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境界線

午前2:44

今の時刻です。

散歩しにきました。
今は公園にある雲梯の上に寝そべっています。

なかなか良い位置が見つからず、背中と後頭部が痛い。

水の流れる音と虫の声が静かに聞こえて心が落ち着きます。
普段は常に脳に情報を取り込み続けていないと落ち着かない性分なので、大量に本を読んだりYouTubeを2倍速で見たりしていますが、時間に余裕がある時は週に一回、こうやって様々な情報源を断ち、水辺を歩いたり街中のベンチから点滅する街を眺めています。
普段こうして深夜徘徊するときは、スマホすら家に置いてきてしまうのですが、今日は持ってきたのでこうして文章を書いています。

雲梯の上では首が痛いので滑り台に移動してきました。
めっちゃ寝やすい。
なんで最初からこっちにしなかったんだろう。

暗闇の中に寝そべっていると、自分と世界の間の境界線が薄れていきます。
意識が体を離れて、遥か上空の星空に向かって飛んで行くような感覚。

とか書いてたら虫が顔面に向かって飛んできて一気に意識も引き戻された。
奴が耳元でぷんぷん飛び回って煩わしいので歩き始めます。

たまにすれ違う車は、今からどこへ行くんだろう。
それとも家に帰る途中なのか。
きっと車に乗っている人も私を見て同じようなことを思っているでしょう。

生きているうちにすれ違う人は皆、互いがどこに向かっているのかなんて知りません。

街中にあるよくわからんスペースのベンチに座りました。
さっき公園で草の上を歩いたからつゆで靴が濡れてちょっと気持ち悪い。
気持ち悪さを紛らわすためにすぐに立ち上がって歩き始めています。

宵闇の中に青白く浮かび上がる蓮の花のつぼみを眺めていると空が徐々に明るくなってきました。

朝と夜の境界線。
それはどこにあるんだろう。

いつも考えますが、この藍色がそうなのではないかと思います。

死の淵に立って初めて生きていることを実感するように、境界線のギリギリ端っこに触れてみて初めてわかる事があります。
人間だってきっとそう。
手繰り寄せて、見つめ合って、息がかかる程近くで会話をして初めてその人に触れられるのではないでしょうか。

私は沢山の人、沢山のモノ、沢山の感情の境界線に近づきたい。
限界まで近づいて、痛くてもいいから触れてみたい。
そう思います。
その結果感じたものは、目に見えなくてもきっと鮮やかな色をしているでしょう。

でも、自分自身との間には境界線なんてなくて、いつもゼロ距離だから近づくことも遠ざかることもできない。
自分を目一杯殴りつけて、その後脳が痺れるくらいに抱きしめてみたいと、常々思っています。
誰かをぐっと引き寄せた瞬間の、密度の高い温もりと波打つ脈を自分自身に感じてみたい。
分身の術を身につけでもしない限り、叶うことはないと思いますが。

コンビニに寄ってアイスを買ったら片手が塞がりました。

藍がいつの間にか消えて、突き抜けるような水色と優しい桃色を混ぜたような空を眺めながら、私はアイスを片手に帰るとしましょう。

今回はここら辺で。
では。