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妖老闘病記 霞。

朝から、腰背中の痛みで ツライ姿を、さらして
しまった!…恥ずかしいのだ!情けないノダ!
病み 出来る事が、減り、気概が 削がれて行く 日々、せめて、イイかっこうを していたいのだ。
弱った所や、辛さに 苦しむ姿を、女房には、
見せたくない。
「甘え合うのが、夫婦でしょう!」と 言われるが、
「心配そうな 顔を させない!」
「不安を、顔に 出させない!」というシーンで、
十分 甘え させて、もらっている。
「シャー シャーと、笑って 居てくれる。」
だけで…有難い 存在 なのだ。

私の、寄り添い合う! とは、
相手を 気遣い、我慢する仲 と、言うことなのだ。
自分を見せる、唯一の 他人が、女房と 言うことになる。共に 食事を 楽しむ事が、難しくなっている、今!せめて…(ФωФ)
自分の 体調管理に よって、二人の時は、
ダラけていても、痛い辛いを、見せたくは無い、
苦しむのは、女房が、寝静まった時か、仕事で部屋に 居ない時に、限る事 なのだ。
私にとって、寄り添い合うと 言うのは、
我を 引いて、遠慮して そばに居る事、なのだ。

枯れて 朽ち果てていく 覚悟は、出来ている。
穏やかな、ランディングが、夢 なのだ。
今の 私には、ケモ治療に依って、現状を維持する、
その 副作用の 痛み 辛さ を 薬で 麻痺させる
緩和ケアで、日々を 繋げている。
それは、ある意味の、自死 でもあるだろう。
自死に 対して、嫌悪感 罪悪感は、余り持って、
いない、酒 煙草 無茶を する と言うのも、
ある意味、穏やかな自死と、思っている。
つまり、ケモ治療を止めて、ゆっくりと…
自分の幕引を、自ら行う事も、生きる気概に、
含まれると、言うことなのだ。

闇の中、自分と 向き合い 自問自答した 想い。
10年目の 震災命日を 有難く、迎えられて、
美しい月と、暖かい春を、願いながらも、
対処の 策が、つき始めた事を、自覚する朝。


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