見出し画像

【1万PV記念?1万字エッセイ】オタクになりきれなかった青春、あるいは二次元コンテンツに対する歪で不透明な距離感


 noteのPVが10000PVを越えた。はっきり言ってこれを良いことだとは実はあまり思っていない。それは私が未だにネットの薄っぺらい自己表現から抜け出せないでいることを何よりも鋭く私自身に突き付けているからだ。

画像7


 初っ端から露悪な書き方になってしまったので本題に入る前に少し昔話をしよう。オタクが大好きな「自分語り」である。誰得。でも仮にも(実用的なハウツーとか私の大っ嫌いなエモ~いエッセイとかを書かずに駄文と告知だけで)10000も読まれているのだから、需要は少なからずあると見た。


 で、私がネットで駄文を生み出し始めた三、四年前私が何をしていたかというとはっきり言って何もしていなかった。毎日が灰色で、「こんなものが大学生活か……」などと乾いた絶望を抱きながらこれまた似通った境遇の斜に構えたプライドだけは高いオタク(ネットによくいる)と戯れながら、暗黒のネットの海を揺蕩っていた。どれも似たような捻くれた自意識ならぬ自慰識が垂れ流されるTLを逍遥していた。(これは声高に言いたいのだが、というか私がわざわざ書かなくても皆薄々感づいているかと思うが、ネットの議論とかバズる(馬鹿)話題、もう何回も延々ループしていると思う。変化しない、成長しないことの何よりの証左だ)本当に無駄でしかない時間だ。


 当時私の持っていたツ〇ッターアカウントはフォロワー数1600余りを数え、は〇なブ〇グの読者数は凡そ40名(50名だったか……? もう消したので記憶は定かではない)……と、まあ、そのような武器を片手に存在しない敵に向けて阿保みたいな文章を量産していたわけである。数字に囚われ、数字に絡めとられていた。完膚なきまでに阿保。数千、数万リツイートは複数回あるし、何かつぶやけば誰かしらが反応をくれた。孤独というか孤立した大学生活だったとは思うが、フォロワーとかとはよく会ったり一緒にコミケに言ったりはたまたそれ以上のこと(ご想像にお任せします)もしていたわけで、案外誰かと一緒にいた気がする。

画像12

 で、そんな浅ましい活動で何かが得られたかというとそんなことはなかった。全くもって殆どなかった。承認欲求が満たされるとかもなかった。ただ通知が煩いだけ。数少ない当時の友人からは「なんかもう……そういう仕事にでもつけば」(ネット界の狂人にでもなれば)と溜息交じりに言われたような気もする。……今思うと本当にやめてよかった。

 で、なんで今更のように残滓としてnoteとかで活動しているかというと、ネットにおける創作活動(?)の橋頭堡のようなものとして活用しているつもりなのだ。もうあの悪夢のような青い鳥の牢獄には宣伝以外の目的で戻りたくないし、というかもう極力見たくないし、あれ……何の話だったっけ?


 ちなみに私はネットで文章を書くときは何も考えずに書いています。とある大学の文化祭に行ったとき、「なんであんな文章が書けるの?」と言われたことがあって、これは私が当時SNSで書き散らしていたおぞましい文章に対し、①皮肉的な意味合いで口にしている、②純粋に技術的なことを訊ねている、のどちらなのか分からなかったので「分からない」と答えた記憶があるのですが、次に「どうして文学部に入らなかったの?」と言われたのでそれにも「分からない」と答えた記憶だけあります。本当にコミュニケーションする気ないなコイツ。昔からアニメとか漫画とかゲームの代わりに本読んでいた(読まされていた)からだと思われます。


 そう、この駄文で語りたいのはオタク趣味への歪な進入角度の話だった。SNSにおける黒歴史の話じゃなかった。これは本題に入る前の軽いジャブのようなものだと思って欲しい。何なら忘れてしまって構わない。昔のハンドルネームもアカウントも全て闇に葬り去りました。(事実、ない)全然関係ないけど三年前くらいに秋葉原のガストで私に四回くらい(断ってるのに)「昔のアカウント名教えて」と執拗に迫ってきた国家公務員総合職に落ちた東大生はどうしているだろう。やったら上から目線で私がネットで遭遇した人間の中でもダントツで嫌な奴だったので細やかな嫌がらせに書いておく。


 ……今にして思えば随分無駄な時間を過ごしたものだと思う。ネットで培ったもの(抑々「培った」なんて大袈裟な表現を使いたくもないが)が現実で活きたことは殆どないと言っていいし、人間関係も殆ど残っていない。はっきり言って無駄だ。人生に無駄はない。そうだろうか。私はあると思う。

 たとえば現実逃避にSNSをやって逃避する現実そのものを喪う時間とか。

 当時はそれでも必死だったのだとは思うが、それにしても行き過ぎである。当時の自分には猛省して欲しい。まあ、こうして「振り返れる」くらいには過去になったのだと整理はついてはいるけれど。

 まあそれはさておき、この歪なエッセイが語ることは、私が二次元コンテンツ全般(大雑把に、アニメ漫画ゲーム、同人誌、美少女ゲームなどのオタクが好みそうなもの)に抱えている罪悪感に似た奇妙な感情について、だ。長年抱えてきた奇妙な気持ちを何とか言語化したくて文章にしている。正直上手く伝える自信は全然ないのだが、私の抱えてきた懊悩のほんの少しでも伝われば嬉しい。

 ところで、この文を読んでくれている酔狂な方たちは少なからずオタク〈である〉というかオタク〈的なモノ〉がお好きだと思うのだけれど、どうだろうか? 私は漫画アニメ同人誌と来て今現在は美少女ゲームに嵌っている俄オタクなのだけれど、多分皆さんも今挙げたどれか、あるいはそれに似通ったコンテンツが好きなのだと予想する。というか、仮定する。ラノベとかコスプレとか自作PCとかは嵌ったことはないので、その辺は省く。

 で、ここからが肝心なのだが、皆さんの親は、家庭は、そのような趣味を肯定してくれただろうか? そのようなコンテンツに嵌まることを「是」としてくれただろうか。オタク〈である〉ことを、認めてくれただろうか。

 私の場合、「否」である。完璧なまでに、完膚なきまでに「否」だ。寧ろそう言ったコンテンツに嵌まることを人間失格とまで断じていた風がある。事実、部屋の二次元美少女の含有率が増えるたびに嫌な顔を露骨にされた。

 ゲームは一日三十分まで、アニメは……夕食の時以外はテレビをつけては駄目な家だったので「深夜アニメ」なるものの存在を知ったのは一般的なオタクがそれを知るよりも大分後だったと思う。そもそも、深夜にアニメがやっているという発想がなかったので、アニメの話で盛り上がっているクラスメイトたちを観てもどっか特殊なサイトでも観ているのだろうか、などと考えていた。漫画は昔から読んでいたけれど、数は少なかった。メジャーなものだけを話題合せのために読んでいた感じ。ワンピナルトブリーチとかね。(この頃のジャンプが懐かしいし、思い出の中で際限なく美化されている)

 今にして思えばかなり旧弊的な家庭だったのかもしれない。アニメ漫画ゲームは幼稚な馬鹿が小説とか音楽とかの下位互換として楽しむものとして捉えていた節すらあった。代わりと言っては何だけれど昔から本はよく読まされたし、自発的に読んでいた。まあそれは別にいい。ただ、昔からそういったコンテンツを「不潔」な……というと穿ちすぎかもだが、「低俗」な……ものとして捉えてきた親の視線は、確実に私の中に受け継がれていると思う。少なからず。というか大部分。

 私がオタクになりきれない、というか二次元コンテンツに嵌りきれない遠因はここら辺にあるのではないかと思っていて、まあ今は(というかここ数年は)確実にオタクなのだけれど、中高生の頃は所謂「オタク」集団にも馴染めず、というか交流できず、前の席のニキビ面のオタクが「アイドルマスター」なるアイドルをプロデュースする珍奇なゲームについて語る中、教室の隅で村上春樹などを読んでいた。(本人は「高尚」だと思っている。因みに数年後アイマスPになるのだから今思えば皮肉的なシチュエーションだ)だから中高生の時は確実に「オタク」ではなかったと思う。深夜アニメも観ていないし(存在すら知らないし)、漫画は……それなりに読んでいたけれど、ゲームも……それなりにしていたけれど、「オタク」ではなかったと思われる。余談だが運動部に入っていた。……活動の結果は推して知るべし。



 そんな私が深く二次元コンテンツに傾倒するきっかけ……端緒のようなものを朧げな記憶を頼りに探ってみたのだが、「オタク」になったのは、恐らく「エルフェンリート」という作品に触れたのがきっかけだったような。

 youtubeでなんとなく観たショートの宣伝動画から気になってアニメから入り、漫画も読んだ……。開始数分でマミるあの人の冥福を心から祈る。

 このエルフェンリートという作品が凄い、いや本当にもの凄く面白かった。当時の自分が今まで触れてきた作品の中でもトップクラスに面白かった。岡本倫先生の才能は本当に素晴らしい。

画像2

 ここから、本格的にアニメ漫画に傾倒していったのを何となく覚えている。まず、知識がないので2chでローラー作戦のように「おすすめ漫画」とかで検索し、スレを目を皿のようにして眺めた(正しくネットサーフィン、もう失われつつある文化だと思う)。そして本屋に通い詰めた。通っていた中高の駅前には数階建ての本屋があり、品ぞろえが本当に神がかっていたので、大抵のモノはここでそろった。ない場合はアマゾン。学校のことはほとんど覚えていないが、本屋で漫画を漁った記憶だけは色濃く残っている。

 そんな当時読んでいた漫画をざっと挙げてみる。

 HUNTER×HUNTER、ベルセルク、エルフェンリート、ARIA、ぼくらの、なるたる、GUNSLINGER GIRL、惑星のさみだれ、ブラック・ラグーン……。

 どうだろうか。オタクには知られていても、あまり世間的には知られていない(言ってしまえばマイナな)作品が多いのではないかと思う。つまり、私のオタクとしての原点は「漫画オタク」だったのではないかと思う。いや、正確に言うと「エルフェンリート」なのだけど。一番面白かったし。

 今思えばここで止めておけば割かし傷が浅くて済んだのにと思う。

 そっから例の如くアニメにも興味を持ち始める。「まどマギ」と「エヴァ」の北米版を買って一作目と二作目に観たが、今思えばここでワン・ツーが見事に決まっているのでこれだけ見ればよかったのではないかと思う。

画像3


 それから評価の高い作品を順当に見て回った。「アイドルマスター」もこのタイミングで観た。アニメもなかなか面白いことが分かった……のだが、いまいち乗り切れなかったのも確かだ。アニメキャラとか殆ど好きになったことがない。キャラ萌えとかも殆どしたことがない。エ〇ゲをやっていても主人公とヒロインの恋愛を他人事のように眺めている。正確に言うのならば、近い感情を抱くことはあるが、けして長続きはしないのだ。一番続いたのは、デレマスの鷺沢文香さんだろうか。課金してSSR獲ったし同人誌も作ったし。四年近く好きだったと思う。おっぱい大きいし黒ロングだしね、仕方ないね。現実にこんな女の子いないよとは親戚の女性談。分かってます。

画像4

画像5

 恐らく、無意識のうちに自分で自分にストッパーを掛けているのだろう。あるいは「こんなものに嵌まったらやばいぞ!」と警戒信号が身体の奥底で鳴っているか。どちらにしろ、二次元コンテンツに触れつつも、我を忘れるほどハマるとかそういうことはあまりないのだ。……恐らくは。三年以上好きだったのってアイマスくらいじゃなかろうか。あとは例外的にポケモン。

でもランダムレート対戦しながら、「これより偏差値とかテストの点数上げて偏差値レーティングバトルした方が良いのでは……?」と頭の中では薄々考えてはいたし、現実逃避の域を出ていなかったとは思う。因みにそこそこな進学校(中高一貫校・偏差値7×)に通っていたのだが、うん、まあ、入る時と出た時の偏差値は誰にも分からないねというのが正直なところだった。今思えば敷地内に人工池や林があったり、エ〇ゲに出てくる「学園」みたいだったのでもう少しくらいは活用してやればよかったのではないかと思う。

 因みにこの妙な距離の取り方というか苦手意識はコミケに関しても同様で、私の知識的には「オタクが沢山集まるなんかヤバいところ」としてしか認識してなかった。コミケに行くとか息巻いている眼鏡に「コミケ行って何するの……?」みたいなことを真顔で尋ねていたような。でも、コミケに対するオタクでない一般人の印象なんてこんなものではなかろうか。


スクリーンショット (296)


 因みに秋葉原についても同様。東京生まれ東京育ち(引っ越しなどで東京から一時的にでも出たこともないので半ば幽閉と言っていいと思う)なのに、初めて行ったのは大学に入る前の春休みだった。まあ、秋葉というとあの事件を否応にも思い出してしまうし、それこそどことなくアングラな感じ(ある意味、歌舞伎町よりも)がして行きにくかったのだと思う。中学生までは電車で一本だったしもっと行ってればよかったのにね。

 こうして追ってみると、オタク趣味に傾倒しつつも、何処か妙に冷めているというか、微妙な距離感を取っているのがそれとなく伺えてくる。恐らくこの感覚は、消えない。消えてくれない。無意識的なものだからだ。今現在嵌っているノベルゲーム(美少女ゲーム)に対しても、正直に言うとある。だから嵌り切れていないし、オタクとして失格とはいかないまでも弱いところがあるのは確実だ。私は、同人誌即売会で観た、あの純粋なまでの憧憬にも似た視線を二次元コンテンツに抱き続けられる自信がありません。ええ、正直に言うと。オタク……というかオタクを取り巻くコンテンツはダサいと思っています。


 こういった話題……オタク作品のことを現実を直視してない、とか幼稚な空想の産物みたく切って捨てようとすると高確率で炎上するか老害乙みたく軽くあしらわれることが多い気がするのだけれど(オタク趣味は最近は市民権を得てきているようだ)、私はこの批判は至極まっとうだと思う。

 いや……お前の好きな小説も所詮は非現実の空想の産物じゃんwみたいなことを言われたような記憶もあるので上手く反論を試みてみる。

 まず、小説とアニメ漫画ゲームでは物語の持つ厚み、というか構造が違い過ぎる。アニメとか漫画に〈どれも似たような〉という形容をするとかなりの確率で怒られる気がするが、事実、外野から見ればどれも似たような、だ。非オタの視線からすれば、教室でアニメについて熱を持って語る人間の話は、まさしく、どれも似たような話、だった。いくら違う違うと言い張っても、外野からすればやはりどれも似たような、なのだ。俎上に上がったのが青春アニメだとして、ヒロインの特色や舞台設定が少し違っていたとしても、描かれる内容は似たり寄ったりではなかろうか。いや、細部は全然違うだろと憤慨したくなる気持ちは解る。好きな作品が蔑ろにされて憤るのはもっともだ。でも、外野から見たらきっと、似たり寄ったり、なのだ。

スクリーンショット (233)


 小説なら比較的に多彩なジャンルというか、精読に耐える、だけのものを備えていると思う。文字を読むことは教養、ととらえている人は多いと思うし、アニメや漫画を「教養」とするには(世間一般的な尺度からすれば)やはり足りていないものが多い気がする。

 あと、オタクコンテンツは物語を要素を組み合わせて書いているな、みたいなことは前々から思っていて、だってヒロインの造形とかさ、金髪×ツインテール×ツンデレとか、黒髪×姫カット×ヤンデレ……みたいな。割と安易なキャラ付け。

 小説は登場人物がどんな顔をしているか分からないし、そもそも情報量が少ない方、想像力を働かせなければならない。そこには必然的に受け手の側からも作品にコミットする姿勢が求められる。アニメ漫画ゲームに想像力が介入する余地は殆どない。というか、ないのが利点だとは言える。考えなくていいから。無心で出来るし、与えられたものをそのまま受け取るなり、構築された世界で遊ぶなりするだけ。それが楽しいのはわかる……が、それでいいのか? とは思う。

 抽象的な話になってきたので、少し冷静に、メタ的な視点から考えてみよう。問いをいくつか適当に立ててみる。

 何故にして、アニメや漫画の主人公や登場人物には中高生が多いのだろうか?

 何故にして、アニメや漫画の題材は学園生活や部活動や恋愛が多いのだろうか?

 何故にして、アニメや漫画は馬鹿の一つ覚えのように「青春」を押し出すのだろうか?

 簡単なことだ、主に中高生の読み手を対象としているからだ。

 なんか、20超えたら漫画アニメが「以前のように」楽しめなくなった、みたいな意見を見かけるのだけれど、それは極めて正常だと私は思う。寧ろ以前のように楽しめていたらそれはそれで異常だ。近年昔の人気作品をリバイバルするような動きも盛んなようだが、それにしたって「以前と同じように」楽しめてしまったら悲しい。変化がないってことだもの。

 あと、こういう議論で、主人公が中高生じゃないアニメ漫画なんて沢山ある、とか、アニメや漫画にも強固な物語構造やテーマを備えたものもある、みたく反論するのはそれこそオタクの盲目的なところではないかと思う。

 第一、「Aは~だよね」というのは、Aのなかにはおしなべて、平均的にこうだよね、こういうものが多いよね、という文脈でふわっと話しているのに、例外的なデータを一つか二つ持ってきて論破されるのもなんだかなあと言った感じ。あくまで平均というかその概形を話しているだけなのに。現に「多い」と書いている。

 以前、「ラノベは現実を書いてない」と言ったら、「でも冴えカノの舞台は現実じゃん」と言われ、「いや……美少女ハーレムで同人サークルやるのが現実、ですか?」と思ったことは、ある。噛み合ってない会話だった。(冴えない彼女の育てかた、私が唯一完読できたラノベです。胸糞悪くなるシーンはあれど良い作品でした。でもWHITE ALBUM2には手が出せません)

画像6


 こうしてみていくと、オタク趣味というかオタクコンテンツを内心見下しながらも、他ならぬ自分自身もその一員であることを自覚しつつも、どちらにも染まりきれない有耶無耶で中途半端な態度が覗えます。オタクを見下すオタク。一般人にはなりきれないけれど自分より下の相手にはマウント、みたいな。私が抱えている意識はそういうのとはまた違うのですが(だって、罪悪感)、少なくとも、中高生の時からアニメ漫画にリアルタイムで沢山触れた純粋培養のオタク(それこそ、アニメが青春! と言えるかのような)には確実に敵わない。練度が低いのは確かです。評価の高い作品を人づてに聞いたりネットで調べたりして得た知識と、彼ら彼女らがリアルタイムで直に得た知識では、やはり鮮度というか解像度のようなものに差がありすぎる。私は「まどマギ」をリアルタイムで観られた人が心の底から羨ましい。もう少し早くまどマギを観ていれば、受験期に東〇の映像授業の片手間にアニメ鑑賞なんて馬鹿な真似は防げたはず。昔押さえつけられてたからこその遅れての傾倒というのは確実にあると思います。にしても時期が悪すぎる。

 最初は酸っぱいブドウの論理(本当は欲しいが手の届かないものを敢えて貶めることで自分を納得させようとする適応機制のこと)かとも思ったのだが、どうもそれも違う。心の底から欲しい、と思ったことはあまりない。やはり、オタクコンテンツに対しては、奇妙な目線と角度を以て接している気がする。現実逃避の一貫には違いがないと思うのだが、未だに解決が付いていない。

 まあでも、いい年してオタク趣味をやり続ける気力は多分私にはないです。今でさえ枯れかけ。というか半ば引退というか残骸。こういうものなのでしょう。筋金入りのオタクでない限り、皆どこかで脱落していく。最近はアニメ漫画もめっきり触れなくなりました。それどころか普通に売ったり処分したりしてしまっている。大切なモノは残すけれど、果たしてこれで良いのだろうか。……良い、と思う。少なくとも、過去にしがみついて生きるよりはいいのではなかろうか。

画像13


 今書いていて気付いたが、オタクコンテンツには「残る」ものが少ないような気がする。たとえば小難しい小説……あるいは学術書を苦労して読めばその記憶は色濃く残る(たとえ不快なモノであっても)が、オタクコンテンツにはこれがない。次から次へと供給されるものをつまみ食いのように摂取しているだけ、というか。深みがないのだ。私の視点からすると。

 繰り返して言うが、全部が全部そうだといいたいわけではない。0か100かのオールオアナッシングな視野狭窄は昔の自分を思い起こすと共感は出来るが、あまり薦められるものではない。でもネットにはこういう奴が多い。

 数百時間を費やして仮想世界でレアアイテムをゲットしたとして、属性を付与された虚構の存在に愛を届けてみたところで、紙面の向こうのキャラクターたちに思いを馳せたところで、ふと目が醒めたときに、我に返った時に虚しくなったりはしないだろうか。以前こんなことを言ったらなんだってそうじゃん、みたいなことを言われたが、そうではないと思う。残るものはある。……確かに。でも私は多分、後悔すると思う。してしまうと思う。というか現に今している。


画像11


 この罪悪感はやはり、「アニメ漫画ゲームに現を抜かす→低俗なこと」との図式が、幼い頃親とか親戚に叩きこまれた価値観が為せる業なのか、それとも単に私がかつてSNSで暴走し帰るべき現実の一部を現実逃避の一環として破壊したように、機械的な逃避行動の一種に感じているものなのか、答えは定かではない。

 でも、もうそろそろ、というかもうほんの数か月で、そういう時期は完全に終わってしまうのだなという実感をひしひしと強めている。これは確固たる重量感と焦燥を以て、私の中に燻っている。いい加減、ふわふわとした綿菓子のような世界から足を洗わないとヤバいぞ、というような、不可視の重圧。いっそ開き直ってしまえば楽なのではないかと思う(オタクとして生きればいいのではないかと思う)のだけれど、前述したとおり、私にはそこまでの胆力はない。それだけは確実だ。思えば、ここに最初に投稿したAIRの感想記事も、似たようなことを書いていた気がする。ただ、あの当時は「~~したほうがいいかな」だったのが今では明確に「~~しないと」になっている。shouldからmustくらいは差がある。自分はそこまで自分を貫けるほど強くはないのだとひしひしと感じている。

画像8

 結局のところ、オタク趣味ってなんなんでしょうね。何がきっかけで嵌るのでしょう。自分の場合、まあ思春期に異性が排除された牢獄のような環境にいたこともアリ、周りが恋愛とかそういうのとは無縁の世界だったんで、よく分からないんですけれど、三次元がいるなら三次元と付き合いたいのが人間なんじゃないんでしょうか。やはり現実逃避というか、いや私は現実「空費」だとも思いますけれど、まず現実で頑張ってから息抜きというか休息に利用するのが良い気がします。これは何でもですが。何と言いますが、ツイッターとかも過去に嵌っていたことがあるから分かるんですけれど、リアルと融解するのならまだしも、リアルと反転したらもうどうしようもないと思っていて、だってあんなところに五年も十年も二十年もいるのなんて、それこそ「変化がない」と思いますし、成長しないなと思います。

画像9

 ここでこうやって表明してる感情もきっと、ある程度時間が経ったら「何書いてんだコイツ」となるかもしれませんが、まあ、今この場所この時間で思っていたことを何となく書き留めておいたつもりです。10000文字もお付き合いいただきありがとうございました。エッセイとか銘打ってみたはものの何の脈絡もない文章を書き連ねていただけの気もします。まあ要するに、「私はオタクとしては中途半端です」ということですね。吹っ切れられる方が羨ましくもありますが、一方で向いていないことには早々に見切りをつけるのがいいし、まあそういうことなんでしょう。(どういうことなんだ)

 そうなると私の唯一の趣味らしきものは読書なのですが、まあ、ノベルゲームも広義の読書だと思いますし、エロゲは文学じゃないけど、残り少ないオタクとしての持ち時間で積み美少女ゲームを崩していきたいと思います。

 9/11

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?