【西山 琢馬】2019.11.10 ツール・ド・おきなわ 市民210㎞ 57位

2回目となる市民210㎞クラスに挑戦してきました。
ただ、挑戦とは言っても今回は最初から自分のリザルト云々ではなく、チームとして高岡さんをいかに勝たせるかを優先して臨んだレースでした。

完全にアシスト(にもなっていないレベルだが)に徹したレースは初めてだったので、違う意味でのプレッシャーは感じていたが、一昨年の様に「勝ち」を狙っている時のような緊張感を感じる事はなかった。
例年通りに金曜日に現地入りし、金曜はほぼ完全休養。土曜日は刺激を入れるために普久川を1本登っておしまい。
風呂にゆっくり入り、セルフマッサージをして10時頃には就寝。

当日のルーティンもいつも通り。5時前に起床、朝食を食べて5:30にホテルを出発し、6時前に会場近くに到着。7時前に集合エリアでチームメートや知り合いと談笑しながらスタートラインに立つ。

前述通り今年はアシストとして走る作戦。
RXからは高岡さん以外にまこっちさん、もやっしー、木村君、自分と4人いる中で普通に走っていて最初に千切れそうなのは自分(またはまこっちさん?)だと思っていたので、ならば出し惜しみせず、最初っから前目前目で展開し、アシストして働けるだけ働くつもりで。
正直2回目の普久川を越えて学校坂以降でのドンパチをこの肌で体験してみたいという思いもあったが(去年はその前に千切れた)今の自分に最初からアシストとして積極的に動いてそこまで残れる力がないことぐらいは分かっているのでそれは来年以降のお楽しみとして取っておくことに。

去年は210㎞初挑戦だったという事もあり危険ポイント、立ち振る舞い方など分からないこともあったが、多少の学びと大きな割り切りにより、多少脚を使ってでも前方に位置することで危険を回避し続ける事に成功。常に高岡さん始めとするチームメートのそばに位置してコミュニケーションを取りながら70㎞を消化することで、普久川へのコーナーに集団先頭で入る事が出来たし、RXメンバーも全員前目で問題なく普久川を迎えられた。
今考えると下手に集団の中に下がって脚を温存しようとするより気持ちよくかつ脚を使わないで走れたような気がする。
もう少し積極的にモトに話かけて逃げの情報を把握し、自らがチームメートに共有できれば良かったか。

1回目の普久川。逃げとのギャップを意識するがゆえに上げすぎて人数を減らしすぎて逃げを追うのが辛くなるのも嫌だったし、高岡さんからも「下ってからタイム差を確認して必要であればそこから詰める」との指示をもらっていたのもあり、そこまで上がり過ぎず淡々と登りを消化。緩斜面が終わったタイミングで高岡さんが先頭に出て自分の登りたいペースを作っていくのは流石だなぁと思いながら登ったのを鮮明に覚えている。本当のアシストであればそのペースでこちらが牽かないといけないのだが…
脚の調子も悪くなかったようで過去最速タイムで登るも特に辛いことも、遅れそうになることもなく第一関門を突破。これで最低でももう60㎞ほどはアシストの仕事ができる。
おそらく100名以下に絞られたこの集団、先頭の方が楽だろうが中盤辺りでもあまりストレスにならず下れた。補給を済ませ、周りのメンバーを確認しながら奥へと向かう。RXは全員いる。もちろん有力どころは先頭で下っている又は集団内にいる。

奥に向かう途中モトにタイム差を確認すると、逃げの人数は減っている(ばらけている)も大きく縮まってもいない。これを受けて高岡さんからペースを落とさないよう、ローテに入るよう指示が出る。
ここからが自分のレースでの最大の仕事場だと言い聞かせ、奥までの平坦~アップダウンは常に先頭付近でローテを回し、奥の登りは先頭~3番手ぐらいで登りペースを作る。奥からの下りは毎年先頭で下る(下れてしまう)のでそのまま先頭で平坦まで進む。
レースで成績を残す場合、ここから普久川まで脚を温存するのが鉄則なんだろうが(現にSBCやVC Fukuokaの選手は見なかったような気がする。勝負に徹するならそれも正しいんだろう)自分には関係なく、積極的にローテを回してペースを維持する。RXからはまこっちさんと木村君(と高岡さん)が入ってくれて、良いペースで海外線を南下する。モトからの情報だと更に逃げの人数が減って、タイム差は5分ぐらいと着実に縮んでいる。
「このままいけば脚も多少は残せるし、2回目の普久川もカチ上げがなければクリアできるかも」などと考えていると要注意の井上選手がスーっと離れていく。自分はその後ろ2番手ぐらいに着いていたので二踏みぐらいすれば追いつく距離。なので少しだけ静観。
「行くのか?たまたま出ちゃっただけなのか?」
無駄に力は使いたくないが怪物級のパワーの持ち主に届かないところまで行かれてしまうのもまずい。すると隣にいた小畑選手が井上選手のチェックに入った。これはもう見逃すわけには行かない。すかさず小畑選手の番手に入り、井上選手までブリッジ。
ここからが我慢の時間。追い風もあり巡行は45㎞~50㎞。井上選手が牽くとと50㎞付近になるが自分が出ると45㎞程度まで落ちる。あえて落としているわけではないが自然とそれぐらいになってしまう、というぐらいきつい。
有力選手二人を消耗させるという意味ではこのまま逃げきらなく、ツキイチで脚を使わせればいいので、すぐに諦めたくなるほどローテをさぼるでもなく、でも同調してガンガンメイン集団と差を広げるわけでもないローテ&牽く配分でなるべく距離を稼ぐ。
有力選手二人が入っている逃げ(?)とあって集団が活性化しペースが上がった事もありほどなく吸収されたが、阿曽選手の逃げとのギャップは明らかに縮まったはずだし、少しでも井上選手、小畑選手の脚を削れたら本望と思いつつ集団に戻り、2回目の普久川までに回復を試みる。

しかし井上選手、小畑選手とのローテのダメージがそう簡単に回復することなどなく、普久川の登りに差し掛かり井上選手と高岡さんが上げたタイミングで集団が縦一列になっていくのが見えた瞬間に心が折れ、千切れる。
1回目の普久川もその後のアップダウン、奥の登りもそれなりのペースだったのだろうか、この時点で60名程しか残っていなかった。
このままずるずると落ちて行くのも嫌だし、ペースで登れば無理して集団について行った選手がバックファイヤーしてくるかもと淡い期待を持ち、淡々と登る。しかし半分も登らないうちに右膝に鈍痛が。シッティングだと痛むのでハイケイデンスやダンシングでごまかしながら、そして3名程を頂上までに抜きながら何とか登頂。
その後は一人で学校坂、高江をこなす。もう完全に完走をのみを目指すペースだが、少しずつ膝の痛みも和らぎ、淡々とアップダウンをこなしていく。

安部辺りに差し掛かったタイミングでまこっちさんたちのグルペットに追いつきしばし談笑を楽しむも羽地で上げられまた一人に。先頭集団にいないと地獄の様に辛い羽地だが、朝練仲間の応援もあり、元気な状態で羽地をクリア。
ここからは140㎞の先頭集団に追い抜かれたり(タカミーしかいなく胸騒ぎがしたのを覚えている)しながらただひたすらゴールを目指す。
すると羽地ダムの下りの終盤に見慣れたジャージと止めてバイクが見え「バシだ!」と認識すると同時に「高岡さん勝ちました!!」の叫び声が聞こえた。

勝ったんだ…
勝ってくれたんだ!

一人でガッツポーズし、ちょっとばかり涙ぐみながら川上の交叉点に向かって下る。

初めて完全なるアシストとして走ったロードレース。レース後どのような感情になるか想像もしていなかったが、まるで自分が勝ったかのような高揚感。全く想像もしていなかった感情。違うロードレースの楽しみを見つけてしまったかもしれない。などと思いながら最後の5㎞をこなして無事ゴール。

個人の順位は57位とおきなわを色々なカテゴリーで走ってきた中でも最低の順位。
でも市民210㎞のトップはRXの選手。それだけですべてが報われた。

また良い経験ができたおきなわでした。
色々と大変な中おきなわに来させてくれた家族、サポート、応援してくださった皆さん、感謝してもしきれません。ありがとうございました。

これからも自分のリザルトを追うレースにも出ますし、またアシストとして出るレースもあるかと思いますので応援、よろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?