再起

列車は人家の少ない土地を走っているのだろう。窓の外は真っ暗だ。
私は同じ列車に乗っているはずのエリを探している。乗客がほとんど乗っていない。車内灯が壊れかけているのか、時折じぃっという音がして点いたり消えたりする。
この車両にも彼女はいないようだ。私は重い通路扉を引き開けて、次の前車両へ進む。ボックス席の背もたれから、黒い頭が少しはみ出て見えた。近くまで行って座席の顔をちらっと確かめるが、彼女ではない。次の車両へ向かう。通路扉を開けてエリの姿を探すが見つからない。また次の車両も同じだ。
携帯で彼女に電話をするが繋がらない。私は一両ずつ確かめながら通路を前に向かって歩き続ける。しかしどれだけ歩いても、先頭車両に辿り着かなかった。

「うう」という自分の声で目が覚めた。
またこの夢か。首筋が随分と固くなっていることに気づき、ベッドから起き上がった。
ここ一年ほど繰り返し見る夢だ。どうしてエリを探してなんかいるのだろう。
私はしばらく体を起こしたままぼんやりしていたが、布団をはねのけ立ち上がって洗面所へ行った。
鏡に写った顔は少しむくんでおり、目の下にクマができている。
ずいぶん頑張っているよね。私は鏡の中の自分に語りかけた。
エリとボディマッサージサロンの共同事業を立ち上げて三年になる。マッサージセラピスト養成校でエリと知り合い、私たちは意気投合した。エリは最初一人で個人サロンを始めたが、一緒に仕事をしないかと私に話を持ちかけてきた。男勝りの気丈な性格で、私の目には彼女の姿が眩しく映った。
全て順風満帆とは言えなくても、二人で考え、意見を出し合い、一緒に創り上げていく仕事に、私はやりがいを感じている。「将来、店をもっと大きくしたいね」エリとよく語り合った。客から「お二人は仕事上の夫婦みたいですね」と言われることもあった。

私が出勤すると、すでにエリは店にいた。
「おはよう。ちょっと話があるんだけど」
エリは私に声をかけた。
「あのさ。今まで一緒にやって来たけど、一旦私たちの関係を解消したいの」
解消したい? エリはいったい何を言っているのか。
「どういうこと?」
状況を把握しようと、私の頭が忙しく回転している。
エリは少しバツが悪そうな顔をして、最近男ができたと言った。
「彼がね、あなたとの共同経営を解消するなら新店舗のための資金を出すっていうの。もちろん、新しい店ができたらあなたを雇うつもりよ」
エリの口調は、すでに決まった話であるかのようだ。私はエリの目を見据えて「どうして…」と言いかけたが、次の言葉が続かない。彼女は私から窓の外へ視線を移し「ということなので、話はまた後でね」と店の奥へ消えた。
背後で店の扉の開く音がする。笑顔で迎えないと。私は無理やり口角を引き上げ振り返り、「おはようございます」と客に挨拶をした。

夕陽が射す部屋の中で、私はエリと『店の将来』について話をしている。
エリは楽しそうに「私たち、やったわね」と笑っている。エリの笑顔に懐かしさを感じて、ほっとしながら「やったね」と私も同じ言葉を返す。
自分の頬に温かいものが一筋流れていることに、私は気がついた。
ああ、夢か。
ぼんやりしながら部屋の時計に目をやる。すでに朝の七時を回っていた。
私は体調を崩し、あれから一ヶ月後に店を辞めたのだ。
私たちの夢はすでに終わったことなのに、どうしてエリが出てきたのだろう。
もう一度目を閉じエリの顔を思い出そうとしたが、今しがた感じた懐かしさが少しずつ私の身体から抜けていく。私は大きく息をつくと両手で濡れた頬を拭い、身体を起こした。
カーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいる。
そう言えば、ここ二、三カ月ほどあの夢を見ていない。多分エリを探すことはもうないだろう。
私は布団から立ち上がり、カーテンを開ける。窓越しに見える空に、白くて柔らかそうな雲が一つ、二つと浮かび、ゆっくりと形を変えて流れていった。

(週刊キャプロア Vol.85 『不思議ナコト』掲載)

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