カラダの記憶

深夜、バイトから帰ると、僕は玄関の灯りを点けた。誰も待つ人のいない部屋だ。
靴を脱いでキッチンへ行くと、散らかったテーブルの上へ鞄を置いた。
冷蔵庫から氷を取り出しグラスに入れ、安物のウィスキーをロックにする。立ったまま、一口飲むと、テレビのスイッチを入れた。ちょうどタレントたちが、恋愛をテーマに賑やかにしゃべっている。
数日前、僕は彼女とけんか別れをした。
僕の恋愛は、いつも上手くいかない。
グラスを片手にウィスキーを飲みながら、画面の中のタレントたちをぼんやりと眺めていた。

幼稚園の頃から、股間にあるモノがなぜ僕に付いているのか、ふしぎで仕方なかった。
外で男の子と遊ぶより、女の子と家で人形ごっこをしている方が好きだった。
小学生の頃は、一緒に風呂に入る姉の裸をみて、姉のことが羨ましかった。
大きくなったらねえちゃんみたいに、僕の胸も膨らんできたらいいな。
そう心待ちにしたが、僕の胸は姉みたいにはならなかった。
彼女に出会ったとき、探し求めていた人とやっと巡り逢えたと思った。
トランスジェンダーの僕が、男性を好きになるとは限らない。
彼女は僕のことを理解してくれると思ったが、そうはいかなかった。僕たちは喧嘩することが増えた。彼女は「わたしは男の人を愛したいの。あなたはバケモノよ」と言い捨てて、去っていった。
僕がありのままの姿をみせて、上手くいった試しなんかない。
股間のモノも、濃くなった体毛も、低い声も、骨ばったカラダも、僕にとっては異物でしかない。
僕のカラダは、バケモノのカラダだ。バケモノの着ぐるみをかぶっている。
僕は、男に生まれたことを呪った。
僕は間違っていない。間違っているのは、僕のカラダだ。それとも自分のカラダを疑う僕が間違っているのか。
氷だけ残ったグラスに、ウィスキーを注ぎ足す。流し込むように飲み込むと、喉の奥がヒリヒリした。
バケモノという言葉が、頭の中で繰り返し響く。その言葉を振り落とすために、僕は何度も頭を振った。酔いが回ってきたのか、だんだんと意識が朦朧としてきた。

全裸で海に浮かんでいた。僕のカラダは波に揺られ、漂っている。ときおりカラダが海中へ沈むが、海底まで落ちていくことはない。海中から泡立つ海面を仰ぎ見ると、目に飛びこむ太陽の光がまぶしい。僕のカラダは、波のうねりとともに流されていく。
砂浜に流れ着くと、そのまま波打ち際に横たわっていた。太陽がちりちりと照り、僕を焦がす。ときおりカラダを洗う波の冷たさが心地いい。
「ミチル」
若い男の声がした。
どこからともなく現れた、その男もまた全裸だ。均整のとれた瑞々しいカラダをしている。
僕は股間に手をやった。股に手に当てるとモノはなく、つるんとしていた。胸にも両手をあててみると、両手のひらに柔らかな膨らみを感じた。
男はそのまま無言で膝をつき、僕の上に覆いかぶさると、僕を抱きしめた。僕は男に身を任せる。男は何者なのか、どこから来たのか、そのことを僕は知らない。だが怖くなかった。静かに男を迎え入れた。
白く輝くモノが、優しく、ゆっくりとていねいに僕の中へ入ってくる。男は徐々に僕の中でうごめき始め、大きくなった。男のモノと僕の肉が触れ合うところ、血がめぐり、収縮の速度が徐々に速くなる。心臓の鼓動が高まり、ふたりの息が荒くなる。僕の意識が遠のきそうになるその一瞬、カラダの芯がはじけ散り、白い光が僕と男を包んだ。僕たちはしばらくそのままひとつになって、白い光のなかで溶けるように混じりあっていた。

カラダが火照り、弛緩する感覚の中で目が覚めた。夢だった。ミチルのカラダで感じた感覚が、まだ続いていた。
このカラダを、確かにずっと前から知っている。僕は僕だ。
うすぼんやりとした意識の中で、そう確信した。
僕は起き上がると、ベランダの窓を開けた。藍色の空が、群青色から薄いブルーへと徐々に白んで明けていくのを、僕は眺めていた。

(月刊ふみふみ 第7号『性愛』 2019年4月 初出)

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