不透明で非効率

不透明なのがいいのだと思います。


最近は、タイトルで内容が透けて見えるような作品が増えたように感じます。
中身を読まずとも自分の好みのジャンル・ストーリー展開の作品を見つけられますし、そのおかげで読者が付きやすくなるのだろうと推測しています。
作者にも読者にも利点があり、とても効率の良いタイトルの付け方だと思っています。

そう、効率がいいのです。

効率がいいとは、無駄がないことです。
多くの場合、無駄がないのはいいことです。
意味のない会議、間違って印刷してしまったA4サイズの紙切れ、話し合いができない人間と過ごす時間。
どれも、無いに越したことはありませんね。

でも、そうではない無駄もあると思っています。

この世界に、本当に必要なものだけだったらどうでしょう。
必要最低限の栄養が取れる食事。
必要最低限の学びと書籍。
必要最低限の会話。

きっと、誰かへの贈り物だってトイレットペーパーなどの生活必需品がメジャーです。

これっぽっちの面白みもないですね。


話がとんでもない方向に飛びましたが結局何が言いたいのかというと、私は不透明で非効率的なタイトルの作品が好きということです。

シンプルですね。
ここまで長々と書いておいて、そんなことかと思われるかもしれません。

でも私は、本屋をぶらつきながら平積みにされている本の表紙や、棚にぎゅうぎゅうに詰め込まれた本の背表紙、そこに鎮座する謎をはらんだタイトルに惹かれて手に取るあの瞬間を愛してやみません。

どんな物語なのだろう。
どんな人物が登場するんだろう。
どんな展開が待ち受けているんだろう。

このタイトルは、いったい物語のどこで回収されるのだろう。

そう思わせてくれる特殊な引力のようなものを、
一見では内容が予測できない不透明で非効率的なタイトルは持っています。



ここまで沢山「非効率」という単語を使ってきましたが、好きと主張している割にはなんとなく貶しているみたいに見えますね。字面が。

余白がある、推察の予知がある、一見しただけではその語が持つ意味が伝わらない、そんなふうに読み替えていただけると嬉しいです。もちろんプラスな意味合いです。


私は今後も、不透明で非効率なタイトルを愛していきます。
自分が書く文章のタイトルもきっとそうなるでしょう。

そして自分は不透明なものが持つ引力に向かって飛び込む側でありたいと思っています。

これに関しては本に限りません。

不透明なものに対峙した時に感じる一抹の不安と、それでも素手で触れてみたくなる感覚を天秤にかけ、触れたくなる感覚を選択したい。

例えその結果色々なものに触れまくって歩いた道がぐちゃぐちゃで非効率的でも、それこそが最高の贅沢だと思っています。