アレだよアレ

いつもアレなんだよな、私は。
新しいものに触れると自分の「なにか」が変わるんじゃないかと思って、それで思い立っては考えもなしに取っ替え引っ替えしてるんだよな。

例えばスケッチブックとかノート。7割くらいまで使うと「次は違うメーカーにしたほうがもっと描ける気がする」と根拠のない期待が湧く。そんなわけで持っているノート類はダブりがほぼ無い上に2割~3割が白紙。

ブログもそうだ。
なんか変わるんじゃないかと思ってはページを立ち上げてみたり、でもすぐに飽きてほっぽらかしたり。1週間ももたない。そして放置or閉鎖へ。

このnoteもそういうもののひとつだ。
過去記事の最後の日付、見た?
2022年7月だってよ。まるっと2年ぶりじゃん。しかも内容を読んでみたらなんと書きかけの記事である。オイオイオイオイ。
よく見ると最後よりひとつ前の記事は2021年のものだ。時差がすごい。
ゲーム日記の進み具合と同じ感じで、ゲーム自体も中途半端のままで止まっている。途中で止めてしまう理由は資格試験だとか原稿の締め切りだとか。

ブログ向いてねえなぁ…継続力と計画力が無さすぎるなぁ…とは思うものの、ナルシストな私は自分の文章が好きなのでなんとか文を残せる場所を時々猛烈に欲してしまったりする。
それでいて面倒になったり忙しくなったらポイである。なんだこいつ。

そもそも。
能動的じゃないんだよな、「なにか」変わるんじゃないか?って気持ち。
私の場合だと、これは期待しているようでいて傲慢なんだ。自分から変えようとしているんじゃなく「変えてみてくれよ、自分はこのままですけど。」という怠惰とふんぞり返りとクソ客感覚が5割くらい入ってる。
そしていざ使ってみて自分が変わらなかったら、それはポイなのである。自分のせいなのにね。

いつもアレなんだよ。私はわがままなんだ。
高校の時に読んだ、茨木のり子の詩がふいに頭をよぎる。

「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」

https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pXmbYxljG5/
詩人・茨木のり子 現代に響く魅力

ごめんよ茨木のり子……私はこんな大人になっちゃったよ……。

だが、そんな自分を自覚したのだし、ちょっとくらい変われるものがあるんじゃないかと思ってnoteを再開してみる。
三つ子の魂いくつまで、とかって言うからね。正直、そこまで自分に期待はしていない。またそのうちサボるぜこいつ。

それでもまあいいかと思う。自分に課すのはただ一つ、「不便・不快と何度も感じた以外の理由で新規ブログを作らない」ってこと。
三日坊主になってもいいし、飽きても構わない。ただ、そうなった自分を認めないで他のサービスに逃げるのはもうやめにしたいな。

そんなわけで、これからまた不定期になにか書きます。
書かなくなったら「電池が切れたんだな」と思ってください。