表裏

表裏の縁《紅蓮》

 《仕事》を始める前、ターゲットを仕留めるための侵入経路にいる守兵、二人ばかりに寝てもらう。金持ちの屋敷という奴はデカイ上に守兵も多くて厄介だ。最も守兵は殺すわけでは無い。依頼された相手以外を始末するのはなるだけ避けたいからな、俺は。ヒューランの軽く武装した男を二人、睡眠毒を塗った細い針で刺して大人しくしてもらう。毒殺はしない主義だが寝かすくらいはする。邪魔をされないようにするのに殺す以外なら寝かすのが個人的に楽だ。殴って気絶させるのは言うほど楽ではないもので、かなり暴行しないとならないしな。誰かをいたぶる趣味はない。二人ともを目立たないように、視界の通らない位置まで運んでおく。今は夜だしなんの備えもなく寝かせておいたら風邪を引くかもしれない。防具の下にきちんと防寒具も着けてるようだから凍死しないとは思うがウルダハの夜は寒いからな。さて、じゃあ忍び込むかと姿を消す技を使おうとした瞬間だった。背中からの視線と敵意、攻撃の気配を感じ取ってとっさに体を捻る。手投げ用の小さめな槍がついさっきまで俺が立っていた足元あたりに刺さっている。足のかなり近くを通過したのか防具に軽く白く痕が残った。体の方に傷を貰わなかったのは幸いだ。……なるほど、誰かに姿を見られたか。軽く視線を後ろへやると人影が確かにあるようだ。ただ守兵のようには感じない。今寝かせた連中よりも装備が重いように見える。さて、どこから見られていたのやら。寝かせている最中は人の気配も無かったしその後……こいつらを運んでいる時か?姿を隠す技は力の必要な動作をすると解けてしまうからこいつらを運ぶ時は姿を隠して居ないし其処を見られた可能性はある。しっかり振り返って相手の姿を確かめた。背の高いお嬢さん。エレゼン族だからこそだろう、スラリとした身体つきだが無駄な肉の付いていない動き方。女性……むしろ娘さんと言うくらいには若そうか。手投げ用の槍を軽々扱うあたり素人ではないな、冒険者か。酷く真っ直ぐな気配だ。仲間にいればこの上なく頼りになりそうではある。今はその真っ直ぐさが俺にとっては邪魔である状況だ。なんせ屋敷に侵入しようとしていたのにこれでは出来ない。下調べの段階では彼女の存在は影も形もなかったし、見た限りたまたまこの辺りを通りがかり、《休んで貰った》守兵をここに引き摺り込むところを目撃したか。心配せずとも守兵は寝てるだけだが、まぁそういう問題でも無いのだろう。さて、まさかここで第三者の妨害が入るとは予定外だ。姿を見られた時点である意味かなり危険で、このお嬢さんを消すか否かの判断もしなくちゃならない訳だが……。沈黙したままで彼女が少しずつ距離を詰めてくる。俺が得体の知れない奴と感じるのか、動きは慎重だ。俺の側でスヤスヤ寝ている守兵達を守ろうとしている感じだろう。俺が彼等に手を出そうとしていると判断したら恐らく即座に飛びかかってくる。重量のある槍を携えさているとは言え冒険者の槍使いは動きが俊敏だったりするから侮れない。さて、どうするか。無駄な労力になるしこんな年若そうなお嬢さんを消すのはあまり楽しい事ではない。それに本格的にやり合えば俺の勝ち目の方が薄いだろう。なんせ装甲が違いすぎる。所謂、槍術士か竜騎士のどちらかだろう。ナイト達よりは軽いとはいえ重鎧を身に纏っている相手に、布やレザーを重ねた防具を着る忍びの俺では確実に俺の方が耐久が無い。槍で体のどこかを突かれただけでも防ぎようがないから大怪我だ。不意打ちで先手が取れてるなら勝てる自信があるが。

「争う気は無いんだがな。」
「人を気絶させておいて何をおっしゃるんです!」
「……気絶か、いやまあ近くはあるがソイツらは寝てるだけだから安心しろ。怪我はしてない。」
「そう言う問題では無いです!」

なるほどこれは真っ直ぐだ。まともに話ができるがまとも過ぎて今は厄介だな。ならまぁ、触らぬことにするのが良い。今日こなす予定だった《仕事》は延期だ。その上で他の担当に任せた方がいいだろう。姿を見られたのがよろしく無い。警戒は強まってしまうだろうから《仕事》の難易度は上がってしまうがそこは俺から《同僚》に頭を下げるしか無いな。俺が戦意をあまりみせない事に警戒しながらも、エレゼン族のお嬢さんはゆっくり少しずつ距離を詰めてくる。油断をしないのは大したものだな、そろそろ相手の間合いか。俺の方が武器は短くて小さいから、リーチの長さでも彼女の方が優位だろう。懐に入れてしまえばこっちのものだが仕留める気は無いから今はあまり関係ない。少し上を向いていた穂先がわずかに地面の方へ下がる。仕掛けてくるなと思って直ぐ、小さな気合の声と共に彼女が踏み込んでくる。ガシャンと言う鎧がぶつかる音とかすかな砂埃と空気を切るような圧迫感。正確な目視ではなくても分かるものはある。両手で持つような重さの槍がひどく素早くこちらの足元を狙って突進するように迫ってきた。思っていた通りに早い。詠めていたからこそ、足を狙ってきた穂先に飛び乗って、それを足場に大きく跳躍をする。俺は体こそそれなりにデカくて重いが忍びの身のこなしという奴を身につけてある。彼女の中では恐らく想像していなかった回避の方法だったんだろう、槍に一瞬ながら乗った俺の重さで態勢を崩しながらも驚いた顔のまま視線がしっかりと俺の動きを追いかけてきていた。相手の真上あたりで体を一回転させて、音を立てずに背後に着地する。僅かながら風と砂埃は起きたが。背後を取られたと彼女が慌てて振り返ろうとするのを待たずに煙玉を足元に叩きつけて煙幕を展開させる。一瞬にして白い煙が立ち上って視界を遮ってくれる。驚いて煙を吸い込んだのだろう、槍使いのエレゼンがむせ返るのが音で分かる。毒は仕込んでないから安心してくれと頭の中だけで呟いて手早くその場を離れた。煙幕が晴れてしまわないうちに、縮地と呼ばれる一気に距離を稼ぐ術式で距離をとって侵入する予定だったのとは違う家の陰に入り込むと、姿を隠す術を使う。音もなく、自分の姿が周囲の景色に溶け込むのを確認してから手近な家の壁や窓枠を使って屋根の上まで登っておいた。姿を消してあるからこそ目立ちそうな屋根の上であろうと堂々と立ち上がっていられる。ゆっくりと煙幕が立ち消えて視界がひらけてから、あのお嬢さんが俺を探そうとキョロキョロしているのが《聞こえてくる。》距離を取ってしまったから目視だと分かりづらいが、あたりを見回そうと体の向きを変えているからその時に起こる足音と甲冑の擦れるガチャガチャ言う音がきちんと聞き取れていた。何処に?と小声で呟いたのも確認出来る。しばらく俺を探したのち、見つからないと判断したのか彼女はスヤスヤ寝ている守衛の元へ警戒はしつつも駆け寄っていった。優しいお嬢さんだな。怪我がないかどうか確かめながらしっかりしてください、と声をかけて揺さぶっているのが分かる。やれやれ。随分と初歩的なヘマをしちまったな。気配に気づかないまま姿を見られるとは俺らしくもない。疲れでも溜まってたか、まぁそう言う事もたまには有る。最も顔は仮面で覆っているから目元は見られてない。口は見られてるが。顔のパーツ一部だけでも見られたのは危険ではあるのだが目元よりはマシだ。一度、戻って事の次第を報告しなきゃならないな。ターゲットは明確に狙われたと自覚してしまうだろうから屋敷の警備も厚くなるだろう。姿を見られてしまった以上、俺はあまり近寄れなくなるな。アウラ族の怪しい奴が来ていたと情報を与えてしまった事になる。そうなると《アウラ族の特徴のある奴》への警戒が割り増しになっちまうだろう。姿を隠していれば良いとはいえ厄介だ。エレゼンのお嬢さんが守兵を介抱しているのを確かめながらその場を立ち去る事にする。すべき事が変わったからここに今、用はない。

 夜中のうちに酒場であり《裏の仕事を請け負う店》であるドライドロップに帰り着き、元締めに事の次第を説明する。基本的に元締めは声を荒げないし、俺たち《店員》がヘマをしても平然としている人だ。何というか、非常にどっしりと構えていて《店員》がやらかした時もうまく収める術を冷静に考えて指示してくる。今回も俺が自分のミスを申告した時、彼は表情を歪めることはしなかった。それどころか笑う始末で。

「らしくないな。お前が見つかるとは。」
「情報に一切かかってないのが妨害してきてな。ターゲットにもクライアントにもおそらくなんら関係ない人物だ。」
「この夜中に行きずりとはお前も運が無かったな?」
「まあな。すまないが尻拭いを頼まなきゃならん。誰か適任はいるか?」
「それならレディが良いだろう。そう言う難度の上がった《仕事》を好むからな。」

元締めが出した名前はもちろん、ここでの《店員》としての名前で本名では無い。俺もここでは《絶影》―ゼツエイ―で通っている。《店員》同士、協力し合う事は元締めが認めているし推奨もしている。が、お互いの素性を暴くような真似はご法度となっている。だから俺も元締めがなんという本名なのか、レディという《店員》が表ではどんな顔なのか、全く知らない。知ろうとも思っては居ないが。お前からの報告を俺がレディに一度伝えるから、とりあえず部屋で待ってろと指示を受けてその通りにする。マスターの店にある上席のような密室になる部屋だ。実際、《俺たちの客》を招き入れる部屋以外の密室はきちんとした上席だ。音を遮る加工を丁寧に施し、話し声も物音も全く漏れ出さない。上席も同じ加工をされていて、万が一《俺たちの客》と普通のお客がいる部屋が隣り合っても、双方の物音は一切合切聞こえてこない。その辺は元締めが事細かにこだわったらしいから間違いないだろう。彼は非常に凝り性な人だ。元締めが気を利かせて淹れてくれた茶を飲みながら待っていると、しばらくして俺の飲んでいるお茶と似たようなカップを持ってレディが入ってきた。スラっとした体躯に、特徴的なふわふわとしたウサギに似た長い耳が頭の上の方から生えている。俺たちアウラよりもずっと目立つ見た目だろう。気だるそうにしつつも話を楽しみに来たわと彼女が向かい合う位置に座る。すらりとした足を組んだ。

「ボスにいくらか聞いたわ。アンタらしくないヘマね。」
「まぁな。尻拭いさせる事になりそうだが。」
「大歓迎。」

ンフっとレディが吐息交じりに笑う。彼女は所謂ワーカーホリックだ。《殺し屋》でそれは大分、危険な奴となるが事実だから仕方がない。その上で困難な仕事を好む傾向が有る。なんでも、難しい方が燃えるのだそうだ。それでいて腕前が伴っているから彼女はこうした《仲間の店員》のフォローに入ることも多い。俺が世話になるのも、これで数回めか。

「特に、アンタの尻拭いは面白いの多いから。もっと下手こいていいわよ。」
「勘弁してくれ。」
「冗談よ。でも請け負うの歓迎なのはホントだから気にしなくて良いわ。というかその割り込みお嬢ちゃんを消す判断をしなかったのね?」
「年若いと分かってたからな。ありゃ二十歳にもなってない。」
「あらあら。そんな歳の子がそんな時間に?別の意味で心配ね。まぁそれなら納得。アンタお人好しだもの。」

私だったら多分、消したわねンフフとレディが楽しそうに笑うのが聞こえる。闇夜のような艶やかな肌に、その中で光る星のような明るいピンクを帯びた赤い目。ベールのように薄い青を纏う銀髪。その銀の髪からすっと伸びたウサギに似た耳。世の男たちはきっと彼女の独特な美貌に目を奪われるもんなんだろう。俺はくっきりと見えないからそこら辺がわからんが、彼女が非常に魅力的な女性であるのは感じ取れる。妖艶な魔女、と表現するのが相応しいだろうか。一応これは褒めているが。レディはヴィエラ族という女性が強い勢力をもつ種族だそうで、本来ならば生まれた里にある森を守るために外には出ずに閉じた場所で生涯を終えるらしい。だが、レディはそれを良しとせずに長らく放浪をして来たそうだ。流浪の民というのは苦労も多いが故郷に閉じこもっているよりもずっと楽しくて刺激的な暮らしよ、と目をキラキラさせながら聞かせてくれたことがある。素性を探るなというルールだが向こうから話してきた事は覚えていても良いだろう。レディも聞かせても良いから話したまでよと笑っていたが。逆に言えば聞かせたくない事は頑として話さない。俺はほとんど質問をしないが、中にはエオルゼアにはまだ珍しいヴィエラであるレディにアレコレと聞こうとする《店員》も居る。そのほとんどを、レディは話したくないから答えないわよ、と相手にしない。《店員》たちも食い下がりはしないのでだいたいそれで話が終わってしまうようだ。俺にペラペラと故郷の話をしてくれた理由は、俺が質問攻めしてこない子だと分かっていたから、というのと、同じように西に少ない種族だから勝手に親近感を持ったから、だそうだ。まぁ異邦の話は嫌いじゃないから素直に黙って聞いてたのは確かだ。レディにその話をされたのは俺がまだ十代後半の頃だしな。

「報酬は俺が受け取る内から八割でいいか。」
「八割も?」
「尻拭いさせる訳だからな。惜しまんよ。」
「太っ腹。アンタが良いならもちろん喜んでもらうわ。」

《仕事》にはギルが必要だからね、とレディが楽しそうな顔をする。彼女は変装の名人でこの特徴的なヴィエラ族の姿をどうやってか七変化させるのだ。怪盗、などと呼ばれる奴が変装をしたりすると聞くし見たことがあるが多分、その類の技術なのだろう。その変装するための支度に金がかかると言う意味だ、恐らくは。あの特徴的な長い耳をどうやって誤魔化すのが非常に気になるが、それは彼女の武器である特別な技術なので教えてもらうつもりもない。教えてくれと言っても教えてはくれないだろうが。今回はそれに加えて下調べもしなきゃならないだろう。無論、俺が調べをつけた家の構造や家族構成、ターゲットの生活習慣や雇っているメイドや守兵の数やらの情報は提供する。だが俺がヘマをした以上、守兵を増やしたり生活習慣をあえて変えたりする可能性が高くなる。その変化の具合をレディは調べなきゃならない。本来なら手伝いたいところだがたった一人とは言え、姿を見られてしまった俺はしばらくあの辺りに近寄らない方がいい。俺らしき影が誰かに見えた途端に警戒がさらに強まる事になる。そうなればレディが動きづらいだけだ。……まぁ、彼女ならその動きづらさすら楽しむタイプだろうが。ひとまず先に俺が羊皮紙やらに書いてまとめておいた情報は彼女に手渡しておく。

「俺が読めれば良いと雑に書いてるし普段より字が汚いが。」
「そう?読めるから問題ないわ。」

手紙や書類を書くときは丁寧に書くのだが、そうではない個人的なメモみたいなものは気を抜いて書くから汚い字になりがちだ。誤字も多くなる。なんとなく自分に分かれば良いからとしっかり見ずに書くからだ。綺麗に書こうとすると色々疲れる。

「緊急って事でコレ分けとくわ。済んだら破棄よ。」

レディがそう言いながら珊瑚色のリンクパールを手渡してくる。基本的に俺たち《店員》はお互い不要な干渉はしないからこういった連絡手段を共有する事も無い。が、《店員》同士、協力する場合はこんな感じにリンクパールを持ちあうことがある。その時は《仕事》が済み次第、お互い確認しあえる場所でリンクパールを砕いて始末するようにしている。こっそり保管しておいて他の誰かとの会話を盗み聞きしたりせぬように、という理由だ。俺たちにとって持っている情報という奴は金と同じように重要なものだからな。それなりにルールがあるわけだが勿論、時折掟破りが発生したりもする。その場合はきちんと制裁が下される。破った物事の重さや裏切り具合によっては《表の世界からも裏の世界からも消される。》それを成すのは元締めだ。命は取らないが仕事が出来なくなるように修復不可能な傷を負わせる場合もある。下手をしたら命を取る方がマシかもしれないような。俺はそこそこに長くドライドロップに勤めているが、数名、制裁を食らう奴を見た。レディもその辺りに巻き込まれたことがあって彼女を出し抜こうとした《店員》を自らとっ捕まえて元締めに突き出していた。私は狩人。アンタ達の罠にかかる可愛いウサギちゃんとは違う事を教えてあげるわ、と。

「了解。」
「あーあ、アンタは話すの楽で良いわ。ボスも楽だけど。」
「モテるのも難儀なもんだな。」
「好意を持たれるのは悪くないわよ相手によるけど。でもなんであれビジネスとは切り離して欲しいわね。」

心底面倒くさそうにため息をつきながら言うレディに苦笑してしまう。その端麗な見た目のせいか彼女は良くも悪くもモテる。こざっぱりした性格でドライドロップに居る時はビジネスの顔で有るのが信条な彼女には冗談半分であっても本気であっても《店員》や《お客》からのアプローチはただただ面倒くさいらしい。一応、元締めの定めたルールに《店員》の色恋沙汰はご法度とある。それでもそういうものが顔を出すのは人間だからこそだろうが。ちなみにだが、俺たち《裏の店員》はドライドロップの表の顔である飲食店の仕事はしない。が、表の店員達は俺達がいることを承知した上で働いている。彼らも普通の店員というよりは影の者に寄った人達だ。

「じゃコレ読ませてもらってからとりあえず探り入れてみるわ。何か気になったら連絡させて貰うわね。」
「了解した。頼む。」

それじゃまた、とレディが俺の渡した羊皮紙を手持ちのバッグにしまい込むと部屋から去っていく。行き先は分からないがだいたい《店員》達はそれぞれ本拠地というか、個人的な隠れ家のようなものを確保しているからそこだろう。そういう場所へ移動する時は勿論、元締めに宣言をしてから向かう。そうしないと別の《お客》が来た時、指名されたりしても今は無理だと断れなくなる。居るんだか居ないんだか分からない、という状態にはしない方針だ。さて、とりあえず引継いで貰ったから俺は大人しくしているしか無い。別件が来たら受けても良いが、今はレディの補助が出来るように控えていた方が良いな。彼女から何か要請があったらそれに応じられるようにしておきたい。元締めにその話はしておこう。部屋を辞して鍵をかけてから裏の方で店内を見張れる位置にいる元締めのところに向かう。彼は表向きの店員も兼ねていて《裏に用のある客》を見分ける役目も担っている。普通のウェイターの様な振る舞いをしながらその実、目を光らせている人だ。表でウェイターをこなしている時の彼は裏側で見せる冷静で酷薄そうな顔では無くそれなりに人当たりが良さそうに見えるから面白いもんだなと思う。最も、飲食店として忙しくなさそうであればこうして裏に控えていて冷たい顔で客を確かめてるが。ここを普通の飲食店としか思ってない人の方が圧倒的に多い。そうじゃなきゃ困るわけだが。それなりの食事と酒。この辺りでは普通の味の飲食店だろう。大人気の店では無いが常連もそれなりにいる。普通の客のほとんどは鉱山労働者に銅刃団のような傭兵や冒険者で、そこも他の店とは大きく変わらないだろう。手頃な価格で腹が膨れて酔えればいい、という客がほとんどだ。そろそろ店じまいの頃合いで新たな入店はお断りになっているし、ラストオーダーも過ぎた。客は帰り出していて酔ってしどろもどろの奴をどうにか会計させて帰らせようとしてる店員もいる。《裏のお客》の可能性がある客はぱっと見た限り居なさそうだが俺の視力ではあまり宛にはならんだろう。《裏》に用があったとしても、内心葛藤しているような奴は閉店ギリギリまで普通の客のように飲み食いしたりしてる事もあるから元締めは見張ってるわけだ。ロットゲイムなんかそうだったものな。真剣に客達を眺めている元締めに声をかけると、ふっと冷たい表情が少し和らぐ。《店員》達と話すときも元締めは多少、表情を緩める癖があるようだ。

「レディから要請があったら手伝いたいから、俺は事が済むまで《品切れ》で頼む。」
「相変わらずお前はその辺拘るな。把握したぜ。」

中にはこの隙間に新たな依頼を入れる奴もいるが、俺は気になって気が散る性質だから《品切れ》扱いにして貰う事が多い。なぜ《品切れ》と言う表現かといえば、《店員》は指名するための酒の銘やカクテルみたいな合言葉があるからだ。俺の場合であれば《月の雫》だし、レディであれば《ブラッディローズ》と言った具合だ。それを口にした客は《裏》に用があると判断されて《予約席》か《上席》へ案内される。勿論、予約なんざしてない訳だが普通の店内から奥へ誘導するのに都合のいい理由として《予約席》や《上席》を使うわけだ。とにかく隠語や通称で普通の会話のように見せる。そうしなきゃ摘発されちまうからな。表向き、この世は殺しなんぞしてはならないし俺もそう思う。が、殺しが商売として成り立つのも現実だ。国のお偉いさんだって俺たちの様な影の者を使う事はある。実際、手伝ったことあるしな俺。ひとまず、元締めと話を済ませて店を後にする。控えていても仕事はとれないし邪魔なだけだ。ここからだと実家が近いが、見てくれを《絶影にしてある》から実家はやめとこう。マスター達は気にしないだろうがさすがに姿を消したままで家の中に入るのは気がひけるし、あの家に《絶影の姿》で近寄りたくは無い。一度、リムサ・ロミンサにテレポして身なりを整えてからシロガネに帰るとしよう。

レディに任せて三日目。シロガネの自宅で栗丸を構ってやっていた時にリンクパールに通信が入った。すぐに雷刃に栗丸を預けると専用の客間に入る。この客間は《裏の仕事》の時に使う部屋で栗丸であっても中に入れないのが俺のルールだ。あの子には済まないと思うが。

―ハァイ、こちらレディ。済んだわ。―
―絶影だ。手早いな、感謝する。―
―守衛が沢山だし、メイド達にも疑いの目が行ってたから私には面白かったわ。―

やはり見張りが増えていたらしい。その上で屋敷に勤める者達も一通り調べられていたそうだ。要するに屋敷に近しい者が屋敷の主人を狙ったのでは無いか?と主人が疑ったと言う事だな。とばっちりだな、気の毒に。どうやっても屋敷の中のものも近くにいる外のものも疑われる状況だったが、それがまた楽しみだとレディはこっそり忍び込んだのちにミコッテのメイドに化けたらしい。屋敷の主人が勤めているメイドや執事、守兵の顔を全員把握しているとは限らない。多分、把握してない奴の方が多いだろう。化けてはいるとはいえそこはレディだ。容姿端麗なミコッテに成りすまし、ごく自然にターゲットに近寄ったらしい。面食いの屋敷の主人は美女であるレディが化けたメイドをそこまで警戒しなかったようだ。

―メイドちゃん達の顔を正確に覚えてないのは調べておいたけどなんとなく見たことある顔にはしたのよ。ミコッテのメイドちゃん達の特徴を少しずつ混ぜるみたいにね。―

何処かで見たことあるような、という感じを出したと言う事だろう。下手すりゃバランスが崩れて奇妙な顔になるだろうにそれを整えて支度できるからレディは大したものだと思う。俺は変装の技術持ってないから想像もつかない。とはいえ、メイド姿で自然に混ざりこんでも出来ることには限りがある。時には強引に行くのも《仕事》のうちだ。屋敷の主人は毎晩、寝る前に必ず薬を飲む。病というわけでも無いし寝付けないからと飲むやつでもない。ウルダハに限らないかもしれないが金持ちの男にありがちな、女を構いたがる奴が好む薬だ。それに効果があるかなど飲んでる本人達は大して気にしていない。大抵、あの手の精力剤などと言われる奴はいい加減なのが多いんだが。ともあれ、俺が調べをつけていたソレを、レディは利用した。主人が寝る前、誰かしらメイドが部屋に薬と水を運び入れるのだがその役割を彼女が担った。本来は違うメイドがその日の担当だったらしいがレディが本来のメイドに先に休んで良いと上手いこと言いくるめ、睡眠薬を飲ませたらしい。スヤスヤ寝たのを確かめて、人目のつかないところに寝かせたところで行動に出た、と。彼女は自分の容姿が変装ごしであっても武器になるのを心得ているのだろう。好きでも無い奴に好かれるのは面倒と言いながらも仕事にはしっかりとそれを使いこなす。強かな人だ。主人は今晩来るはずのメイドでは無かったのに驚いてはいたがあまり深く追求してこなかったそうだ。

―あいつなんて言ったと思う?小声でこの子も悪く無いって言ったわよ。アンタの調べ通りなかなかのエロオヤジだったわ。―

調べがついてるからレディも承知だったろうが、メイドに手を出す事もままあったようだ。だからこそレディはメイドに混じることにしたんだろうし部屋に入る機会を得られる薬を届ける担当を買って出たんだろう。無論、彼女は腕っ節も強いから襲われようもんなら即座に反撃出来るが。まぁ、愛想笑いと無機質気味な受け答えをしてきっちり薬を飲ませたらしい。それがいつもの薬では無かったわけだが主人は気がつかずに飲んだようだ。勿論、レディが普段飲んでいる薬にそっくりそれらしく見える奴を選んだからだが。毒という奴は恐ろしいもので、飲み込んだと思った直後にはもう体を破壊し始める。人体は不思議だらけだが口から喉を通って胃に落ちた瞬間、もう口にしたモノの吸収が始まる。吸収が始まった途端、血液やらに混じって一気に全身に運ばれていってあちこち破壊し始める。薬はそれを良い方向に使う品だが毒はその逆だ。レディの飲ませた毒薬も即座に主人の体内を破壊したようで、飲み込んでから彼女を口説こうとしたソイツは声もロクに出せずに血混じりの泡を吹いて倒れたらしい。俺は毒殺をしない主義なのだが、レディは手段を選ばないタイプだ。俺のようにナイフや刃物を使っての殺傷も出来るし、毒を塗った吹き矢を使う事もある。今回のように服毒させて殺すことも。しっかり息の根が止まったのを見てから、主人をまるで寝ているかのようにベッドの上にきちんと寝かせて何食わぬ顔でお休みなさいませとさもそこに生きた主人がいるように挨拶をし、部屋を出て、物陰に入って俺がするように姿を隠すとそのまま屋敷を去ったらしい。

―相変わらず手際がいいな。―
―毒殺にしとけばやったのアンタじゃない主張にもなるかとね。ま、あんまり意味はないけど。―

俺が一度だけとはいえ姿を見られているのを承知していたから念のために俺がしない毒殺を選んだのか。気を利かせくれたわけだ。最もそもそも俺が毒殺をするかしないか、なんてほとんどの奴が知らないからレディの言う通りあまり深い意味は持たないかもしれない。が、気遣いは有り難い。

―それでちょっと気になった点ね。―
―なんだ?何か不都合でも?―
―不都合じゃないわね。アンタの姿を見たって言うエレゼンのお嬢ちゃん、屋敷の警備手伝ってたわね。―
―……縁者でもなかろうにな。真面目な子だ。―
―アンタがまた来た場合、多少なり力になるかもと思ったみたい。あの子に介抱された守兵もその方が心強いなんて言っちゃってたけど。―

生憎、実行犯は私に変わってるしアンタがもしまた来たとしても今度は確実に最初から姿消してるからまず見つからないわね、とレディがどこか困った苦笑をするのが聞こえてくる。まぁ事は成しちゃったし、メイドが届けた薬が死因なんて直ぐ分かるはずであのお嬢ちゃんの見た大男とは別人が主人を始末したってのもすぐ分かる事ね、と。

―アンタがメイドしてたら気持ち悪い上にホラーでしか無いじゃない?―
―せめてバトラーにしてくれ。―
―例えよ、例え。ま、とりあえず済んだから二日後の夜にでもドライドロップに顔出すからよろしく。―
―了解。―

じゃあ、あとでと会話を打ち切ってリンクパールをしまう。やれやれ。今頃、例の屋敷は大騒ぎだろう。レディがすり替わったメイドが一番最初に問い詰められそうだが、寝かされていた上、レディは姿を隠してた訳でもないから近場の守兵がレディが主人の部屋に入るのを見たはずだ。証拠が無いとすぐに疑いも晴れるだろう。見張りを一緒にすると申し出たエレゼンのお嬢さんも疑われそうだが守兵を助けたりしてるし、俺を追い払ったようなもんだからそこまでは心配無いだろうかな。出来る限り巻き込みたくないからな。まぁ巻き込む時は盛大に巻き込むが。さて、なら依頼者に連絡をとって報酬を貰っとかないとならない。客間を出ると即座に栗丸がすっ飛んでくる。栗丸も着いていきたいのに、と不貞腐れているのが解った。

「この部屋は絶対にダメだと言ってるだろ?全く。」
「〜!」
「あまり我儘言うと箱行きだぞ。」
「!?」
「何を言いたいのかまで分かりませんでしたが待ってる間、俺が見ててもプリプリしてるのが分かる感じでしたよ。」
「やれやれ。いい加減納得してくれ。」

懐いてくれてるのは良いが、ダメなものはダメであると納得させるのが大変だ。あまり強くは言いたくないんだけどな。とりあえず、《仕事》の始末をしに行くから済まないが留守を頼むと雷刃に伝える。留守番と理解しているからか栗丸は不機嫌そうだ。可能なら兄貴にでも構ってもらうか……。察しがついたのか、雷刃が俺から劉さんに連絡しておきますと苦笑している。帰ったらなるだけ散歩にでも連れ出してやらないとな。ここ数週間、《仕事》の関係で栗丸と一緒に行動出来てない。栗丸にも退屈でストレスだったらしいが俺にも心地が悪くてストレスだ。とっとと済ませて少しの間《仕事》は請け負わないようにしよう。依頼主に連絡を取る前に、身なりをまた整えないとならない。クガネの望海楼に寄ることにしよう。

諸々を済ませて報酬も受け取って、約束の日にレディと顔を合わせた。きっかり報酬を分けて彼女がきちんとギルを数えるのを待つ。

「アンタってほんと律儀ね、きっちりの分け前感謝するわ。」
「余計な仕事させたのは俺だしな。」
「クライアントは済ませて納得したのかしらね。」
「納得したかは知らんが、これで多少は報われると言ってたぞ。」

今回の依頼者は例の屋敷の主人に手を出されたメイドの姉妹だ。妹さんが給料がいいからと屋敷にメイドとして勤めていたそうなのだが、まぁあのエロじじいに良からぬことをされたらしい。俺は女ではないからどれほどの苦痛と恐怖なのか、絶望なのかおそらく正確には理解が出来ない。が、思いつめた末に首を吊るほどの苦悩をもたらしたほどだと言うことは分かった。デリケートな被害だからこそ、相談することも出来ずに一人で抱え込んでしまったんだろうかな。相談したところで金の力で揉み消された可能性も高いが……。結局、遺書に何があったのかが書いてあり、それを読んだお姉さんが俺達を頼ったと言う事だ。両親は霊災で亡くなって姉妹二人でなんとか生きてきた生活を失いたくなかったと危険も承知で調べてドライドロップまでたどり着いたらしい。俺も兄貴と二人だけ生き残ったクチだから、お姉さんの気持ちは分からんでもない。

「ちょっと気になったから私もクライアント探ったのよ。済んだら本人も《吊っちゃいそうで。》まぁ幸いなのか解らないけど良さそうな男が必死で声かけしてたわ。」
「ああ……依頼者に惚れてるのが居たが、ソイツか。《獲物》に通じてると困ると調べたが単純にあのお姉さんにぞっこんなだけだった。」
「クライアントの方に余裕が無いし妹さんのされた事がされた事だから警戒してるけどね。ま、本来、クライアントがその後どうなろうが私たちの知った事ではないけど。」

気になる時はつい調べちゃうわね、とレディが苦笑する。彼女の言う通り、《仕事》が済めば後のことは俺たちの知った事では無い。俺の客は基本的に復讐を目的にしているが、それが済んだ途端に気力を失ったりして自死するなんてのも中にはいる。死にはしないものの元気をなくしたままになったりなんかもよくある事だ。恨みを募らせた末に殺しを頼んだものの、いざそれが成されると人を死なせることに加担したと罪悪感に苛まれたりする奴もいる。無論、それ自体は仕方ないし俺たちにはどうしようもない。が、苛まれた末に殺しを頼んだ、なんて告白されると困る。そっち方向に転がりそうな時は相応な対処をしなきゃならなくなるしな。今回の依頼者には幸か不幸か支えようとする奴がいるらしいから多少はマシかもしれない。それでもしばらくは時折様子を伺わせてもらう事になるが。そうそう、とレディが何か思い出したようにテーブルをとんとんと指先で叩く。あのエレゼンのお嬢ちゃん、ちょっと疑われたりはしたけど私の化けたメイドはミコッテでその格好を犯人として目撃もされてるし助けられた守兵も、恩人だからと庇ってくれたりしたから犯人扱いとかはされずに済んでたわ、と。何よりだ。ただ通りすがりに俺の寝かした守兵を介抱しただけだからなあの子は。何故あの時間帯にあのあたりを歩いていたのかは疑問だが冒険者であれば良くある話だろう。冒険者には時間帯はあまり意味をなさない。朝や夜にしか釣れない魚を釣りたいとか、特定の時間帯にならないと花を咲かせない薬草を取りたい、なんてなら話が別になるが、基本的に冒険者は冒険したいときにウロチョロしている。朝だろうが夜だろうが晴れだろうが大雨だろうが関係ない。

「なんであれ依頼がこなせたのはレディのおかげだ、感謝する。」
「お互い様よ。私も途中からアンタに任せたことあるし。」

十数年前までは今ほど西には居ないはぐれ者の種族同士だったのもあるのか、レディと俺はフォローし合うことが比較的多い。もちろん、ヘマをしないことの方が基本多いから頻繁では無いが。ドライドロップに所属したばかりの頃、西の作法がきちんと身についているのか元締めにアレコレとチェックをしてもらったりしたのだが、なぜかレディも一緒になってそれを手伝っていた。曰く、彼女も西に流れ着いたばかりの頃は作法を知らなくて苦労したそうで、お節介をしたくなったそうだ。レディは見た目こそ若々しい美女だが俺の二倍くらいの年齢らしい。ヴィエラ族というのはヒューランの三倍くらいは平気で生きるそうだ。ヒューランがだいたい80前後の寿命としてもその三倍ともなれば240年。当時の俺は20歳前だったし、彼女から見たら紛う事なき子供だったろう。ちょいちょい世話をされたり構われたりしていたが、レディからの扱いと言うのは見下した扱いでも哀れんでる扱いでもなく彼女本人と同等の扱いだったので嫌味に感じる事も無かった。世の中には孤児で見た目の奇抜な俺を哀れんでかわいそうな人という扱い方をしてくる奴もいたのだがそれはあまり嬉しくはなかったのでレディからの扱いは有り難かった。

「俺はちょっと休みを貰うからしばらく顔出さなくなると思う。」
「アンタは表向きの仕事も好きなのよね。なにやってんのかは知らないけど。」
「俺だってレディの表向きの仕事は知らんぞ。知る気もないがな。」
「それが最善よ。じゃパール壊しちゃいましょ。」

言われて、分けてもらっていたリンクパールを彼女に返す。すぐに彼女がテーブルの上で俺が手渡したパールをナイフを横にし、腹の部分で押しつぶしてパキンと砕いてしまった。破片をさらさらと手のひらにかき集めると、ポーチから出した小瓶の中に注ぎ込んだ。今まで壊したリンクパールもその瓶の中に詰まっていて、細かい宝石が層を作っているようになっている。

「大分溜まったかしらね。」
「それ貯めてどうするんだ。」
「飾っとくのよ。結構綺麗なんだもん。窓辺とかに置いとくとキラキラするのよ。」

リンクパール以外にも、破損して細かくなってしまったガラスや宝石なんかも入れてあるらしい。俺の目だとあまり繊細な色合いや輝きが分からないから、それの綺麗具合というのは分からない。が、なんとなく綺麗ではあるんだろうなという想像だけならできる。レンにでもどう思うか聞いてみるか。いっぱいになったら飾って新しい小瓶を出してきてまた貯めるわ。些細だけど私の楽しみなのよとレディが笑う。本当に綺麗な人だと思うがその実、裏仕事が大好きというから面白い話だ。人の趣味にとかくいうもんではないし、それこそ俺だって人のことは言えない。俺も《ここの仕事》は好きだからな。さて、とりあえずすべき話は済んだし、渡さないとならない金も渡し終えたな。ならあとは特に用もないか。

「なにか渡し忘れは無いよな。」
「無いと思うわね。金額ピッタリだったし、協力した証明と《仕事》が済んだ記録もボスに提出したし。」
「ならお開きでいいな。」
「そうね、お疲れ様。私はこのまま店に控えとくわ。」
「俺は退散しとこう。お疲れ。」

揃って《上席》を出て軽く手をあげる挨拶だけしてレディは《店員》の控え室に向かう。ここには俺やレディを含めて6人ばかり控えている。店にはいないが元締めが呼び出せる《仕事人》てのも何人かいるらしい。詮索する気はさらさらないが、元締めのパイプの細かさはどうやって築いたのやら、恐れ入る。ちなみに元締め本人も当然のように《仕事》が出来る人だが、俺はもう歳だから無理はしねえぞとあまり請け負わず俺達に《仕事》を割り振る立場にいる。《店員》達にはそれぞれ得手不得手があるから、誰ならばつつがなく事を運べるか?を彼が判断するわけだ。客から名指しで指定されることもあるが、それがなかった時は彼の判断に任される形になる。今の時間、それなりに普通の客が入っていて元締めはホールに出ているようだ。料理を運ぶべく裏に入ってきた彼を捕まえて、しばらく休みをもらうと伝えておく。

「おう。ゆっくり休んでこい。戻ってきたら再開ってことで良いな?」
「ああ。」
「お前は知らんうちに無理してるタイプだから気をつけろよ?戻ったら一応、俺に声をかけろ。」
「肝に命じとくよ。じゃあ戻ったら声をかける。」
「おう。用心して帰れな。」

休むと宣言するのに、いつからいつまでと言わなくて良い。どうして元締めがそこを拘らないのかは分からないが、休む前と戻った時に必ず声をかけることさえすればそれで良いらしい。誰一人として《店員》が居ない、という事態は避けるようにしてはいるが数人同時に休んでも彼は気に留めない。レディの他にもう一人ほど、ワーカーホリックが居るから余程で無いと誰もいない、という事にはならない筈だ。怪我をする事もあるし、怪我の程度を鑑みると今は全員出られない、なんて事もある。そう言う時は元締めが外から《仕事人》を呼びつけている。それが誰なのか、なんと言う通り名なのかも分からないが。知らないままで居た方がいい事と言うのはそれなりにある。こう言う裏側に居ると特に。

自宅に帰る前にクガネの望海楼によって身なりを表向きの姿に整えた。すっかり夜中になっていたのだが雷刃が起きて待っていてくれて、軽めの夜食も支度してくれる。有り難い。それから彼に連絡をもらって栗丸を世話しに来た兄貴も起きていた。

「寝ていて良かったのに、二人とも。」
「寝ようとも思ったんだけれどね……。」
「結局気になって起きて待ってしまいました。」
「まあでも、ありがとう。片付けは俺がやるから、雷刃は休んでくれ。」
「ではお言葉に甘えて。」

ゆっくりと品良くお辞儀をしてお休みなさいませと挨拶をしてから、雷刃がリビングから去っていく。それを見送ってから向かい合う位置で座っている兄貴を確かめた。多少眠たそうに見えるが舟を漕ぐような眠たさじゃ無いらしい。

「兄貴も寝ていいよ。」
「寝るけれど栗丸の様子を伝えておこうかなと。」
「あぁ……急だったのに悪いな呼びつけて。」

暇していたから大丈夫だよと兄貴が苦笑いする。レンはここ二日ばかり冒険中で留守なのだ。彼女が居れば彼女に栗丸を構ってもらってたが。兄貴によると雷刃からの連絡をもらって家に来た時、栗丸はまだちょっと拗ねていたらしい。仕事部屋には入らせてもらえないし旦那は出かけちゃって栗丸だけ留守番でつまんない、と。仕事部屋に関しては兄貴からも入らない方が良いと言い聞かせてくれたそうだ。あの部屋に行く時の刹は栗丸の知ってる優しい刹とは少し違うから、と。あながち間違ってない。あの部屋にいる時の俺は《絶影であって刹では無い》からな。劉ニイまでそう言うならつまんないけど頑張って我慢してみると栗丸は言ったらしい。兄貴の静かに諭すような説得の仕方はもしかして俺が言うよりも効果があるのかもしれないな。それから栗丸が退屈してるという愚痴を聞いてやって、散歩をしたりオヤツを食べたり昼寝をしたりと構い倒してくれたそうだ。俺の《仕事中》は雷刃やロットゲイム、アドゥガン達が構ってくれているのだが、それでも俺や兄貴やレンに構われる方が栗丸は楽しいらしい。無論、雷刃達にもすっかり懐いているし彼らと遊ぶのも楽しんでいるがそれよりも俺達と過ごすのが一番良いらしいのだ。違いがあるとしたら……栗丸にとって家族感を強く感じているかそうでないかだろうか?俺や兄貴やレンは家族で、雷刃達は友達、とかそう言う。一応彼らも家族扱いだが栗丸にはそういう基準なのかもしれない。

「夕方になる頃にはすっかりご機嫌になっていたよ。お前が忙しかったから寂しかったんだろうね。」
「……悪い事をしたな。」
「あの子も分かってはいるようだよ。刹が大変な事は分かっていたけれどそれでも、という感じだね。」
「不測の事態があって長引いたからな。しばらく休むつもりだから意識して連れ歩くよ。」

そうしてあげると良いね、と兄貴が頷いてから欠伸をした。俺と違って決まった時間に寝起き出来る人だから結構眠いんだろう。栗丸の事もあって起きて待っててくれたらしいが。栗丸はいつもの場所で寝ているよと告げてもう一度欠伸をしてから兄貴が苦笑いを浮かべる。じゃあ先に寝ておくよと立ち上がっておやすみの挨拶をお互いしてから、兄貴が寝室へ引っ込んで行った。雷刃もそうだが二人とも律儀な。気遣いには感謝しないとな。出してもらった夜食を食べてしまって片付ける。炊事場で洗って伏せておけば朝には乾いてるだろう。軽く風呂に入って歯を磨いたりして寝室に入る事には真夜中の2時を回っていた。スピスピという寝息は栗丸のものだと分かる。俺の寝るベッドの脇に置いてあるバスケットに小さな布団を敷いて栗丸のベッドにしてあるのだが、きちんとそこにいた。兄貴が掛け布団も掛けてくれたようで、気に入っているドングリの小さなクッションを抱えるようにしてスヤスヤ寝ている。軽く頭を撫でたが起きる気配もない。コイツは寝つきも良ければ目覚めもいい。途中で目を冷ます事はほとんど無い。時々、トイレに行きたくなったとか寒かったとかで起きたりするがその程度だし、トイレなら済ませ次第、寒い時は上掛けを増やしてやればすぐまた寝てしまう。俺が寝付けなくて本を読んだり部屋を出入りしても気にせず寝てくれるのは助かるっちゃ助かるんだがな。とりあえずよく寝ていると確かめて自分のベッドに座り込む。溜息が出た。《仕事》は楽しいと思ってるが済んだ後に必ずどっと疲れる。緊張していなければならないから無理もないんだが何回やっても疲れるな。寝れるかどうかは置いておいてとりあえず休もうと横になる。部屋の明かりは元から薄暗いがそれをさらに体を休めるための暗さまで落として掛け布団を被って目を閉じた。

 休みを貰って数日。あまり構ってやれていなかった栗丸を散歩に連れ出して回る。散歩というか野宿もするような軽い冒険に連れてきている。栗丸を留守番させて一人で出てきた時や冒険者仲間が同行している時は魔物の討伐なんかもしながら移動したりするが、栗丸と一緒の時は戦闘をひたすら避ける。乱戦になったりしたら守ってやれる自信がないからだ。栗丸の方も魔物や凶暴な獣は怖いと感じるようで、近寄ったりちょっかいを出したりしようとはしない。凶暴云々の前にそもそも体のサイズが違いすぎるものな。栗丸はやろうと思えば俺の片手で掴めるようなサイズなわけだが、外をうろついてる魔物や獣は俺よりもデカイなんて奴がゴロゴロといる。それこそルガディンの大男よりもさらにデカイ、なんてのもザラだ。栗丸から見たらそれはもう山のような体躯だろう。それだけ体の大きさが違うと恐怖を覚えるのは自然な事だ。栗丸の食事に使うダークマロンを集めるついでにと高地ドラヴァニアを一緒に散策している。マロンが採れる場所は意外と森から外れているので後回しにしつつ、野生のチョコボ達が多くいるチョコボの森を歩いていた。俺にはこの辺に正直いい思い出が無い。視力が悪化したのはここで襲われたせいだからな。逆に栗丸はこのあたりを気に入っているのでよく散歩はここがいいと強請られる。景色は綺麗だし、魔物は多くても魅力のある土地だとは俺も思う。栗丸ほど景色は見えてないが。カサカサと落ち葉を追いかけて遊んでいる栗丸が離れてしまわないように、周りに潜む魔物に狙われないようにあちこち気をつけながら少しずつ歩く。魔物が密集していると見えたら栗丸を抱き上げてポーチに入り込んでもらうと足早に通り抜ける。顔だけポーチから出した栗丸がちょっと残念そうにしつつも、運ばれるのも悪くないらしくてそれなりに楽しそうに鼻歌を歌っているのが聞こえる。本当の緊張時にはポーチの中にスッポリ入って貰うが、そうではないが移動を優先した方が良い時なんかは今のように顔だけ出した形にして入っていてもらう。

「?」
「バンダースナッチが結構居るからな、もうちょっとそこな。」
「!」

 まだ地面に降りちゃだめか?と半分鼻歌気味に問いかけてくるのに答えてやると、栗丸はいい子だからもうちょっとここに入ってる!となぜかドヤ顔になった。いや、まあ素直でいい子だ、間違いない。頭の先っちょを撫でてやりながらいい子だなと煽ててやるとなお得意げにするからこの子は面白い。なるべく俺の言う事を聞くようにと言い聞かせてはいるがそれが締め付けにならないようにもしたい。家にいる時はある程度のルールを教えてそれを守ってもらうようにはするが他は基本的に勝手にさせている。そのせいで時々よくわからん事態になったりもするが……水槽に落ちてたりな。そのかわり、外にいる時は少し厳しめなルールになっている。その全てが栗丸を死なせないように、怪我をさせないようにする為としつこく説明をしたが、その度に栗丸はなんだがよく分からないしめんどくさいけど旦那の言うことは聞く!と分かったのか分かってないのかよく分からない反応をしていた。それで、実際どうかと言うとこれがまた素直に言う事を聞いてくれる。と言うことは多分、荒野を行くときのルールは納得してくれているんだろうなとは思うのだが。それでもまぁ、不測の事態というのは起こりうる。猫のような四つ足の魔物、バンダースナッチ達をやり過ごした先には熊のいる水辺があるのだが、そこの水辺が俺も栗丸も気に入った場所だ。熊に気をつけながらしばらく水面を眺めて水の流れる音を聴くのだが、今日もそのつもりで水場にたどり着いた。相変わらずゴワゴワとした茶色の毛皮をまとったゴツい熊がウロウロとしている。彼らの視界に入らないようにしつつ、栗丸はポーチに入れたままで水場の近くで足を休めることにした。もぞもぞと栗丸がポーチの中で動いているが、割といつもの事でそっとしておいた。外には出ないようにと伝えたら元気よくわかった!と答えてじっと水面を見つめている。植物も好きだがどうやら栗丸は水の類も好きらしい。海でも川でも近くに行きたがるし、濡れるのも嫌がらない。どころか水をかけられても割と楽しそうにしている。俺が風呂に入っているとついでに一緒に入りたがるくらいだしな。

 水の音を聞いていると時々、意識が変な感覚になるのだが疲れていたのもあるのか久々にそれが来た。最も気持ち悪いとかでは無くて、なんというか全身が鈍くなると言ったら良いだろうか。それこそ水中に揺蕩うようなぼんやりとした体感で音が曖昧になってしまう。これだと警戒が出来ないと慌てて意識を立て直そうとするがボワッとした空気が体をつかんでいるような錯覚に陥ってなかなか戻らない。不味いなと思って程なく、栗丸がらしからぬ悲鳴のような声を上げたのが聞こえてくる。鳴き声はないから俺の頭に直接だが悲鳴だろう、これは。なんだと驚いて栗丸が入っているポーチに手を伸ばして血の気が引く。居ない。さっきまでここに潜り込んでいたはずが。目のほうも何時もよりぼやけてしまっていたから目視にも時間がかかる。モタモタしているのは不味いと右の袖から針を取りだして太ももに刺した。痛みと同時に視界がなんとかいつもぐらいのぼやけ具合に戻る。バチャバチャと水が流れる音では無く何か落ちて暴れるような音をようやく聞きつけてそっちを見た。栗丸がどうやら水面に夢中になっているうちに身を乗り出して落っこちたらしい。泳ごうとしてはいるがあまり泳ぎは得意では無いからゆっくり流されている。不味い。栗丸が熊に見つかる。思ってすぐに案の定、熊の一頭が水面で暴れている栗丸に気がついて唸り声をあげながら近づいてきていた。水面の揺れが激しくなる。栗丸のほうも気がついたのか助けて!と半泣きだ。ただでさえ流されていて怖かろうに早く拾い上げないと。とっさにナイフを投げて熊の片耳にぶつける。栗丸より俺に意識を向けさせたい。万一、攻撃を食らったら栗丸だと即死しかねないが俺なら耐えられる可能性がある。四つ足で栗丸のほうを見ていたソイツが俺からの攻撃にガバっと二本足で立ち上がった。分かりやすく不機嫌そうな唸りが響いてくる。体良く俺に引きつけられたようだ。まだ体がおかしいがしのごのは言っていられない。栗丸の命が危険であるというのがとにかく怖い。全身動きがおかしい上に冷や汗が出てきていて気持ちが悪かった。心臓が冷えている。

「そのちっこいのより俺のが食べでがあるぞ。」

声を出して、お前を害したのは俺だと意思表示する。言葉が通じるはずはないが音や攻撃的な意図は伝わるはずだ。グワァと大きな声を出して熊が双腕を持ち上げで威嚇してくる。二本足で立ち上がられると俺よりも体高があるからかなりの威圧だ。重たい咆哮に栗丸がこわいー!と悲鳴を上げている。熊から視線を外さずに急いで片手で栗丸を捕まえた。怖くてパニックだからだろう、栗丸が細い腕でワタワタ俺の手を掴もうと暴れる。大人しくしてて欲しいがこうなったのも俺の不注意だし怖くて混乱してるだろうからこそアレコレ指示しても逆効果だろう。俺が栗丸を拾うために屈み込んだのを見て熊が勢いよく突進してきているのも見えていた。激しく水しぶきをあげながらこっちへ向かってきていてしかも早い。完璧に避けるのは今の俺には不可能だと分かっていたから、栗丸を腹の方に抱え込む形で守り、残影という回避のための仕込みだけして被弾を覚悟しておく。幻を用いて攻撃を一撃か二撃ほど躱せる忍術の一つ。気休めにしかならないが無いよりマシだ。ところが着弾するだろうタイミングで予想していなかった音と気配が増えた。ガツンと言う何かが落ちるような音と人間の気配。熊が呻き声ととれる濁った声を発して俺にぶつかる直前で足を止めた。意図して止まったとは考えにくいタイミング。熊の動きで波になった水を被りながら軽く視線を戻して様子がおかしいと分かる。微かに震えているだけで熊が動けなくなっている。あれほどの勢いで走っていたのだから前のめりになりそんなもんだがそれもない。勢いで押し流された水面だけがこちらの足元を押してくる。

「大丈夫ですか!」

若い、女の声に我に帰った。熊の少し後ろに槍を携えた騎士鎧のエレゼンが見えた。フルフェイスの兜のせいで顔まではわからないが。何処かで声を聞いたようなと思いつつ、無事であると合図のために片手を上げてみせると彼女が軽く頷く仕草をして勢いよく飛び上がる。恐らく、普通に見ることができる人の目でも、この跳躍を正確に追える奴は少ないだろう。どれ程の高さを跳ぶのか分からないが少なくとも簡単に目視出来る速さと高さではないのは確かだ。動きを止められていた熊が苛立ったように身震いして動きを再開したその瞬間に、炎を纏いながらあのエレゼンが落ちてくる。槍の穂先を下にむけ、熊の頭を狙い跳躍で得た落下の勢いに本人の体重を乗せての攻撃。凄まじい風圧に俺の髪の毛も逆立っているのが分かる。熊の方は俺を見た後に上からの圧力に気がついたようだがもう遅い。ゴッという重い音と共に熊が悲鳴をあげて顎から水辺に叩きつけられた。あの熊の巨体が首を軸にして跳ね上がって尻が空の方に折り曲がるのだからその衝撃の強さは凄まじいの一言に尽きる。その熊の頭の上にエレゼンの女騎士が綺麗に槍を突き刺してその槍から炎を吹き上げている。ドラゴンダイブと呼ばれる技だ。上空から、竜の放つブレスを纏ったかのように炎のエーテルを燃え上がらせて相手に飛びかかる。高く跳べれば跳べるほど、落下の時の力が増して凶悪な威力と成る。現に目の前の熊は頭骨を割られ、首の骨も折られたようで血を流して震えたまま起き上がっては来ない。火が毛皮や肉を焦がす香りがするが水辺だからというのもあって燃え上がった火はゆっくりながら消えていきそうだ。ド派手な攻撃をかました訳だが近くにいた他の熊たちはこちらに手を出しては危険と思ったのか、ちらと視線は送ってきたものの幸い近寄っては来ない。荒野の獣たちはこちらが自分たちよりも強いと手早く判断する術を持つらしい。敵わないと分かるやこちらに興味を示さなくなるから大したものだ。うかつに関わって殺されるのを避けるためだろうが。栗丸は俺が腹に抱え込んでから、腹のあたりにワタワタしがみつこうとしていてまだ半泣きだ。俺の方も心臓の鼓動がまだ早い。俺自身が負傷するのは怖いと思わないし熊やら魔物に襲われるのもさして怖くはないが、栗丸が負傷したりするのは非常に怖くて手足がまだ震えている。フワフワとした体の違和感も抜けきって居なくて立ち上がれないでいた。今立つと多分、バランスを取れなくて倒れる。微かながら呼吸も乱れていて少々息苦しい。ともあれ熊に栗丸が食われちまわなくて良かった。

「お怪我はないですか?パイッサちゃんも。」

エレゼンの女騎士が槍を背負い直しながら近づいてくる。敵意のない、落ち着いた声だ。水を踏み抜くパシャンという音と、甲冑がこすれあうガチャガチャという音。フルフェイスの兜のせいで声も篭って聞こえている。こういう状況だとそういうどこか篭った音であっても人の声というのは落ち着くものだな。俺はあまり感情を表に出さないのだが、出そうとしていないわけではなくてそういう性質をしてると言った方がいい。かといって無感情なわけではないから、おそらく今もあまり表面上はなんともなさそうに見えてるだろう。が、内心は結構に動揺していて腹というか心臓が冷え切っている錯覚を覚えている。非常に居心地が悪い。そんな状態だから大丈夫か?と声をかけてもらうといくらか冷静になれる。

「怪我はない、なんというか、体がフラついてるだけだ。」
「それは……怪我が無いのは何よりですがあまり良いとも言えませんね。」

立てます?と彼女が手を伸ばしてくる。甲冑に覆われているせいで無骨には見えるが所作が綺麗だと分かった。……はて、この声はもしかしてあの屋敷のところにいた子か……?栗丸は相変わらずブルブル震えていて腹から離れてくれそうにない。仕方ないな。左手で栗丸を抱えたまま、空いている右手で彼女の手を掴ませてもらう。ゆっくりと立ち上がるための力を貸りて、どうにか顔を上げた。フルフェイスの兜では顔立ちも表情もわからないが、心配してくれているのは確かだろう。

「感謝するよ。お陰でこいつは喰われなかったし、俺も無傷で済んだ。」
「ヴァスの塚のお手伝いをしていて近くにいたので……間に合ってよかったです。」

パイッサちゃんすごく怯えちゃってるけど……と彼女が心配そうに栗丸の方に視線を巡らせる。栗丸はびしょ濡れのまま腹にしがみついている。体が震えているのは怖かったからが主だろうが、濡れたままで冷えているかもしれない。とりあえず乾かしてやらないと。俺自身も結構濡れてしまったから可能なら着替えたい所だ。熊が勢い良く突進してきた時の水飛沫でびしょ濡れになってる。とりあえず最寄りのテイルフェザーまで行くかな。栗丸を落ち着かせたり着替えたりするためにテイルフェザーに向かうよ、と彼女に伝えると道中お守りしますと申し出てくれる。いや、有難いがチョコボなりのマウントで空をいくつもりだから大丈夫だと言う。

「……パイッサちゃん片手に持ちながらは危ないかと。」
「……たしかに。まだ怯えててポーチには戻ってくれそうにないな。」

マウントに乗る時はポーチに入ってもらったり一緒に獣の背中に乗せたりしているが、今の栗丸では難しいか。怖かったとメソメソしたままで俺の腹から離れてくれそうにない。さすがに支えてやっている片手を離してしがみつかせた格好でマウントを駆るのは危険だろう。俺はなんともないが栗丸が落っこちる。落ちたらシャレにならん。潰れパイッサの出来上がりだ。仕方ない……あまり気は進まないが彼女の申し出を受けよう。気心の知れてない相手にはやや警戒を強めてしまう癖が付いているから態度に出さんようにしないとな。

「……分かった。歩く事にする。」
「でしたらご一緒致しますね。」
「グナースの奴等の手伝いは?」
「大丈夫です。頼まれたものは確保してありますから。」

後ででもとにかく届ければ良いので急がない手伝いです、と彼女が言う。ヴァスの塚と言ってたが立ち上がった甲虫みたいな獣人達の住む場所の事だ。その甲虫みたいな連中をグナース族と呼ぶ。彼女はそいつらの手伝いの最中に俺達を助けてくれたわけだな。フルフェイスの兜越しな少し篭った声だが、やはりあの時、《仕事中の俺》を見つけて立ちふさがったあのエレゼンの声で間違い無いと感じる。一言二言だけ、俺の声も聞かせてしまってるはずだったな。印象的な声として残ってないといいが。人間は音を長く記憶することは出来ないらしく、情報として得た人の声や物音やらをまず最初に消してしまうのだそうだ。その話通り、彼女の中から俺の声が消えてくれてると助かる。俺は多少訓練して声を覚えるようにはしているが、向こうに勘繰られるのは《俺が》やりづらく成るからな。とりあえず行こうと歩き出そうとして足元がよろついた。まだ体が変なままか、まいったな。慌てたようにエレゼンの彼女が俺の腕を掴んで支えてくれる。

「だ、大丈夫ですか!」
「悪い。」
「いえ、こちらには何も問題ないのですけど……。……いっそ魔物の少ない少しここから離れたところで一度休まれては?」

魔物が立ち寄らない空間、と言うのが不思議と点々と存在する。そこにならテイルフェザーほどの距離は無いからともかくそこへ移動してはどうかと彼女が提案してきた。このフワフワとした状態が治らないと彼女にも迷惑だな……少し休めば治るとは思うんだが。エーテル酔いや欠乏症とはまた違うもので、俺にも説明がつかないがたまになる水音に引っ張られる現象。他と共通する事があるとしたら疲れてる時になる事があるくらいか。酷い時は水に《引きずり込まれる。》……仕方ない。彼女の提案に再度乗ろう。無理をするわけにもいかないから、とりあえず一休みすることにするよと伝えると、先導しますのでゆっくりで、と彼女が辺りを警戒しながら前を歩いてくれる。足音と気配を追いながら、栗丸の様子も確かめる。少しは落ち着いてきたようだが、びしょ濡れでふだんよりほっそりしたパイッサになっていた。早く乾かしてやらないとな。ものの数分移動しただけだが、体良く魔物たちの視界がこない小さな空間に着いた。エレゼンの彼女がアレコレと気を利かせてくれて焚き火を支度してくれたので、とりあえずそれに当たるように言い聞かせて栗丸を腹からひっぺがした。

「!!」
「熊はもういないから安心しろ。俺自身も着替えないと風邪引いちまう。」

ひっぺがしたとたんにイヤー!と半べそになってしまうあたりだいぶ怖いと思ったらしい。今後、仕事明けに水辺に行くのは控えようと肝に命じておく。俺だけが襲われるなら自業自得で済むが栗丸を巻き込むのはよろしくない。一度持ち歩いていた蒸留水で軽く栗丸にこべりついた泥やらを落としてから、彼女に手伝って貰って座れるだけの敷物を敷いて手ぬぐいをその上に広げる。そこに栗丸を座らせて少し体を拭いてやった。焚き火にあたっているうちに多少落ち着いてきたのか、メソメソしていた栗丸がぐすんと鼻をすするような音を立てた。それから俺を振り向いて控えめに胸を張ってみせた。

「!」
「じゃあ、そこでじっとしてるんだぞ。」
「!!」
「落ち着いたらしいからちょっと失礼して着替えさせてもらう。」
「はい、パイッサちゃんは見ておきますので。」

ここから離れちゃダメですよ?と彼女が栗丸に言い聞かせている。栗丸と会話ができているのかは分からないが、栗丸はここにじっとしてる!と胸を張っているようだ。ひとまず、その場を任せて少しだけ距離を取ると適当な木の枝に外套をひっかけて視線を遮らせてもらう。気の知れた相手ならいざ知らず、何も知らん相手に着替えを見せる趣味はない。向こうだってえも知れぬどこ誰だか分からん男の着替えなんぞ見たかないだろう。変えの服は僅かながら持ち歩いてるからそれに手早く着替えておいた。まだ少しフワフワとした体感なのが落ち着かないな。着替え終えたら少し座ろう。どうにか脱いだものを小さくまとめて鞄に放り込む。視線切りに使っていた外套をひっぺがしでこれもカバンに放っておく。焚き火のところに戻ると栗丸はすっかり元気が出た様子で、パチパチ枝が燃える音を面白がっていた。付かず離れずの距離に座り込んでいるエレゼンの女騎士は、俺が着替えている最中に兜を外したらしい。はっきりと見えないが……やはりあの時のお嬢さんだ。今は落ち着いた顔をしているからあの時のような鋭さは感じないが。焚き火の側へ戻ると無理なさらないで休んでくださいねと気遣ってくれる。礼を述べながら栗丸の隣に座り込むと、栗丸が当然のような顔で俺の足の上に座り込んだ。焚き火で温まってすっかり体は乾いたようだ。濡れているどころかむしろホカホカの毛玉になっているのが分かる。

「やれやれ……。」
「随分と懐いているんですね。」
「俺が拾って世話をしたからかもしれない。はぐれパイッサでな。」
「そうだったんですね。顔が見えないのを気にしてたので兜を脱いだんですけど……。」

俺もそうだが兄貴やレン、騎士をこなすメッシですら、身近な家族や仲間達はなぜかフルフェイスの兜を被らない。俺はシェイデッドグラスか仮面か眼帯をする方が落ち着くからだが、ほかのみんなは何故なのかは解らない。兜を取ったらちょっと近寄ってくれたので、顔が見えた方がパイッサちゃんは安心なのかなと思ったので素顔のままにしておきました、と彼女がどこか照れ臭そうに笑う。芯の強そうな顔だと感じる。やや色白に見えるがシェーダー族だろうか。洞窟に住まう習慣のあったシェーダー族は肌の色素が独特の色を持つ。透き通るような白かと思えば洞窟の闇を思わせる灰色なんかが特徴的だろうか。彼女はほどほどに色が白い。森に住まうフォレスターとあまり差がないと感じる程度には。しかし彼女は今、顔が見えないのを気にしたのでとはっきり言ったな?栗丸の考えてること、言わんとすることが分かったんだろうか。

「それにしても、コイツの言葉が分かるのか?」
「え、ああ。はい。」

それはつまり超える力の持ち主、ということだろうか。そうではない可能性もあるにはあるが。俺は進んでは話さないが、彼女は隠す必要はないと思っているらしい。俺が自分から話すときは明らかに俺自身の様子がおかしくなったりした時に、介抱してくれた人にそれとなく説明したりする時くらいだ。基本的には黙って居る。変な奴扱いならいざ知らず、化け物扱いされたりもするからだ。経験上、そういう扱いをされたことがあるからこそ警戒して黙って居る選択もする。少なくとも俺はそうだ。だが相手が同じ能力者であるならば特に隠すことも無いか。驚いたり気味悪がったりしない相手であるならば、この手の話をするのは苦ではない。同じ力の持ち主であるなら多少なり共感できる部分があるから、却って話がスムーズになったりもする。

「なら俺もアンタと同じだな。」
「えっ。では、その、光の加護をお持ちの方…?」
「ちっとも嬉しくないが、そうだな。」
「そう、でしたか!」

どこか彼女が嬉しそうにする。同士がいる、というのは人間にとって悪い感情は芽生えないらしい。仲間意識というのは重要だ。集団生活をしている生き物だしな人間は。だからこそ同じ力の持ち主である、という情報の共有は悪くはない。無論、例外も起こることはあるがそんなことを気にしていたら何も話せなくなるので、まあいいかと思ったときは共有したほうがいいと俺は思っている。まあ、まあいいかと思うことがあまりないんだが。これは俺が幼少期によろしくない経験をしたのが大きいので、そうではない人たちや大人になって知識をもった状態で力を発現したから混乱もしなかった、なんて人とは少し訳が違うのだろう。彼女の場合もたぶん、俺のような厄介な経験をしていないのだろうと思う。《絶影》の時に遭遇した時もそうだったが、彼女は警戒心がかなり高いと見える。その警戒心の高さながら《超える力》の話をするのには抵抗がないということだからな。そこまで気にせずに自然と話をする話題、という程度の認識なのかもしれない。

「あぁ、そうだ。差し支えがなければ名を教えてほしい。俺は刹だ。」
「セツダさんですか。」

彼女の復唱に思わず吹き出しそうに成る。いや、そう聞こえなくもないだろうしエオルゼア人の感覚だと二つの音のみの名前と言うのは短いと感じる筈ではある。居ないわけではないだろうか数は少ないはずだ。ミコッテなんかには二文字の名は珍しくも無いが俺はアウラ族だしな。

「いや、すまん、紛らわしい言い方だった。刹、までが名前だ。」
「あっ!す、すみません失礼な事を。」

僅かに顔を赤らめて恥ずかしそうにしながら、彼女が謝ってくる。気にしないでくれと答えておいた。悪意もないは百も承知だし、正直面白かった。時折起こる勘違いなのだが、刹だ、と名乗るのはそこまで可笑しくはないはずだよな……?刹、で止めてもいいのかもしれないが俺が何となく言いづらい。

「お恥ずかしい。ええと、ジゼルと申します。」
「ジゼルか。ああ、こいつは栗丸だ。」

栗丸が俺の足の上で栗丸は栗丸だぞ!と主張している。いつも思うが良くも悪くも立ち直りが早いなこの子は。ずっとめそめそされてしまうと俺も巧い対応が分からないしこれには助かってるが。元気づけるだの慰めるだの、俺はそういうのがお世辞にも得意ではない。苦手だ。苦手というかもはやどうしたらいいか分からない、という域で親しい人たちが落ち込んだりしていても本気でどうするのが良いのか分からないでいる。何を言っても解決にはならないし、俺の言葉や行動が気休めになるとも限らない。兄貴やレンなら気の利いた事が言えたりできたりするのかもしれないが俺にはそれができない。せいぜい、きちんと休ませるように誘導して、栄養のある美味しいものをそれとなく食わせるようにするくらいだろうか。落ち込んだ人や悲しんでる人をきちんと励ましたり慰めることのできる奴は凄いなと本気で思う。栗丸はその点、切り替えが早いのか、目の前の出来事にすぐに集中できるのか、良く分からんが長く落ち込んだり嘆いたりすることがない。ほんの少しの時間、メソメソしたりはするがそれでおしまいだ。気遣いのへたくそな俺には有難いが。

「栗丸くんですね。」
「俺もだが栗丸もアンタに助けられたお陰で今、ゆっくり休憩が出来てるわけだ。感謝する。」
「!!」
「どういたしまして。間に合って良かったです。」

控えめに笑みを見せながら、ジゼルがホッとした顔をする。彼女が言うに、水面でジタバタする栗丸が先に目についたらしい。助けて―!と鳴き声を上げているのも聞き取れたそうだ。こんな所にパイッサが?と思ってよくよく見たら俺がどこか意識のボンヤリした様子で側にいのるに気がついて、さらに熊が臨戦態勢だと悟って反射的に跳んだそうだ。スパインダイブと呼ばれる相手の動きを無理やり止めるジャンプの技で熊に飛びかかり、痺れで動けなくした後にあの炎を纏う跳躍技を叩き込んだ、という訳だ。彼女の携える槍とかランスとかスピアとか呼ばれる武器は、両手で支えなくてはならない重量のある武器だ。重さゆえに素早い動きは難しい武器のはずだが、訓練を積んだ使い手はそれを手に空を飛ぶかのように戦えるという。槍術士若しくは竜騎士と呼ばれる者達の熟練者ならばやってのけるだろう。俺も一通り鍛錬したがあの重い武器を軽々扱いながら跳び上がると言うのがそれなりに負担で、体に叩き込むほどの修練はしなかった。恐らく同じ跳躍技をしてみても彼女の方が数倍高い威力と精度を持つだろう。俺はやはり身軽な動きができた方が強みを生かせる。

「見事な跳躍の技だったが、竜騎士で良いのか?」
「私ですか?はい。竜騎士です。」
「若そうなのに大したもんだな。武器も重ければ鎧も重かろうに。」
「軽くはないですけど、ナイトさん達に比べればまだ軽い素材ですよ。」

自身の体を覆う甲冑を確かめるように撫でながら彼女が言う。たしかにその通りで、タンクなどと表現される敵を引きつけて仲間を守る事が役目のナイトや暗黒騎士、戦士などの連中の鎧はもっと重い。攻め込むよりも前、まずは攻撃を引きつけて耐えなくてはならない彼らは薄い装甲では本人の命を守れないからだ。最も中には薄着を好むタンクというのも居るのだが、それはどの役割の者達にも一定数いる個性的なやつというだけだ。俺も身軽さが信条の忍びだが厚着の方だしな。素材は軽いとはいえ。最もパッと見では分からないが鎖帷子を下に着こんでいることもある。あれを着るのは多少なり重い。忍者は身軽が身上とは言ったがそこは戦うことも想定している。間者ではなく戦闘員として行動する前提であれば多少厚めの防具も着る。レザーや布をベースに部分的に金属で覆った軽鎧とその下に着用する鎖帷子は必需品だろうな。忍びの者は素早く動けるから細身で膂力がないと思われがちらしいが、実際のところは筋力がないと素早くは動けないのでそれなりに膂力もある。武器が無くなったときに素手で格闘する術もきちんと習得しているしな。

「刹さんは……?」
「忍者だ。図体はデカイがな。」

よく身体つきをみるに全然、忍べていないと揶揄される程度には体はデカイ。ジーキルやメッシ、兄貴に比べたらいくらか小さいのだがそれでも充分に大きいだろうし。忍びとしてはもう少し小柄な方が融通が利きそうだなと思うことはある。それこそアウラの女達くらいの体型であれば潜入もしやすかろう。俺の場合はそれなりのサイズだから潜入するにもルートを選ぶのが大変だ。いや、小柄なら簡単かというとそういう訳でもないのだが。簡単か否かは侵入先の構造やら護衛の数やらで大幅に変わる。小柄ならなんでも有利かというと話が別だ。デカくないと解除が難しいトラップなんかだって無くはない。

「忍者さん、なんですか。武器が見当たらないのでモンクさんか何かなのかな、と。モンクさんなら素手で戦う事もあるそうですし。」
「ああ……普段、武器は見えないように持ち歩いてるな。」

冒険者となると得物は物によっては丸出しで持ち歩いたりする。腰から下げたり背中に背負ったりとその程度の差はあれどなぜか丸出しだ。剣なんかは鞘があっても不思議ではないと思うが片手で振るうようなも、両手で持ち上げるような重たい剣もなぜか剥き出しで持ち運ぶのが普通だ。鞘に収めるのは侍の刀くらいだろうか。彼らは抜刀術という刀を抜く瞬間に技を繰り出す技術で戦うからかもしれない。雷刃もそうだが何か大技を使う前、必ず納刀して一気に抜刀するという動作をとる。逆にナイトや暗黒騎士達はそういう使い方はしないからか鞘もなく刃が剥き出しだ。傷みそうなもんだが手入れはみんなしているんだろう。俺は単に装備に隠した暗器を扱うからついでのように何も持ってないかのように見せている。相手の油断を誘えるのも大きい。丸腰ならと侮って掛かってくるやつはそれなりにいる。耐久性のない俺にとっては相手の油断は大きな好機になるからな。小さな油断であってもそれは大きな隙になる。その隙を逃さずに仕留めるのが俺のやり方だ。真正面から殴り合うとなると時間が経つほど俺のほうがつらくなる場合が多いから、だが。まあ不味いなと思ったらとっとと逃げるに限る。死にたいとき以外に死ぬのは俺が気に入らない。基本的に俺以外の誰かに殺されるというのは俺にとってはあり得ない死に方だ。たぶん死にきれなくて化け物かなんかになるんじゃないだろうか。

「持っていないのでは無くて、見せていないだけなんですね。」
「俺の場合はそうだな。」
「面白いですね。それなりの大きさもありますでしょうに。」
「コツは必要だな。慣れてるが。」

ゆっくり休む間にあれこれ話をする。会話をするのが苦痛では無くて良かったなと思う。さして知らない相手でも話が出来るならその方が良いと思っているが、ジゼルも特に沈黙するタイプでもまくし立てるタイプでも無いらしい。ポツポツとした短い会話を繰り返しているうちに栗丸はすっかりリラックスしたのか、俺とジゼルの間をウロウロとし始めた。あまり人見知りはしない子だが、自分と俺を助けてくれたお姉さんという認識をしたようで彼女の側まで行ってじっと見つめたりしているようだ。ジゼルが遠慮がちに撫でても良いかと問うので構わないぞと答える。栗丸は撫でられるのを嫌がらないしな。なんとも言えない照れたような顔をしながら、彼女がそうっと栗丸の頭を撫でる。頭のてっぺんのもしゃもしゃがシナっと倒れるのが分かる。栗丸は満足そうに目を細めて大人しくしているようだ。

「んんん、ふわふわ……。」
「さっき軽く洗ったからかもな。」
「パイッサちゃん可愛いですよね。栗丸くんもとっても可愛い。」
「みんな可愛いって言うな。」
「あれ、可愛いとは思ってらっしゃら無い……?」

ジゼルがそんなバカなと言いたそうな顔をするので思わず微かに笑ってしまう。いや、可愛げは感じるんだが見た目の可愛さと言うのは俺にはよく分から無いんだと答えた。多分、可愛いのだろうがなにせはっきり見えない。俺にはオレンジの栗に似た毛玉がウロついてるという認識だ。捕まえてじろじろ見れば多少分かるが、彼女達ほど可愛いとは多分感じていない。なんでこいつはこんなに目をかっぴらいてるんだ?とは思う。成体のパイッサもそうだが。あんなに目をひん剥いていて目が乾燥しないんだろうか?と気になる。瞬きも頻繁にしているから大丈夫なのかもしれないが。あと腹にある模様がハート形なのは面白いなと思う。これもまあ捕まえて目元に引き寄せないとよく見えないが、成体のほうでも一応確認ができる。フクロウなんかの模様に似て見える。あのハート模様が特に好きだという人もいるらしい。ハート形というのは可愛らしいデザインに使われたりするからだろうか。相手を好いているという主張なんかにも使うそうだが俺はそう言うのに極端に疎いので良く分からん。

「俺にははっきり見えてないからな。」
「え?それは、つまり?」
「目が悪い。アンタの顔もしっかりは見えて無いぞ。」
「ええっ!」

長く訓練してきてるからあまり不自由はしていないと言うと、そう言うものなんですか?とジゼルは不思議そうだ。何せ私はしっかり見えているので見えていない、というのが分からないですし、と。俺は逆に見えているのが分からない。治るなら是非ともしっかりとした視界というやつを体験してみたいのだが、生憎なことにいずれ失明すると診断されてるからその望みが叶う可能性は低いだろうな。過去視なんかをしてるときは普段よりはっきり見えることが多いが……あれはたぶん、《目で見ているわけではない》んだろうな。ただ、過去視の映像はどうも色味が酷く落ちるらしくて兄貴やジーキルによれば本当ならもっと色鮮やかなはずだそうだ。俺は繊細な色をうまく認識できないからその鮮やかさを果たして認識できるか分からない。派手な色のほうが見えやすいのは確かなんだが。クガネの街並みなんかド派手で覚えやすいと思っている。逆にイシュガルドの白と灰色だらけの街並みは少々認識しづらい。全部溶け合って同じもののように錯覚してしまうからだ。

「そうだな、ジゼルも槍を持ち始めた頃はロクに技なんか撃てなかったろ。」
「え?ええ、まずは安定して持つ所からでした。」
「それとさして変わらないさ。生まれつきこんなだと嫌でも慣れるぞ。」
「先天的なものなんですね。……たしかに杖もなく慣れた道なら歩ける全盲の方が居るとも聞いたことがあります。」
「それと同じだ。あれこれ訓練してあるからな。」

ちょっと納得しましたと彼女が頷く。反復練習というのは地味だし苦痛になる事もたまにあるが、本当に体が覚え始めるので大事だ。体が覚えてしまえばこっちのもの。今でも定期的に意識して訓練を繰り返したりする。なにせ悪化するのが分かっているから今より楽になることはない。俺の場合は、だが。まぁそう言う視力だから栗丸の姿も正確に見えている訳では無い。だから彼女達の言う可愛いという感覚は俺にはおそらく分からないのだろうと思う。しばらく一緒に過ごせばなんとなく様子が分かるようになるし、初対面の人間でも微かな変化を詠みとることなら出来る。どうやってるんだとか聞かれることもあるが、もはや感覚的なものなので口だと説明が出来ない。子供時代からそうしてたら身についたとしか言いようが無い。人の顔もそうだが、景色ははっきりと見てみたかったなと常々思う。この高地ドラヴァニアもそうだが、どこもかしこも壮観で美してく壮大だとは感じ取れるもののハッキリと見ることが叶わない。それがどれほど惜しいと感じるか。兄貴達や栗丸はちゃんと見えているから、細かい所や見えてないが気になった場所は言葉で説明してもらうのが常だ。手で触れる事が可能な物ならば近くに行って触ることもする。流石に火だとか毒性のあるものに触るわけにはいかないが、植物や岩壁、建築物や化石……そういった代物はなるべく触ってみる事にしている。それこそドラヴァニアに住まうドラゴンたちも、許可をもらって触らせてもらった。そんなに丁寧に熱心に触って何が楽しいんだ?と彼らは不思議がったが、事情を説明したら納得はしてくれた。ついでだから痒い所をこすってくれ、なんて言われたこともある。体が大きいから痒くても手足だとか口元が届かないらしい。人間の小さな手で擦ったところで大して気持ちよくなりそうに見えなかったが、それでも気持ちがいいと彼らは満足そうだった。俺も鱗を持ってるが、彼らの鱗のほうが頑健だなと触っていて思ったな、当たり前かもしれないが。

「冒険者……さんですよね?」
「ああ。それの端くれだな。」
「単独で冒険なさるんですね。」
「誰かと組む事も勿論あるぞ。」

目がそれでは独りは危ないのでは無いか?とジゼルの言葉には含まれている。だいたい目の悪さを説明すると皆んなその心配をしてくれるが、これも慣れだ。今日みたいな事もあるのは確かだが、それは誰かと一緒に居ても起こりうるしな。というか、皆んな優しいよな。さして縁のない胡乱とも言えるような俺が目が悪いと分かった途端心配してくれるというのは。命がかかってると分かってるからこそだろうか。中には可哀想にという発言をする奴もいるが、アレはあまり良い気がしない。そりゃ目が悪いと普通に見えてればしない苦労ってのは間違いなくあるがそれが当たり前過ぎてどれがその苦労なのか分からん域だから哀れまれるとなんともモヤモヤとする。今、お前、俺を下に見なかったか?という気持ちになる。基本的に哀れんでくる奴も心配はしてくれてる事が多いんだがな。悪意がないからこそ質が悪いとも言える。親切ごころなのだろうが俺にとっては結構に失礼だなと感じる。

「戦いが主目的になるような場合は大体、パーティを組むし栗丸も留守番させるな。流石にこの子を守りながら死地には行けない。」
「今日はそうじゃなかったってことですよね?」
「ああ。水音を聞いてるとあの時みたいに体が浮つく事がたまにあってな。疲れてるらしい。今後は気をつける。」
「無理なさらないで下さい。栗丸くんも危なかったですし……。」
「ああ。心配ありがとう。」

ジゼルのお姉さんは優しい人だな!と栗丸がぴょんぴょんとジゼルの周りを跳ね回っている。さっきまで怯えて冷えた栗饅頭みたいになっていたというのに全くゲンキンなやつだ。ジゼルはニコニコしながら栗丸を眺めている。可愛いなぁと時々呟くのが聞こえてくるがその時の声音は年相応の少女のようだなと思う。俺と会話しているときはもっと大人っぽい声になっているが、多少なり気を張っているんだろうか。いや、正確な歳は分からないからレディのように俺より年上だったりするのかもしれないが……そうは見えない。目のぼやけも角が拾う音の曖昧さもだいぶ抜けてきた。体全体にあった水中にいるようなモワモワした違和感も。これならテイルフェザーに移動するくらい問題無さそうか。念のために野宿をやめてあの集落内で休ませて貰えば良い。宿はないが人里に入らせてもらうだけで結構違うものだ。ならジゼルにそう伝えて移動するかと考えていた時に、彼女の方から小さな音がした。ぐう、という小さな音。聞きなれた音ということは栗丸の腹の虫か。

「……栗丸は腹でも減ってるのか。」
「えっ?」

何か聞こえたのかとジゼルが驚いた顔をする。たしかに小さな音だが調子の戻ってきた俺には聞き取れる音だ。ジゼルのお姉さんはお腹空いたか?と栗丸がぴょこぴょこ彼女の足に飛び乗る。我が物顏とは何事だ全く。乗られたジゼルの方はちょっと嬉しそうだ。栗丸を可愛いと言ってくれてたから今の栗丸の行動は彼女に気を許しているような行動だし、悪い気はしないのかもしれない。

「栗丸の腹の音がな。目が悪い分、音はそれなりに拾う。」
「地獄耳という奴ですか。」
「地獄角だな。」
「あっ、そうですね。」
「……栗丸は腹減ったのか?」
「!!」

お腹空いた!と栗丸がぴょんぴょんとしながら返事をする。よくよく考えたら丁度昼飯時か。体良く焚き火はあるし、保存の効く食材は常々補充しながら持ち歩いているからまぁ、足りるな。ちょっと待たせることになるし、出先だから大した料理はできないが作るか。

「俺は落ち着いて来たし、礼も兼ねて軽く飯を作るから栗丸と待っててくれ。」
「えっ、えっ?」

理解が追いつかないと言いたげにジゼルが困惑している。素直な人だなこの人は。だからこそあの時、《俺》に立ち塞がったんだろうが。栗丸がご飯ご飯!と鼻歌を歌いながらジゼルの足の上に座り込んだお陰で彼女は立ち上がろうにも立ち上がれないようだ。どうしましょう、と言いたげにソワソワしているが、栗丸が御構い無しに彼女から離れない。ある意味都合が良いな。ジゼルのお姉さんも一緒にご飯食べよう!と栗丸が訴えている。とりあえず自分の荷物を漁って使えそうな素材を出してくる。蒸留水と乾燥した野菜。簡単にスープを作れるように固形にしておいたチキンストックが少し。保存用のパンと干し肉。栗丸用のどんぐり団子は氷のクリスタルで冷凍してあるからこれは茹でればすぐ食わせてやれる。小さな鍋を二つ出して片方で栗丸の団子を茹でる。もう片方には水と固形にしておいたチキンストックを溶かしながら入れて野菜のスープが作れるようにしておく。干し肉はそのまま少し小さめに切っておいて、パンも切り分けておこう。俺がごちゃごちゃと食い物をいじっている間、栗丸がジゼルの足の上であれこれと彼女に話をしていたが、ジゼルはきちんとそれを聞いて応対してくれているようだ。そのうえで彼女はどうやら栗丸を気にしつつ俺の料理している姿をしっかりと確かめているらしい。警戒されてるのかもわからんな。まぁそれはそれで構わない。赤の他人同士なのだからアレコレと警戒するのはむしろ普通だろう。むしろ一切の警戒がないほうが心配だ。世の中、善人ばかりではないし彼女のような若い女性というのはおかしな連中に狙われやすい。女であるというだけで弱いと決めつけられ、若いというだけで油断されるのは難儀なことだろう。冒険者の世界にいると性別や年齢なんてものは大した基準にならないと思い知らされるんだがな。俺よりも小さなヒューランの女性が本人の体重をはるかに超える武具を操ったり、ルガディンの大男を一発のパンチで伸してしまう人だっている。戦える冒険者と一般の女性を並べてはいけないのだろうが、女だからと下に見られるのを度々見かけるとめんどくさそうだな、とは思う。逆に男なんだから男らしくしろ、と言われることも俺たちにはあるが……あれもまあ理不尽だな。

「出来たからお前はちゃんとこっちに戻ってこい。人様の足でメシを食うな。」
「!」

栗丸の団栗団子をしっかりと茹でで解凍して軽く水を切ってから俺のほうに呼びつける。すっかりジゼルの足の上で寛いでたなこのちび助は……全く。ほんとはジゼルのお姉さんのところで食べたいけど汚しちゃうのは悪いことだから!と栗丸がぴょんぴょんと俺の方に帰ってくる。近くにあった植物の大きめな葉っぱを二枚ばかり失敬してきて、一枚は栗丸用の座布団にし、もう一枚は皿にする。どんぐり団子を盛ってやると心なしか栗丸の目がキラキラとなったように感じる。気のせいかもしれないが飯を前にするとどこか活き活きした表情になるように感じる。実際はなんだか良く分からない顔のままなんだけどな。いただきます!と挨拶をしてから一つずつ団子を抱えてもぐもぐと食べ始めた。団子の盛られた皿の隣に、水をいれた小鍋も置いておいてやる。栗丸にだって飲み水も無いとやはり喉が乾くからな。俺たち用のは私物の木の皿を出してきて、それに盛る。乾燥野菜をチキンストックで煮たスープ。適当によそってジゼルに手渡してやる。切ったパンにはほんの少しオリーヴオイルを塗っておいて、細かめに切った干し肉と、近くで取れた香草を挟んでこれも手渡した。

「なんだかすみません。」
「こっちは命を助けてもらってるからな。大したことじゃ無い。」

極端な話、自分たちのメシの支度のついでにだからな、と言うと彼女が遠慮がちながらもクスッと笑うのが聞こえる。あまり気にはして欲しくない。大小はともかく恩は返すものである。それが俺の信念であるから命を助けてもらった以上、こちらから返せそうな恩は些細であろうと返すのが流儀だ。俺がスープを一口飲んでパンを少し齧るまで、ジゼルはしばらく手をつけずに黙っていた。夢中で団子を齧る栗丸を見ているようにも見えたが、これは違うな。いや、実際、栗丸の食事の有様がいかにも小動物じみていて面白いと言うのも有るにはあったようだが、腹の底にあるのはもっと別のものだと感じていた。自衛のためにしているであろう警戒。食事を支度している時と同じ視線だ。年若いがしっかりしているな。それとも、警戒せざる得ない経験でもしたか。

「……薬なんざ盛ってないから安心しろ。」
「えっ。」
「警戒したろ?盛られたことでもあったか?」
「……す、すみません。作っていただいておいて。」
「いや、謝る事は無い。」
「……警戒したと悟らせるつもりは無かったんですが。」

微かな変化を感じ取る事が出来るのは俺の強みだ。それが武器になるし防具にもなる。相手が何を思って行動をしたのか、あるいわするのか。目視で瞬間的に確認するのが不可能な俺には漠然とした空気だとか気配だとかが重要な情報源になる。気味悪がられるのが面倒であまり説明もしないが。俺がメシを支度している最中も、彼女は栗丸を構いながらこちらの確認は怠らなかった。何かおかしなものを使っていないか、入れていないか、気にしていたのだろうと察していたが別にやましいこともしていないので気に留めなかった。食える状態にして渡したものを、俺が一通り口に入れるまで待ったのは同じ鍋やナイフで調理したモノに異常がある可能性を考えていたからだろう。俺の方にだけ毒を盛らないなんてこともできなくは無いのだが、それでも警戒をする必要が彼女にはあったということだ。冒険者としてそうした警戒をした方がいいと考えてした警戒なのか、トラウマからくる警戒なのかでだいぶ意味合いが変わる。前者ならば大したモノだと思うが、後者であれば難儀だなと思う。両方の可能性もあるがな。

「俺が食べるまで食べようとしなかったし、俺が支度中も目を離さなかったろ。」
「……本当に目がお悪いですか?」
「悪いぞ。見えては無いが感じ取れるからな。仕草や呼吸、視線の動きも顔が動けば幾らか予測できる。」

俺が口にしてから、こんな会話になってはいるものの彼女はきちんとメシを食べている。スープを時々飲みながら、硬いパンで干し肉と香草を挟んだやつを噛みちぎって飲み込む。早食いではなく静かにゆっくりと咀嚼して食べているが音で判別出来た。警戒はしたものの、大丈夫だとは思ってくれたんだろう。

「……冒険者が薬を盛られるのを見た事がありまして。私自身も軽く。親切な方が近くにいたので何もされませんでしたが。」
「難儀だな。」
「ええまぁ。……それについ最近、ほんの少し関わったお屋敷で毒殺事件もあったもので。少し怖くなってしまって。」

あの《仕事》の事も気にしてたか、成る程。確かにレディがあの屋敷のゲスな主人を毒で持って殺したしな。ジゼルはなんの因果かそれに僅かながら関わった、小さな関係者なわけだ。真っ直ぐな心持ちの人だと感じていたが、そうか、ショックもそれなりに素直に受け取ってしまったわけだ。……実に善人だ。苦労しやすかろうなこのタイプは。

「でもそれで警戒を悟らせてしまうのはダメですね。すみません。」
「いや、少なくとも俺は気にせんな。気になったのは疑われた事じゃなくてそんな警戒をする必要性をアンタが感じている事だ。」

そもそもついさっきまでは全く関わった事の無い同士なのだから気を許してなくて当然だろう。さらに言えば俺は自分が他人にとって酷く胡乱で得体の知れない男だと思われる外見なのは自覚がある。栗丸が側をチョロチョロしているから多少それが緩んでいるようなものだ。俺の言葉に少しだけジゼルが考える仕草をした。言われた意味の確認だろう。

「何か盛られた経験がトラウマになってたりするのかとな。単に用心深いだけならそれはそれで良い。」
「……心配してくださったと言う事ですね。すみません。ありがとうございます。」
「あんまり歳の話をするのは失礼だと思うが、見た限り年若いお嬢さんが毒盛られたトラウマを持ってたら恐らく俺じゃなくても心配になるぞ。」

どっちかと俺は薄情な方だからな、と付け加えておく。いちいち他人の心配をしていたらキリがない。ある程度の気遣いはするがそれ以上は俺には関係ないものとして扱う。相手が俺を尊重してくれているならば話が別だが、そうでないなら相応の対応にしかしない。大事な人の方にエネルギーを使う方が宜しいに決まっているからな。俺とジゼルが話しながらパンをかじっている間に、栗丸は団子を食い終わったらしい。小鍋に注いでおいた水をチビチビ少しずつ飲んで、お腹いっぱい!とけふっと人間でいうゲップのような息を吐いて目を細くした。茹でた分の団子は全部、食べ尽くしたらしい。口の周りだけでなく、腹やら頭にも食べカスと水滴が付いているのでそれを軽く拭き取っておく。普段から丸っこい身体つきの生きものだが、たらふく食べたからか腹のあたりが普段よりも丸く感じる。膨らんだ腹をポンポコリンなどと表現するがまさにあの感じだ。誰だろうな最初にポンポコリンなどという単語を思いついたのは。言わんとする事が何となく伝わってくるのに具体的ではないのが面白い。

「まぁ冒険者やってると色々あるな。良い事も悪い事も。」
「そう、ですね。」
「割りに合わん仕事を寄越されることもあるし、逆恨みされる事もある。……冒険者じゃなくてもだが。」
「……私も殺人事件は流石にびっくりしました。殺された方は随分と色々な人に恨みを買ってたようなので近しい方はそうなっても不思議じゃなかった人だ、なんて仰ってましたけど。」

あのエロオヤジが手を出したメイドはクライアントの妹さんだけではない。メイドのみならず屋敷に仕事で出入りする好みの娘にもちょっかいを出していた。被害を訴えようとした者が出ると金で揉み消したり、ゴロツキを使って脅したり。泣き寝入りした女達がどれほど居たのか。その上でよからぬ薬の取引をしている痕跡もあった。有名なご禁制のソムヌス香。アレは高揚感と一時的な肉体の強化が見込めるが中毒まで行くと悲惨な事になる。廃人同然になって生きた人形のようになるのがオチだ。が、その高揚感が非常に人間の脳には快感らしく、オチが分かっているのに依存してしまう者も居る。中には依存症にして仕舞えば金を支度してくるからとなんの知識も授けずに薬漬けにすることもあるからご禁制の売買というのは質が悪い。例のエロオヤジはそれにも関わっていたという訳だ。そっちの絡みで恨まれてる節もあるだろう。容疑者だらけというわけだ。恐らく、殺人事件の捜査ついでにその辺のボロも出たろう。当人は死んでるが共犯や取引相手を調べて回る材料にくらいはなる筈だ。まぁ、人殺しで金もらってる俺が密売をどうこう咎める権利なんざ本来なら無いけどな。俺だって薄汚い仕事は散々してきた。ごく普通の人から情報を集めてほしいという依頼から、公的な連中から間者と確定した奴を内密に捕縛する依頼。恨みを募らせた人からの復讐依頼に、要人からの暗殺依頼。どれもそれなりにこなした。不滅隊には《絶影》の方も評価してもらっているのはそう言った仕事をこなしてきたからだ。ごく一部の不滅隊員は俺が《絶影》であるのを把握している。スウィフト大闘佐なんかはその一人だしな。普通に暮らしていると気にすることはほぼないが、実のところ《俺たち》のような職種の奴というのはそれなりに存在していて当然のように日々《仕事》もしている。だからこそジゼルのように意図せず殺しに関わりを持ってしまうということが起こりえるわけだ。荒野で野垂れ死んでいたのは本当にただの難民か?強盗に襲われて死んだといわれた商人は本当に強盗に襲われたのか?少しずつ弱って衰弱死した奴は本当に病死なのか?行き倒れに見せかけて殺し、野盗や強盗の刹那的な犯行に見せかけて殺し、病死に見せかけて殺す。この世の中に溢れている死に、どれほどの誰かの悪意や殺意が隠れているか。きっと普段の生活ではだれも想像しないだろう。現実という奴は表面的な平穏の裏にひどく陰湿で悍ましい代物を隠している。ジゼルは望む望まないにかかわらずそれに触れてしまったわけだ。ある意味でヘマをした俺よりも運がない。いや、別の視点で言えば運がいいのかもしれんが。そんなに関わることはないはずだからな。

「……私が手を貸した守兵さんでさえ、起きてしまった事は仕方ないからもう屋敷に近寄らない方が良い、と仰ってて。」
「近寄る理由もそんなに無さそうだがわざわざそんな忠告を?」
「たしかに用は無いですから好んで近づくことは無いんですけどね。」

ジゼルが言うに、守兵にはそれでも念のために忠告するよと言われたそうだ。殺された主人の女に手を出すと言う悪い噂は守兵達も把握していて、きっとその恨みでこの有様になったんだろう、と噂をしていたそうだ。彼女が《訳あって》手を貸した守兵からの忠告は、屋敷にもう近寄らない事。そしてその理由は、殺された主人も頻繁に良くない話を聞いたがその子息もロクデナシだから、だそうだ。守兵が言うに、ジゼルのような子がそのロクデナシの好みで明らかに目をつけてる筈だからもう屋敷の近くには来無い方が身のためだ、と。何故に守兵がそのロクデナシの好みを知ってたか?だが、似た雰囲気のエレゼンの美人を連れ歩くのが常だから、だそうだ。好まない顔や空気の奴をわざわざ連れ歩きはしないだろう、とそういう事だな。……なるほど。一応、息子も親父譲りの女好きで好みの女を侍らしている事は調べがついてて知っていたが、ターゲットはエロオヤジの方だったから守兵を助けに入ったお嬢さんに息子の方が目をつけそうだなと言う発想までは行かなかったな。なんせ、俺にとってはヘマをした事が大きかったし、レディが《仕事》を済ませている。済んだら後のことは基本的に知った事じゃない。

「なので一応、あのお屋敷付近にはあまり行かないようにはしようと。守兵さんがわざわざ気遣ってくれましたし。」
「ゲスな人間てのは本当に何するか分からんからな、それが賢明だ。」

常軌を逸した行動が出来る奴と言うのは意外と沢山居るんじゃないだろうかと俺は思っている。その行動が常軌を逸しているか否かを判断できて、起こしたらどう言う騒ぎになるか?が理解出来ているから起こさないだけで。騒ぎになると解った上で、その騒ぎを揉み消したり無かったことに出来る奴は計算尽くでやらかし、騒ぎになる事など気にも留めないほどいかれた奴は御構い無しにやらかす。どちらもロクなものではないが前者の方が恐ろしさは上だろう。目に見えて危険で異常だと分かるよりも、一見なんともない顔で異常性を隠している奴の方が危険だ。警戒される事も無く、何かしでかしても尻尾を出さない。周りの誰にも悟られる事なく異常で有り続ける。……俺自身もその異常者の一人ではあるが。あの屋敷のロクデナシも、金がある分それで下衆な行動を起こす可能性がある。好みの相手を雇ったごろつきに強引に攫わせてくるだの、家族や友人を金で買収して狙いの人物を自分のところに来るように仕向けるだの、まあいろいろとやり方はある。手に入ったと思ったらそこからは暴走の一言だろう。あの毒殺された主人と同じように、簡単に手をだして尊厳もクソもなく相手を踏みにじる。俺も自分自身、大概に下衆だと思っているが、世の中には上がいるものだ。だからこそ守兵の言う通り、ジゼルはもうあの屋敷に近寄らない方が良いだろう。うかつに近くうろついたらロクデナシが確実に手を出してくる。

「……そう言えば守兵さんを薬で寝かせていたの、刹さんと同じアウラの人でしたね。髪は真っ白で顔も見えませんでしたけど。」
「薬で寝かす?」
「ええ、なんでも睡眠毒の塗られた針か何かで刺されたらしい、と。守兵さん達、記憶がほとんど飛んでいて詳しく分からないんですけどね。」

私、白髪のアウラの方が守兵さんを路地に引っ張りこむのをたまたま見かけて、とジゼルが言う。引きずり込んだのをはっきりと見たんじゃなくて、人の足……爪先が物陰から見えていたのに驚いていたら引きずられるようにスッと奥に引っ込んだので何かあったに違いないと思わず慌てて追いかけたらその先に白髪のアウラの男性が居て、足元に守衛さんが倒れていたんです、と。なるほど、本当にわずかな瞬間を見られていたんだな。確かに、細い針に睡眠毒を塗った奴を相手に突き刺して寝かしていた。おそらく俺が寝かした二人は首のあたりに目立たないものの小さい痣ができているはずだ。怪我はしていなさそうでしたけど、気絶させて引きずりこむなんてロクな事ではないと思って攻撃を仕掛けたんですが、こちらに背中を向けていたのに避けられてビックリしました、と。きちんと避けたがあの手投げ用の槍を食らってたら彼女に詰め寄られて本格的にやり合ってた可能性がある。そうなったら俺は意地でも彼女を殺して逃げたろう。まともにやり合うと確実に不利だが手段を選んでいられないとなれば《まともではない》方法で切り抜けるだけだ。そうならずに済ませられて良かったが。《まともではない》方法をとると相手を必要以上に損傷させかねないからあまりやりたくないのだ。殺すだけならばたやすい。が、面影を完全に奪うような殺し方は俺の流儀ではない。だからこそ毒殺も嫌っている。毒によっては顔が《崩れる》からだ。眼球が溶けるだの肌が異常な色に変色するだのとそういった殺し方は好きではない。クライアントが《ソレを望む場合》毒も使うが殺し方を指定されない場合、毒は使わない。まぁ、刃物で殺しても遺体は崩壊するし変色もするから些細な拘りと言われればそこまでだし殺してる時点で十分な冒涜だが。緊急時、どうしても無関係な相手だが殺すでもしないと切り抜けられないとなったときは見た目が崩れるだのなんだのそんなのは度外視だ。俺自身が無事でいなければ仕事はこなせないし、仕事はこなさなければならないからな。彼女に強引な方法をせずに済んだのは幸いだ。こうして助けてもらってのんびり話なんざできなかったろう。腹一杯で眠い、と栗丸が俺の胡座をかいた足の上に登ってきてウトウトし始める。やれやれ。話している内容が重ったるいがコイツの行動はそれとは真反対のお気楽な感じでいくらか救われるな。腹一杯なのと眠いせいだろう、普段より体温が高いのが分かる。栗丸の挙動を目で追っていたジゼルが暗かった表情を少し明るくした。栗丸に自覚はなかろうが、この子は知らないうちに周りの人間を穏やかな心持ちにする才を持っているよな。

「なんだかすみません変な話を思わず。」
「気にしなくていいぞ。アンタが話していい、話しをしたいと思ったなら話せば良いだけだ。聞きたくなきゃ俺は遠慮なく遮るぞ。」
「……刹さんは面白い方ですね。」
「そいつはどうも。」

変な奴だなと言われることは度々ある。よくわからないが俺の主張は周りとズレがあるように取られるらしい。どうズレてるのか理解出来ていないから何が変なのかも自分では分からん。面白い方とはあまり言われた事がない気がするな。どう面白かったのかそれもやっぱり分からんが。基本的に俺も含めてみんな、自分が普通だと思って生きてるしな。栗丸のウトウトが少しおさまったら、片付けて移動してしまうか。今日はもうマロンを採りに行くのはやめてテイルフェザーで休んでしまおう。また水の音に引きずり込まれては困る。運良くジゼルが助けてくれたから良かったものの、次も誰かの助けが望めるわけではない。荒野では特に人なんざ居ないしな。本当に今回は運が良かった。彼女が間に合ってなかったら俺は大怪我だった可能性が高い。熊の突進や殴りつけをまともに食らったら下手をすりゃ即死だ。

「そう言えば私と一緒に睡眠薬を飲まされた冒険者さん、刹さんにちょっと似てましたっけ……。」

ジゼルが独り言ほどの声で呟くのが聴こえて、思わず聞き咎めてしまう。今、睡眠薬と言ったよな。それも俺に似てる?詳しく話してもらっても良いか?と促すと、え?と言う顔の後に説明をしてくれる。イシュガルドのファルコンネストで聖竜の眷属達との和平を誓い、祝う式典の準備をしていた時。彼女もその手伝いをしていて、少し休もうと言う時に同じように手伝っていたアウラの冒険者とたまたま同じタイミングで休憩室に入って温かい飲み物を給仕から貰ったらしい。で、それが薬入りで彼女も一緒に貰った冒険者もぱったり寝てしまったそうだ。……なるほど。

「それ、俺の兄貴だな。」
「えっ!」
「五つ上の兄が居てな。その式典で薬盛られて昏睡した。」
「えぇ……!」

俺は式典だのに興味が無かったからあの時、兄貴とは別行動をしていた。お偉いさんのやるパフォーマンスは俺にとっては退屈なだけだからな。兄貴はイシュガルドがドラゴンと長く争い続けた竜詩戦争の終結のために走り回ってたから、それの終わりを祝う式典には居た方が良いと下準備の手伝いなんかもしていたわけだが、まぁ、薬を盛られた。戦争なんざとっとと終わる方が良いと思うのだが、竜達と争い続ける事にしか価値を見出せない連中と言うのが居る。千年の長きにわたり邪悪な竜という生き物と戦う事が善とされてきたのが実の所、べつに竜達は邪悪な訳でもなくかつては人と竜、仲良く暮らしていてそれを壊したのは人間の方だったと暴かれたと言うのは確かにショックな事なんだろう。千年、絶対的な支配者として君臨し続けた教皇は自分達を騙していたという事実。竜と戦う為に駆り出されて死んだ者たちは無駄死にだったのではないか?という苦悩。戦いに生きて死ぬのが美談だった筈がそれが崩壊して、混乱して受け入れがたいという心理になるのは理解できない訳では無いが、ならば争いを再燃させよう、と火をつけようとするのは俺には理解出来なかった。他所の国の育ちだからこそイシュガルドの民たちの苦悩はやはり分からない。分からないが巻き込まれるときは巻き込まれる。兄貴はその戦争を続けたい連中に邪魔だと思われた訳だ。竜詩戦争の真実を暴き、ニーズヘッグを討伐した上で聖竜の眷属との仲を取り持つ。戦争終結の立役者であり象徴のような存在は戦争を続けたい連中にとっては鬱陶しい訳だ。盛られた毒が睡眠毒で良かったようなもので下手すればレディの使ったような致死毒だったかもしれない。兄貴が盛られて倒れたと報せを聞いて駆けつけたがジゼルを見た記憶は無いな。別のところで介抱されていたのか、俺が到着した頃には回復が済んで立ち去ってたのかもしれない。

「兄貴は混乱する人達が多いのも無理はないと怒ってなかったな。あのお人好しそのうち本当に命取られやしないか心配だ。」
「お、お兄さん人が良すぎます。」
「だろう?俺が代わりに馬鹿みたいにキレてたな。」

犯人は捕まっていたし騒ぎを起こそうとした連中も大半が自害という非常に後味の悪い終わり方だったのだが、とりあえず兄貴ではなく俺が怒り心頭だった。もしそれで兄貴が死んでてみろ。捕まった首謀者を意地でも殺したぞ。俺にとっちゃ血の繋がった最後の一人で大事な人だからな。無論、血が繋がってようが仲良くない家族がいるのも承知だし血の繋がりだけが家族では無いが、兄貴は俺にとってそう言う存在だ。失ったら正気でいられる気がしない。レンや栗丸だったとしてもどこか精神を壊しそうだから兄貴だけに限らないとは思うが。

「そうか、兄貴が巻き込まれた子が居たんだと話してたのはジゼルの事だったんだな。」
「はい。お互い名乗ったりはしなかったので名前は存じなかったんですが……。」
「多分、兄貴のが昏睡度合い大きかったろうしな。」
「と、思います。」

殺されはしなかったが、危険な目にはあった。兄貴と一緒になって睡眠毒を盛られた経験もあって、ついこの間毒殺事件が身近で起きていては俺の飯の支度もそりゃ警戒したくもなるだろう。まったくなんの因果やら。兄貴と一緒にあの騒ぎに巻き込まれた子が、《裏の仕事》を邪魔してきたと思ったら《表向きの時に》命の恩人になるとは。何か縁でも有るのかもしれない。不思議なこともあるものだと思っていたら栗丸がうとうと寝惚けていてコロンと俺の足から転がり落ちた。何時もの仰向けにバンザイしたような格好になって驚いたのか眠そうにしつつ目をパチパチさせている。勢いあまって焚き火に突入しなくて良かった。焼き栗丸になっちまうところだ。何だかんだ食べ切ってくれたジゼルがその栗丸の様子を見て控え目ながら笑っている。

「……!」
「俺のせいにするな。何もしてないぞ俺は。」

旦那のいぢわる!とさも俺が転がり落としたと言わんばかりの理不尽な怒り方で栗丸がぴょいんと起き上がりながら文句を言う。お前が勝手に転がっただけだろう、人のせいにするなと頭のもしゃもしゃを軽く摘んで引っ張る。にゅっと顔が縦に間延びして間抜けな顔になった。ジゼルがさっきに増して笑いだすのが分かる。暗い顔をしているより良い。しゅぽんと手を離すとふにょっと顔立ちがいつものまん丸な目のパイッサに戻った。

「〜!!」
「人のせいにするからだ。横にも伸ばすぞ。」

言いながら顔の左右と言うか腹の左右を摘んで軽く引っ張るとこれまた皮が伸びてみょーんと横に顔が広がって間抜けな感じになる。手をパタパタさせてヤメロォと栗丸は訴えているが俺のせいにしたお仕置きも兼ねてちょっとの間横幅のあるパイッサにしておいた。パッと手を離すとふにょっと元に戻る。旦那のばかー!と栗丸が俺の前でぴょんぴょん跳ねてから抗議するようにステンとひっくり返った。俺のせいにするお前も大概だろうと腹をもしゃもしゃしておく。満腹のポンポコリンは収まったようで、俺の足から転がったのもあって目も覚めたらしい。ぷりぷりしている栗丸を見ながら、ジゼルが小さな声ながらも声を出して笑っている。少しは気が晴れたろうか。人のせいにしちゃだめですよ?とジゼルに言われて栗丸がムムムと目を細める。だって眠かったんだもん、と言い訳なんだかよく分からない主張をしている。眠い時に意味の分からん行動を取ってしまうのは俺もあるから解るが、さっきのはうたた寝しかかって転がっただけだからな。とりあえず丁度いいからちょっと地面で大人しくしてろと使った食器を片付ける事にする。ジゼルから木の皿とスプーンを返してもらって使った小鍋と一緒に適当な葉っぱで表面の汚れだけ拭い去ってカバンにほうる。本当なら水で洗うのが一番いいが、ここは水辺がないし今の俺は水辺に近寄らない方がいいからこれで我慢だ。集落に入ってからか、宿にでも入ったときに改めて洗おう。葉っぱの方は地面に軽く埋めてしまう。そのうち土に還ってくれるはずだ。うかつに地面の上に食べかすのついた葉っぱなんか置いておくと虫が湧く。荒野だろうが、そういうところに湧き出る虫ってのは伝染病を媒介したりしやすいからむき出しよりは埋めてしまう。焚火は土と砂をかけて消しておいた。火種が残っていないか確認して用心深く。そうしないと森が火事になって大惨事だ。ここはチョコボの森と呼ばれる場所で、野生のチョコボたちが暮らす森だ。テイルフェザーの猟師たちは野良のチョコボを捕獲して調教し、イシュガルドに売りに行ったりする。食料にすることもあるみたいだが。つまり、この森の恵みがないと立ち行かない集落だ。そうと分かっていて火の始末を中途半端には出来ない。あそこの元締めとも呼べるオッサンには目を負傷した時にずいぶん世話になったからな。恩を仇で返すようなことはしたくない。さて。ここからゆっくり歩けばテイルフェザーまで小一時間はかかるか。そろそろ行かないと日が暮れる。太陽が落ちたあとの森というのはひどく暗くなって物騒だから日が暮れてしまう前に集落に入った方がいいな。ちらとジゼルのほうを確認すると、俺と一緒に片づけていた焚火に火が残ってはいないか、注意して確認してくれている。目がはっきり見えてる彼女が見たほうが確かだろうから最終確認は任せておこう。栗丸はと言えば、俺やジゼルが片づけているのをおとなしく待っていた。俺の背負い袋の上に乗っかってじっと俺たちを見ていた様子だ。こいつも好奇心旺盛だからうっかり目を離すとどっかに行きかねないのだが、今まであちこち一緒に歩いて回ったときにさんざん勝手にどこかに行かないようにと注意してきたからかあまりフラフラとどこかに行こうとはしない。最初のころは飛んできた花びらに釣られて走り出したりしたが、その都度俺が懇々と言い聞かせたのが効いているようだ。俺の場合は静かに言い聞かせるが、ロットゲイムなんかだと心配だからそれはダメだよ!とちょっと声を荒げたりもする。栗丸は最初こそ驚いたようだが、ロットゲイムなりメッシなりがちょっと声を大きくしたときは心配をかけているときである、と覚えたらしくて今では驚いたりはせずに慌てて彼らの足元に帰るようになった。素直でいい。

「さて……じゃあテイルフェザーに向かうか。」
「集落まではご一緒しますね。フラフラは無さってない様子ですけど。」
「だいぶ落ち着いたな。断っても心配させるだけだろうし、お言葉に甘えるよ。」

ジゼルのお姉さんも一緒なのか!と栗丸が嬉しそうに彼女の周りを一周跳ねまわる。どうやら誰かの周りを飛び跳ねて回るときは嬉しい時らしい。ニコニコしながらそれを見て、離れないようにしなくちゃ駄目ですよ?とジゼルが念を押してくれた。分かったぞ!と栗丸が胸をはってフンスと鼻息を吐く。じゃあ行こうと揃ってゆっくり道なき道を歩き始める。草を踏んで、土を踏む足音にジゼルの鎧がこすれる音が混じる。ポテポテという独特の音は栗丸の跳ねて移動するときの音だ。ちゃんと俺の傍らについてきている。なんだかよく分からない鼻歌も聞こえてくるが。

「栗丸くんはいい子ですね。」
「!!」
「当然かどうかは知らんが素直でいい子なのは確かだ。」
「ふふふ……。そういえば刹さんは暁には所属してらっしゃらないんですか?お兄さんのほうはチラっと見かけたことがあったんですが……。」
「ああ、誘われたが断ったからな。」

暁の血盟。俺やジゼルみたいな変な力の持ち主を集めて、その連中の力が悪用されないように、かつその力を生かして平和につなげられるように。だいたいそんな感じなことを目指す組織だ。もっとでかいことを言うとエオルゼアを護るという目的も持つらしい。確かに俺も、そこに誘われたことがある。が、所属を増やしたくない俺はそれを断った。非常に好き勝手なことを言うと、エオルゼアが平和だろうがそうでなかろうが俺には興味がないことだ。そりゃもちろん平和な方がいいが、それのためにあれこれと力を使ったり走り回ったりするのが俺の性分に合っていない。混沌の地になったらなったでそれなりに生きていくだろう。あまり国やら世界やらに愛着を持たないと言ったらいいんだろうか。そういう理由で俺は暁に所属するのは断ってある。が、仕事としての依頼なら受けるという協力者の立場ではある。それで構わないと彼らが言ってくれたからそうさせてもらっている形だ。兄貴は西にきてから超える力を発現し、そのあとに声をかけられて暁に所属したらしい。同じ冒険者仲間であり、こちらも超える力を持ったジーキルも、暁に所属している。兄貴の場合は、西に来たばかりで何もわからなくて困っていたのもあるし、超える力を持て余していたから助けが必要だったという理由が大きい。ジーキルの場合は、単純に《そういう機関》であるならば役に立つかもしれんと思ったからだと言っていた。ジゼルもなにかしらで彼らと接触して所属することを選んだということだろう。あそこには人種も職種もめちゃくちゃな人材が集まっていて、それこそ俺のような殺し屋をやってたような奴までいた。自分のような日陰者を引き入れて見張りもつけずに放っておく盟主は頭がおかしいのではないか?とソイツが言っていたのを覚えている。何をしでかすか分からないような犯罪者をほったらかしとはどうなっているんだ?と。そうは言いながらも、ソイツはおかしなことをする素振りもなかったが。俺が言うのもなんだが、殺し屋なんて職種の奴に光の加護だの超える力だの授けるのはどういった了見なんだろうな。はっきりとは分からないのだがこれらの力は俺たちが住む惑星ハイデリンが授けてくると言われている。本当かどうかは分からないが。一体何を基準にしているのやら。ジゼルような真面目で素直な人に割り当てられるならまだ分かるが。俺はお世辞にもどっちでもない。いい加減に、好き勝手に生きている。人を殺すなんて仕事までしながら。全くもって分からない。俺はああいう組織が得意じゃないから所属せずに時々手伝うだけにしてるよ、と言うとジゼルはそれなりに納得したようだ。本当ならグランドカンパニーにだって所属したくないが所属してないと恩恵が受けられない。グランドカンパニーはどこでもいいから所属しておけば装備を支給してもらったりチョコボを支給してもらえるし、国の用意した冒険者用の土地に家を持つ権限も貰える。俺はほとんどがそれ目当てだ。所属している不滅隊には若いころに世話になったからというのもあるが。

「まぁ、俺はそういういい加減な冒険者でな。」
「いい加減……には見えませんけど。」
「そうか?気に入らなければ一切手出ししないし、だいぶ子供じみてると自分では思うぞ。」

でも、栗丸くんは拾ってそのままお世話してますし、私にも親切ですよ?と彼女がよくわからなそうに首を傾げる。栗丸は俺が見つけてしまったからには責任を持とうと思っただけだし、そりゃ、命の恩人には親切にするぞと伝える。それを聞いても彼女は良く分からなそうにしていた。本当にいい加減ならそれこそ栗丸くんはほったらかして見殺しでしょうし、私にお礼もしないんじゃ?と。……確かにそれはあるな。それでも俺は自分をいい加減だと思ってるが。こんな奴仲間にいたところで信用しづらいだろうな、と。自分のことなんだが俺がもう一人いたとしたら間違いなく信用ならないと思ってしまう。話をしながら獣道を通り抜けて、小さな石畳で加工された人口の道に出る。この道はきっと、イシュガルドの連中とドラゴンたちが仲良しだったころに作られたものなんだろうなと思う。苔むして割れて、欠けた場所が多い。何か道沿いに建造物もあったのか崩壊した石造りの建物もある。酷く狭い空間に狭い階段のあるやつだ。一体なにを目的にした奴だったんだろうな。物見台か何かか、もしかして竜が羽休めでもする建物だったりとかかもしれない。それにしては小さすぎるか。そういえばジゼルはイシュガルドの人間ではないのだろうか。あそこはエレゼンが多い国だが、グリダニアに多いフォレスターやシェーダーともまた違うイシュガルド系と呼ぶエレゼンらしい。部族の区分けなんてのは細かい部分を無視してしまうと最終的にみんな同じ先祖にたどり着いたりもするからどれもこれも詰まるところ遠縁、と思っておけばいいとは思うが。彼女は例の、ドラゴンたちとの融和を誓い記念する式典に顔を出していたくらいなのだからドラゴン族と親しくすることにそこまで抵抗がないということなんだろう。いや、真逆の理由で現地にいて兄貴や彼女に薬を盛ったようなアホもいるが彼女はどうやら善意で式典の手伝いをしていたようだし。まぁどっちでもいいか。そのうち聞く機会もあろう。会うのがこれきりの可能性もあるが、《絶影》の時に遭遇していて刹である今この時にも遭遇したというのは何か縁でもあるんだろうからまた会うだろうし。正体を悟られないようにしなきゃならんな。

 テイルフェザーにだいぶ近づいてきた頃。物音が騒がしいなと感じとる。猟師たちがいたとしてもこんな派手に音を立てないと思うんだが……乱暴な足音と弓を引くような音が微かに聞こえてきていた。ジゼルのほうにはまだ聞こえてないようだが。……狩猟にしてはずいぶんと雑な音の立て方だな……。テイルフェザーの猟師たちは2~3人のバディを組んで連携しながら狩猟をするはずだがそれにしては足音が多く感じる。とんとん、とジゼルの肩をたたいて足を止めてもらった。どうしました?と彼女が立ち止まって俺を振り返る。具合でも悪くなりましたか?と。心配してくれていてありがたい話だな。

「ちょっと足音がな。聞き取りたい。止まっててもらっていいか?」
「え?あ、はい。」

栗丸もちょっとポーチな、と言って立ち止まった俺たちを見上げている栗丸も拾い上げる。怖い魔物でもいたのか?と栗丸がちょっと残念そうにしながらもおとなしくポーチに収まってくれた。顔だけだして少しばかり不安そうだ。目を閉じて角のほうに意識を集中させる。聞こえてきた足音がなんなのか。この辺りにはテイルフェザーの猟師以外ならば……冒険者やグナース族の一部、それから野生の獣や魔物。聞こえてきた足音は人間のものだからグナースや魔物ではない。なら冒険者かもしれないが……たぶん違うな。人間の足音に紛れてチョコボの鳴き声と犬の唸る声が聞こえてくる。土を蹴り上げながら走る音。これは……密猟者だな?チョコボを捕れば稼ぎになる。もちろん口で言うほど簡単には捕まえられない。チョコボたちは賢く、猟師を出し抜くこともたくさんあるし、あの大きな体と太い足に硬い嘴は強力な武器で反撃を許せばこちらが死にかねない。かつ、食用ではなく騎乗用や闘鳥用で売る方が高値が付くわけだから、あまり怪我はさせられない。傷をつけたら完治させるまでの金と時間がかかるからだ。だからこそ丁寧に、慎重に狩猟を行うはずなのだが……。密猟者というやつはとりあえず捕まえられればいいらしい。テイルフェザーの猟師たちはチョコボの全体数が減ってしまわないようにと捕る数を限り、抱卵している個体には手を出さないなどと厳密にルールを設けているが密猟者はそんなものお構いなしなわけだ。……近くで無法者がチョコボを追い立てている。こちらに気が付けば邪魔とみなして襲ってくる可能性もあった。俺だけならさっさと姿を消して隠れてしまうが、ジゼルにはそんな技術はないだろう。さて。

「……近くに密猟者がいるな。チョコボを追い立ててる。猟犬もいるな。」
「ええ!」
「割と距離としては近い。気が付かれると襲われる可能性があるが。」
「やめさせましょう。」

やっぱりそう言うか。彼女ならそう言うだろうと思ったが。どの方向ですか?と聞いてくる。背中に背負った槍に一度確かめるように手をやっていた。ちょっと確認だけするぞ、とジゼルに待ってもらう。こちらは二人。あちらはたぶん5~6人で犬が3頭ばかりいる。もっといるかもしれないが。弓をもった奴が少なくとも二人以上は居る。人数は確実に相手のほうが多い。弓持ちはそこまで耐久力を持たないだろうが、一緒にいるであろう近接武器を持った奴がどうか分からない。俺のような双剣を持つ奴は見かけたことがないが、槍を持った奴と片手持ちの剣と盾を持った奴と、両手で持つような斧を持った奴なら見たことがある。
前に積極的に出ることができる連中がいる可能性が高い。そうなると俺はあまり長く戦うのは難しいだろう。ジゼルのほうも俺よりは頑丈な防具だろうがそれでも最前線に立つ連中よりは多少、耐久は落ちる。俺たちの生存のために長期戦は避けなければならない。気はせいているようだが、ジゼルはきちんとその話を一緒に確認してくれた。

「刹さんは忍者でしたね。」
「ああ。」
「……でしたら私が先にひきつけます。不意打ちは得意なのでは。」
「得意分野だ。影からの一撃が決まれば落とせる自信はある。ただそれで何人落とせるかは分からん。」
「ゆっくり作戦会議は出来ませんし、やるだけやってみましょう。私も冒険者ですから乱戦に慣れてはいます。」
「分かった。なら、途中まで先導するがある程度近づいたら俺は影に潜む技を使う。姿がすっかり見えなくなると思うが近くには居るから安心して暴れてくれ。」
「はい。」

ならこっちだと先導を始める。栗丸はしばらくポーチに隠れてるんだぞ、と団栗を一粒持たせてやった。旦那もジゼルのお姉さんも無理しちゃだめだぞ!と言い残してすっぽりとポーチの中に潜り込んでいく。狭い場所が嫌いだった奴が指示したとおりにすっぽり潜り込んでいけるようになったのは本当に大したものだな。足音を殺すように、息を殺すようにしながら物音の激しいほうに向かう。ジゼルにも聞き取れるようになったようで、なるほど密猟者で間違いなさそうですねと極小さな声でつぶやいたのが聞こえる。ゆっくりと槍を背中の留め具から外して握りしめた。小さな金属音が俺には大きな音に聞こえてしまうが、おそらく走り回ってる密猟者たちには聞こえてない。自分たちの足音のほうがよほど大きいからな。さて、そろそろ俺は隠れるよと彼女に合図を送る。ジゼルのタイミングで飛び込んでくれて構わない、と。分かりましたお気をつけてと伝えてきてくれたのに手を振って礼を伝えてそちらも気を付けてくれと彼女から距離をとる。木陰で姿を消す術を使って、陰に潜む。ジゼルが慎重に密猟者たちに近づいていくのを気に留めながら、彼女からはいくらかの距離を保持したままで俺も近寄るように動く。足音を消し、気配を消し、存在がないかのように。ぎゅっとジゼルが槍を握りなおす音がする。鎧がぶつかり合ってかすかにガシャリと音を立てた。仕掛ける気のようだ。潜んだまま抜刀をして手近な高台に登る。不意打ちや騙し討ちは忍びの真骨頂だろう。ジゼルは俺がそれをこなせるように先に行って密猟者どもを引き付けててくれるつもりでいる。手早く数人黙らせてしまわないと彼女への負担が大きくなるな。様子をうかがっているとジゼルが小さな声を上げて跳躍する。俺と栗丸を助けてくれた時と同じ相手の動きを封じるための跳躍だ。ガツっという重苦しい音とギャン!という潰れたような猟犬の悲鳴が同時だった。背中に一撃。そのまま固まって動けない犬の足を払うとあの大きな槍を軽々と回して穂先を猟犬に叩き込んで沈黙させてしまう。手加減はして殺してはいないようで犬は伸びてしまっただけのようだ。あの重たいのをどうやったらあんなぐるぐる回せるんだ?不思議だな。ザワザワと密猟者たちが突然の襲撃に驚いて足を止め始める。チョコボが二頭ばかり逃げていくのが足音で分かった。あの力強さなら怪我も心配しなくて大丈夫そうだな。逃げおおせても負傷が重ければ野生の生き物は死を待つしかない。多少の怪我ならば耐えられるだろうから逃げて行ったあのチョコボたちが軽傷なのを祈るばかりだ。ジゼルが相手のざわめきを気にせずにもう一頭の猟犬を狙う。手投げの槍を使って注意を引き付けてから密猟者たちを巻き込むようにドラゴンダイブを放ったのが音や熱、吹き上がる炎で感じ取れる。火というやつは厄介であれを苦手にしない生き物というのはあまりいない。もちろん例外もいるが。それこそドラゴン族のように自らのブレスでも体を焼かれない頑健さを持った奴らもいるが本当に一部の例外だけだ。燃え盛る炎の高熱は生き物の肉体を内外から破壊してしまうから、基本的な生き物は火に弱い。そうでなくても体を焼かれるというのはとてつもない苦痛を伴う。急いで火を消したところで火傷が残るからダメージは確実に残る。そのせいで命を奪われるのなんかザラだ。猟犬が悲鳴を上げてへたり込んだのが見えた。火は怖いものな、無理もない。

「な、なにしやがるこのアマ!」
「密猟は感心しません。」
「なんだあ邪魔しやがって生意気な!」

顔や腕、皮膚の出ていた場所を火で焼かれたうえに意図的に邪魔をされたと理解して密猟者たちがいら立ちを隠そうともしない。エレゼンとヒューラン。それからミコッテの女が少し。火傷を気にしながらジゼルを囲おうとしてくる。密猟者とまだ動ける猟犬の視線を確かめておく。おそらくだがジゼルはわざと隙を見せている。全員を引き付けて俺が動きやすいように。ついさっき会ったばかりでここまで信頼して敵を集めてくれるのだからやはり彼女は人が良いんだろう。悪人ならここで彼女を囮にして一人でトンズラをこくだろうに、それの警戒はしなかったようだ。まあ俺も一人で逃げるつもりはなかったが。ジゼルがチラと自分を囲う者たちを確かめて、ぐっと足に力をこめる。攻撃がくるのかと警戒した密猟者たちを差し置いて彼女が行った行動は軽い退避だった。槍をうまく支点に使い、力を込めたはずの動きだがまるで羽のように軽やかに後退の跳躍をする。彼女を半円形に囲んでいた密猟者や猟犬たちの視線がごく当たり前にその動きを追いかけて一点に集中した。なるほどこれは助かる。俺の仕事の時間だ。スっと高台から音もなく飛び降りると、一番ジゼルから離れた位置にいたミコッテの女の首のあたりに双剣の柄をたたきつける。悲鳴を声に出せないまま、フラフラとそいつがへたり込むのを待たずに手早く近くにいたエレゼンの腕と足を同時に切り裂いた。ギャっという悲鳴と同時にそいつが膝をつく。さすがにほかの連中の視線がいくつか戻ってくるがそれを避けて続けてもう二人、手足を損傷させて蹲らせる。それなりに深く斬ったから大人しくしててくれるだろう。本当なら一思いに殺してもよかったが、それはジゼルに刺激が強すぎるだろうからな。俺一人ならたぶん全員、殺したが。その方が早い。残りは二人と一匹。さすがに後ろでうめき声が増えて二人ともが振り返った。犬だけはジゼルをにらんで唸っていたが。俺が数人まとめて立てなくしたのに気が付いてだろう、振り向いた二人がうわっと悲鳴を上げたのがわかる。なんだテメエ!とも聞こえてきた。槍を持った奴と斧を持った奴。耐久がそこそこ高いやつが残ったがなんとかなるだろう。

「観念してください。テイルフェザーの皆さんに引き渡します。あまり乱暴はしたくありません。」

この森を人間的な意味で管轄しているのはテイルフェザーの猟師たちだ。森のならず者どもをつきだすならまず彼らに。そのあと彼らからイシュガルドの神殿騎士にでも通達が行くだろう。そこらへんは俺たちは分からないからお任せになる。乱暴はしたくない、か。気のいい子だな本当に。ごちゃごちゃと立てている密猟者が口汚くののしってきていたが、俺もジゼルも聞く耳を持ってなかった。俺の場合は角か。まぁ些細なことだな。はやいこと全員を伸すなりしてさっき斬った連中をある程度手当してやらないと後が厄介だ。だったら斬るなと言われそうだがさすがに《仕事中を見られて》印象づいているだろう睡眠毒の針を使うわけにもいかない。槍持ちがジゼルのほうへ、斧持ちが俺のほうに向きなおる。犬は変わらずにジゼルのほうをにらんで唸り続けている。そっちは任せるぞと軽く合図すると彼女が任せてくださいとうなずくのが分かる。年若いと思うがこの状況で戦士として堂々としているな。大したものだ。ドラゴンダイブで焼けた皮膚や毛皮、草の焦げた臭いに血の匂いも混じる。一瞬にして周辺が戦場の香りに変わってしまった。確実に危険を意味する香りなのに、若干ながら高揚してくる自覚がある。戦いに怯えずに済むのは良いが自分で《コイツ》は頭がおかしいなと思ってしまった。

俺のほうを睨んでいる斧使いが、気合の声とともに斧を振り上げたのを見て思わず笑う。足元がお留守だな?ならそこに失礼するぞ。相手を伸している最中に練り上げておいた気を開放しながら、地面スレスレに体を投げだした。普通ならこのまま倒れるだろうが足先でしっかり地面を踏んでおく。あまりに俺が低い体勢になったからだろう、斧使いが微かながら戸惑ったのも分った。それは隙だぞ。俺にはちょうどいいが。相手の体に近くなった瞬間に体を持ち上げる。ガン!と重い音を立てて俺の頭を狙おうとする斧の刃を押し返す。相手の手からフワっと柄が浮いたのを確かめてもう一度押し返した。衝撃で斧が浮かんでしまっている隙に、本当ならば双剣を相手の首やら背中に突き刺す技だがそれでは殺してしまうからと鞘に納めたままの小ぶりなナイフで思いっきり背中の後ろを叩きつけておいた。それでも十分痛かろう。グエっとつぶれたカエルのようなうめきを上げて斧使いが顔をしかめた。すぐさま俺の体をバク転させて相手の腹から顎まで蹴飛ばしてひっくり返した。斧が不安定なままだが幸い、持ち主に当たることもなく仲間に落ちることもないまま、地面にゴットンと思い音を立てて零れ落ちた。苔むした土が軽く巻き上がって泥臭い。

 それとほぼ同時だろうか、奇声を上げながら槍使いが彼女に突進していくのが分かる。犬が一緒になって突撃していくのも。なるほど、槍使いと連携していたからずっとジゼルのほうしか見てなかったのか。牙がずらりと並んだ口を大きく開けながら猟犬がジゼルの足元を狙う。槍使いのほうは軽く穂先を持ち上げて彼女の胴回りに横から槍をたたきつけようとしていた。鎧を着ていても攻撃を食らうと痛いものは痛い。衝撃は消せないし、鎧が内服や皮膚をはさんだりするという厄介なことになったりもする。あれは思わず悲鳴が出るほど痛い。ジゼルはと言えば落ち着いてその動きを見ていた。彼女の体を青いエーテルが蛇のように渦巻くのが見える。その青が、どこからなのか分からないが一気に赤黒く染まっていく。ともすれば邪悪とも思われそうなほどの威圧感。思わず槍使いも犬もびくっとなった。アレを怖いと判断できる感覚は持っていたか。ただのバカではないようだ。が、もう遅いだろう。槍を頭の上まで持ち上げて飛びあがったジゼルが、その赤黒いエーテルを槍へと集中させていく。そのエーテルを束ねる力の強さに空中に持ち上がった彼女の体がしばらく落ちてこないほどだった。あの人間を憎み続けた邪竜ニーズヘッグを思い出させる禍々しいまでのエーテルがバリバリと音を立てながら束ねられていく。手加減はしてますから!と宣言しながらジゼルが猛烈な圧とエーテルを槍使いと犬のいる場所へ投げつけた。爆発するように、エーテルが膨れ上がる。まるで目玉のような姿と竜の鱗を思わせるエーテルが食らいつくように大地へ襲い掛かった!なるほど、本人たちではなくて多少ずらして狙ったんだな。でないと死ぬよなこれ。大地をえぐりながら、赤黒いエーテルが着弾する。土埃と悲鳴。槍使いも犬も派手に吹っ飛ばされて俺が最初に気絶させた女のミコッテのあたりにまですっ飛んできた。……ほんとに手加減したのかこれ、大丈夫か?うめき声をあげながら、槍使いも犬も起き上がれない。無理もないよな。多少なりと負傷はしただろう。俺が斬った連中とどっちが重傷やら。痛ぇという呻きとチクショウという悪態が入り混じって聞こえている。舞い上がった土が埃っぽいし血の匂いも混じってる。さて。ジゼルと二人で適当に動けないままでいる密猟者の武器を取りあげてそいつ等が持っていた縄を拝借して近くの木に全員縛り付けておく。犬ももちろん、少々乱暴だが噛みつけないようにマズルを縛ってから木につなげておいた。

「不意打ちお見事です。」
「アンタがしっかり引き付けてくれたからな。」
「とりあえず私が急いで猟師さんに知らせますね。このままにしておいたら魔物のご飯でしょうし。」
「この状態だと簡単に食える餌だな。俺が応急手当しながら見張っておくよ。」
「気を付けてくださいね。縛ったとはいえ。」
「そっちもな。たぶん集落の外にも猟師がいるだろうしそいつらを見かけたらそいつ等でもいいしな。」
「そのつもりです。」

では行ってきます、とジゼルが手早く自分のチョコボを呼び寄せる。背中に飛び乗ると颯爽と走り出して空に飛びあがらせた。彼女のチョコボも飛行訓練済みか、ならどこにいる猟師に知らせるにせよそれなりに早いはずだな。それじゃ止血やらしてやらないとだな。怪我させたのは俺だが。振り返って確かめるとそれぞれ非常に不愉快そうな顔で縛られている。当たり前か。縄で縛られるというのは想像してるよりもはるかに苦痛だし居心地も悪い。放しやがれと暴れようとする奴も中にはいる。傷が広がって死にかねないから大人しくしろとくぎを刺した。俺が斬った場所はそれなりに深く斬れてるからな。それでも一人、ヒューランはジタバタしていて大人しくならないのでそいつは後回しだ。出血が激しくなってもしらんぞ、全く。ポーチに入ったままの栗丸がそわそわしているのが伝わってきたが、ポーチ越しに手を当ててもうちょっと我慢しててな、と小声で伝えると俺の声で多少安心できたのか分かった!ともぞもぞするのを控えてくれる。窮屈だろうからなるべく早く終わらせないとな。一人ずつ応急処置をする。止血をして手持ちの薬草と包帯で傷の保護を行う。最初に首を殴ったミコッテは出血こそしてないが、頭にも振動がいったからだろう気分が悪そうだ。こいつは本当なら横にしてやった方がいいが全員仲良く縛っているからもうちょっと辛抱してもらおう。痛めつけておいてなんだが、中途半端に負傷させるというのは後が面倒だなと思う。これは俺が異常だからというのもあるだろう。殺しちまった方が早いなと思ってしまう。始末をつけてしまえば手当もクソもない。それで終わりだ。

「いってえ!」
「動くからだ。じっとしててくれないと包帯で縛れん。」
「元はと言えばテメエが斬ったからだろうが!クソ!」
「命取られるより良かったろう。殺してもよかったんだが。」

平坦な声で俺が返すからだろう、文句を言いながらも手当を受けているエレゼンの男が一瞬、押し黙る。隣のヒューランの男は相変わらずまだ暴れてるようだ。諦めの悪い奴だな…。ジゼルがエーテルをぶつけたエレゼンだけは負傷の仕方が他とは違う。爆発に巻き込まれたのに近いからか、小さな傷と火傷が多かった。ソイツはすまないが後回しだ。刃物で切った連中の止血だけはともかくしないとならない。俺が蹴り飛ばした奴も切り傷はないがこっちは打撲だらけだろうな。ざっと止血を終えて暴れている奴の前に来たが、俺を睨んだままそれこそ狂犬染みて激高している。よほど頭に来たらしい。参ったな。こういうのはナイフで脅そうとしてもあんまり聞かないだろう。睡眠毒はジゼルに感づかれるのを避けるために使いたくないし、かといっていつまでも放っておくのもよろしくない。出血というのは確実に命を削るからな。暴れていたら収まるはずの出血が激しくなってしまって逆効果になるんだが……そんなことを判断できる状態でもなさそうだな。俺にしてみれば死んでも構わんがテイルフェザーの猟師たちに突き出すのであれば生きてた方が良いだろう。落とし前を付けさせるのは生きてないと出来ないからな。死体にはさして価値がない。身に着けているものでどこの誰なのか、所属がどこなのか割り出して斥候がどうか?なんかを割り出すのには使えるが生きている奴よりは少々価値が下がる。まあ残存エーテルを利用できる力を持った奴や妖異の類には利用価値があるかもしれないが。毒を使わないなら、一時的に抵抗力を無くさせるポイントを針で刺すという方法がある。これだけ暴れてると刺す前に羽交い絞めかなんかにしないとならないから現実的ではないか……。目に見えてそいつの出血だけ激しいし止まりそうにない。仕方ないがまたちょっと放っておいて犬のほうの手当てをするか。俺が近づいたとたん震えながらも唸りだしたが、とりあえず噛まれる心配はない。ジゼルが槍で負傷させた一頭目は結構な怪我だったが幸いなんとか助けられそうだ。いや、正直死んでもいいと言えばいいがまぁ一応こいつらは下衆な人間にたまたま飼われただけだからな。あまり体を触るのは今は嫌がるだろうし手早く手当して、もう一頭の手当てもさっさと済ませる。火傷と打撲がほとんどの二頭目は一頭目より元気そうだからこっちはあまり心配ないだろう。三頭めはほぼ火傷だったから念のために少々、丁寧に手当てしておいてやる。火傷の深さにもよるが広範囲に広がっていると手当てしても助けられないのだが……幸いなんとかなりそうだな。普段から薬草は持ち歩いてるがだいぶ使ったから補充しておかないと。それから俺が殴って蹴り飛ばした奴も多少なり、ドラゴンダイブで火傷をしていたからその火傷と打撲に薬草を使っておく。ずっと気が立っているヒューランに比べてこいつはずっとだんまりだ。さて、めぼしい手当はだいたい済んだがカッカしているコイツはどうしたものか。考えているとジゼルが猟師たちを連れて戻ってくる。何人かがチョコボギャリッジをし支度していて御者役がチョコボのすぐ後ろに乗り、残りの猟師たちはギャリッジに乗って来た。何が起きたのかをジゼルが既に細かく説明してくれたようで猟師たちはこいつらを護送する手はずで来てくれたそうだ。一人だけ、応急手当ができてないと伝えるとそいつの様子をみた猟師たちがこれじゃ無理もないと納得してくれる。そろそろ疲労して元気がなくなってくると思うんだが……いつまでもやかましいなこのアホは。

「……大丈夫ですか?噛まれたりしてません……?」
「近寄らんようにしたから大丈夫だ。」

猟師たちが手当の済んでいる奴をギャリッジに乗り込ませているときに、ジゼルが心配して声をかけてくる。縛られている以上、こいつらが使えるのは口くらいでそうなると攻撃手段は噛みつく、という行動しかない。頭突きもできなくはないか。まぁともかく、こうも激高したままだと近寄るのは危険だなとあまり近寄らなかったから噛みつかれたりはしていない。手当てができてないからコイツは怪我の治りが遅くなるだろうな。手早い応急処置ってのは回復速度にも影響が出るんだが。猟師たちもひたすら喚いているそいつを見て困惑気味だ。こいつも護送しなきゃならないわけだが、大人しくギャリッジに乗ってくれそうもないし無理やり乗せたところでじっとしていないだろうから安定が悪くなるだろう。そうすると下手すればギャリッジが横転する羽目になる。そうなったらまあ全員さらに負傷するし、チョコボも怪我をするだろうしギャリッジが壊れる。下手すれば死人が出かねない。どうする?と猟師たちが話し合いをしている間も、そいつは顔を赤くして息を荒げている。薬でもやってんのか?というような興奮状態だ。もっとも激高、というのは人にもよるが一種の異常な状態だから素面でもこうなるかもわからん。少しの間話し合っていた猟師たちがなにやら決定を下したようで、一人の猟師が慎重にそいつの後ろに回り込んだ。正面にいると危ないということか?観察していたらその猟師が吹き矢を持ち出してくる。喚いているヒューランに向かって、その猟師が吹き矢を放った。ットンという小さな針の刺さる音。音というか振動というか。それが聞こえてほどなく、激高していたソイツが脱力して大人しくなる。なるほどそれこそ麻酔針か。本来はチョコボ用かもわからんが人間に使ったということは薬の量はちゃんと調整されてるんだろう。麻酔薬ってのは体重なんかにきちんと対応した量を使わないと死んじまう。分かりやすく言えば子供に大人の分量を使えば子供は昏睡からそのまま呼吸が止まって死ぬ。あれは医療的にも便利な薬だが相当に危険な代物なのだ。俺が使うのはちょっと違うが。とりあえず大人しくなったらしいので念の為に用心しながら近づいてみる。呼吸音は静かでさっきまでの剣幕が嘘のようにスヤスヤ寝ているようだ。ならばと一先ず応急手当をしてしまう。猟師たちも手伝ってくれたので手早く済んだ。そいつもギャリッジに運び込んで、猟師たちと一緒に集落を目指すことにする。丁度いい、お互いを護りながら森を抜けられる。これだけの人がいれば安全だろうと栗丸もポーチから出してやった。人がそれなりにいるから踏まれないようにするんだぞと注意を促してから地面に降ろしてやる。知らないうちにいっぱい人がいる!踏まれないように気を付ける!と返事をして俺から離れないように歩くことにしたようだ。ポーチは狭いし暗いしお外が一番~と歌いながら。ジゼルがそれを見てニコニコしている。人のことは言えないがちょっと前まで人殴ってたのが切り替えられるのは冒険慣れしてるってことなんだろうな。猟師たちとも少し話をしたが、密猟者は捕まえてもしばらくすると違う連中が入り込んできてイタチごっこで厄介だと愚痴っていた。それだけチョコボを捕まえて売る、というのが儲かるんだろう。テイルフェザーの猟師たちが決めているルールを守っているとチョコボたちの数は激減しないが儲けにある程度限りがあるということになる。これ以上捕ってはならないとなれば猟ができなくて生きた商品が手に入らないわけだ。密猟者たちはそれを無視して捕れるだけ捕って売りさばいて儲けたいんだろう。そういう連中から買うやつも買う奴だ。品物は買い手がいるからこそ価値が出るんだしな。俺も不滅隊からの支給で受け取ったチョコボのオニキスがいるが、あの子もイシュガルド系の血筋らしい。チョコボの育成や繁殖はイシュガルドの専売特許になっていて、エオルゼアの冒険者がグランドカンパニーから支給してもらえるチョコボは総じてオスだけだ。繁殖をさせないためなんだろう。メスが支給されることはまずないそうだ。専売特許だからこそイシュガルド国内でも大きな金が動く商売なんだろうな。他国に売り出すために育て、自国でも騎兵に使うから育てて貴族に売ったり闘鳥なんかに使う。すべてが商売になって金の流れを生むわけだ。密猟者が居なくならないのも分らんではない。納得はしないが。

 ゆっくりと森を抜けて、夕暮れと同時くらいに開けた集落にたどり着く。空が赤からかすかに紫を帯び始めていた。すぐにでも日没だろうな。真っ暗になる前にたどり着けて良かった。大勢の猟師とその家族、それから少しの冒険者たちが行きかう場所。大きなエーテライトもあるからテレポで移動することもできる場所だ。猟師たちが俺たちに礼を告げながら、こいつらは俺たちがなんとかするよと捕まえた連中をそのままどこかに運び込んでいった。あとは彼らのルールでなんとかしてくれるだろう。やれやれ、ようやく少し気を抜けるだろうか。ここは集落の中を小さな川が流れているから、今はそっちには寄らないことにしておこう。またフラフラしたら困る。普通にあいつ等を伸せたし、たぶんもう大丈夫だろうが念を入れたい。

「思いがけず戦闘までしちゃいましたがお疲れ様でした。」
「お疲れ。ある意味良かったな。猟師たちとお互いを護りながら来れたから安全だった。」
「お加減は大丈夫そうですか?あれだけ不意打ちができるなら心配なさそうですけど……。」
「たぶん大丈夫だな。心配感謝するよ。」
「!!」
「いっぱいありがとう、だそうだ。ああ、通訳はいらんか。」
「ふふ、ええ。分かるから大丈夫です。」

栗丸くんは刹さんの言うことを聞いていい子でしたね、とジゼルが頭を撫でている。得意げに胸を張って目を細めてフンスと鼻息を吐いて見せるあたり、栗丸としてもまんざらではないようだ。愛想がいいのはいいことだが何と言うか良くも悪くも単純だよな栗丸は。この子の単純さに周りの人間は救われてる。

「とりあえず俺はもうこのまま集落の隅っこでも借りて休むよ。」
「はい。私はヴァスの塚の用だけ済ませて一度皇都に戻ります。」
「?」
「今日はここでバイバイですね。またきっと会いますよ。」

ジゼルのお姉さん帰っちゃうのか?と栗丸が残念そうにしたのを見て、彼女がそう言いながらもう一度、栗丸の頭を撫でてくれる。しょんぼりした後に栗丸が俺のほうを振り向いてジタバタとアピールをする。団栗見せろと訴えたのは分かっていたのでコイツのおやつ用に持ち歩いている団栗をしまってある布袋を出してやって口をあけてやった。ゴソゴソとその団栗の小さな山に手を突っ込んでアレでもないコレでもない無いとブツブツ言いながら漁りだしている。何事?とジゼルは困惑しているようだが無理もない。すまないがちょっと待ってやってくれるか?と声をかけておく。良く分からないながらも、分かりましたと彼女がなんだろうかと栗丸がジタバタしているのを見つめている。食い漁ってるようにも見えるがそう言うわけではない。二粒ばかり、選んだ団栗をどっちがいいかと見比べて悩んでいる。旦那はどっちがいいと思う?とズイっと二つともを俺のほうへ突き出してくる。そうは言われてもな。どっちもツヤツヤで綺麗だが俺よりお前のほうが団栗詳しいだろ、と言うとそうだけど~決められない~と目を細めて唸りだした。しばらくの間掴んだ二粒を見比べては唸っていたが、どうやら決心がついたようで掴んでいた片方を足元の団栗の小山に戻した。それから大事そうに一粒を抱えたままジゼルの足元へ移動する。ひょいとその選び抜いた団栗を彼女のほうへ突き出した。

「!」
「私に?」
「!!」
「助けてもらったお礼?良いんですか?ツヤツヤの素敵な団栗。」
「!」

ツヤツヤで素敵だからジゼルのお姉さんにあげたいんだぞ!と栗丸がぴょんぴょんと跳ねる。栗丸にとって団栗は大事なオヤツでありご飯なわけだが、すなわち価値のあるもの、という認識をしているらしい。なので時折こうして、お礼をしたくなったときに自分で選び抜いた団栗を手渡そうとする。俺たちからしたら下手すりゃゴミの扱いになりそうだが、大抵の奴は気を使ってくれるのもあって受け取ってちゃんと荷物の一つに加えてくれる。ジゼルもまたそうで、しゃがみこんでありがとうございますと団栗を受け取ってくれた。大事にしますね!とハンカチにくるんでポーチにしまってくれる。大事そうに扱ってもらえているのが栗丸にも分かっただろう。満足そうにフンスと鼻息を吐いて団栗の小山に戻るときちんと布袋の中にしまおうと整頓している。……律儀だな。とりあえず手伝って団栗を全部元通り布袋に入れなおすとその布袋そのものを俺の背負いカバンにしまいなおした。それからジゼルに、もし飾るようなら人が風呂に入るくらいの温度の湯でしばらく煮ると良いと伝えておく。団栗を食べるのは栗丸のような小動物に限らないわけで、時々中に小さな虫が入り込んでいることがある。住処兼食い物の扱いをするためだ。その虫が、時間を経て団栗の中から沸いてしまうことがあるのだが風呂くらいの温度でいくらか茹でてやると殺虫したことになって中から這い出して来るのを防げる。まあそれでもいつかは痛んで腐ってしまうとは思うが……。木工の技術の応用で加工してしまう手もあるがそれは結構手間だろう。木工ギルドのマスターであるベアティヌに頼んだらやってくれるかもしれないが、彼も暇ではないはずだしな。

「分かりました、戻ったら軽く茹でておきますね。」
「すまんな。栗丸なりの礼ではあるんだがゴミになりかねん。」
「大事にしますからゴミじゃないですよ!」

薬品で加工したら防腐できるかな……?とジゼルが首を傾げている。そこらへんはやっぱりベアティヌとかに聞いた方がいいと思うぞ。薬品で加工してニスかなんかで表面を塗ればそれこそツヤツヤのピカピカになるとは思うが。バヌバヌ族が作るバカでかい団栗の飾りなんかはたぶんそう言う加工を施してあるんだろう。

「俺も冒険者だし、またそのうち会うだろう。」
「冒険者仲間って認識でいいでしょうか?」
「アンタが良いなら勿論。」
「なら是非、今度一緒に冒険に行きましょう。お兄さんにも改めてお会いしてみたいです。」
「碌な会い方じゃなかったんだものな。伝えとくよ。」

それじゃあお気をつけて、栗丸くんも元気でねとジゼルがお辞儀をしてくれる。栗丸は彼女の足元までいってピョンピョン跳ね回ってジゼルのお姉さんも気を付けて元気でいるんだぞ!と伝えているようだ。俺のほうは片手を軽く上げて気をつけてなと挨拶を返す。またお会いしましょうと今一度、品よくお辞儀をしてからジゼルがチョコボを呼びだすと跨って飛び去って行く。去り際まで気持ちがいいのは人柄だろうかな。栗丸がしばらく名残惜しそうにジゼルが飛び去った空を眺めていたが、ほどなく諦めがついたのか俺の足元に戻ってくる。フンスと鼻息を吐いたのが聞こえてきた。また会いたいな、と言っているのが分かる。また会うためにもちゃんと元気で過ごしていないとダメだな。今日みたいに水に引きずられるようなことがないようにしておかないと。まあ今日はそのおかげで会ったとも言えるが……。俺だけが危ない目に合うならともかく栗丸を巻き込むのは非常によろしくないしな。今夜は一先ず、ここの敷地の隅ででも仮眠させてもらって明日には一度シロガネの家に帰るとしよう。数日しっかりゆっくりするように意識しないと。つい暇だと思うとどこかにフラフラ行きたくなってしまう。もちろん家でボンヤリ寝ているだけも好きなのだが、腐っても冒険者ってことなんだろう。適当な場所を見繕って座り込む。まだ寝るには早い。栗丸は俺の隣に座り込んで今日あった出来事を思い返すようにブツブツと独り言を言っている。森を抜けて、覗き込みすぎて水辺で落っこちて熊に食べられそうになったのは怖かった、と思い出しながら軽く地面を見つめてブルブルっと身震いしている。俺がぼーっとなってしまったのも良くなかったが、栗丸自身も川に夢中になって身を乗り出しすぎたと反省しているらしい。でもでも、助けに来てくれたジゼルのお姉さんすごくかっこよかった!と少し視線を上げてその瞬間を想いだす顔になる。目がキラキラっとなるから分かりやすい。表情が非常に詠みづらい子だがそういう変化は何となくわかる。そのあとは焚火で暖まりながらご飯を食べて、悪い猟師さんたちを旦那とジゼルのお姉さんがとっちめてそれでここまで歩いてきたんだっけ、と思い浮かべて視線をフラフラと空中に彷徨わせている。とっちめる、なんて単語どこで覚えてきたんだ……?また雷刃がこっそり仕込んだのか?まあいいか。ジゼルのお姉さん、かっこよくて優しかったからまた会いたい~と考えたところでクルっと俺の方を振り向いた。

「?」
「また会えるか?たぶん会えるんじゃないか?なにがしか縁があるようだからな。」

裏の仕事中に目撃され、そのあとそんなに長い間が開くわけでもなしに表向きの姿で再会など、多少なり縁がないと起こらない出来事だろう。となればきっと、またどこかで会う機会もある。今度会うときはもうちょっと平和な会い方か、街中か、軽い冒険を出来る程度の余裕がある時が良いな。裏の仕事中には二度と遭遇しないことを願いたいが、変な縁があったとするとそっちで遭遇する可能性もあるのか……出来れば避けたい。遭遇回数が増えてしまうとなんとなく分かってしまうなんて事も起こりうるからな。……いやまあ、超える力持ちだから俺の《仕事中》の姿を視てしまう可能性もあるか。その場合はもう仕方がないな、あれは防ぎようがない。もしそれで視られてしまったらどうにか黙っていただけるように交渉するしかない。さすがに《黙らせる》のはしたくないからな。間者の仕事だという言い訳も使えなくはないが……まあ万が一のことは発生した時に考えるとしよう。軽く荷物を整頓して、野宿できるようにボロけた毛布を出してくる。栗丸の方は小ぶりな篭を出しておいてそっちにも毛布を掛けて天幕のようになるよう支度しておいた。夜のドラヴァニアはそれなりに冷えるから、小さな体の栗丸には寒さが堪えるだろうし。失敬して小さな焚火を作らせてもらうと湯を沸かして夕餉の支度もしてしまう。栗丸のを先に済ませて食べさせておく。小さな体でよく食うなといつもながら感心だ。茹でて温めなおした団栗の団子を一つ残らず綺麗に食べてしまう。それをわき目に俺の方は乾燥させたパンと、干し肉で適当に腹を膨らませておいた。火の消える前に持っていたワインにざっくり切ったジンジャーとシナモンを少し放り込んでホットワインしてゆっくり飲んでおく。いい匂いで美味しそうとのぞき込もうとした栗丸にはお前には毒だからダメだと遠ざけた。アルコールはお前には駄目だぞ。ちょっと残念そうにしながらも俺がダメだと言った食い物は頑として食わせないのを知っているから、すぐに諦めてくれた様子だ。最も俺自身あまり酒は飲まない。酒は好きだし強いほうだが毎日飲みたいとかは思わない。冷えそうな時にホットワインを飲んでおくと温まるから飲んだが。ぷるぷるっと身震いした栗丸に気が付いて抱きあげる。

「眠いか?」
「…!」

ちょっと眠たいかも?と栗丸が目を細くする。水に浸かったりしたから疲れたのかもしれない。早めに寝ておくか?と聞くと寝ちゃうか分からないけどお布団に入って居たいと言うので用意しておいた篭に入れてやる。簡単な敷布団を詰めてあるところに乗っかるのを見てから、上掛けを掛けてやる。それから愛用する団栗型の抱き枕を手渡してやるとしっかり抱きかかえてもぞもぞとしっかり布団に潜り込んだ。

「寒かったら言うんだぞ。」
「!」

あったかいから大丈夫!と返事をしてすぐに、ウトウトし始めた。コイツは寝つきも目覚めもいいから寝るとなると寝付くのが早い。もう少し遅い時間になったら、小さな湯たんぽも突っ込んでおいてやろう。少し眺めているうちに、スースーと寝息が聞こえ始める。本当に寝つきが良いな、羨ましい限りだ。弱くなっていた火を熾しなおして湯を沸かし、小さな湯たんぽに注ぎ込んでそれなりの厚さの手ぬぐいで包んでから寝ている栗丸を起こさないように、敷き布団の下へ潜り込ませておく。これでだいぶ温かさは違うはずだ。天幕用に使う毛布も、風で落ちてしまわないように縛って留めておく。小さな篭付きテントだ。今はいいが、栗丸の体が大きくなってきたらこの辺りも考えないとならないな……。まあそれもその時に考えよう。ワインのアルコールが回ってきていて体温が僅かに上がっているのが分かる。眠れはしないだろうが俺も休んでおこうと焚火を消してしまってから、毛布にくるまった。自分用の湯たんぽも支度したから、それは腹のところに抱えておく。野宿するのは疲れるがここは集落の中だしあまり気は張らなくていい。なにせ猟師たちが防犯の役割を担ってくれているから変な奴が入ってくることが稀だ。もちろんそれでも冒険者を装ったコソ泥はいるからそれには警戒しないとならない。まあ俺はどうせ寝つきが悪くて眠りも浅いから近寄られると目を覚ますから大丈夫なことが多いが。外の空気を肌で感じながら寝るというのは結構気に入っていて野宿は好きなほうだ。体は硬くなるし楽では無いが楽しい。空気感と体験が最高なのであって寝心地は度外視だ。しっかり休みたいときは宿なり家に戻ればいい。栗丸は籠を持ち歩けばそれがベッドになるから寝心地に関しては家にいるときと変わらないはずだが、野宿独特の緊張感や楽しさは感じているらしい。それでも布団に入ればすぐに寝付いてしまうあたり、睡眠に関してはプロではないかと思ってしまう。
緊張も興奮もしているのに寝てしまえるから大したものだ。コツを教えてほしいくらいだな。考え事をしながら、体は休めておく。本当なら考え事もやめた方が良い。頭が休まらないのでは結局体も休まらない。のだが、考え事を辞められない質だった。
ジゼルは俺がこのあいだの白髪のアイツではないか?という想像はしなかったのだろうか。最もしていたとしたらもっと警戒されたか?俺と同じアウラ族だった、という事はポツリと零していたが白髪であったのに引っ張られていて俺に似ているな?とは思わなかったのだろうか。その方が良いんだがな。人間は見た目そのものよりも色の方を記憶しやすいと言われている。すれ違った奴の顔の特徴より、そいつの髪の色や目の色、着ていた服の色なんかを覚えていることが多い、といった具合だ。俺が《仕事中》に髪を白くし、目隠しをするのは白を印象付けるためであり、顔立ちをぼやけさせるためだ。口元は見えてしまうが、白髪とマスクのほうが印象深く映るはずだ。もちろんそれでも口元の特徴を認識して記憶できる奴だって存在はする。そういう繊細な記憶が出来る奴は人数が少ないからそこまでの警戒はしなくていい。そもそも俺の場合は姿を見られないことが大前提だ。レディのように完璧な変装と演技が出来るタイプではない。忍者の技術を最大限いかした、それこそ影のように潜んだまま《仕事》を成すのが俺のやり方であって得意分野だ。だからこそ姿を目撃されるというのはその時点でほぼ失敗したと言える。目撃者を《無かったことにする》ことももちろん出来るし、こなしたこともあるが、死体が増えるだけで良いことが何もないのでなるべく避けたいのが本音だ。だからジゼルには手を出すことなく撤退を選んだわけだが、正解だったな。あそこで《無かったこと》にしていたら、今日の窮地に俺は助けてもらえなかった可能性が高い。俺だけが野垂れ死ぬならさして辛くはないが栗丸が巻き添えをくらうのは辛い。何が何に縁としてつながるのか、本当にこの世は分からないものだ。一応目だけでも閉じておこうと毛布に包まりなおして目を閉じる。ひとつ大きな息を吐いて、多少なり体の力を抜いておいた。肌の出ている顔だけは少々冷たいと感じるが、クルザスや皇都の空気に比べればさした寒さではないな。次に会うときはきちんとした体感が戻っている時で、それでいて俺が《冒険者の姿》であることを祈っておこう。どこかに冒険に出ることが出来ればなお良いな。俺たちは、冒険者なのだから。


ジゼルさんに感謝を込めて。

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