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妖老闘病記 実。

本年を 振り返れば、自身に降りかかった「病」と、
向き合い、行動した一年だった。
春に うつむき右往左往、夏に 闇に向かい 自問自答を 繰り返し、秋に 全てを 受け入れ、冬に 隠匿閑居する。

コロナ禍に関しては、どうしても 祭り騒ぎの為の
ニュースに、感じてしまう。
医療の崩壊 と、叫ばれても 、現実 介護現場の疲弊
医療訴訟の身勝手さ、貧困 自死 の 責任転嫁、
私が、憂いでいた事を、今さら何をぬかして…。
解決案を模索するでもなく、問題提起に夢中になる
姿に、憐れみすら感じてしまう。
何をどうしたいから、叫んでいるのか?
不安だから、泣き叫ぶ、赤子のようだ❗

昔から、死を間近なモノとして感じて暮らしている
若くして 病 で逝った友や、障害を背負い挫け逝く者、事故で突然逝く者も、老人は死ぬ、病人も死ぬ
そして 人は 辛くて 死を選ぶ。
そんな風に、世界を眺めていた。
だから、終焉としての死を、可哀想とか、憐れむ気持ちを、失礼な事と 感じている。
つまり、他人の人生を 批判して 反省を求める
己の身勝手さを、恥として暮らしている。

何が良いかを、口走る 羞じらいを持っていたい。
そこで暮らす者の、想いなど お構い無しに、
巨大な 盾を造り、防ぐ為 次の厄災に備えろと、
都合の良い 理由を付け、踊り浮かれることで、
英雄に近付こうとするなど、愚かで哀れな行為だ。

他人の痛みや傷を 背負い、己の至らなさ 無力さを噛み締めながら、中傷 批判を恐れず、
3歩先を 見据え、歩み続ける、そんな男に!成る。

還暦を過ぎても まだ、至らぬ自分を 研き続ける、
その繰り返しで、終焉を迎える事が、人生だ。
還暦、大晦日の節目を 越えても、変わりなく、
歩み続けて活きながら… 入眠。

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