほぐす。「グリーンブロック」は環境、エコロジスト。「レッドブロック」は共産主義者。「イエローブロック」は特定の主義、主張を持たない人たち。「ピンクブロック」はゲイ、レズビアンたち。
彼らに共通しているのは、「非暴力」というルールだそうだ(非暴力直接行動のルーツとして、ガンジーの映像も観た)。授業では「ブラックブロック」がNIKEやスターバックスの店舗を破壊する映像も紹介し、非暴力であるはずの「ブラックブロック」がなぜ多国籍企業に対してだけは破壊行動をするのかを、彼らの証言で説明する。
シアトルでは、「ラディカル・パペット」も登場する。
「パペットがあらわしているのは、私たちが手にしたいと望んでいるすてきな未来と、世界銀行やIMFがおしつけてくる巨大な抑圧の力なんです」
「そう、誰かさんたちは、私たちのパペットをすごく怖がってるの。それは当然よね、だってパペットがあらわしてるのは、人びとの結集と平和、歓喜と連帯なんですもの。これほどたくさんの人が集まって抗議するのは、ただごとじゃないと気づくみたいね。だからパペットを怖がるのも当然ね」(アントニオ・ジュハズ)
1999年のこの『バトル・イン・シアトル』以降、反撃の光景は変わる。祝祭的である、ということ。誰もが参加しやすく、続けていくためには、想像力がふくらんでいく、楽しいものにしなくてはいけない。


『世界残酷物語』


2010年5月26日

「文化人類学解放講座」に行ってきました。今シーズン初。もうとっくに今年度の授業は始まっていたのに、出遅れていました。
今日はイタリアの映画監督ヤコペッティによる『世界残酷物語』という映画が教材でした。子どもの頃にこの映画を観て「どよーん」となった記憶があったのと、その後、どういうわけか植え付けられた、「こういうタイトルの映画はグロ映像の寄せ集めだぞ」という偽記憶で、出席するのをためらっていたのですが、行ってよかった。
文化人類学に必要な、「文化相対主義」を理解するのにもってこいの、まさに年度頭に観るにはいい教材だと思いました。すごくよくできてる。「文明」的なシーンと「非文明」的なシーンの繋ぎが、きっちりテンポを合わすDJのように、韻を踏み外さないラッパーのように、スムーズにミックスされていて、「未開」の「野蛮」な人たちだけが残酷な風習を持っているのではない、ということがよおくわかる。

ヨーロッパでも(監督はイタリア人)、アメリカでも、ニューギニアでも、台北でも、東京でも、視点を変えれば「残酷」に見える行為がある。何が残酷なのか、それを自分の価値観で判断するのは、非常に難しい。非難した自分も同じように、何か残酷であり滑稽なことをしているだろう。イルコモンズさんの解説で深く納得したのは、文化人類学者なら(誰でもそうかもしれないけど)、異文化を研究、紹介するにあたって、普通なら「伝統」的なことに注目するだろうところを、ヤコペッティ監督は外してくる、という指摘。東京のシーンなんてまさにそうだった。僕が思うに、彼は人間の差異ではなく、どの世界でも共通しているところを撮って編集しているんだろうな。

追記 思い出した言葉。
〈たった一つの「真実」という漢字に、馬鹿らしいほどたくさんのルビを振り続けよ!〉(いとうせいこう『解体屋外伝』)


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