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ディア、呪い。日記

日記。
この前『ディア・ファミリー』観た。
色々試してみて、失敗して『それで?』という問いかけの映画。『それで、どうする?』人生はこれの繰り返しだ。
立ち止まって問いかけて、また前に進む。謙虚でありながら誠実で、たくましい質問だと思う。
私はどちらかといえば「だからどうした」なので、傲慢で自分勝手で、あまり好まれるものではないと思う。
これからは「それから?」とかにしようかなと思った。

そういえば板橋ハウスのラジオディアの公開収録、4大都市ツアー、とろ〜りあつあつクアトロディアマッジだってばよの、大阪公演の先行販売チケットが当選していた。

……

それが一体なんだっていうんだろうな。
だからどうした(気にすることないさ、自分のやりたいことをやるのみだぜ)

だからどうした(生きてる希望なんかひとつもないのに、未来への期待を増やしてどうする?)

死ぬのはやりたいことを全部やってからでいい。
行きたいところに行ってからでいい。今はひとりで隣の県の水族館に行きたい。それに行って、もう死んだらいい。
せめて、その来月の公開収録に行ってからでもいいんだ。きっと行ったら楽しくて、今日の私の悩みも忘れて腹抱えて笑って、きっと明日からも生きていこ〜って思うはず。

私は自分が人より落ち込みすぎないことを知っている。
自分の、元気づけ方を知っている。
私は大丈夫だ。どうせ大丈夫。どうしたって元気になってしまう。

私の持っている苦しみはきっと誰にも分からないんだ。それで、誰にも分からないような苦しみは間違っているということだと思う。間違ったことをして苦しんでいるのだから、それはなくしてしまえばいいんだ。そしたら苦しみだって当然なくなる。私たちのそれは、誰がどう見たって間違っているということなんだ。
でも、それで、だから、なんだっていうんだよ。
間違ったままで、曲がったままでいいから、認めてくれよ。ほっといてくれよ。

なあ、それで、一体どんな素晴らしい男が、私にぴったりなんだよ?私にお似合いの男ってのは、どんな男だよ。
浮気性で、すぐ感情的になって、暴力振るうのが大好きな、外面だけはいいような男のほうが、私にはぴったりじゃないか?似たもの同士でお似合いなんじゃないのか。


もう大丈夫だ。

道行くカップルに追加されて、家族連れを見るたびに惨めな気持ちになるよう、アップデートされただけだ。
音楽が私を癒し、音楽が私を苦しめ、風が私を癒し、風が私を苦しめるだけだ。呪いが増えただけだ。呪いの数が増えただけだ。
私は誰も愛せない/誰からも愛されない、という思い込みだけがなくなった。
それだけでいいじゃないか。愛されていた記憶だけで、もうじゅうぶんじゃないか。生きていけるだろう。それだけが揺るぎない事実だ。
この先同じように私を愛する人間が現れなくとも、私はこの半年の記憶をいつまでもずっと忘れずにいるんだ。
私が短大時代好きになった先生は50歳だった。

昔の女のことを覚えていてくれて、ありがとう。お前の中で、その女たちの記憶がなくならないということは、私との記憶もなくならないということだろう。
誰のことも、忘れないでくれよ。ついででいいから、私のことも。思い出してくれよ

生活が続いていくんだ。この命ある限り。どうしようもなく明日がくる。未来があることは、別に希望でも絶望でもない。
心の支えがなくなったわけじゃない。でもただちょっと、苦しいだけだ

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