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【2021.10.27】SNSで知り合った高校中退メンヘラ女と一年ほど交流した話

『回向チェンバー』

 回向(えこう)
① 死者の成仏を願って仏事供養をすること
② 自分の修めた功徳を他にも差し向け、自他ともに悟りを得るための助けとすること


エコーチェンバー現象

 SNSや匿名掲示板などで自分と同じ意見を持つ人と交流し、同じ意見を見聞きし続けることで、自分の意見が増幅・強化されること


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 もう、二、三年も前の話になってしまうのだけれど、精神を病んだ女の子と交流していたことがある。こう聞いて咄嗟に身構えたり批判したりしてしまうような人は失礼ながら精神が正常ではないのだと思う。自分が正常だと信奉できる狂人がいたら絶対会いたくない。自他ともに認める狂人よりも会いたくない。まあこんなことを書いている僕の精神も、少なからずまともではないのだろうから、お互い様だ。彼女についてよく覚えていることと言えば高校を中退してしまったことと、重い精神障害を患っていたことくらいで、その他は曖昧な記憶なのだけれど、過去を脚色せずそのまま語ることなど誰にもできない。どんなに偉大な歴史学者にだって無理だ。だから僕は僕の思うまま、彼女との思い出を拙く綴ろうと思う。

 出逢いは重要だ。別に恋愛に限らず、何事もそうだろう。それは図書館の隅で埃を被ったハードカバーだったり、親身になって接してくれた高校時代の恩師だったりする。生憎と僕はそんなものとは巡り合えなかったのだけれど、その代わりに友人の付き合いで赴いた、とある国立大学の文化祭で彼女と出逢った。僕は大学の二年生で、彼女は確か高校の二年生か三年生かだったと思う。制服を着ていたので、高校生には違いがないとは思うのだが、実のところ僕は彼女の年齢を最後まで知ることはなかったので、そういう趣味の方がコスプレをしていた可能性もある。

 僕は、子供のころからこういった、祭りやイベントの類いというものが嫌いで仕方がなかった。友達が喜んでいても、僕にはそういった行事を楽しむ根本的な姿勢のようなものが欠けていたようにも思える。それはきっと多分、みんなと一緒になって何かをすることが内心嫌いで仕方なかったのもあるだろうし、単純に人が沢山いるところが苦手だったのもあるだろう。僕は正直、憂鬱で仕方がなかった。一介の私立大学に通っていた身からすると、国立大学の門はやたらと険しく、何かの山岳か遺構の入り口にも思えた。僕は友達と文化祭の喧騒から束の間離れ、門の辺りで昼間から酒を飲みながら、突っ立っていた。

 僕はその頃、SNSにずいぶんと傾倒していて、フォロワーも沢山いたので、試しに誰かを呼んでみてもよかったのだが、不思議とそのような欲望には襲われず、アルコールで朦朧とする頭で行き交うノイズのような人波を眺めていた。ふと、僕の腰かけていたベンチの三つ隣くらいに、髪を茶色に染めた高校生が手持ち無沙汰に佇んでいるのを発見した。普段なら僕は絶対にそのような不埒な真似はしないのだが、試しに声をかけてみることにした。あるいは、丁度口にしていたアルコールの程よい酩酊が、僕をそうさせたのかもしれない。

 どうやら彼女も僕と同じような状況らしかった。知り合い以上友達未満な人間と一緒に来たものの、途中ではぐれるなり別行動するなりして、今は一緒にいないようだった。僕は取り留めもない話をした後、何故か彼女に握手を求めていた。何でそんなことを口走ったのか正直自分でも解らない。女子高生と何かをすることに特別の価値を見出している人間がいることには気づいていたし、僕は男子校の出だったから憧れを抱いたのかもしれない。彼女は快諾し、僕たちは手を合わせた。連絡先とSNSのアカウントを交換した後、また二人で暫くお互いの連れが戻るのを待っていた。

 僕の友人は麻雀か何かのイベントに参加しているようだった。僕は正直賭け事の類いは軽蔑しているので、そのような雑事で待たされることに酷く苛立っていた。小さく舌打ちをしながら女子高生の方へ眼を戻すと、彼女は小さな足先で何かのステップを踏んでいるようだった。僕は興味本位でその行為の意味を問いただした。意味もない時に踊っちゃうんですよ、と彼女は返した。正直よくわからなかったのだが、上手だね、と褒めておいた。程なくして僕の連れが戻って来たので、彼女に小さく手を振って別れを告げ、その場を後にした。二度と会うことはないだろうなとは思っていたが、僕は彼女に近しいものを感じていたようにも思う。僕は少しだけ暖かくなった手で酒缶を握りつぶし、雑多なゴミ箱へ放った。

 文化祭を引きずり回された後、僕は友人の友人の友人くらいの人たちと一緒に居酒屋で酒を飲んでいた。することもなかったので、なんとなく付き合っていた。彼らは自分の大学の偏差値の話と吸っている煙草の銘柄と付き合っている女の子の話と大学受験の話を延々と繰り返していた。良く回るルーレットか何かを観ているようだった。僕は煙草の匂いに気分を害しては止めに席を立ち、トイレの鏡の前でSNSの画面を開いていた。気分転換にでもなればいいと思っての行動だったのだが、こちらでもやはり先ほどと同じような話題が繰り広げられていて、場所とか時間とか関係なしに人が集まって話すことはこれくらいしかないのだなと実感した。金と性と地位。タイムラインを指先でスクロールしていくと、次々に他人の思考の断片が軽く麻痺した脳内に流れ込んできて、気持ちが悪くなった。トイレを出て席に戻ろうとすると、二軒目に行くかどうかで揉めているようだった。僕は自分の分の代金を席において彼らに別れを告げ、五月の割に肌寒い駅前を一人で歩いていた。

 もう一度ポケットから小ぶりなスマートフォンを取り出すと、大きく通知が出ている。青く光るそれは夜の繁華街のネオンのような光沢を放っていた。何事かと開くと、午前中に会った女の子からダイレクトメッセージが来ていた。僕は面倒くさいという気持ちが先立ち、家に帰ってから内容を確かめることに決めた。しかし、その無意味な先延ばしは、クリスマスのプレゼントを翌朝まで寝て待つ子供のそれに似ていたようにも感じる。

 家に帰り、小うるさい母親を躱してベッドに横たわり、彼女からのメッセージを開いた。どうやら僕の投稿を逐一チェックしたらしく、同じソーシャルゲームに嵌っていたことが嬉しい、といった趣旨のことが書かれていた。僕は思わず顔を綻ばせ、照れ隠しに適当な文句で当たり障りのないことを返信した。当時としては最先端な精巧な3Dモデルで描画されたアイドルを好きな楽曲で踊らせられるゲームは、淡白な日々における数少ない癒しだったから、そのような趣向を持っている女の子がいたというのは、純粋にいいものだった。僕の周りの人間はそういったゲームに眉根を寄せる人種が多く、肩身が狭かったのだ。僕はいつしか彼女に好感にも似た感情を抱いていた。

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 それから何度かSNSでアイドルゲームに噛ませたやり取りをしていく内に、自然と会う運びになった。僕は自分から人を遊びに誘う方ではないのだけれど、どうしてだかもう一度会ってみたくなった。祭りという大嫌いなイベントで同好の士に会えたことが嬉しかったのもあるだろう。不思議とそれ以降は、文化祭などの催事やイベントの類いが嫌いではなくなったのも事実だ。だから彼女の仮名は印象的に、「まつり」としておこう。

 まつりは落第寸前の高校生なようだった。僕はてっきり偏差値の低い高校にでも通っているのかとも思ったのだが、そこそこ優秀な高校に在籍していたようだ。僕が成績不振の理由を冗談交じりに問いただすと、授業にまるで集中できないのだという。勝手に歩き回ったり、すぐに寝てしまったりする。彼女の場合とは事情が違うけれども、似たような理由で落第しかけ受験にも失敗した人間を僕は身近に知っていたので、ちゃんと授業受けなよ、と僕は当たり障りのないアドバイスをして、駅から程近い地下にある喫茶店でアイドルゲームの話に興じた。それだけだった。

 どうやら、まつりは精神的な病気を持っているようだった。どうにもそのような話題の時だけ、途端に顔は暗くなり声は低くなった。普段はとても明るくはきはきと話していたから、そのギャップには何処か不気味ささえ覚えた。あとは、親は弁護士と医者で横浜の一等地に豪邸の一軒家を持っていて将来は安泰云々などと明け透けな嘘をつくのも、何となく哀れだった。彼女には機械的にでも優しくしておこうと思った。女の子にはとりあえず優しく接しておけばそれが結果的に自分の益になると言うことも、僕は理解していたのだと思う。

 それから数か月、夏の初め辺りにまつりは高校を中退してしまった。事前にそのようなそぶりはなかったので驚いた。SNSの投稿を見ていても、何か、緊急救急サインのようなものは見受けられず、口では辛そうにしていても、なんだかんだ上手くやっていると思っていたので、意外だった。僕は適当に慰めの言葉をかけ、高認試験の存在や人生には色々な選択肢がありまだ大丈夫といった風な趣旨のことを告げていたように思う。それとは別にソーシャルゲームの課金額が酷いようで、どうやら射幸心を抑えるのが苦手なようだということもわかってきた。

 さらに驚いたことに、彼女は何度か留年しているようだった。実年齢が分からないのは、こういった事情にもよる。彼女は高認試験を受け、なんとかして大学へ進学する意思を示していたが、僕にはどうもそれが、問題を先送りにするための都合の良い言い訳のように見えて仕方がなかった。そのままだらだらと過ごすのは目に見えていた。休みというものは、学校や会社があるからこそ意義があるのであって、何もしない人間、毎日が夏休みであり日曜日である人間にとってはただの拷問に等しいことも、分かってはいた。大丈夫かなと思ったが、人の人生に口出しできるほどご立派な人生を送っていないので放っておくことにした。

 夏の終わりごろ、まつりから連絡が来た。横浜の実家を出て東京の端の方で独り暮らしを始めるのだという。僕も丁度その辺りに住んでいたので意外に思いつつも、多少の薄気味悪さを感じていた。まつりには僕の住んでいる場所や通っている学校は教えていなかったから、ただの偶然だと言い聞かせた。僕はSNSのアカウントは学校用と使い分けていたし、私生活もネットと極力切り離していたので、インターネットという虚構が実生活に浸食してきたようで、それも気持ちが悪かった。全ての投稿を消したくなるような衝動にも何度か駆られたが、自分の築いてきたものの一部が剝がれてしまうようで、恐ろしかった。

 独り暮らしを始めてから、まつりの投稿には露骨な変化が見られた。まず、漢字があまり見受けられなくなった。これは精神を病んだ人間に共通する心理なのかは分からないが、言葉が幼児化しているようにも思えた。「することなくてさみしい」とか「だれかミスドいこ」みたいな呟きは、空中に漂った埃のような不安定さ、少し突けば瓦解してしまいそうな危うさを湛えていたようにも見えた。僕は何度か躊躇した後、SNSではなく連絡先の方に何個かメッセージを送った。疚しい気持ちは一切なく、そうするのが少なからず交流した人間の見せるべき優しさだと思っていたからだ。「最近どうですか?」とか「ちゃんと勉強してますか?」みたいな、腫れ物に触れるような敬遠した言葉の羅列は、しかしまつりにとっては思いのほか嬉しかったようで、次々と返信が来た。元気なことに安心したものの、間断なく送られてくるメッセージの多さには少なからず辟易した。結局、朝か夜かは分からないが三時か四時近くまでやり取りをしていたようだった。次の日は学校があるので、僕はブルーライトを断ち切り布団に入った。そして僕の知り合いにネットで精神を病んだ女の子と交際のようなものをしては捨てるといったことを繰り返している下種な人間の存在に思い当たり僕はけしてそのような人種とは違うと言い聞かせた。僕はあくまで優しさから行動したのであり、性欲を満たすために彼女に近付いたのではないと繰り返した。昔読んだ自衛隊の駐屯基地で割腹自殺した作家の作品に、「私は何の欲望もなく女を愛せると思っていた。そしてそれは宇宙で最も無謀な試みだった」といったような記述があって、それに近しい感情を覚えている自分に気付いてもいた。僕はまつりとセックスがしたいと思い始めていた。

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 秋も深まった頃、まつりから是非一度家に来て欲しいといった趣旨のメッセージが送られてきて、酷く焦るのと同時に確かな感歎を覚えた。大学に入ってからというもの、あまり女性と接点がなかったので、一人暮らしの女子の家に招かれるというだけで高揚した。駅前で慈善活動を呼びかける方々を躱して、素早く改札を出て、灰色の空の下を進んだ。秋風が酷く冷たく、受験のことを思い出して憂鬱な気分になった。オートロックのマンションを開けてもらい、まつりの部屋に招かれた。手狭ではあったが、落ち着いたモノトーンの色調の部屋で、角部屋だった。窓は殆ど締め切られているような形で、窓際には元気がなさそうな観葉植物が置かれていた。カーテンレールから垂れ下がった下着を見て、何かいけないものを見てしまったような気持ちになり、咄嗟に目を逸らした。ローテーブルの周辺で散らかった衣服や鞄は確かな生活の色を伝えるもので、部屋の中に漂う甘ったるい匂いが鼻孔を刺激した。部屋の隅には酒の缶がいくつか転がっていて、フローリングを小さく汚していた。

 まつりは目に見えて窶れていた。隈が深く、顔色は悪かった。夜もよく眠れていないのだという。僕は医学や薬学の知識はないけれど、精神科で処方される薬を飲み過ぎると、似たような症状を起こすのは知っていた。推測だが、向精神薬や睡眠導入剤をアルコールと併用していたのではないかと思った。厳禁である。僕は、なるべく柔らかな口調で部屋を片付けるように言おうと思い、ぐったりと気の抜けたまつりの方を見ると服を着ていなかった。いつの間にか脱いでいたらしい。僕としては来たばかりだしシャワーを浴びたかったのだけれどそのまま僕も彼女に倣いベッドに入った。性行為は久しぶりだったのであまりにぎこちなく、必死すぎでしょ、と何度か小さく笑われた。まつりは処女ではなかった。高校時代は何人もの男と付き合っていたらしく、年の割にやたらと手慣れていたので面食らった。これくらい普通だよ、みんなやってる。まつりは小馬鹿にしたように言った。僕は作り物のようなまつりの手つきに悲しいものを覚えた。動作はあまりにも機械的かつ、滑らかだった。こうやって何度も男たちと簡単に性交している姿を想像すると、やるせなささえ覚え、他でもない自分もその一員であることに軽く絶望した。行為の後はテレビをつけて適当にくつろいでいたが、ちゃんとリラックスできていたのかは甚だ怪しい。録画していたらしいアイドルアニメの再放送を一緒に観て、僕は七時過ぎごろ折を見てシャワーだけ借りてまつりの部屋を後にした。重い身体で駅までの坂を上るのに難儀した。発展途上国や障碍者施設への募金を呼び掛けるご立派な方々は相変わらず駅前で威勢よく声を張り上げていた。

 大学の帰りに寄れることもあって、僕は頻繁にまつりの部屋に行くようになった。様子が気になっていたのもあったし、単純に欲望に突き動かされていたからでもあった。時折部屋のレイアウトが変わったり綺麗に片付いていたりしたから、僕の他にも部屋を訪れていた人間はいたのかもしれないが、僕は特に気に留めなかった。まつりと付き合っているわけではないし、正直に言うと恋愛感情も持っていなかった。けれど何故か僕はまつりに惹かれていた。彼女の持つ果てのない暗さに吸い込まれけたようにも思える。冬になる頃には泊まりもしていた。大学の勉強はそっちのけで、爛れた行為に依存していた。大抵は一泊だけして一限に出るために朝に帰るのだが、出ても身にはならなかった。僕は周囲の人間の性事情に疎く、またそういった情報を聞き出す趣味もないのでよくわからないが、暇な学生としても常軌を逸した依存度だったのではないかと思う。一度ある程度の脚色を交えて高校時代からの友人にまつりとのことを話したが、「二人だけの世界って感じじゃん」などと無責任な回答が返ってきただけだった。一泊だけのつもりが、「もっといて」とせがまれるとどうしても心が揺らいでしまう。二重の意味で側にいてやりたいと思う。最悪のジョークである。僕は当初の目的も忘れ、まつりと一緒にいる時間こそが本物ではないかと思い始めていた。

 単位が足りず、僕は秋学期の段階で二年時から三年時のスクリーニング制度に引っかかってしまったようだった。勉強をする気は毛頭なかったし進んで入った大学ではなかったので中退しようかと思ったのだが親戚に猛反対されて大人しく通うことにした。将来の展望はまるでなかった。僕の行動は次第にまつりに似始めてきているようだった。嘗ての僕は規則を信奉していた。決まり通りに行動し自らの欲望を抑えることがあるべき人間の形と思った。決まり事さえ守っていれば安定した人生が保証されると信じていた。だから法学部に入った。ギャンブルや恋愛、悪事など、身を亡ぼすような動物的衝動に突き動かされる人間を観ていると怖気が走ったし、そういった類の人間にはいつか罰が当たると信じてやまなかった。天網恢恢疎にして漏らさず。しかし頼るべきルールを喪った僕は何を信じていいかもわからずひたすらに時間を浪費する日々を繰り返した。自分の中から何もかもが溶け出してしまっているように思えた。寧ろ守るべき規範など最初からない方が良かったのではないかと、そう感じるようになっていった。

 年越しが近づくにつれ、まつりの容態は悪化しているように見えた。センター試験の申し込みの一つをとっても満足に出来ず、受験票の名前と住所欄は僕が代筆した。地味な名前と派手な住所の取り合わせはちぐはぐで、奇妙な印象を受けた。大体、浪人生というものは勉強をしなければただの無職、いや、していても無職だというのに、まつりは高額な予備校の費用を払ってもらっても決して行かず、ただ家で引きこもりに近い自堕落な生活を延々と送っているだけのように見えた。僕はありきたりな言葉で何度か強く叱咤したが、無視されるか、急に弾けるように泣き出すかだった。何を言っても無駄だと思った。性に関することにだけ、まつりはいやに積極的で、暇さえあれば布団の中にいた。性的なことに積極的な女の子は大抵が家庭環境に問題があったり、同性の友人が少なかったり、自分の中の足りない部分を男との接触によって埋めようと躍起になっている節があったりするのも過去の経験に照らし合わせて僕は何となく気付いてはいたが、わざわざ指摘することでもないと思ったので口を噤んだ。精神的に病んだ女の子は性的な接触で容易に心細さを解消できる分、男のそれよりも遥かに良い身分にいるとさえも思い、大した問題ではないと言い聞かせた。

 まつりはどうも、年齢不相応に幼稚なところがあるようで、発達に何かしらの問題があるかのようだった。今は十代後半から二十代前半だから人から見れば宛ら純真な童女のようでかわいいものだろうが、十年後、二十年後の彼女の姿を想像すると暗澹たる気持ちに襲われ、他人事ながら僕は泣きたくなった。インターネットとかだと、まつりのような社会的弱者を品のない言葉で揶揄し論う人間が多くいることも知っていたから、余計に救われないような気持ちになった。まつりの居場所は果たしてどこにあるのだろうかと僕は考え、すぐにやめた。自分の居場所なんて個々人が勝手に決めれば良いもので、他人が口を出すことではないし、場所がなくて困る人間は何処へ行っても困るだろうから、特に問題はないのだと感じた。
 
 受験シーズン間近になっても、まつりは一向に勉学に励む様子が見られなかった。年末にはアイドルアニメの同人誌即売会に元気よく出かけ、相変わらずソーシャルゲームの課金に熱を出しているようだった。自分の趣味に関することと性的なことをするときにだけはまつりは元気になった。仮面を都合よく使い分けているようにも感じたが、世の多くの人間が普通にしていることなので僕は無視した。こんな様子では志望しているらしい偏差値の低い女子大さえも受かる気配がなさそうだったが、こういった人種は何を言われても改めることはないとも思い、僕は静観していた。まつりの部屋には、つけっ放しのテレビが奏でる雑音と、外の通りを往来する芸術系の大学生の嬌声と、そして僕とまつりの交わす会話にもならない言葉の断片が反響しては、消えていった。年が明けた。

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 急な来訪者は、まつりの受験も終わり、僕がまつりの部屋にすっかり馴染んだ二月の半ばごろに現れた。来客はいつだって突然のものだが、玄関の方から男の声がしたとき、僕は初め、まつりの他の男が来て最悪のタイミングで鉢合わせてしまったのではないかと気づき急いで服を着て身支度を整えようとした。床には脱ぎっぱなしの衣服やら避妊具をくるんだティッシュやらが生々しく散らばっていて、どんなに巧く言い訳をしても誤魔化すことは不可能に近かった。無論、押し入れやクローゼットのように都合よく隠れる場所などない。情けのない話だが、人生においてもこれまでないくらいに焦っていた。制止する間もなくまつりは玄関口の方へと行ってしまって、僕は一人、途方に暮れていた。ずっと二人だけで過ごしていた部屋が、異物の浸食によって破壊されることに、耐えがたいものを覚えた。

 高級そうなスーツに身を包んだ精悍な中年の男は靴を丁寧にそろえてまつりの部屋へ上がると、狭い廊下に散らかっていたゴミを丁寧に端の方へ寄せ、整えていた。間もなく扉を開け、居間へと入ってきた。カーペットに座り込んでいる僕を見止めると軽く会釈したので、僕も彼に倣った。まつりは珍しく楽しそうな様子でリビングの方へ行き、何かを作っていた。

 奇妙なのは、男は僕にやたらと好意的で、親密に話しかけてくることだった。怒鳴りつけられることを覚悟していたので、最初に僕は狼狽えた。大学名を聴かれたので正直に答えると、優秀なんだね、と男は僕を褒めた。けして上から目線でない厭味のない褒め方で、薄気味が悪かった。まつりと出逢った経緯や部屋に来る頻度なども聞かれ、僕は何れもなるべく正直に答えるようにした。まつりによって酒のつまみが運ばれてきて、男の持ってきた地酒を振舞われた。僕は誰かにこの状況を分かりやすく説明してもらいたいと切に願っていた。

 話を聞いて見れば単純なことで、男はまつりの父親だった。どうして思いもよらなかったのだろう。寧ろこれまで気に掛けなかったのが異常とも言える。まつりの部屋が時折片付けられていたのは彼によるものだったのだろうし、彼が僕に見せた柔らかな態度も、まつりから事前に僕の存在を聞き及んでいれば納得できるものだった。

 僕がネットで発表した受験に関するブログ記事を読んで面白かったこと、まつりが僕と一緒にアイドル関連のイベントに行ったこと、僕がまつりにしか明かしていないと思っていた事柄が次から次へと彼の口から彼の品評を介して僕へ語られ、恥部が明かされていくようで、居た堪れなかった。大体、良いのだろうか。自分の子供が得体のしれない大学生と不義理な関係を結んでいても何一つ困惑や憤りを覚えないというのだろうか。
 
 まつりの父親は聞いてもいないのにまつりの中学や高校時代のことを話し始めた。僕は全然興味がなかったのだが、往々にして人が過去の話を美化し感傷めいた言葉で語る光景には出くわしてきたので、その一つのように聴いていた。この子は昔から友達がいなくてね。そうでしょうね。体育祭とかで委員を務めても浮いてしまって。それは大変だ。僕は相槌を五パターン位即興で用意し、内心とは違う適度な反応を見せて半時程、男の娘の話を聞いていた。退屈ではあったが、希薄だったまつりの過去が浮かび上がってくるようで、僕が精神科医や臨床心理士の卵だったのなら、精神分析の一つも披露したいところだったが僕は法学部の学生なので、心理学には疎く、出来事の塊を無意識的に聞いていただけのようだった。
 
 その後、折角だからとまつりの父親は僕とまつりを引き連れて駅前の近くの居酒屋へと赴いた。断ろうとしたが、お代は持つからもっと話そうと押し切られ、僕はついて行った。しかしどうも、道中ずっとまつりの昔話を聞いているうちに、僕はよく似た人間を身近に知っているような気がした。精神的に脆く、受験に失敗し、SNSに依存し、半ば引きこもりのように毎日を送っている人間……なんだ、全部、昔の僕のことじゃないか。僕は小さく笑って、まつりの顔を久しぶりに真正面から見つめた。僕は男だけれど、昔からよく女の子に見間違われた。それは中性的な容姿のせいもあったのだろうし、親戚曰く常におどおどしていて自分に自信なさげで男らしくなく、それでいて妙なところで強気なところも、そうさせていたのかもしれない。
  
 今のまつりは昔の僕だった。僕は、まつりを通してかつての報われなかった自分を救済したかった。まつりの中の僕を愛していた。そしてそれは限りなく無意味で救われない行為だった。人が救うべきは自分で、他人ではなかった。当たり前だ。僕が好きだったのはまつりではなく、まつりの中の僕と似た部分だ。つまり、僕だ。僕はまつりを通して過去の自分を見ていた。
 
 近場の酒屋でひとしきり話した後、僕はまつりから離れることを誓った。帰りの電車の中で、西武線のとある駅だったかと思うが、迅速にSNSのアカウントを削除した。二年近く育て、現実の人間関係を一部破壊してまで欲望を吸い育て上げた代物は電子の海へと沈んだ。自分への戒めのため、慎重に慎重を期して、目を瞑った状態でパスワードを設定し直し、復帰もできないような状態にした。僕はもう二度と、インターネット、特にSNSのような不安定な媒体で自分の意見もとい哲学を発表し悦に浸り同じような価値観を持った人間たちと仲間になったような気を見せて関係を持つことを止めようと思った。まつりの部屋の中に響き続ける不気味なあの音から逃れたいと心から思った。

 徐々に会う頻度を減らし、してもいない就活やバイトで忙しいからと言い訳を作り、距離を置いた。あまり器量の良くないサークルの女子からデートやセックスに誘われたりもしたのだが、どうもそういう気分にもなれず、世の中には特定の恋人がいても気になった相手がいれば簡単に体を許す女性がいることも知り、僕はこれまでの関係を可能な限り断ち切った。女性の欲望のようなものが恐ろしいと思うようになった。自分の事を誰も知らない土地に行きたいと漠然と思い、遠い地方の地図を広げて住みたい街を探すという行為に没頭することもあった。

 その後まつりがどうなったのかは知らない。正直なところ、知りたいとも思わない。どうにかして社会復帰が出来ていればとは願うが、なかなか難しい様に思う。人が居場所を作るにはいくつかの方法はあるが、僕のこれまでの経験則からして確かなことは、金や地位や性といった流動しやすいもの、一方的に差し出す形の不健康な関係性はある日突然呆気なく崩れ去るか、利用されるだけ利用して立ち去られるという結末に終わるのが関の山だということだ。人に許すべきところと決して譲るべきでないところの線引きは厳格にしておくのが良いかもしれない。

 僕の場合、極端というか臆病なので、警戒心のあまりここ数年人と、特に異性とは距離を置いている。あのモノトーンの部屋に響き続ける音は未だに鳴りやまないし、ふとした拍子に蘇りそうになる。やはり、人が救うべきはまず自分で、自分の事をちゃんとしてから他人に対し優しさを差し出すのが良いのだと思う。駅前で元気にボランティアや募金のような慈善活動を呼びかける親切な方々は、きっと自分の人生が限りなく充実していて他人にも分け与えたくて仕方がないのだろう。この世の誰もが当たり前に幸せになれると信じてやまず、「いつか必ず報われる」とか「努力すれば大丈夫」などと何処かで見聞きしたような一般論を我が物顔で語れる。僕やまつりのような人間がいるとは夢にも思わないに違いない。つくづく幸せな人達だなと思う。羨ましい。その精神的余裕を部屋として分けて欲しい。

 大学を卒業してから気まぐれを起こし、あれ以来降りていなかったまつりのマンションがある駅で降りたことがある。大学から程近く、まつりがちゃんと勉強をしていたのなら僕の通っていた大学に入っていた可能性もあったことに気付いて、どうもやるせなくなった。駅前は再開発が進んでいて、遊歩道のタイルの色は変わり、改札は乗り換えを利用する人波でごった返していた。駅前で慈善活動に精を出す方々だけは変わらなかった。僕はまつりのマンションがあった出口に背を向け、待ち合わせ場所へ向かった。

 


 あとがき

 この作品は実体験をもとにしたフィクションであり、実際の出来事、エッセイの類いではありません。最近ずっと文章を書いていなかったので、リハビリがてら書いてみました。余り過去を振り返ることはないのですが、学生時代の楽しい思い出が殆どありません。考えようによっては大変悲惨なことだとも思うのですが、これから先の人生において学生時代は良かったな、あの頃に戻りたいなどと甘ったれた戯言を吐く必要性がないことを鑑みると、そう悪い事ばかりでは、ないのかもしれません。正直、何もよく分かりません。
 
 

 


 

 

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