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アンチのアンチ

塩田千春展 「魂がふるえる」を観てきた。

インスタレーションの中に留まっていると次第に、
わけのわからない感覚が奥のほうから湧き上がってくる。

決して心地よいほうではない、でも決して無視しきれない、
フタをしても漏れだしてしまうなにか。

作品を観ている途中、
気になることがあった。

4、5人の学生を引き連れた、まだ若い先生、なのか院生なのか。
が、本人の作品を前に、思いっきり、
彼女の作品を、ディスっていたのだ。解説という、体で。

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「とても生ぬるい作家だ」

そんな言葉が、聴こえてきた。

なんだか、表現と表現者に対する、コンプレックス、嫉妬、やっかみ。

創作と作品への、リスペクトの欠如。

そんなものを受け取って、気持ち悪さに悪寒が走った。

そして、その立場を使って、指導という名の、先入観、洗脳を与えている。

そんな風にも、感じた。

わたしは、アンチ活動をする人がけっこう苦手だ。

嫌いだと言っても良いかもしれない。

大抵どこか、自尊心を拗らせていて、その歪んだ表現として、

自分自身の苛立ちのはけ口として、

一円にもならないのに、誰も喜ばないのに、

せっせと誰かの何かを、バッシングする。

頼まれもしないのに、そこに心血を注いでいる。

そこに人間の愚かさと醜さを見てしまう。

いや、そんな体験までもが、彼女の作品の演出に含まれてすらいたのかも。

わたし自身は意識して、もちろんそんな行動は取らない。

リベラル、という表現が良いのかはわからないけれど、

きっとそんなものを気取っている。

醜さを出すのは、かっこ悪いと思うから。

でも、わたしもきっと、無意識に、

誰かを、なにかを、アンチをやってるだろう。

だからこそ、彼らが、アンチをやる人が、嫌で仕方ないのだ。

そして、彼女の作品の前では、

そのことに気づいてしまうのだ。

「自分にはそんな醜さはありません」などと、

綺麗事が言えない。

そのなまなましさが、魅力であり、力なのだろうと思う。


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