漫画を描く時に何に体力を使うか?

漫画を描くのは
体力を使うぞーと
漫画描きの間でよく言われる。

実感としては同意だが、
何にでも言えることやんと、
一旦冷や水かけて、考え直す。

なにかをしていて
体力を使うなんて当たり前だ
仕事をするにしてもそう。

例えばオフィスワーク。
電話応対や、社内の人間関係
エクセルに記された
文字と数字に向き合い
間違いなく適切に処理する。
体力を使うだろう。当たり前だ。

例えばゴミ収集ドライバー。
大型車の長時間運転。
プロのドライバーは特に、
事故をしないよう
注意を払って運転する。
加えて、ごみを運び入れ
吐き出し、運び入れ、という
体力仕事も加わる。
凄まじい体力を使う。

対して
個人活動としての
漫画はどうだ。

電話応対はしないし、
人間関係はないし、
事務的な間違いなさを
求められるわけではない。
正しさを自分で決めていい。
他者との距離を気にしなくていい。
座っているだけでいい。

音楽聴いてていいし、
アニメYouTube見てもいい
話しながら作業してもいい
楽じゃん。

楽だし
楽しい事だが、
漫画を描くと、
風邪を引く いつも

締切がある。
自分で決めた
無-責任な締切、だが
それが脳みそを
縮み上がらせる

何故?
 適当にちょちょいと
 終わらせてもいいし、
途中でもいいし、
 締切ブチっても
 誰も責めない。
何に怯える必要があるのか。いやない。

然りである。
だが、手を抜いたその後は?
ゼロになる、かもしれない。

 適当にやった仕事は
 他人に必ず伝わる
中途半端は嫌われる
 出さなかったものは
 ないのと同じである

始めたのなら、
本気でやらないと
楽しい結果は得られない

時間をかければ
確実にクオリティに
影響が出るのなら
休むことも出来ない

途中までの頑張りが
ゼロになる恐怖が
脳みそを縮み上がらせる

「仕事」とは要するに
他者に気を遣うことだった。
気を遣うという事自体が重要で
気を遣いさえすれば
最低限存在を許される(可能性が高い)
気を遣い続けることは
面倒で不快でもあるが
最悪嘘でもフリでもいい

だが「漫画」はどうだ。

「気を遣う」以上が必要だ。
他人が何に真に喜ぶかを
考え続けなければならない

嘘やフリでは
見向きもされない。

他人にとって
必要なものを
想像して出す

何が必要かは
誰も言わない

当たったかどうかは
評価された瞬間にわかる
心の中にしまわれれば
それすらも見えない

価値と存在意義を
宙吊りにした状態で
過ごす不安。

しかし他者を
信じるしかない

自分の信じる
他者がいると
自分の想像を
信じるしかない

自分の想像が
幻想だった場合
ゼロになる
人間愛や真心を込める
しかし
届かない可能性がある

愛してくれるかわからない他人を
全力で愛し続けることが
漫画やクリエイティブにおいては
重要で、そこに体力を注いでいる
そう感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?