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失うことで得る喜び、そして充電のとき(さそり座上弦の月)

今日、日付けが変わっての深夜2:31、
さそり座で上弦の月を迎えます。

15度という、さそり座の月はさそり座の、
しし座の太陽はしし座の、
それぞれ最もそのサインらしさが満ちる、盛りの度数で起きます。


失うことで得る喜び、ど真ん中から与えることで得る豊かさ
さそり座という、深く潜り何もかも溜め込み、すべてを得たい質のサインの月が、
5ハウスという、自己表現にしろ、遊びにしろ、散財にしろ笑
どちらかというと放出、解放、失うことが喜びになるハウスに、

しし座という、舞台の真ん中にして自分を表現するサインの太陽が、
2ハウスという、自分の時間や体力やエネルギーを使って、
何かを得ていく、所有していくハウスに。

なんだかあべこべな面白い配置。

「失うこと」が喜びってちょっとおかしな感じがしますか?
自分の枠をなにかしら越えるときって、
きっと何か(今までの自分とか)
失っている気がします。
外に向けてぶちまげること、
ぱあっと散財して楽しいことをすること、
あ〜すっからかんだ〜!みたいな楽しさ。
それをさそり座的にやるといったら、
楽しさを追求に追求を重ねて、
もう溜めに溜めて、
限界まで溜めて、
どかーんと爆発させる、そんな感じがします。
大事だと思ってた誰かとの関係性が終わったら、
スペースができて、意外とスッキリした、とか。
得ることで重くなるくらいなら、いっそ!とか。
持ってることで、自分を苦しくする、理想、とか。
(執着の星、さそり座は手放すことで大きな学びを得ます。)

私自身、まだまだ「失う」ことに抵抗がありますが、
徹底的に「失う」経験をした方の、清々しさって
本当に見とれてしまいます…。

そして太陽が最も太陽らしく輝くしし座。
もともと太陽といえば自ら光と熱を放出する、男性的なエネルギーが
強いのですがそれがもう、暑苦しいほどにまぶしく燦々と!!
そしてそばにはぴったりと金星が寄り添って
そんな熱い(暑い)生き方を好ましく、
どこまでもついていこうとしているのですね。
好きなことにすべてを捧げ、夢中になっているうちに
いつのまにか豊かになった。
そんな無我の境地に立てるのってきっと、
けっこうその手前で、捨ててるんじゃないかな。
そんなあり方にこそ価値を置きたくなりそうです。


感情のおり(澱)を清めながら感謝をチャージする時間
そして、月とうお座の海王星、
太陽と月の軌道の北の交点である、かに座のドラゴンヘッドと
初期設定を表すアセンダントで水のグランドトライン。
やぎ座のドラゴンテイルとディセンダントを入れたらカイト。

今このとき、感じている感情を素直に表現しながら、
感情のおり(澱)を美しく清めながら循環するサイクルの中、
社会の中で見失いかけていた自分自身から、
初期設定、生まれたときのピュアな姿へとリードしていくように。
わがままも許されていた。
なにもできず、ダメな自分も受け入れられていた。
存在を喜ばれていた。
お盆前という時期がらもあるのか、
脈々と続いてきた命、
見守っていてくれている先祖代々に感謝を思いをむけるような
そんな時間になっていきそうです。

勢いよく吐き出し確かめる自分のパワー、そしてチャージ
しし座の太陽と金星、オポジションがみずがめ座のリリス、
(リリスは月の遠地点。地球に依存しながら同時に離れようとする力。)
頂点がさそり座の月。
もともとぎゅーっと圧縮する質のさそり座の月に、
さらに今回非常に惑星同士の響きが強調されています。
シャワーをするとき、
たくさんの吹き出し口からそよそよと気持ちよく出すよりは、
1本の細い口から勢いよく出すことで、
ものすごい原動力、勢いになります。
そんな溢れるパワーでどんな風になにを吐き出すのか??
破壊的にも見える力を、使ってみたくなります。
ちょっと危機的にも見える状況が実は、
非常に良い意味を持っているかもしれません。
そして、そのあとどんな風になにを?チャージするのか。
たくさん出しただけたくさんチャージできますものね。
そして、リセットされるのだったら、
もう今までと同じものを嫌々吸い込まなくても、
いいのかも。

この前近所の土手に、花火を歩いて見にいきました。
焼きそばとお好み焼きを買って。
花火って、観てると途中、飽きちゃうんだけど、
終わるともうちょっと観たかったな、って思うんだよね。
もう少しそのとき、ちゃんと観なきゃね。

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