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しろくろコンチェルト〜第四楽章〜


ガチャ…

いつものように鍵を開けてドアを抜け室内に入る。

少し埃っぽいスタジオ…天窓からから差し込む日差しが幾筋も光の柱を作っている光景はどことなく神々しさを感じる。
そしてその中央には、今は響板を閉じられて静かに眠るグランドピアノ。

「……」

僕は時折こうしてここを訪れ、掃除をしているのだが、やはり人の気配がないとすぐに埃が積もり、黒く艶やかだったピアノもすぐにうっすらと白くなってしまう。

ピアノの脇にはソファが並び、こうして見ていると、ここで食事を囲んで彼女たちと過ごした時間がまるで昨日のようだ…

思い出を確認するようにスタジオ内を歩く…元々工場を改装したスタジオなので、このピアノが置かれたホールは意外と広い。そして、その気になれば椅子を並べてちょっとしたピアノコンサートでも出来そうなホールの一角には棚が設えられており、いくつもトロフィーが並んでいる。

「あ、これは…」

それらと一緒に可愛らしい写真立てに収められたいくつもの写真も納められている…いずれも可愛らしいドレスやスーツを着た女の子がトロフィーや賞状を手に写ったもので、コンクールや発表会の記念写真だ。
僕はその一つを手に取って見る。

僕を中心に左右にピンク色のオーガンジードレスを着て緩やかにウェーブする亜麻色のロングヘアの女の子…カノンちゃんと空色のサテンドレスに艶やかな黒髪をボブカットにしたソナタちゃんが並び、妙なことにどこか疲れたような…見方によっては何かをやり切ったような表情で写っていた。

自分もこの写真と同じものを持っている、今もきちんと家の棚に飾られている大切な思い出の一つだ。

そんな思い出に浸りながら、隣接する倉庫にしまってある掃除機とフロアモップを取り出して、床を掃除していると、ピアノの下にピアノが跨いでいるような感じで走った一本の溝が目に入った。

工場だった時の名残で配管か機械の設置用かわからないけど、ちょうど人がすっぽりと収まるくらいの深さと幅の溝。

「……」

これもまた思い出深いものの一つだ…

溝を横目に僕は掃除を続ける、静寂に包まれた室内では自分の足音と掃除機の音がやたらに響く気がする…

「こんなものかな?」

床の掃除が一段落したので僕は思い立って、椅子の埃を払い腰掛け、グランドピアノの蓋を開けて鍵盤に指を添えて、知っている曲の一節を弾いてみた。

曲はベートーヴェンのピアノソナタ第26番、その第三楽章の一節…彼の曲には「運命」や「月光」など有名で印象的ななタイトルを持つものが多いが、それらは後世の人がつけたものだ、しかしこの楽曲は珍しくベートーヴェン本人が「告別」と標題をつけている。
日本ではいささか不穏なタイトルだけど、特にこの曲の第三楽章は彼が戦争の時代にウィーンから脱出した友人との再会を祝った曲となっている。

…と大層な事をいっても、手が覚えたものを思い出しながら弾いているに過ぎず、このピアノの本来の主からしたら雲泥の差だ、しかし…

「あれ…少し音が…」

僕はピアノの音に違和感を感じていくつか鍵盤を叩いてみる。

「…やっぱり」

しばらく弾かないうちに調律が狂っていまっていたようだ。
これだけは少し自信がある、以前はそんな才能があるなど思ってもみなかったが、僕は耳だけは良い。

「これは今度、ウチの調律師に見てもらった方がいいな」

この件は後で連絡をしておくとして、今は掃除は済ませておこう。
しばらくピアノに興じてしまったが、狂いが発見できた事は幸運だったとし、残りの場所を掃除して、棚のトロフィーと写真立ての埃を払う。

「うん、こんなものだろう…」

ピカピカ…とまではいかないが、まるで人の手が入らないよりはずっと綺麗になったスタジオを後にして僕は外に停めてある車に乗り込んだ。

助手席には一枚の航空券…

「長かったような、あっという間だったような…」

都心から高速道路に乗って湾岸方面へ…空港へと車を走らせる。
運転席の窓から離陸し上昇してゆく飛行機が見える。
その飛行機が向かう先の空は快晴で、二人を見送って飛び立った飛行機が見えなくなるまで空を見つめたあの日を思い出させた……

ある休日…正午前

最近は休日の度にカノンちゃんのスタジオを訪れている、それにはちょっとした理由があった。

「へぇ、お兄さん、またピアノをやることにしたんだ」

「うん、といっても教室には週に一回行くのがやっとだし、すっかり基本も忘れちゃってるからバイエルからやり直しだけどね…」

先日、二人の留学をかけた学内選考を兼ねたコンクールに関わり、二人がその日に向けて練習を積み重ね、見事に二人揃っての入賞となった一件で、僕の中にも何か変わらねばならないという気持ちが強く沸いた。
正直、このどうしようもない現状から何を変えるのか? という冷めた所もあったのだが、彼女たちから褒められた耳を伸ばすことと、二人の世界に少しでも近づけるようにと、かつて習っていたピアノを再開することにした。

今は、一週間に1日だけはあの同僚職員にどんなに嫌味を言われようと罵声を浴びせかけられようと、早々に仕事を終わらせて教室に通うことにしている、しかし、どうしてもピアノに触れている時間は限られてしまうので、ここで拙いながらも練習をさせて貰っているのだ。

「でも、昔やっていたのでしたらすぐに思い出すと思いますよ? あ、こちらは私が昔使っていた教本と楽譜です、良かったら使ってください」

ソナタちゃんがそういって数冊の本を差し出す。

「ありがとう、大切にするよ」

「はい、その本に書かれている事でしたらイチロウさんに教えてあげることもできると思います…例えばこちらなどはどうでしょう?」

ピアノに向かう僕の横に立ってソナタちゃんが譜面台に置いた楽譜集のページをめくる。
僕の耳のそばでサラッと揺れるボブカットの黒髪からニオイスミレの香りがして少しドキドキしてしまった。
そんな心惑う僕を横目にソナタちゃんが選んだのは…

「シャルル=ルイ・アノンのハノンの1番です」

「あぁ、確かにいいかもね、アタシも最初は何度も何度も弾いて夢にまで出たよ…」

「ハノンは基礎練習に最適な課題曲で、指使いや指の筋トレに効果的で、初心者向けの楽曲として広く知られています、教室の先生の指導もあると思いますが、イチロウさんは経験がありますから基本的な運指などはしばらく練習していれば思い出すと思います、まずはこのあたりからやってみましょう」

「うん、わかったよ、頑張ってみる」

「はい、弾けるようになってきたら一緒に連弾とかもしたいですね」

「いいね、クラシックじゃあまりないけど、あの、誰でも知ってる有名なパレードの曲は3連弾で演奏も出来るんだって、楽しみだねっ」

「ははは、二人と一緒に弾けるようになるには相当練習しないといけないな…」

終始和やかな雰囲気で過ごす時間、平日中、あのタバコ焼けした罵声で疲弊し切った僕にとって大切な時間となっていた。

そして、ソナタちゃんが指定したハノンと格闘する事1時間ほど、二人は少し前におやつのお菓子を買いに出掛けて行った。
最初はしどろもどろだった音の連なりもどうにか旋律と呼べるようになってきた。

「ただいま〜」

「ただいま戻りましたイチロウさん」

僕はピアノの手を止めて彼女たちを出迎え、一息、休憩の時間となった。
ソファに座って、二人が買い込んできたお菓子を眺めていると湯気を立てるティーカップが目の前に置かれて…

「そういえばさお兄さん…」

「ん?」

「最初にピアノを始めた時って…なんか理由があったの? ほら、その後に続けてた理由は聞いたことがあるけど…」

「え、う〜ん…理由かぁ…」

「そうですね、なんとなくですけど男の子ならスポーツとかそっちの方向なのかなって思ったりもしますけど」

僕は古い記憶をほじくり返して、ピアノを始めた理由を思い出してみる。

「あまり明確には思い出せないな、ただ、子供にしては筋が良かったのか、結構最初から先生に褒められて、親にも褒められていい気になったからかな?」

「なるほど、そうなんだ」

「でも、最初にそういう体験は大切だと思いますよね」

「まぁ、その後は冴えない人生でここ最近は褒められたことなんて片手で数えれるくらいだけどね…」

知っての通りの経歴だ、大人になるにつれ褒められる事などなくなり、『優勝』とか『表彰』とかは自分以外の誰かのものになってしまった。

「そんな寂しい事言わないでよ、さっき聞こえてたけど、1時間くらいでハノンがかなり弾けるようになってたじゃない、よしよし、偉いぞお兄さん…」

「頑張りましたね、イチロウさん…よくできました」

カノンちゃんとソナタちゃんの二人がそういって僕の頭を子どものように撫でてくれる、物理的にと精神的にもなんだがとてもくすぐったいが、悪い気分ではない…

「…これで褒められた数が二つになりましたね、この調子でいけばすぐに片手じゃきかなくなると思いますよ?」

「そ、そうだね…ありがとう二人とも、じゃあさ今度は二人のピアノを始めた理由を聞いてもいいかな?」

頭を撫でられている感触は少し名残惜しいが、僕はソファに座り直して、みんなのティーカップにお茶を注ぐ。

「そうですね、私はピアノだけじゃなくてお稽古事はなんでもやらされました、お茶にお花にと…」

「へぇ、確かにソナタちゃんは着物もすごく似合いそうだよね」

「ありがとうございます…自分で言うのもなんですけど両親は英才教育のつもりだったのでしょう、小さい頃から美術館とかクラシックのコンサートなどにも連れて行かれました」

「由緒正しいお家なんだね…」

「ソナタの家は何度かお邪魔したけど、すっごく広い和風の家で、大きな池とかあってさ、アタシも初めて、友達の家に行くのに緊張しちゃったよ…」

「それは、なんか想像するだけで緊張してくるね…」

「そんな事ないですよ、ちょっ古臭いだけです…かと言って厳格かというとそうではなくて、やる事をやっていれば何も言われない…ウチはそんな感じの家なんです」

ソナタちゃんはとても品があって落ち着いた雰囲気があるけど、やっぱりあの学院に通うだけにすごいお嬢様だったようだ。 

「でもさソナタ、家で親からやれって言われただけでピアノ始めて、ソナタみたいにそんなに上手くなれるのものなの?」

確かにそれは不思議な所だ、ただ小さい頃から習っていただけで、コンクールで常勝するほどの腕には…少なくとも僕だったら考えられないな…

「それは…私も最初は親に言われてお稽古をしていただけなんです、一応、一通りこなして両親も満足はしていたみたいなんですけど…でも、イチロウさんにお話しした最初のピアノの発表会…」

「うん…」

「着慣れない衣装と下ろしたたての靴で、最初は嬉しくて舞い上がっていましたけど、いざステージに立つと…今思えば街の文化会館でやる程度の発表会だったのですが、熱くて汗ばむくらいにライトが当てられて、客席から視線は感じるのに暗くてよく見えなくて…」

「……」

「それで足がすくんでしまい、なんとかピアノの椅子に座ったのですが、今度は頭が真っ白、楽譜を見ても何が書いてあるのかまったく分からなくなってしまいました」

「それはアタシも経験あるなぁ…焦るよね」

「うん…それで私も焦ってしまいまして泣き出しちゃったんです、結果は当然ひどいもので私の初めての大失敗でした、その夜には両親にひどく叱られて…それでもっと上手くなりたい、緊張しないようになりたいって毎日毎日ピアノを弾いてきたからだと思います」

「なるほど、ソナタちゃんのピアノの腕は日々の練習の賜物か、僕も頑張らないとな…始めた理由は分かったけど、ソナタちゃんはその頑張ってるピアノで今後やりたい事ってある?」

「ふふ、なんだがインタビューみたいですね、えっと…やっぱり音楽関連の仕事に就けたらと思います、あとは、もっと気楽なクラシックを楽しめるように橋渡しになれたらと…」

「橋渡し?」

もうしっかりと今後を考えているのはソナタちゃんらしい、だが彼女にはさらに何かビジョンがあるようだった。

「私も小さい頃にクラシックのコンサートには何度も行きましたが、みんな綺麗な服を着て畏ってなんだかピリッとしてお堅いんですよね、でも海外、特にヨーロッパではふらっとコンビニにでも寄る感覚でコンサートに入ったり、コンサートでなくてもあちこちで楽器を演奏しているといいます」

「…そうなんだ」

「ええ、オペラの当日立ち見席でワインを楽しみながらとか、すごくクラシックが身近なところにあるんです、それってとても素敵だと思いませんか?」

「そうだね、今はいくらでも音楽が溢れてて身の回りに音楽を持って歩けるけど、クラシックでもそうなるようにしたいってのがソナタちゃんのやりたい事なのかな?」

「そうです、気軽に楽器を触って、音を出してみて、自分の表現をする、それを聞いてもらう…ちょっと前までは駅前のストリートミュージシャンとかはうるさいとしか思えませんでしたが、最近ではああいうのも表現力の一つで、私が身を置いているクラシックの世界でもやってみたいと思っているんです」

「じゃあ…作曲とかも?」

「はい、曲を書いてみたいと思います、そのためにもっと勉強をしたいといけませんが…」

ソナタちゃんにして珍しく熱っぽく語る様子に僕も少し心が躍った、ホールや教室だけじゃない、駅で、公園で、街角のカフェで楽器の音色がして、気に入った旋律に身を委ねる…ちょっと入った劇場でワインを片手にお互いにオペラの解釈を語り合う…なんて言えばいいのか適当な言葉が思い浮かばないが、一言で言えば面白そうだ。

「すごくはっきりとした希望だね、すごく楽しそうだ…こんな僕だけど、何か力になれたらいいなと思うよ」

「はい、ありがとうございます」

ソナタちゃんのピアノを始めた理由は最初はただの習い事の一つだった、でも彼女は失敗した経験をバネにやりたい事を見つけ、それに向かって今も、彼女のピアノの演奏のように一つ一つ積み上げている…

すごいな……

惰性で生きている自分には嘆息を漏らすくらいしか出来なかった。

「今度はカノンちゃんの話を聞かせてくれるかな?」

「え!? アタシ?」

「そういえばカノンと知り合ったのは学院に入ってからで、それ以前のカノンの話ってあんまり聞いたことがなかったな」

「あ、アタシは…そんな大した理由なんてないよ、多分聞いてもつまらないだろうし…アタシの話はまた今度にしよう? それよりさ、お兄さんのハノン聞かせてよ、さっきちょっと聞こえたけど、今日は特別にカノン先生と、ソナタ先生が手取り足取り教えてあげるよ」

「え、あ…うん…」

どういうわけかカノンちゃんは強引に話題をすり替えて僕をピアノの前に座らせて、急遽レッスンとなり、そのまま今日はお開きとなった。

空港、ターミナルビル

駐車場に車を停め、ターミナルビルのチェックインカウンターで搭乗手続きを済ませる。
最初はしどろもどろだったが、最近では海外に出向く用も何度かあり、今ではもう手慣れたものだ。

「まだ少し時間があるし…ラウンジの方で待っていようかな?」

時計を見ると搭乗開始までは小一時間ほどある、今日は重要な用向きだけに少し気張りすぎてしまったようだ。
僕は少し時間を潰すために、ラウンジに足を踏み入れると、上品な内装と調度でとても落ち着いた空間が出迎え、その中央に艶やかな黒い光沢を持つグランドピアノが鎮座していた。

ドイツの技師がアメリカで製造した世界的に有名なメーカーのピアノで、簡単に言えば、ただでさえ高価なグランドピアノの中でも高級品だ…僕は国産のピアノも良いと思うんだけどね…

「これって演奏する事ってあるのかな? 飾りで置いておくには少し勿体無いな…」

誰に聞こえるわけでもない感想を呟いて、ラウンジの給仕係からコーヒーをもらい手近なソファに腰掛けた。
目の前の重厚な黒いピアノをぼんやりと眺めていると、ふと様々な記憶が蘇ってくる。

ある土曜日、午後1時を回った頃

既に恒例となっていたカノンちゃんのスタジオへの訪問。
僕たちは3人で談笑しながら、思い思いにピアノを弾いて時間を過ごす、平日の殺伐とした雰囲気に晒されて疲れ切った心身にはこの時間が心地いい。

今はソナタちゃんがピアノに向かって聴きなれない曲を弾いている。
クラシックにしてはメロディがはっきりした感じの曲だけど、ゆったりと流れる水のような旋律でソファに身を沈めて聴いていると思わず眠気がさしてきてしまう。

「ソナタ、その曲って…?」

ソナタちゃんが弾く曲についてカノンちゃんが尋ねた。

「うん、ちょっと思いついた旋律を簡単に弾いてみたの、最近作曲もやってみたくて…こうやって思い浮かんだ節を弾いてみてノートを書き溜めたりして、後で編曲をして形にしようと思って…」

「じゃあ、今のはソナタちゃんの即興曲だったんだ…」

「即興曲というにはあまりにお粗末ですけどね…」

ちょっと恥ずかしそうに謙遜して見せるソナタちゃん、しかし今の一節は聴いていてとても気持ちが良く、思わず寝入ってしまいそうだった。

「そんな事はないと思うけどね、完成したら聴かせてよ?」

「…はい、是非お願いします」

既に日常となったこの時間、ピアノを弾いて、雑談をする。
僕は毎週のレッスンの成果を二人に聞いてもらい、どのように練習をすれば効率が良いかレクチャーを受ける。
何でもないけど、居心地のいい…そんな日々がこれからも続けばいいなと、ふと思う午後だった。

その翌週の金曜日、午後11時

ガチャ…キィィ…

カノンちゃんとソナタちゃんの二人と過ごす休日に比べあまりに味気ない金曜の夜、もう少しで日付が変わろうという時間の帰宅。

ガサガサ…バサッ

いつものようにコンビニの食事と値段の割に安いお酒をテーブルの上に置く、思えば近所のコンビニ店員にすっかり顔を覚えられてしまうほど、毎回同じものを買っているな…

腰を下ろして、お酒の缶を開けながらスマホを確認すると、薄暗い部屋にぼんやりと浮かぶ画面にメッセージが一本入っていた、メッセージの送り主はソナタちゃん、着信は1時間ほど前。

『夜分に申し訳ありません、お疲れ様ですイチロウさん、お伝えしたい事がありますのでお時間がありましたらご連絡ください』

普段から丁寧な文面のソナタちゃんだけど、このメッセージはさらに硬いというか…僕はちょっと胸騒ぎがして、こんな時間だけどすぐに返信を返した。

『お疲れ様ソナタちゃん、今からでも通話をしてもいいかな?』

僕が打ったメッセージに即座に既読マークがついて、彼女からの着信を告げる振動があった。

「もしもし、ソナタです、夜分にすみません」

「ああ、ソナタちゃん、こんばんは、どうしたのかな?」

「はい…さっきのメッセージの通り、イチロウさんにお伝えしたい事があるんです…」

電話口の向こうのソナタちゃんが少し硬い声で僕に話を切り出してきた…その内容はこうだった。

同日、午後4時

「左神原さん…今から理事長室まできてください」

私は今日の授業を終えて、いつも通りピアノの練習のために音楽室へと向かった。
そして、音楽室で担当の先生からそのように伝えられた。

「理事長室…ですか?」

「ええ、理事長先生が左神原さんにお話があるそうなんです」

「…わかりました」

コツコツコツ…

長い廊下に私の靴音だけが響く。
学院の中でも普段はあまり立ち入ることのない教員室などが集まる区画…その中でも一番奥の理事長室へ向かう…すると後ろの方から足音がもう一つ…

「ソナタ!」

「あ、カノン…もしかしてあなたも?」

私が問いかけると、カノンは少し苦笑いしているような表情で頷く。

「やっぱりソナタもなんだ…理事長室に行くんでしょ?」

「うん…」

「アタシたちを二人揃って呼び出すなんて、やっぱアレの件だよね…まさかお兄さんのことじゃ無いと思うし…」

「そうだね…」

一人だったら何の用件か分からなかったが、カノンと二人なら多分、先日の留学選考のコンクールの件だと思う。

「でもそれだとしたら…ちょっと趣味が悪くない? アタシたち二人を呼んでおいてどっちか片方…って事でしょ?」

「うん…」

「でも…アタシはソナタじゃないかなって思う、その方が絶対良いし…」

「……」

カノンと話をしているうちに、廊下の突き当たり、一際重々しいドアの理事長室に辿り着いた…私は無意識に手のひらに汗をかいていることに気がつく、ピアノを弾いている時なら何百人の観客がいても緊張しないのに…

コンコンコン…

ドアをノックすると扉の向こうから声がした。

「どうぞ、入ってください」

「「失礼します…」」

初めて入った理事長室、教室とは違い重厚な机と棚、それと座り込んだら立ち上がれないのではと思うほどのソファとテーブル…
その部屋に、入学式などで遠間にでしか見た事がない上品なスーツ姿の男性…理事長先生が立っていた。

「右見野さん、左神原さん、よく来てくれました、さぁこちらに…」

どこまで行っても一生徒に過ぎない私達にも柔らかい物腰でソファに座るよう理事長先生は言う。

「「……」」

流石のカノンも緊張しているようで、どこか硬い動きでソファに腰掛け、私もそれに続く。

「おそらくもう気がついていると思いますが、お二人にここに来てもらったのは、我が校の音楽特待…ウィーンへの留学プログラムの件です」

「はい…」

「お二人もご存知でしょうが、この留学はとても狭い門でこの数年、対象者が出ていません…コンクールで上位を保ち続けたにも関わらず、審査員の先生方の選考で落選となっています」

「はい…存じ上げております」

「しかし、歴代で留学から戻ってきた特待生たちはいずれも音楽界て素晴らしい活躍をしています、そして…今年度はその留学プログラムの対象者がおります」

「!?」

「音楽特待生としてウィーン留学の対象者は…」

理事長先生は対象者がいるとおっしゃった、そしてここに私とカノンが呼ばれている。
ここで私たちではない誰かが対象者というのは考えにくい…となれば、私か、カノンか…

「対象者は、右見野カノンさん…」

「え…!?」

名前を呼ばれて隣のカノンがまるで豆鉄砲をもらったハトのように固まっている…そうか…カノンか…

「カノン…おめでと…」

しかし私がカノンにおめでとうと言い終わる前に、理事長先生が言葉を続ける。

「そして、左神原ソナタさんの2名です」

「え…」

「ふ、ふたり…ですか?」

多分私も豆鉄砲をもらったような顔をしていたのだろう、理事長が少し笑ってこう続けた。

「我が校の歴史はとても長く、優に100年以上の伝統があります、この音楽特待生の留学制度もウィーンの提携している音楽院との間で既に数十年続いています、しかし…一度に2名の対象者が出たのは史上初の快挙といえます」

「….」

「お二人は先日のコンクールで審査員の先生方からの評価が特に高く、満場一致で推挙がありました、いずれか1人は選び難いと…これを受けて、我が校も協議して史上初の2名選出という運びになりました、しかし…お二人にも希望の進路があると思います、後ほど担任の先生から資料と申請書類をお渡しします」

「は、はい…」

「わかりました、ありがとうございます」

「私は右見野さん、左神原さん…是非とも2人で行ってほしいと思っております、宜しくお願いします」

私たちは思わぬ決定に驚きながら理事長室を後にした。

「は、ははは…ソナタ、おめでとう!」

カノンが私の手を掴んでブンブンと振る。

「うん、カノンも…おめでとう」

「ソナタはともかくアタシが対象だなんて…何かの冗談なんじゃないかと思うよ…こんな好き勝手にピアノを弾いていたようなのが…」

「それでも、だよ」

「うん…でもまいったなぁ、全然心の準備ができてないよ」

「私も…」

私は全く現実感が無いまま、長い廊下をカノンと一緒に教室へと戻っていった。

同日、午後11時半…アパート

「すごいじゃないか、2人揃って留学選出なんて!」

「はい、ありがとうございます」

電話口から語られるソナタちゃんの言葉に僕は興奮してしまった。
彼女たちから聞いていた、例の留学…とてつもなく狭い門を2人とも突破してウィーン行きの切符を手にしたのだ、しかし、どうも電話の向こうのソナタちゃんの声が浮かない…

「…ソナタちゃん、何かこの件で悩みでも?」

「え?」

「いや、いい知らせのはずなのに、ソナタちゃんの声がなんとなく浮かないようだから…何か悩み事でもあるのかと思って」

「は、はい…やっぱりわかっちゃいますよね…私、実は自信がないのです…」

あれほどの演奏をして、審査員からも満場一致の評価だった聞いたが、彼女は自信がないという…一体何に自信が持てないのか?

「この間話した、身近な音楽の橋渡し…この留学で学べる事は大きな糧になる事はわかっているのですが、いざ『あなたが対象者』ですと言われると…漠然と不安になってしまって、私なんかでいいんだろうかって…」

「ソナタちゃん…」

「すみません、夜分にこんなお話をしてしまって…」

「いや、それは人間なら誰だってそうだと思うよ、人ってそういうものらしいから」

「え…?」

「え〜と…人はそれが例えとてもいい事だとしても、例えば宝くじが当たって10億円貰えますって、現状が大きく変わってしまう事に直面すると、不安になったり、尻込みしたりしちゃうんだって、でもこれだけはソナタちゃんに言わせてもらうよ…君は、この留学を勝ち取った、それはソナタちゃんの努力の賜物だから自信を持っていいし、この経験を経て必ず日本どころか世界的に名前が知れ渡るピアニストになる、作曲家としてもね」

「イチロウさん…」

「パトロンとして、ソナタちゃんが良いと言ってくれた耳で君の演奏とこの間、即興で引いた曲を聴いてそう思った」

「……ありがとう…ございます、ですが出発する前に一つ確認したい事があります」

何か意を決したのか少し自信なさげでフワフワとしたソナタちゃんの声に芯が据わった気がする…

「イチロウさんに聴いて、感じてもらいたい曲があります…私が書いた曲ですけど…ダメでしょうか?」

「ダメも何もないよ、ソナタちゃんが聞いて欲しいというなら僕は喜んでだよ」

「ありがとうございます、では、日曜日に…カノンのスタジオでお待ちしています、よろしくお願いします」

「うん、わかったよ必ず行く」

「はい…よろしくお願いします」

回線が切断し、また部屋が静かなる…ソナタちゃん自身が書いた曲を聴いてほしいと言っていた、これで自信が持てると良いけど…僕にできるのは最後の背中を押す事だけ…これが僕の役目だ。

日曜日、午前11時

数本の電車を乗り換えて、慣れた道となったカノンちゃんのスタジオへの道のり。
高級住宅地の外れにある彼女のスタジオまで辿り着き、インターフォンを押すと…

「おはようございます、お待ちしていましたイチロウさん」

スピーカーからソナタちゃんの声がして扉が開いた。

「おはようソナタちゃん、あれ…カノンちゃんは?」

「鍵を借りました…今日は彼女には外してもらっています」

「そ、そうなんだ…」

そういうソナタちゃんは今日は焦茶色のボレロワンピースを着ている、珍しく黒髪のボブカットには同色のリボンの髪飾りが添えられ、脚はトレードマークの黒いタイツではなくフリルの折り返しが付いた可愛らしい白いソックス、それに服に合わせた使い込まれて、よく手入れがされていそうな黒いストラップシューズ…しかし全体的にとても可愛らしい服装なのだがなんとなく感じる違和感…いつにも増して小柄で幼く見えるというか…

「ソナタちゃん…その服は…?」

「こっ…これは…」

僕が服について尋ねるとソナタちゃんは急に顔を真っ赤にして俯いてしまった。

そう…サイズが合っていないのだ、袖も少し足りない感じだし、ワンピースのスカートはゆったりとしたフレアのはずなのだが、丈が短く、彼女としては珍しいほんのりとピンク色をした膝小僧を僕の前に晒している。

「その…やっぱり似合ってないですよね…き、着替えてきますっ!」

踵を返してスタジオに戻ろうとすぐソナタちゃんを僕は慌てて引き留めた。

「あっ、待ってソナタちゃん! すごく良く似合ってるよ、着替えなくても大丈夫だよ」

「は、はい…ありがとうございます…先日カノンがイチロウさんはこういうのがお好みだと言っていたものでして、学院に入る前の卒業式の時に着た服をクローゼットから引っ張り出してきたんです…でもやはり少しサイズが合わなくて…」

……ソナタちゃんはどうやらカノンちゃんに妙なことを吹き込まれたようだ、そして僕にも妙な性癖があるようにまで…

「でも、わざわざソナタちゃんが書いた曲を演奏して聴かせてくれるため用意してきた服なんでしょう? じゃあその格好でお願いするよ」

「は、はい…」

僕はようやく落ち着きを取り戻したソナタちゃんに案内されてスタジオのホールに向かい、いつものソファに腰掛けた。

「まずはこれを見てください」

ソファに座るなり、ソナタちゃんは自分の鞄から数枚の紙を取り出して僕に見せる…それは彼女らしい几帳面な文字と無数の音符が五線紙に並ぶ楽譜だった。

「これが…ソナタちゃんの書いた曲?」

「ええ、そうです」

楽譜がまだまともに読めない僕にもわかる、連続した3連符にたくさんと音符と音符を繋ぐ線…スラーが至る所に書き込まれて、一目見て難しそうと感じられる。

「なんかすごく…難しそうな感じだね…」

「…こ、これはその、誰かに弾いてもらうために書いた曲ではありませんから…イチロウさんに聴いてもらって、喜んでもらいたくて書いた曲です、先日の話を覚えていますか?」

「え?」

「ここにもし、モーツァルトがいて、自分の曲を弾きながらペダルに乗せたイチロウさんのペニスを踏みつけていても、彼はきっと怒らないでしょうね…と言ったことを」

よく記憶に残っている、ソナタちゃんにしては随分大胆な解釈だと感じたものだけど…

「私はこれからたくさん曲を書くつもりです、そして書くならみんなの心に残るようなものを書きたいです、でもまだ…少し自信が持てません…このまま留学をして、見知らぬ土地に渡って、うまくできるか不安です」

「……」

ソナタちゃんがコツンとストラップシューズの踵を鳴らしてピアノの前に立ち、こちらに振り返る。

「イチロウさん…服を脱いでください…」

「え!?」

「イチロウさんはこの留学のチャンスを私が掴む糸口を示してくれました…あの日の夜の事です、だから貴方に…私の最初の一曲を捧げたいんです…」

「でもそれは…」

「この曲はイチロウさんのことを踏んで射精してもらうために、わざと複雑なペダル操作を多用するように書きました、この曲で…私の曲で、イチロウさん…その、イってください! 私の曲で気持ちよくなって…射精して、私の足も靴もイチロウさんの精子でベトベトにしてくれたら…喜んでくれたなら…なんだか自信が持てそうな気がするんです、それって…やっぱり不純過ぎますか?」

ソナタちゃんの表情は真剣で、伊達や酔狂で今のセリフを言っている感じではない。
そして僕は、出会った頃に彼女に言った自分の言葉を思い出した。

「僕も、入り口が多少不純だからといって出口が不純かと言えばそうではない…そんな言葉を言ったね…」

「はい…」

「ありがとう、僕でよければ…近い将来に有名な作曲家になるだろうソナタちゃんの最初の一曲、一番の特等席で聴かせてもらってもいいかな?」

「はい…お願いします!」

僕は服を脱いで裸になり、ピアノの下にある溝に身体を横たえ、まだ勃起し切らない柔らかいペニスをダンパーペダルの上に乗せた。
それを見たソナタちゃんは僕が溝に収まったことを確認して、椅子に座り高さを調節する。

「ソナタちゃん、この曲のタイトルは何かな?」

「それが…良いものが思いつかなくて、まだこの曲は無題なんです、でもここで弾き終えたら、もしかしたら良いものが思い浮かぶかもしれません…」

ふにっ…

「んっ…」

ペダルとペニスに彼女のストラップシューズが覆い被さり、軽く踏み込まれる…よく磨かれて手入れがされた靴、もしかしたらソナタちゃんはこの靴を大切に履いてきたのかもしれない…少し摩滅した感じの滑り止めがペニスに優しく食い込んできて、踏み込まれる圧迫感と合わさって一気に僕のペニスが膨張し、硬くなってしまった。

「ふふ…イチロウさんも準備はいいみたいですね…」

下から見るピアノの向こうからソナタちゃんの声がして、彼女は最後に数回、つま先を捻ってペニスを踏み躙り、僕のペニスを完全に勃起させた。

「……すぅ」

そして、ソナタちゃんは一度大きく息を吸い、鍵盤の上に指を滑らせて、彼女の曲が始まる…

出だしは訥々とした主旋律にうねるような伴奏が寄り添い、どこか重苦しさに抗っているような旋律が彼女らしい正確なタッチで描かれてゆく…
これは表現力とは何か悩むソナタちゃんの心情を表したものだろうか?

キュッ、キュッ、キュッ、キュッ…

「あっ! んっ! んんっ!!」

まるでメトロノームのように全く狂いなく、途切れる事なく、全く同じ圧力でソナタちゃんの靴底にペニスの先端が軽く押し潰されてしまう…

キュッ、キュッ、キュッ、キュッ…

「はぁ…はぁ…んぐぅっ!?」

ソナタちゃんに踏みつけられたショックで意識せずペニスがヒクヒクと痙攣しだし、狂ったようにペニスやその周りの筋肉が出鱈目に収縮する!
ソナタちゃんの足はそんなものを気に留める事なく事務的に、単純な機械操作としてペニスごとペダルを踏み続ける。

彼女の踏み付けに、まだ曲は始まったばかりだが、いつもの腰の奥の射精感を感じる間もなく、ペニスの先端からはだらだらと僅かに濁った粘度の低い体液がだらしなく溢れ、時折発作的にくる脈動に…

「うっ…!?」

一瞬、射精してしまったと思うほどの射出感と快感に襲われて思わずペダルの支柱の向こうにあるペニスを確認した、だけどそこにはだらしなく体液を滲ませているペニスがあるだけだ。

「私は少し前まで、譜面こそが曲の全てだと思っていました、楽譜に書かれた音符は元より記号の全てが作曲者の意図であり、それを都合で無視していいものではないと考えていました」

ソナタちゃんの曲は中盤に差し掛かる、主旋律を引き継いで、音の幅が少し広がり雰囲気は急に華やかになるが、響きは相変わらず硬さを残しているように感じられた。
足元のペダル操作は彼女が演奏前に言った通り、多用されるスラーとスタッカートが交互に繰り返される。

グヂュッ、グヂュッ、ニジッ…ジュッ、ジュッ…

「あああああぁぁ…」

硬さを残す旋律の一方で、機械的だったペダル操作に微かな変化が現れる、踏まれた時に感じる靴底の圧迫感が毎回違うような気がするのだ…優しく優しく丁寧に、じわじわと時間をかけて圧搾するような踏み込みと、そこから足をスッと浮かせて…例えば運悪く遭遇してしまった害虫をせめて苦しませぬように慈悲深く一瞬で踏み殺すような一踏み…強弱を織り交ぜたペダル踏みでこれまでソナタちゃんとともに歩き続けて摩滅した靴底に僕の体液が絡め取られて泡立ち…靴底にこびりいて空気を絡め取った粘つくペーストとなる。
それすら潤滑剤にして、滑る靴底とソナタちゃんの足捌きにペニスが翻弄され…

「うっ…あっ…ああっ!」

一際強くペニスが収縮して…たった一回なのに脳天まで駆け抜ける快感で身体が痺れた。

ドロォ…

水分の少ない精子の一塊が鈴口から吐き出されるが、ソナタちゃんはそこでまたペダルの踏み方を変えてくる…
曲は連続するスタッカートのフレーズで、小刻みに摩滅した靴底をペニスとペダルに叩きつけてくる。

「ぁ……」

でもそれは何故か根元の方ばかりを爪先で小突くようなペダル操作で、僕の欲しいところをソナタちゃんは踏んでくれず二射目に至れない…
弄ばれるように彼女に踏み込まれるたびにペニスは空撃ちの痙攣を起こし、その度に射精と同等の波が襲ってくる。

「あ…あ…あ…す、すごいソナタちゃんっ、出てないのに…気持ちいい、あっ、またっ!」

「イチロウさん、まだこれからですよ…ここで出してしまってはもったいないです…ですから、ちょっとだけ調節させてもらいました」

僕はソナタちゃんの『調節』という言葉に酷くサディスティックな響きを感じて少しだけ背筋が寒くなった。
溝にはまって身動きが取れず、ペダルの支柱に阻まれて自分ではペニスを触る事ができない…でもその間、ソナタちゃんの靴がほんの紙一重の足捌きで刺激を与え続けて射精感と空撃ちの痙攣だけは途切れる事なく襲いかかってくる。
僕は今、ソナタちゃんの許しが無ければ射精する事ができないのだ…

ソナタちゃんの足と彼女の可愛らしい、ずっと一緒に歩き続けてきたストラップシューズの摩滅した靴の裏に嬲りものにされて、演奏中ずっと擬似的な射精を強制される…
優しいソナタちゃんがそれをする事で一層残酷さのコントラストが際立ち、僕の中の被虐的な何かが揺さぶられて、余計に射精感がこみ上げて、さらに何かに炙られるような感覚に悶える…

その間、ソナタちゃんの曲は新たな展開を迎え、足元の残酷さとは裏腹にこれまでの硬さが消えて、静かな水面のような優雅でゆったりした旋律。
時々、キラキラとした装飾音がまるで水面を渡る風が起こしたさざなみのようだ…
流麗な旋律が左足のソフトペダルも使って先日のモーツァルトのソナタのように交互に歌い合う。

キュウッ! キュッキュッ…

ソナタちゃんはペニスをペダルごと踏み搾るように深々と踏み込み、揺らぎのある余韻を作る。
今度は彼女の靴底が亀頭とその下のペニスの最も敏感な場所に届いて優しく丁寧に踏み潰してくれて、じわじわと快感の波が…

「そ、ソナタちゃん…はぁ、はぁ…また…上がってきた…」

さらに、スラー気味の踏み込んだ所からさらに踏み込む足の動きに、これまでおあずけを食らって消沈していたペニスが頭をもたげて、ソナタちゃんの靴底を必死で押し返し始めた。

「イチロウさん、すごく硬いです…一度、射精させちゃいますね…」

ピアノの向こうから「すぅ」と彼女の息遣いが聞こえて、曲の中に聞き覚えのあるフレーズが合流してきた。

「これは?」

「はい、イチロウさんと出会って、私に足りなかった表現力や自分なりの解釈を持つことに気づかせてくれたあの夜の…」

彼女の右手が紡ぎ出す旋律はベートーヴェンの月光、それを左手は彼女のオリジナルの伴奏で追いかける。

月光の第三楽章をモチーフにした旋律は丁寧だが荒々しく、激情的で次第にテンポが高まるにつれて、ソナタちゃんの足が車の急ブレーキのように瞬間的にペダルを踏む!

そして、これは僕のためにしてくれているのだろうか…強くペダルの終端まで踏み込んだ足にさらに体重をかけて捻りを加えながら揺さぶりをかける。

タァン!! ギュムッ!ギュムッ!! グリッ、グリィッッ!!!

「あああぁっ!! あっ…あんっ!? ソナタちゃん…ダメっ…はぁ…はぁ…で、出ちゃう…まだ曲の途中なのに…」

「いいんです、イチロウさん、射精しちゃいましょう…ここで、あの時みたいに…沢山、出してくださいっ!!」

電気あんまと踏み躙りを同時にされているような、何故こんな踏み方で曲が崩壊しないのが不思議なくらいのペダリング…
ついにソナタちゃんの許しをもらったペニスの芯にこれまでずっと燻っていた射精の衝動が一気に尿道を突き抜けてきて…

ギュムッ!ギュムッ!ギュムッ!ギュムッ!

ソナタちゃんも、もう焦らすような踏み方ではなくペニスの先端を執拗に踏み躙りながら一定のリズムを刻み、そのリズムに導かれてそこまで来ていた精液がとうとう…

ドクッ! ドビュルッ!!ビュルッ!!

「ああああああぁぁぁ……」

「あっ…イチロウさんの精子が…足にかかって…熱い…」

キュッ、キュッ、キュッ、キュッ…

ピュルッ…ピュッ…ピュッ…ピュッ…

「はぁ…はぁ…はぁ…ま、まだ…あっ!」

自分でも信じられないほどの濁流のように尿道を駆け抜けてくる大量の精液を、外の世界へと放出した…

しかし、ソナタちゃんの曲はまだ演奏の途中で、その間も更なる射出を促すように、捻りを加えた軽快なペダリングが続き、踏みつけられてひしゃげた尿道で後続の精液がほんの一瞬ソナタちゃんが足を浮かせた隙に我先にと鈴口から飛び出して、射精が止まらない…

「あっ、あっ…と、止まらない…射精が…」

「まだ…曲はもう少しありますから、大丈夫ですよ…曲が終わっても大丈夫です、イチロウさんのが終わるまで、私が踏んでいてあげますね…」

曲は終盤に入り、激情的な月光のモチーフから、出だしの訥々としたものに取って代わる…やがてそれは花が開くように明るく華やかな旋律を帯びてテンポを上げ、同じ主題だけど重苦しさはなく、序盤と違って潤いに満ちた爽やかな印象を聴く者に与える。

しかし、ピアノの下にいる者はそうもいかない…射精はようやく収まりつつあるが、未だふわふわと快感と射出感の波に漂い、頭がぼんやりする。
彼女の演奏を間近で聴いているはずなのに音が遠く、視界が白く霞んできた…
感じるのは、終わりに向かい、スローダウンする曲に合わせてゆっくりと優しく、最後の一滴を搾り出させようと、ペダルを踏み込むソナタちゃんの靴にペニスを踏みつけられる…幸福感の塊のような重みと不思議な安心感…

まさか、射精が気持ち良すぎて気を失うなんて…思ってもみなかった…

そこで、僕の意識は途切れた。

「……あ、あれ?」

僕はもしかして気絶してた?

グヂュッ…

「イチロウさんっ!大丈夫ですか?」

水っぽい足音を立ててソナタちゃんが溝の中の僕を心配そうに覗き込んでくる。

「あ、うん…大丈夫だよ、それよりすごい演奏だったね、まさか気持ち良すぎて気絶するなんて思わなかった…」

僕はいつものように溝から頭をぶつけないように慎重に這い出す。

「あっ…いきなり立ったら危ないですよ!」

ソナタちゃんが這い出す僕を支えようと手を伸ばしてきたが…

ズルッ!!

「きゃっ!?」

僕の精液でベトベトになった靴のせいで盛大に足を滑らせてしまい、僕を巻き込んで床に倒れ込んでしまった…
僕は咄嗟に庇おうとして床と彼女の間に割って入ったため、ソナタちゃんの下敷きになってしまう。
ふわっと香るニオイスミレの香りと、想像以上にあったかくて柔らかい重みに、さっきとはまた違う幸福感を感じて胸が高鳴った。

「いたた…す、すみません、余計な事を…って申し訳ありませんっ!? あっ痛っ!」

ソナタちゃんは慌てて身を起こしたせいでピアノの底に頭をぶつけてしまった。

「いや、大丈夫だよ…それよりソナタちゃんこそ大丈夫?」

ソナタちゃんは頭を押さえながら僕から退こうとするが、滑る靴ではまた転びかねない、僕は先に溝から這い出て彼女の手を取り、ゆっくりとソファに座らせてから、適当に脱ぎ散らかしてあった服を着て、一緒のソファに腰を下ろした。

「ふぅ…お疲れ様ソナタちゃん、改めてすごい演奏だったよ」

「はぃ…イチロウさんもお疲れ様でした…その、たくさん出してくれて、嬉しかったです」

無惨に精液にまみれたストラップシューズに包まれた脚を突き出して、ソナタちゃん少しはにかんだように言う。
服装のせいか、普段よりもその仕草が子供っぽくて可愛らしい。

「う、うん…ありがとう、嘘でも誇張でもなく気絶するほど気持ちよかった…」

「は、はい…」

「……」

「……」

しばらくの沈黙、天窓から差し込む光が幾本も筋を作って静かなホールはさっきまでの出来事が嘘のように荘厳で穏やかな雰囲気だ。

「ねぇ、ソナタちゃん…」

「はい、なんでしょうか?」

「ソナタちゃんは…さっきの演奏で自信は持てたかな?」

「ええ、おかげさまで…私が書いた曲で、私の演奏で、私の…足で、イチロウさんがたくさん喜んでくれて、靴がこんなになるくらいたくさん、精子を出してくれて…その、私…今でもドキドキしています」

「……」

ソナタちゃんはそう言うと、膝をキュッと閉じて少し頬を紅くして俯く。

「それに…私の足の下で、イチロウさんのがヒクヒクして、私が踏み方を変えるたびにイチロウさんの切なそうな声がして…ピアノを通じて、貴方と一つになった気分でした…実は私も気持ちよくて、少しだけ…濡れちゃいました…」

「え…?」

「な、なんでもありませんっ…でももう大丈夫です、なんだか今はどこに行っても上手くできそうな気がします、イチロウさん…本当にありがとうございました」

「そっか…でも僕は大した事をしていないよ、ソナタちゃんの曲を聴いて、踏んでもらって、気を失うほど気持ち良くしてもらっただけで…こちらこそありがとう、その自信はソナタちゃんが自分で掴んだものだよ」

「ありがとうございます…そうでした、この曲のタイトル、決まりました…」

「ん? どんなのにしたのかな?」

「タイトルは…『最初の足跡』にしようと思います」

ソナタちゃんは僕の精液にまみれた右足を少し動かす…

ニジャッ…

何かが粘りつく湿った、いやらしい音がして、床のソナタちゃんの足があった場所には射精から時間が経ち透明になった精液が彼女の靴底の汚れを絡め取った黒ずんだ粘液でできた靴跡がくっきりと残っていた。

「…どんな形でも人が歩けば足跡が残ります、歩いてゆく先では他の人との関わりなどで新しい世界が生まれると思います」

「……」

「でも、新しい世界がきっと素晴らしいものだったとしても、そこへ踏み出すのは先行き何があるかも分からず、やっぱり怖いですよね…」

「…そうかもしれないね」

ソナタちゃんが立ち上がって、僕の方に向かって一歩踏み出す…

ニジャッ…

また水っぽい足音がして、床にソナタちゃんの靴跡が一つ増えた。

「先日、留学生に選出された時、今までとは違う新しい世界が目の前に開けました、ですが私はそれを望んでいたのに…その時、急に不安になって立ち竦んでしまいました」

ジュブッ…

ソナタちゃんがもう一歩踏み出す、靴跡が三つになった。

「でも、私はそこに踏み出すことにしました、そして…踏み出した世界に一つ、私の最初の足跡をつけることができました…そんな気持ちを込めて、こんな変な私の頼みを聞いてくれて、イチロウさんは私が自分で掴んだ自信だと言ってくれましたが…私はイチロウさんが一歩目を踏み出すために背中を押してくれたんだと思っています…だから、踏み出した最初の足跡を貴方に捧げる曲のタイトルにしようと思うんです…」

「とても…素敵なタイトルだね…」

ソナタちゃんは床に四つ目の足跡をつけてソファに座る僕の目前までやってくる、そして
…ニオイスミレの香りとともに、ソナタちゃんの唇が僕の左頬に触れた気がした…

「え…?」

「イチロウさん…ありがとう…ふふっ…これはちょっとしたお礼です…カノンには内緒にしておいてください」

「……」

「さてと…イチロウさんがこんなにたくさん精子を出しちゃったから靴も床もベトベトですね、ちゃんとお掃除をしておかないとカノンに怒られちゃいますね」

「そ、そうだね…」

なんにせよ、ソナタちゃんの中にあった不安と自信の無さが払拭されてようで良かった。
僕たちはモップとバケツを隣室の倉庫から持ってきて、二人で丹念に僕が撒き散らした精液の跡を洗い流して回り、今日はお開きとなった。

ガチャ…キィィ…

その後、ソナタちゃんと食事をして、少し都心部でショッピングなどをしてアパートに帰り着いた。

「ん?」

アパートに到着するのを見計ったようにスマホが着信を告げる…しかもメッセージではなく電話だ…せっかくのソナタちゃんとの時間の余韻が、まさか会社からの連絡かと思い身構えてしまい、急に冷めかかったが、ディスプレイを見るとそこにはカノンちゃんの名前が表情されていた。

「はい、田中です」

「あ、もしもしお兄さん? 今日はソナタとはどうだった?」

「え…? なんで?」

「そりゃ、あそこはアタシのスタジオだし、ソナタに鍵を貸したのもアタシだもん…あ、今回は覗き見はして……んっ、はは、なんでもない…」

「??」

「さっきね、ソナタから電話があったの」

「うん」

カノンちゃんに怒られると言って二人で掃除をしたのをすっかりと忘れていた…あそこは彼女のスタジオだし、ソナタちゃんから連絡があってもおかしくはない。

「ソナタも留学生に選ばれた事は嬉しいんだろうけど、やっぱり不安があったみたいだし、でも今日の話だと、お兄さんと会ってそれもすっかり無くなったみたいだね?」

「うん、気持ちが落ち着いたそうで、良かったよ」

「そうだねっ、でさ…お兄さん…」

「ん?」

「アタシも…ちょっとお兄さんとお話がしたくて、今度のお休みでいいから、会えないかな?」

「それはもちろん、大丈夫だよ」

「やった! じゃあ予定が決まったらまた教えて、お話ししたいことが沢山あるんだ、じゃあ、またね!」

やはり今まで漠然と留学と言っていたけど、いざ自分がその対象に選出されると、実感や覚悟が決まるまでは何かと不安なのかもしれない…
それはあの快活で、物事にあまり動じないカノンちゃんでも例外では無さそうだ。
しっかりと彼女の話を聞いて、少しでもスッキリして今後に臨んでもらうのが僕の役目だと思う。

こうして人の間に立って頼られるのも良いものだなと思いながら、今日は休むことにした。

一週間後の土曜日、午後1時ごろ

今日も僕はカノンちゃんのスタジオを訪問する、もうカノンちゃんは来ているだろうか?
外からはピアノの音も聞こえないし、不在かどうかは分からない。

僕は入り口横のインターフォンを押してしばらく待つ。

「あ、お兄さんいらっしゃい、鍵は開いてるから入ってきて!」

「あ、うん、お邪魔します」

ドアを開けて室内へ入るとホールには誰もいない、カノンちゃんは別の部屋にいるようだ…僕は彼女を待って、いつものソファに腰を下ろした。

「……」

今日も天窓から差し込む光で、このホールには幾筋もの光の柱が出来ている、こうして見ると工場跡というよりは神聖な教会のような雰囲気がある…もっとも、そんな場所で僕は何度となく二人にペニスを踏み付けられて射精しているので、仮にここが教会とかだったらとんでもない罰当たりなのだろうが…

そんなことを漠然と考えていると…

コツ…コツ…コツ

廊下の方から甲高い靴音がしてきた、カノンちゃんはハイヒールでも履いているのだろうか?

「お待たせお兄さん、今日は来てくれてありがとう」

「いや、これと言ってする事もないし……ってカノンちゃん、なんでドレスなんて着てるの?」

ドアを開けて現れたカノンちゃんは何重にもたっぷりとフリルとレースをあしらった、まるでウェディングドレスのような真っ白なドレスを着ていた。

「え? これは…う〜ん、なんとなくかな? ほらっ、覚えてる? このドレス」

「うん、よく覚えてるよ」

忘れるはずもない…くたびれ切って歪んだ性癖を満たしに都心へ繰り出していた僕が、本当に気まぐれでカフェのストリートピアノを弾いていたら、こんなしょぼくれた男だというのにカノンちゃんは気さくに声をかけてくれた。
それからなりゆきで、このスタジオに招かれて…

「良かった…覚えててくれて、うん、このドレスは、ここで初めてお兄さんのおちんちんを踏んであげた時に着てたやつ…ちょっとまた着てみたくなっちゃって…」

「そうだったんだ…でもやっぱり、そのドレスはカノンちゃんによく似合ってて可愛いね」

「あはは、ありがとう」

コツコツコツ…

真っ白なドレスの衣擦れの音と、同じく真っ白なエナメルハイヒールの靴音とともに僕の前を横切ってピアノの椅子にカノンちゃんが座る。
一瞬、ふわっと甘いミルクのような香りとキンモクセイの香水の香りがした。

「まずは、留学選出おめでとう」

「うん…ありがとう…」

しかし、カノンちゃんは少し曇った表情をして、留学の座を見事に射止めた事をあまり喜んでいるように見えない…

「……やっぱりカノンちゃんも不安?」

「う〜ん、不安というよりちょっとした悩みはあるけど、ほらっ、今回は史上初の2名選出だったでしょ?」

「うん…」

「なんで二人だったんだろう…ソナタだけで良かったんじゃないかって…」

「そんな事はないと思うよ、審査員の推薦があったんだし、カノンちゃんのコンクールの演奏はすごく良かったよ?」

「そう言ってくれると、嬉しいな…ねぇお兄さん、アタシの音楽ってどんなのを目指してるか…覚えてる?」

「もちろん、楽しい気分の時はより楽しく、気持ちを落ち着けてゆったりしたい時にはゆったりと聴く人に寄り添った心地良い音を奏でて、気分が落ち込んでいるときや悲しい時は励ますような…音楽だよね?」

「うん…その通り、それがアタシの目指してる音楽で、ピアノを始めてからずっとそうありたいって思っている姿…」

カノンちゃんが手遊びにピアノの鍵盤をいくつか叩く…

「…お兄さん、アタシがピアノを始めた理由、聞きたい?」

「え? でも…」

先日聞いた時は、はぐらかされてしまったが…

「まぁ、あんまり面白い話じゃないんだけどね…それに自分で言うのもなんだけど重たいし…だから誰かに話すのはお兄さんが初めてかな?」

「そうなんだ…カノンちゃんが良ければ、ぜひ聞かせてよ」

「うん…」

ドレス姿のカノンちゃんがピアノを前に自身がピアノを始めた経緯を語り出す。

「アタシさ…学院に入る前は、結構イジメ…って言うか、みんなからハブかれててさ」

「カノンちゃんが?」

いつも明るくて人の輪の中心にいる感じのカノンちゃんがそんなだったなんて想像がつかない。

「うん、ウチってさ、親もろくに帰ってこないでしょ、あの頃はアタシも別にやりたい事とかなくて…親への反発心とかもあったんだろうけど、夜にフラフラ出掛けて捕まりかかったり…そのせいで周りから浮いちゃって、だんだん学校に行くのが嫌になっちゃったんだ」

「………」

カノンちゃんが言うにはソナタちゃんにも話していない過去…彼女の口からそれがポツポツと語られる…

「……」

アタシは自分のお部屋の大きなベッドの上で目を覚ます、カーテンの隙間から眩しい朝日が差し込んでくる。

シャッ…

朝日を遮るカーテンを開けると今まで隙間を縫ってお部屋を照らしていた朝日が一気に飛び込んで来て、少し目が眩んだ。

「眩しい…」

今日は月曜日、天気は雲ひとつない快晴。
普通の人なら爽やかな気分になるのかな?
でも、アタシにとっては…

「やめてよ…月曜日の朝からそんなテンション…」

燦々と明るくお部屋を照らす朝日は、なんだか『さぁ行け、学校が待ってる』って急かされているようで、すごく憂鬱な気分だった。

トントントン…

もう一度ベッドに入ってお布団を被って二度寝をしようかと思ったけど、差し込んでする日差しが喧しくて眠れない…アタシはベッドを這い出て下の階に降りた。

「……」

無駄に広い誰もいないリビング…昨日コンビニで買ったおにぎりとジュースのペットボトルが当然のように昨日置いた場所にある。

お父さんとお母さんは…昨日も帰ってきていないようだ…いや、帰ってこないどころか今、日本にいるのかどうかも怪しい。

学校に行っても、嫌な気分になるだけだし、サボったところでアタシに文句を言う親もいない…そんな事を考えながら、アタシは洗面所で自分の明るい色をした癖っ毛を適当にブラシして、服を着替える。
白いトレーナーに赤いミニスカートと黒いタイツ、一応学校に行く素振りのカバンを背負ってスニーカーに足を通し、玄関のドアを開けた。

お家からすぐ行ったところに大通りがある…月曜日の朝で学校や会社に行く人でガヤガヤとしていた。

「今日も…サボっちゃお…」

アタシは玄関の鍵をかけて、その雑踏とは反対側の方へ歩き出した…

「今にして思えば、親なんていないんだから、学校に行きたくないんだったら学校行くフリなんてしないで、家から出ずにベッドに戻れば良かったのにね…それなりにまだちょっとくらいは罪悪感があったのかな?」

ドレス姿のカノンちゃんが過去の自分にちょっと苦笑しながら、かつての逃避行の話を続けた。

人気の少ない静かな道を選んで歩く、別にどこへ行こうと言うわけでもなくフラフラと静かな方へ…辿り着いた公園で時間を潰してみたりと意味のない時間…するとどこからか…

「ピアノの音?」

アタシは何となくその音のする方へ足を向けると、小さな喫茶店の前に置かれたピアノと、人通りがあるのに、それを弾いている女の人。
何人かの人が足を止めて女の人のピアノを聴いて、時々何か話をしているけど、また用事を思い出したのかどこかに去っていってしまう。

アタシはその演奏を遠巻きに聴いていた。

「綺麗な音楽…それに、なんか楽しそう…」

女の人の演奏が終わり、鍵盤から手を下ろしたところで、アタシはその人に声をかけた。

「綺麗な音楽ですね…」

「あら、ありがとう…嬉しいな」

その人はアタシと同じような癖のあるロングヘアで、歳は多分…大学生くらいの、見ているだけで気分がホッとするような優しそうな女の人だった。

「いつもここで弾いているんですか?」

「そうね、ここでも弾くし、あちこちにこう言ったストリートピアノってのがあるからね、何ヶ所か回ってるかな? ……ところであなた、学校は?」

自分だってこんな時間に学校とか会社とかに行くわけでもなくピアノを弾いていたのにアタシにそう尋ねて来て、少し話しかけた事に後悔した。

「その…サボっちゃいました…」

「なんでかな?」

アタシはこれ以上話をしてると面倒なことになりそうな気がして、この場を立ち去ろうかと思ったけど、女の人は別に学校をサボったアタシを咎めるような感じでもなく、ニコニコとこちらに微笑んでいる。

「…朝、すごく晴れてたから…」

正直な気持ちの一方、普通の人なら訳の分からないことをアタシは答える…でも…

「あぁ…うん、わかるなぁ、月曜日の朝からお日様が出てると自分の気持ちが追いつかないって言うか…多分あなたもそんな感じなのかな?」

「…カノン」

「え?」

「アタシの名前です、あなたじゃなくて…」

「カノンちゃんって言うの? カノンって音楽の?」

女の人はアタシが名乗ると、とても人懐っこく質問をしてきた。

「お父さんは音楽の一つだって言ってました」

「…とても素敵な名前ね、じゃあカノンちゃんは朝からテンション高すぎるお日様になんだか追いつけなくて、気分が乗らなくなって学校をサボっちゃったんだ…でも、そう言う時もあるよね…」

「……」

「こっちはちょっと疲れてたり、淋しくて、もうちょっとだけ塞いでいたいのに、周りがせかせかしてさ…休ませてくれないんだよね」

そう言ってお姉さんはまた、ピアノに指を乗せて音楽を演奏し始める。
ゆったりとして、少しだけ淋しげな感じがする曲…

「……」

でも途中からオルゴールみたいに綺麗な音色に変わって、最後はまたゆっくりと着地するみたいな…とても綺麗な音楽だった。

「パッヘルベルのカノン…この曲の名前よ、カノンちゃんと同じね」

「そうなんですね」

「カノンは音楽の形の一つで、日本だと輪唱とも言うの、一つのパートを他の幾つものパートが追いかけていって…時には引っ張って…ずっとずっと続いていく…」

その後もお姉さんはアタシ…たった一人しかいない観客のために何曲も色んな曲を弾いてくれて、気がついたら朝の憂鬱な気持ちはどこかに消えて、すごく楽しい気分になっていた。

「さて、ここでカノンちゃんに問題です、『数学』と『化学』それに『音楽』、この中に一つだけ仲間はずれがいます、それはどれでしょう?」

急に出された問題、アタシは少し考えてから…

「えっと、音楽?」

「正解です、『数学』も『化学』も『がく』は学ぶって字だけど、『音楽』の『がく』だけは楽しむって字だよね、音を楽しむ…とても素敵だと思わない?」

「うん、お姉さんのピアノを聴いててすごく楽しい気分になった」

「ありがとう、それなら私も弾いた甲斐があったかな? 楽しい気分の時はより楽しく、気持ちを落ち着けてゆったりしたい時にはゆったりと聴く人に寄り添った心地良い音を奏でて、気分が落ち込んでいるときや悲しい時は励ます、私は音楽ってそういうものでありたいって思ってるの」

「…お姉さんはすごいね、本当に楽しい気持ちになれたし…ねぇ、アタシにもそんな音楽ってできるかな? アタシもピアノ弾きたいっ!」

「うん、その気持ちがあればきっとカノンちゃんの音楽もいつか誰かを楽しくて、良い気持ちにしてあげることが出来るとできると思うわ」

「うん…」

「じゃあここでカノンちゃんにもう一問…音楽の『楽』に『くさかんむり』を付けるとなんて言う字になるでしょう?」

「えっと…薬?」

「正解、私も何度かあったけど、こうやってストリートピアノを弾いてると、今ちょっと辛いな…って、トボトボと歩いている人が私の演奏を聴いていくことがあるの、カノンちゃんもそうかな?」

「うん、学校に行っても一人でつまらなくて、行きたくないなって思ってた」

「音楽にはそう言う人を励まして、導いて、助けてあげる力があるの…聴くお薬だね、カノンちゃんの所にもいつかそう言う人が来たら、楽しい音楽で助けてあげてね」

「うん!分かった! ありがとうございました!!」

アタシは何から始めていいのか全然わからないけど、今の気持ちが冷めないうちにピアノを弾いてみたくて、学校の音楽室に向かって駆け出した。

「…と、まぁ、こんな感じかな? アタシも大層なことを言ってるけど、実はその時に出会ったお姉さんの受け売りなんだよね…」

「そうだったんだね…でも、その考え方はもうしっかりとカノンちゃんの物になってると思う」

カノンちゃんはピアノの鍵盤に指を添えたまま、天窓から差し込む光の柱を見上げている…ピアノを前に白いドレスの女の子が光を見上げている姿は映画の1シーンか絵画のようだった。

「そうだね、そうだと良いなぁ…」

「……」

「えっとそれでね、その後に珍しく両親揃ってお家に帰ってきた時に『ピアノをやりたい』って言ったらこの通り、何をするわけでもなく、言うことも聞かない難しい娘が突然そんなことを言うものだから、お父さんなんて特に喜んで、ピアノ教室にすぐ通わせてもらったし、ここ…おじいちゃんがやってた廃工場を改装してグランドピアノを買ってくれたりで、形ばっかり先に揃っちゃった…」

「ねぇお兄さん…」

「ん?」

「アタシさ…不安っていうより迷ってるのかも…」

カノンちゃんはピアノの椅子に座ったまま少し行儀悪く背もたれに体を預けて足をプラプラさせる、レースとフリルで飾られた真っ白なドレスの裾から彼女の脚が見え隠れして、白いエナメルのハイヒールが日差しを受けてキラキラと輝いている。

「実は、留学に選出はされたけど、まだ返事を出してないの…」

「どうして…?」

「だってさ、最近はお兄さんのおかげで基本を勉強し直して、少しはマトモになったけど、まだ始めて何年かで、ソナタみたいに毎日毎日練習してたわけじゃなくて…ちょっと前まで好き勝手にピアノを弾いて先生に叱られてたんだよ? そんなのが他の子を差し置いて選出なんて…本当にそれで良かったのか、このまま返事を出してのうのうと留学に出て良いのかなって…」

「でもそれは、カノンちゃんが自分の力で掴んだものなんじゃないかな?」

「うん…それも分かってる…」

カノンちゃんは自分が手にした物のあまりの大きさに迷って、自信が持てなくなっているようだ…だけど.僕が知る限りカノンちゃんはそんな事で立ち止まってしまうような子ではないのはよく分かる、だから…

「自信が…持てないのかな?」

「うん…アタシらしくないってのは分かってるんだけどね…」

「…カノンちゃんはこれから行く先で勉強をする資格が自分にあるか悩んでしまい自信が持てなくなっちゃたんだね…」

「うん…」

「じゃあ、さ…カノンちゃんは自分の音楽には自信ある? さっき話してくれたこれまでピアノを弾いてきた理由には…」

僕のちょっと意地の悪い質問にカノンちゃんは一瞬ハッとしてから、僕を見据えて答える。

「それは…今まで目標にしていた事だし、自信はあるよ、 誰かがアタシのピアノを聴いてくれて、楽しい気分になってくれるとアタシも楽しいし…あ、そうだっ!」

カノンちゃんがポンッと手を叩いて何か名案が思いついたように言う、これでもう大丈夫だろう、先日のソナタちゃんと同じ、本当はもう内心は決まっていて…必要なのは『いってらっしゃい』と言われる事…背中を一押ししてもらう事だ。

「何かな?」

「アタシもせっかくドレスを着てるからさ、お兄さんにパトロンとしてアタシを審査してもらいたいの、それで…アタシのピアノを聴いて、お兄さんにいい気分になってもらって、アタシもお兄さんが良い気分なんだなっていうのを感じられたら、そうしたらもう、迷ったりしなくなると思うから…」

「うん、もちろんだよ、何を弾いてくれるのか楽しみだね…」

「う〜ん、急に思いついたから何を弾くか考えてなかったけど…何曲か今すぐ弾ける曲はあるから大丈夫だと思う、じゃあ、お兄さん…服を脱いで…」

「え…!?」

あとは彼女の演奏を聴けばいいと思っていた僕はカノンちゃんの想定外の発言に面食らって視線が意識せず、ピアノ下の溝とカノンちゃんの足元を飾っている白いハイヒールの間で泳いでしまった。

「もちろん、ここで弾くんだからお兄さんだけじゃなくって、お兄さんのおちんちんも気持ち良くしてあげなくちゃ…ダメかな?」

「い、いや…うん、分かったよ、じゃあカノンちゃんの演奏、一番の特等席で聴かせてもらおうかな?」

…これではまるで、僕がカノンちゃんに踏んで欲しくてけしかけたような感じになってしまい、ちょっとバツが悪いというか申し訳ないような気分になりながら、僕は服を脱いで、ピアノ下の溝に体を横たえた。

カノンちゃんはドレスの裾を直して、改めてピアノに向き合う、サラサラと上等なドレスの生地か擦れ合う音と一緒に、彼女の甘いミルクのような香りとキンモクセイの香水の香りが裾が巻き起こした小さな風に乗って溝の中と僕に届き、ペダルの支柱越し真っ白なスカートの隙間からカノンちゃんの脚が見え隠れして、成り行きとは言え早くも胸が高鳴ってきてしまった。

「行くよ…お兄さん…」

カノンちゃんの指が音を紡ぎだし、聞き覚えのある華やかな旋律が静かだったホールに溢れ出した。

「これはアタシがピアノを弾くきっかけになった曲、バロック時代のドイツの作曲家、ヨハン=パッヘルベルのカノン、本当はバイオリン3台とチェロやチェンバロで演奏する曲だけど、クラシックの中でもすごく有名だからピアノソロに引き直された楽譜もいっぱいあるの」

スリッ…スリッ…スリッ…

「あっ…ああっ…うん、僕も…この曲は聴いた事がっ! あっ!!?」

カノンちゃんの説明に返事をしようとするけど、真っ白で優美なカノンちゃんのハイヒールが…見た目と裏腹にチラッと見える靴底は赤く、目の細かいヤスリのような滑り止めが靴底全体にびっしりと刻まれている。

コッ…コッ…コンコン…

「はっ…ああっ…」

出だしのゆったりとポツポツとした旋律に、彼女がペダルを踏み込む音が混ざる。
その音と同時にハイヒールの靴底がペニスに軽く擦り付けられ、先端を覆っていた皮が剥がされて敏感な亀頭が露出した。

キュッ…

「はぁん…!?」

そして、カノンちゃんは深い余韻を生むために剥き出しの亀頭を一呼吸溜めて、ペダルごと強く踏みつける。

優しく噛み付いてくる靴底のギザギザとペニスの一身で感じるカノンちゃんの重みで早くも腰の奥の方が疼き出し、ジュクジュクとした何かが僕の体の中を複雑に這い回る管の中に充満してくる感触を感じた。

「あっ…なんか…このままじゃ…」

「うん…いいんだよ…我慢しなくても…」

ゆったりとした優しく旋律と、断続的なペダルの踏み込みで、早くも射精してしまいそうになるが、ここは少しだけ解放の欲望を抑えてカノンちゃんの演奏に集中する。

カノンは音楽の一形態で、本来ならば同じフレーズを複数で追いかけるのが特徴だが、流石にピアノ1台では再現は難しいところだけど、カノンちゃんの演奏は徐々に厚みが増してゆき、最初はポツポツと単音に近かった旋律が気が付けば複雑な和音と装飾を纏った華麗なものに変わっていた。

グニィッ…グニィッ…キュキュ…

「ああっ…く、靴の裏が…先っぽに、こ、擦れて…き、気持ちいい…」

長くゆっくりとした踏み込みでカノンちゃんのハイヒールに踏み潰されたペニスはさらに踏み込みいっぱいのところで小刻みに振動を加えられて抑えが効かなくなり…

トロォ…

尿道を先行してきた粘度の高い先走りが先端から溢れ出させる、軽い射出感と靴底のギザギザに愛撫されて際限なくジリジリと高まってくる射精への期待で少し頭がぼんやりしてきた…

カノンちゃんは旋律に身を委ねて目を閉じ、感情をたっぷりと乗せて、緩急をつけてハイヒールで僕を踏み付けてくる…僕は支柱越しに自分の性器が物のように優美な白いハイヒールに踏まれる様子と、後はその時を待つだけの射精の瞬間を見届けようと、必死で身体を起こして様子を伺っていたが、その時…

「お兄さん、どう? 気持ちいい? もうイっちゃいそう?」

ふと優しく微笑むカノンちゃんと目が合って、必死過ぎる僕の姿を見られてしまい、急に気恥ずかしくなって溝の中に倒れこむ。

曲はその間も進行して、いよいよ有名なあのフレーズに差し掛かった。
日本においてはカノンといえばこの曲…というよりこのフレーズを指すと言っても過言ではない、オルゴールの音色のような切なげで上昇感のある旋律…

僕は溝の中に横になってぼんやりとピアノの底面を見上げる…射精寸前のペニスを、揺籠のような優しい振動を生み出すカノンちゃんのハイヒールに絶えず踏まれる心地よさ、普段なら心臓が爆発しそうなほど興奮して息を荒げている頃なのだが、それと、このあまりに有名なメロディを身を任せていると心の中にいい知れない安堵感の光が灯る。

…ああ、気持ちいい

やがて曲は終盤に向かい、ゆったりと舞った軽い羽がふわっと地面に落ちるような旋律が繰り返される。

「お兄さん…」

カノンちゃんの演奏と踏みつけで夢と現実の境目にいる僕とペニスを揺り起こすように彼女のペダル操作は単調な踏み込みから、感情を込めて亀頭をマッサージする、連続した小刻みで一層丁寧な踏み方になり…

キュッ……クニッ、クニッ、クニッ…

「ああっ……」

最後にカノンちゃんのあまりに優しい蹂躙にペニスの先端から堰を切ったように精液が激しく溢れ出す…これまで何度も射精を経験してきたけれど、安心感と充足感に満たされて、射出の快感がふわふわと長く長く続くような、これまで体験した事のない射精だった…

「……さん」

「お兄さん…」

ぼんやりと心地よい波間を漂っていた僕をカノンちゃんが呼ぶ。

「あ……カノンちゃん…」

「お兄さん大丈夫? イっちゃってからしばらく気が抜けたみたいにぼんやりしてたけど…」

どうやらまたも意識を失っていたようだ…

「ああ、大丈夫だよ、今起きるから」

カノンちゃんはピアノ下から這い出した僕に股間を拭くための濡れタオルを差し出してから、ドレスのスカートの裾をつまんで…

「お兄さん、ご清聴、ありがとうございました」

「うん…とても綺麗な演奏でなんだがすごく気持ち良くなっちゃったよ」

「うん…アタシも、曲を弾いてたらだんだん気持ちが乗ってきて、ペダルを踏む度にお兄さんが気持ちよさそうにして…アタシもすっごく気持ちよかった…それで…審査の結果どう?」

「当然、文句なしの合格だよ」

「お兄さんに合格がもらえてよかった…、やっと少しだけ安心できたよ…」

よかった、ペダルにされてしまうのは想定外だったけど、カノンちゃんは自分の音楽をちゃんと確認できたようだ。

コツ…

脱ぎ捨てた服を着る僕に真っ白で、まるでウェディングドレス姿のようなカノンちゃんがハイヒールの踵を鳴らして一歩詰め寄る。

「でも…ね、まだ少しだけ…不安なんだ…」

「カノンちゃん?」

頬を紅くして僕を見上げるカノンちゃんはハイヒールの踵の分だけ大人っぽく見えて、僕の胸も少し高鳴る。

「お兄さん…一回だけでいいから…ギュッて…して…」

コツ…

もう一歩、カノンちゃんが距離を詰めてくる、そして…

ふわっ…

まるで花嫁のようなカノンちゃんが僕の胸に寄りかかった。

「……」

女の人を抱きしめた事などない僕はどうして良いのか分からなかったが、取り敢えず腰に手を回してカノンちゃんを抱きしめる。

まず最初に、女の子のドレスってこんなに軽くて柔らかいのかという感想が頭によぎった。
彼女のドレスは多分、相当上等なものなのだろうが、自分の知る服とは全く違う手触りと軽さだった。

次に、そのドレスに包まれたカノンちゃんの腰の細さ…同じ人間なのかと疑いたくなるほど細くて温かい。

最後に僕の胸元に体を預けるカノンちゃんの香り…甘いミルクとキンモクセイの香りのするカノンちゃんを抱きしめていると、さっきの射精とはまた違う充足感と保護欲が掻き立てられる。

「…カノンちゃん」

「えへへ、ありがとうお兄さん…」

カノンちゃんがハイヒールの踵の分だけ高くなった背をさらに伸ばして爪先立ちになり…柔らかくて温かい唇が右頬に触れる…

「…これはソナタには内緒にしておいてね、あの子とはケンカはしたくないから」

「う…うん…」

「アタシ…やっと自信が持てたよ、お兄さんにギュッてしてもらって不安な気持ちも無くなった、よく考えたらさ…アタシらしくないよね、せっかく掴んだものをやらずに自分から手放すなんてさ!」

「そうだね…その通りだよ、カノンちゃん…君は、そうじゃなくちゃ」

「うん…」

「カノンちゃん、良ければさ、少しだけ僕の今の話を聴いて欲しい、僕はね…これまでずっと何かに踏み出そうと思っても、できない理由とかやらない理由とか…そんなものばかり考えてやらなかった、そういう人間だった」

「うん…」

「ノープレイノーエラー、何もしなければ失敗もしない…それはとても居心地はいい、だけど確実に次の自分の選択肢を狭めてしまう、そうして最後に残ったのが今の生き方だった…正直少し後悔してるよ」

「うん…」

「でも、今なら言える、同じ後悔ならやらずに後悔するより、やってから後悔した方がよっぽどいい、カノンちゃんにも、ソナタちゃんにも、二人にはこれから素晴らしい道が開けていると思う…そして、その道に二人が飛び立って行くところを僕は見てみたい、高い高いところへ飛び立つ君たちの姿を見送れば、今度は僕にも何かが出来そうな…今はそんな気がするんだ」

留学選出というとても大きくて素晴らしいものをその手に掴んだ二人、しかしあまりに大きなものを前に立ちすくんでしまった、でも今は…二人とも踏み出す覚悟が決まったようだ、なら僕がすることは…

僕は後悔ばかりで今まで碌でもない道のりだったけど、二人のために今できることをしよう。

「いってらっしゃい…」

「うんっ! いってきます!」

空港、ラウンジ  

「……」

落ち着いた調度のラウンジでピアノを眺めながら一息ついているうちに、少しうたた寝をしていたようだ。
僕の意識は、これから乗る予定の便の搭乗開始を告げるアナウンスで引き戻された。

「そろそろ行こうかな?」

僕は傍のスーツケースを引いて搭乗ゲートへ向かう…

「あの時はここまでだったな…」

今日は僕がこのゲートを抜けて出国する身だが、あの日、僕はここで旅立って行く二人が見えなくなるまでずっと、見送っていた…

ある休日、正午

先日の一件を経て、二人は無事に学院から渡された留学に関する書類にサインをして、留学を応諾した。

それからというもの準備や支度に二人は忙殺されていたようだったが、時にはこうしてカノンちゃんのスタジオに集まり、ゆったりとした午後を過ごすこともあった。

「二人とも、準備の方は順調?」

カノンちゃんが入れてくれた紅茶を飲みながら何気なく二人に問いかける。
今日の二人の姿は、カノンちゃんは白いブラウスにグレーのパーカー、同色のミニスカート、スカートの裾から覗く大ぶりなフリルが可愛らしい、そこに白いフリルソックスと…珍しくレースアップの白い厚底靴を履いている。
一方ソナタちゃんは紺色のワンピースで白いレースの襟飾りに目が行く、落ち着いた膝丈のスカートからは、きめが細かく手触りがすごく良さそうな黒いストッキングと、初めて会った時に履いていた黒いエナメルの厚底ローファー…偶然かのか、二人の足元が好対照になっている。

「うん、もう荷物も大体まとめたし、順調だよっ!」

「おかげさまで、あとは細かいものをいくつか…と言ったところです」

「よかった、僕は旅行とかもあんまり行ったことがないし、海外なんて何が必要なのか想像もつかないよ…せいぜい思いつくのはパスポートを用意するとか…そのくらいかな?」

二人が留学する先は古来からモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどが活躍し、今も多くの世界的な劇場やオーケストラを擁する、音楽の都と名高いオーストリアのウィーン、そこの彼女たちが通う学院と提携をしている有名な音楽院だそうだ。

「そういえば、当然の話だけど向こうの言葉は…」

「はい、オーストリアではいくつかの言語が使われていますが、公用語は主にドイツ語ですね」

「そ、そうなんだ…」

「まぁ、ソナタは外国語は得意だし、アタシもある適度なら分かるから、多分困らないと思うよ」

「そうか…二人ともすごいね」

英語だけならいざ知らず、ドイツ語までなんとかなるとは…やっぱり音楽関係だと必要なんだろうか? まったく二人には驚くばかりだ…

「じゃああとは、出発の日を待つだけだね」

「ええ」

「うん、そうだね…」

思い返せばほんの短い間だったけど、僕もカノンちゃんとソナタちゃんに出会えてよかったと思う、二人と知り合うことがなければ僕は今もあの粗末なアパートで満たされない性癖に悶々としていただろうし、僕の中で芽を出しつつある、ある決意も抱くことなく同僚職員の罵声に耐えるだけの毎日だっただろう…そう思うと二人には感謝しかない。

「カノンちゃん、ソナタちゃん…二人ともありがとう」

「え…急にどうしたの?お兄さん?」

「いや、ちょっと君たちと知り合った頃を思い出していて」

「いいえ、イチロウさん…私たちこそイチロウさんに感謝をしなくてはいけません、貴方が自信をくれたから今こうしているわけですし、それどころか…」

「うん、ちょっと前までアタシもソナタもこんなピアノの弾き方が出来なかったから、この留学だってアタシ達じゃない他の子のものだったかもしれないんだし…だからこちらこそ…ありがとう、お兄さん」

「ありがとうございます、イチロウさん…」

カノンちゃんやソナタちゃんのような可愛らしい女の子に面と向かって感謝をされると、嬉しくもあるが、少しだけ居心地が悪い。

「ねぇソナタ…」

「うん…そうだね…」

「?」

二人は一度向き合って、何事かを確認し合うと僕に向かって話を切り出す。

「…アタシたち、ウィーンに行ったらすごくカリキュラムが詰まってて、さっきは多分大丈夫って言ったけど、言葉の勉強もしなきゃいけないし…」

「おそらく、クリスマス休暇でも日本に一時帰国することは難しいと思います」

「そうなんだ…」

「忙しいとはいえ、手紙などは許可されていますし、限られた時間ですけど電話やメッセージのやりとりは可能ですが、このプログラムを修了するまで、イチロウさんとはお会いすることができなくなってしまいます…ですから」

「お兄さんのために特別コンサートをしたいの、心を込めて演奏して、感謝を込めて…お兄さんのこと、たくさん踏んで気持ち良くしてあげたくて…」

「私たちが出来るのはこんなことくらいですけど、是非…お願いします」

「カノンちゃん、ソナタちゃん、ありがとうでも…いいの?」

「もちろん、アタシのパトロンのお兄さんだから…」

「もちろん、私のパトロンのイチロウさんですから…」

こうして、出発前の特別な演奏会が始まった。

「今回、演奏する曲はルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェンのピアノソナタ第26番変ホ長調と言います」

すでに恒例となったソナタちゃんの曲解説。
僕はそれを聞きながら服を脱いで、ゆっくりとピアノ下の溝に潜り込んだ。

「ベートーヴェンの楽曲には「運命」や「月光」など日本でも馴染み深いタイトルが付いていますが、これは後に他の人がつけたものなんです」

「そうなんだね」

「はい、ですがこのピアノソナタ第26番は「悲愴」と並んでベートーヴェン本人が標題をつけた珍しい物となっています」

コツ…コツ…コツ…

ソナタちゃんが解説をしながら鍵盤でなくピアノの曲線に手を添えてこちらに歩み寄ってくる…

「ソナタ、アタシが第一楽章でいいよね?」

「うん、お願い」

コツ…

厚底ローファーの少し重たい足音が溝に横たわる僕のすぐ横で響く…靴音の方に視線を向けると目の前には僕の顔が映り込みそうなくらいの曇りのない光沢を持つソナタちゃんの靴があった。

「この曲は1809年から翌年にかけて制作されたもので、彼自身が付けたタイトルは「告別」と言います」

「…なんか、すごく重たいタイトルだね」

「はい、日本では告別式など、もう二度と会えないお別れを指す言葉ですが、この曲も1809年にウィーンに攻め入ってきたフランスと戦争になり、当時ベートーヴェンのパトロンで、弟子であり友人だったルドルフ大公のウィーン脱出という出来事があり、彼との今生の別れを覚悟して書いたのかもしれません…」

「……」

「ふふ、イチロウさん、そんなに深刻にならないでください…別に私たちが今生の別れをするわけじゃないですから」

「そうそう、これから弾くってのにお兄さんのおちんちん…縮みあがっちゃって、なんだかすごく可愛くなっちゃってるよ?」

ツンツン…

「ぁ…!?」

演奏のために椅子に座ったカノンちゃんの白い厚底靴に包まれた右足が予想外に重たい話ですっかり萎縮してしまった僕のペニスをほんの軽く、分厚い靴底で小突く。
その少しくすぐったいような刺激で、縮んだペニスは少しだけ勃起し、ペダルの上に横たわった。

「…このお話には続きがありまして、ピアノソナタ第26番は1809年から1810年にかけて1年かけて制作されています、これは1810年にオーストリアの降伏を受けてフランス軍が撤退し、ルドルフ大公がウィーンに帰還したため、第二楽章の「不在」そして「再会」と銘打った第三楽章まで時系列のある物語として書かれたからだったからだそうです」

「ベートーヴェンとルドルフ大公は無事に再開したんだ…」

「はい、私たちもイチロウさんとはしばらくのお別れとなります…ですけど、この留学プログラムを修了して、必ずまたお会いできる事を祈って、この曲をイチロウさんに捧げたいと思います…」

「じゃあ、ソナタ…始めようか?」

「うん…」

カノンちゃんがピアノの鍵盤に手を添えて、足元の調子を確かめるために僕のペニスごとペダルを何度か踏み込む。

フニッ…クイッ、クイッ…

「んっ、あっ…!?」

「わぁ…ソナタに合わせてこの靴を買ったんだけど、厚底でペダル踏むのなんて初めて…大丈夫かな? なんかお兄さんのおちんちん…踏み潰しちゃいそう…」

僕のペニスはまるで圧搾機のようなカノンちゃんの靴底に押しつぶされて一層硬く勃起してくる。

「イチロウさん…今回は三つある楽章のうち第一をカノンが、第二を私が、最終章は連弾風に編集をしてきましたので二人で弾くことにしました」

「なるほど、じゃあ交代しながら演奏するんだね」

「はい、ですからカノンが演奏している間は私がイチロウさんのサポートをしてあげますね」

「そうそう、第二の時はアタシがしてあげるからね、お兄さん」

「えっ…サポートって…?」

すると、ソナタちゃんは目の前で深い光沢を放つ黒い厚底ローファーをスルッと脱いで、黒いストッキングの足の裏をそのまま僕の方に向けてきた!

「え、あ…そ、ソナタちゃん? むぐっ…」

そして、当然のようにソナタちゃんの足が僕の顔面を踏み躙る…
ローファーに包まれていた彼女の足の裏はしっとりとして温かく、ソナタちゃんの重みときめ細かいストッキングの感触、さらにストッキングの繊維の匂い、樹脂っぽいローファーの残り香、そしてソナタちゃんのちょっとだけ汗っぽくて甘酸っぱい香りを強制的に鼻から肺一杯に感じさせられて、途轍もない多幸感の渦に呑み込まれて、カノンちゃんの演奏が始まる前から射精してしまいそうになってしまった。

グニィッ!グニィィィ!

「あっ、あふっ…あぁぁ…ぷはっ!」

ソナタちゃんの温かい柔らかいストッキングの蹂躙…その上にカノンちゃんに踏まれながら演奏などされたら…一体どうなってしまうんだろう…

「どうでしたか? 演奏が始まったら靴でも…踏んであげますね」

「な、なんだかもうこのまま…出ちゃいそう…」

「むーっ! ひどいっ! アタシというものがありながらっ! お兄さんはソナタに顔を踏まれただけで精子を出しちゃうんだ?」

「か、カノンちゃん、いや…そういうわけじゃ…」

「あはは、冗談だよっお兄さん…じゃあ今度こそ…ルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェン、ピアノソナタ第26番『告別』…行くよ、お兄さん…」

カノンちゃんの演奏が始まる…
彼女の指が鍵盤を滑り紡ぎ出すのは、物悲しい…雨の朝のような旋律。
ゆっくりと一歩一歩、重たい足取りで歩くように…

キュッ…キュッ…キュッ…

「あぁ…あっ…」

しっかりと、一音一音丁寧に余韻を生み出すカノンちゃんの白い厚底靴…その靴底のタンクソールとペダルの間で僕のペニスがグチャリとひしゃげる。

ググゥッ! ギュッ…!

ペニスを覆う皮が深い靴底の溝に食い込んで、ハイヒールやストラップシューズとはちょっと違う独特の軽い痛みを伴った快感がカノンちゃんの踏み込みのたびにペニスに襲いかかってくる。

「はぁ…はぁ…か、カノンちゃん…」

「うん…もっと感じて、お兄さん…」

カノンちゃんの足捌きに翻弄されながら、一方、曲の方は新たな展開に進んでゆく。
彼女のペダル操作で生み出された深い余韻を持つ音たちは、友人を分かれ道まで見送る道のりを表すようだった。
もうすぐ、あと少し…自分が一緒に行けるのはここまで、そこで道が分たれる…であるなら1秒でも一歩でもその時を引き延ばしたい…そんな彼と心情が旋律の向こうに見えるようだ。

「あ、カノンちゃん…」

逆に、感情がたっぷりと乗ったペダル操作は一分一秒でも早く射精させようとするかのようで、ペニスの奥の方にジクジクした感覚が生まれ、射精の期待がどんどんと高まってくる…
全身を駆け巡ってペニスの先端に集まってくるその感覚に身を委ねようと体の力を抜いて溝に横たわると…

「イチロウさん…えいっ…」

「えっ…!?」

僕の顔面が目の前に現れた黒いゴツゴツとした塊に押しつぶされた!
カノンちゃんの愛撫に荒くなった呼吸で取り込む空気が合皮と樹脂の独特の靴の匂いで満たされる。

グリッ!グリッ!!

黒い重厚なソナタちゃんの靴底が僕の頭蓋骨を踏み砕くかのように彼女の体重を乗せて踏み躙る。

「あっ…あっ…そ、ソナタちゃんに…踏み潰されちゃうっ!?」

しかし、そんな残酷な行為を普段、清楚で優しいソナタちゃんにされているかと思うと、カノンちゃんに今もペダルとして踏み付けられている感触もあいまって、僕の中にくすぶっている被虐趣味的な感情が余計に燃え上がってきて、射出の欲望が抑えられなくなってきた。

そこにカノンちゃんの靴底に追い討ちをかけられる、左右の手が同じフレーズを描き、高く、低く繰り返す様子は、このまま友を見送るか…それとも引き留めるか…道すがら自問し続けるようなイメージを与える。

ギュッ…ギュッ…ギュッ…ギュッ

「ううっ!? …あっ…はぁ、はぁ…」

「お兄さん…出ちゃいそう? もう少し…もう少しだから,ちょっとだけ…我慢して…」

その印象的なうねるような旋律の中で、カノンちゃんの足は絶え間なくペダルをゆっくりと踏み込んで、その度に深い溝を持つ厚底靴によって、僕のペニスは圧迫と解放を繰り返される。

グリッ…グリッ…グリッ…グリッ

「うぁぁ…ああっ…!」

カノンちゃんの靴底がペダルごと僕のペニスを踏む動きに合わせてソナタちゃんの靴底が僕の顔面を踏み潰す…
全身をめちゃくちゃに駆け回る快感のせいで、だらしなく半開きになった口からはみ出した舌の先が僕を容赦なく踏み躙るソナタちゃんの靴底に触れ、口の中に小さな砂粒の感触と少し苦く、ピリッとした味が広がった。

「!?」

偶然の出来事だけど、ソナタちゃんのような可愛らしい女の子の…でも何を踏んだかわからないような靴底を舐めた事実に得体の知れないマゾヒスティックな情念と快感を感じて…

ピュルッ…

カノンちゃんに踏まれるペニスの先端から先走りの液が一塊飛び出した。

「お兄さん…ここから、ちょっと激しくなるよ? もう我慢しなくてもいいから、出したい時に出してっ!」

「う、うん…」

彼女がそう宣告すると、そこから一気に曲調が変わる。
重々しく、思い悩むような繰り返す主題が主体だった曲が急に華やかな音色を帯びて広がる、『告別』というタイトルとは裏腹の、流麗で駆け上がってゆくような旋律…

グッ…グニィッ…グニィッ…グッ、グッ…

「あ、あ、あ…」

カノンちゃんの足が小刻みに僕を踏みつけて、キレのある音色を生み出し、二人の靴底に踏み潰された僕はなんとか抑えていた射精の衝動にいよいよ耐えられなくなってくる…

「あぁ…っ!?」

その旋律とともに尿道を駆け上がってくる精液の感覚が鮮明になり、ソナタちゃんの靴底の樹脂臭に当てられて…

「あっ…お兄さん…すごぃ…足元から、お兄さんのおちんちんと精子のにおいが…なんか、アタシまで…んっ」

「か、カノンちゃん…あっ! も、もう我慢できない…で、出ちゃうっ!!」

「イチロウさんのこと、靴で踏んづけて…こんなに酷い事をしてるのに、私…すごくドキドキして…んっ…」

曲は終盤に突入し、流麗な旋律を土台にしながら、叩きつけるような和音や、時折繊細で不安げな音色を織り交ぜて…全体的に整然として美しいイメージが却って聴くものの心にシーンの壮絶さと不安感を感じさせる響きに三者三様、その内に昂ってくるものに突き上げられて…

グヂュッ! グニィッ…グニィッ…ギュゥゥゥッ!!
グリッ!ニジッ…ニジッ…ニジッ…グイィィィッ!!

「あ、あ、あああっ、あぁぁっ!!!」

「んっ…お兄さんっ!」

「い、イチロウさんっ!」

ビュルッ!! べシャァッ!! ビュッ…ビュッ…ビュルッ!!!

カノンちゃんの一際重たい踏み込みが暴発直前のペニスを踏み据えて、軽く爪先を捻って躙る、そのペダルの動きに合わせてソナタちゃんは靴底を僕の顔にまるで玄関マットで汚れを落とすように擦り付け、二人の靴の下で僕は…胸が痛くなるほどの興奮とともに、ペダルの支柱に勢いよく吐き出された精液のぶつかる音が聞こえるほどの激しく射精をして…ペダルの上に射出された自分の精液がさらにこぼれ落ちて股間に広がる熱さを感じながら、射精後の脱力感で溝の中に倒れ込んだ。

やがて、曲はテンポを落とし、友人が見えなくなるまで見送ったあと、自身は来た道を戻っていくような、一抹の寂しさと、ふと繰り返すフレーズは何度も振り返っているような印象を与えつつ、カノンちゃんの演奏する第一楽章は終了した。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

「はぁ…んっ…な、なんとか、弾ききれたぁ…途中からお兄さんの匂いでドキドキしちゃったよ…」

カノンちゃんは頬を紅くし、亜麻色のロングヘアが少し乱れさせたまま、鍵盤に突っ伏している。

「わ、私…こんなにドキドキしたの初めてかもしれません…こ、こんなになっちゃうなんて…」

演奏中、ずっとカノンちゃんのペダル操作に合わせて僕の顔面を厚底ローファーで踏み躙っていたソナタちゃんはカノンちゃんと同じく頬を紅潮させて、ぺたんと女の子座りで床にへたり込んでいる。

「ま、まだ第一楽章だけど…お兄さん、ソナタ、二人とも大丈夫?」

「ええ…大丈夫、私も最後まで弾き切るから」

「僕も大丈夫だよ…」

座り込んでいたソナタちゃんが立ち上がり、カノンちゃんと入れ違いで鍵盤へと向かう。

「第二楽章は私が演奏します、この楽章は『告別』に続いてウィーンを脱出したルドルフ大公の不在期間を謳ったものと言われています」

「うん…」

彼女は椅子に座りながらこれから弾く楽章のの解説をしてくれる、一方席を立ったカノンちゃんは…

コツコツコツ…

厚底靴の足音とともに溝に横たわる僕の鼻先に立つ。

「第二楽章は私がお兄さんをサポートしてあげるね、さっきすごいのを出しちゃったからこれで元気が出るといいんだけど…」

確かにまだ一回目の射精後の虚脱感が抜けきらず、少し身体にだるさを感じながら僕は首を横に動かしてカノンちゃんの爪先に視線を向ける。

ソナタちゃんの靴とは対照的な真っ白な合皮と白い靴底、多分同じブランドのものなのだろう、双子と言ってもいいくらい似通った意匠だが、細部は所々違っているようだ。
ソナタちゃんのはローファータイプだったが、カノンちゃんのは華奢なレースのリボンで編み上げるタイプ…もう少し視線を上に向けると少し幼い印象を受ける可愛らしいレースのフリルが飾られた白いソックスとよく似合っている。

「お兄さん、始めるね…」

そんな感想を考えているとカノンちゃんの左足が僕の頭上に持ち上がり、ソナタちゃんと同じ形だが、色違いの靴底がゆっくりと僕を踏み潰そうと迫ってきた。

「ぁ…あ…」

ミシミシミシッ……

「あっ…あああぁ…」

そしてカノンちゃんの靴底に顔面を踏みつけられる、気のせいだと思うが、真新しい樹脂の匂いがする靴底にカノンちゃんの重みが加わると、自分の頭蓋骨が少し軋んだような気がして…だけど、そのなんとも言えない重みに射精を経て萎縮したペニスがまたも勃起してソナタちゃんの靴底を迎える準備が整った。

その様子を見ていたソナタちゃんはペダルの上に乗った僕のペニスに、さっきまで僕の顔を踏み付けていた右足をそっと添えて…

「あっ…!?」

ひんやりとして、深い靴底のタンクソールにペニスを甘噛みされる感触に僕の心臓が一度大きく跳ねた。

「第二楽章…『不在』行きます…』

ソナタちゃんの指先が鍵盤を走って旋律が生まれる。
第一楽章を継承する、物憂げでゆったりとした響き…

キュッ…キュゥゥ…キュッキュッ…

「ああっ…んっ…ソナタちゃんも…すごい…」

暗い部屋で一人、物思いに耽るような旋律は、彼女の十八番である正確な演奏、そこにじっくりと感情が乗せられて、ソナタちゃんの巧みなペダル操作によって、味わい深い余韻を与える、まるで一つの生き物のようなソナタちゃんの黒い厚底ローファーを纏った右足に、僕のペニスは序盤から徹底的に翻弄されて、再び腰の奥の方に湿っぽく卑しい情念をともなった何かが込み上げくるのを感じた。

「んっ、イチロウさんの…またすごく硬くなってきました…」

コリッ…コリッ…

「あっ、あっ…ソナタちゃんの靴の裏のギザギザが…引っ掛かって…あっ、き、気持ちいい…」

彼女のペダル捌きは厚底ローファーの少し丸みを帯びたタンクソールの凹凸に精液を絡みつかせて潤滑剤とし、ペニスの先端から裏筋にかけての敏感な部分を凹凸の一山一山で引っ掻かいて、その度に意識が飛びそうなほどの快感を僕に送り込んでくる。

そして曲は、先日まで語り合っていた友人は去り、静かな部屋で喪失感を謳いあげるような旋律に、わずかな上昇感が生まれ、暗い部屋の窓に一筋の光差し込んでくるようなイメージを帯びてくる。

その上昇感に煽られながら、ソナタちゃんの靴底に根元から先端まで舐め取られるような執拗な快感に苛まれて射精感がどんどん高まってきて…

「はぁ…はぁ…はぁ…」

僕は快感と興奮で肺が痛くなるほどの荒い呼吸を一度立て直そうとピアノの底を見上げて大きく深呼吸しようとするが今度はそこに…

「お兄さん、気持ちよさそう…こんなのはどうかな?」

「えっ…!?」

カノンちゃんがそう言いながら白い厚底靴を脱ぎ捨て、可愛らしいレースのフリルソックスの足の裏が僕の上に落ちてくる!
スローモーションのように時間をかけて僕に迫るカノンちゃんのフリルソックスは微かに彼女の足の裏の形に黒ずんでいるように見える。

グシッ…

次の瞬間、視界と鼻と口をカノンちゃんの足の裏に同時に塞がれ、顔面に感じるのはソナタちゃんのストッキングの滑らかな感触とは違う、ソックスの少し目の粗い生地の感触。
温かくて柔らかく、少し湿っぽい…真新しい厚底靴の樹脂の匂いと、甘いカノンちゃんの匂い、そして少しツンとするが、どうしようもなく胸が高鳴ってくる女の子の汗の香りをたっぷりと染み込ませたソックスの生地をこれでもかと味わわされる。

「ふ、ふぁ…」

柔らかいカノンちゃんの足の裏に顔面をめちゃくちゃに踏み躙られるが、痛みや不快さはなく、ただひたすらに胸の内に満たされてゆく眠気すら誘うような安心感…

ソナタちゃんの演奏は、特徴的な片手弾きから次第にリズミカルで小気味の良い優雅な旋律が加わってゆき、心地良い旋律と顔を覆うカノンちゃんの足の温もりと香り、その間ずっと僕を射精へと追い立てるソナタちゃんのペダル捌き…あまりの気持ちよさに自分の境界線がぼやけて、この部屋に溶けてしまいそうな奇妙な感覚に陥る。

「ああ…気持ちいい…二人とも、ありがとう…」

自然と口から独り言のよう二人への感謝の言葉が漏れた。

そこでまた曲は提示部のモチーフに戻り、何か迷いを感じさせるが、序盤と全く同じではなく、確実に光を感じる響きは「不在」という標題をただ悲劇的に描くのではなく、待ち人の帰還を期待を持って望む決意のようなものを感じさせるようになる。

クイッ、クイッ、クイッ…クイッ

「はぁ、はぁ、はぁ…あっ!?」

「あっ…イチロウさんのペニスが…で、出ちゃいそうですか? すごく押し返してきます…ヌルヌルして滑って、上手くペダルが…て、手加減できないっ…」

ギュッ! ギュッ!! ギュゥゥゥ!!

今まで優しく撫で回すようだったソナタちゃんの足の動きが急に激しくなり、滑って逃げるペニスを蹴ってペダルの中央に戻し、そこを容赦なく踏み潰してくる!

「あああっ…あっ…あぁ…」

グニッ…グニッ…

射精が近いと察したのかカノンちゃんも僕の顔を踏みつける足にさらに体重をかけて鼻腔から直接脳に流し込まれる彼女の匂いで、尿道を駆け上がってくる射精感はもう後戻りが出来ないものとなって…

「で、出るっ!!?」

ジュブッ! ブビュッ!! ビュルルッ!!

「あっ…あっ…い、イチロウさんの精子が…足にかかって…すごい…」

二度目だが、凄まじい快感を伴って発射された大量の精液をソナタちゃんのローファーの表面に飛び散り、靴底の滑り止めの溝の隅々まで流し込まれる、そして美しい黒い光沢を卑しげな白く濁った粘液で汚されたローファーのまま彼女は、そんな狼藉を犯したペニスを制裁するようにペダルをペニスごと踏み込み続け、第二楽章は、主題を繰り返しながらも徐々に変化が進む様子がゆったりと物憂げながら、友が不在の今、心折れそうになる自身を奮い立たせるような凄みをまとって静かに終わった…

「……」

「……」

「……」

ホールに余韻を残しての沈黙が訪れる。
僕は頭をぶつけないように横に立っているカノンちゃんに手を引かれて溝から身体を起こす…既に二度の射精でペダルの支柱から床から僕の精液まみれでピアノの周りはカノンちゃんとソナタちゃんの精液で出来た足跡だらけになっていた。

「…イチロウさん、ありがとうございます」

「えっ?」

「第二楽章は少し短いので、もしかしたらイっていただけないかなって思ってたんです」

「うん、だから担当を決める時にアタシが第一でいいの? って聞いたんだよね」

「そ、そうなんだ…ソナタちゃんの足がすごくて…」

「ふふ、カノンのサポートのおかげですかね? カノンに踏まれた時にイチロウさんのペニスが二回りくらい硬くて太くなった気がしました」

「そ、そうかな?」

「よかった、もしかしてあんなことしておいてなんだけど…アタシの足、臭くなかったかってちょっと心配になっちゃって…」

「え、そんなことはなかったよ、なんだがドキドキしていい匂いで、なんだろう…ホッとするっていうか…」

「そっかぁ…それならよかった…安心したよ」

「…さぁ、イチロウさん、いよいよ第三…最終楽章です、今度は私とカノンの二人で心を込めて弾きますので、最後まで楽しんでいってくださいね」

「お兄さんのためにアタシも最高の演奏をするつもりだからね、期待しててね」

「うん…わかったよ」

僕は三たび溝に身体を横たえる、既に二人のタンクソールに幾度となく踏み付けられて、ジンジンとペニスが痛むが、今はそれすら心地よく、彼女たちがこれから紡ぎ出す第三楽章の期待で早速クールダウンを終えたペニスがムクムクと靴底を求めてそそり立ち始める。

僕のそばにいたカノンちゃんは靴音を立てて鍵盤の方に移動し、ソナタちゃんの右側に座る、どうやらカノンちゃんがsecond を担当するようだ…

「イチロウさん、この楽曲はこの第三楽章で終局を迎え、『再会』と銘打たれたこの楽章のベートーヴェンの草稿には『敬愛するルドルフ大公殿下帰還、1810年1月30日』と自筆で書き込みがされていたと言います」

「アタシたちも、この楽曲に誓って…留学が修了したら必ず、お兄さんに会いにいくから、待っててね…じゃあ、第三楽章、『再会』…」

「いくよ、お兄さん」「行きます、イチロウさん」

この留学に際しての二人の中にある何らかの決意と、修了の暁には再び僕に会ってくれるという約束、それらの想いを込めた指先が宙を舞って、二人分の呼吸とともにゆっくりと鍵盤上に着地する…

「!!」

そして僕は思わず息を呑んだ。

「再会」の標題を持つこの楽章は、正確極まる速弾きで始まり、さらに連弾の強みを活かした複雑な旋律はこれまでの物憂げな雰囲気を一気蹴散らすような力強さを冒頭から感じさせる、一音一音に圧力すら感じるほどの気迫、洪水のように押し寄せ、ピアノ下の溝を満たしてゆくようで、音とは波であるということを改めて実感させられた。

そして…

キュッ キュッ キュッ!
クイッ クイッ クイッ!

「あっ! ああっ!!」

二人の足が、白い厚底靴と黒い厚底ローファーがペダルの上のペニスを交互に嬲る!

「はんっ!? す…すごすぎる…あああっ!!」

カノンちゃんとソナタちゃんの二人にとって連弾にprimoもsecond もない、代わる代わる白黒のタンクソールがペニスに狙いを定めてある時は亀頭を踏み潰し、またある時は根元を引っ張り敏感な部分を露出させて、次と踏みつけの餌食にする。

「イチロウさん、いかがでしょうか?」

「あふっ…す、すごい…二人足が…絡みついてくるみたいで…こ、この編曲をソナタちゃんが?」

「はい…まだまだ未熟ですけど、気持ちを込めて書いてみました」

かつて、ソナタちゃんは譜面を正確に辿る事が最上と考えていた、その時の彼女からすれば、クラシック曲に自身の考えや思想を乗せてアレンジを加えることなどもってのほかだったのだろう…ましてや連弾の基本を無視した二人がかりのペダル操作など。

だけど、音楽とはただ正確な音の羅列ではなく、聴く人の心情、期待…そう言ったものと対話し奏者が提案する、時刻、天気、ホールの雰囲気までも舞台装置の一部として作曲家の意図を演じるものだと気が付いたソナタちゃんの演奏は、その日を境に一気に潤いを帯びたものに変わり、そして自身の想いを作品に乗せてこの見事なアレンジをして見せた。

それをこのピアノ下で五感どころかペニスまで使って感じ、いい知れない多幸感の渦に飲み込まれながら、三度目になる腰の奥から這い上がってくる射精感に身を任せる。

…軽やかに、螺旋を描いてゆくような旋律、待ちに待った日を全力で表現するようなスタッカートの効いた歓喜のイメージ。

トッ トッ トッ トッ…

「はあっ!? か、カノンも…ああっ!?」

「うん、少し前にソナタにこの譜面を見せられて、すごく難しいなぁって思ったけど、練習の度にお兄さんのおちんちんをイメージして踏んだの…お兄さんに気持ちよくなって欲しかったから…そのせいでアタシも練習中にちょっと気持ちよくなっちゃったけど」

小刻みなペダル操作は正確に同じ速度と圧力でペニスに刺激を与えて、這い上がる射精感を後押しして、精液が徐々に尿道、そして先端の射出口に向かって駆け上る。

…カノンちゃんは音楽の持つ力、聴く人が楽しい時は楽しく、辛い時は励ますように寄り添う…そんな音楽を目指している。
僕は彼女の演奏は既にその力を持っていると思う、実際、僕も何度となく励まされてきた…確かに感情のままに聴く人と一体になる、それだけでも素晴らしいのだけど、しかし、彼女が望み、僕が望んだ、もっと多くのカノンちゃんの音楽を必要としている人にそれを届けるためにカノンちゃんは腕を磨き、留学の座を掴んだ。

ギュゥゥゥッ…!

「ひあっ!?」

カノンちゃんの連続したペダルの踏み込みの感触に、ギュッと内臓を締め上げられるような冷たい鈍痛が混じった!

「ぁ…あ…」

少しだけ身体を起こしてペダルの支柱越しにペニスと二人の足の様子を見ると、絶えずペニスに刺激的な快感を送り込み続ける白いカノンちゃんの厚底靴は亀頭の上に、その様子を見守っているかと思ったソナタちゃんの黒い厚底ローファーが床にだらしなく横たわる僕の睾丸をその厚底で踏み潰していた…

「安心してくだいイチロウさん…こんな厚い靴底ですけど、イチロウさんの感触はしっかりと感じます…もう、三度目ですからこれで少しでも沢山出していただけるといいのですが…」

ソナタちゃんは射精のしすぎで僕の精液が涸れてしまわないか心配しているようだ…
まるで息の合ったパートナー同士がダンスをするようにペニスを交互に二人のタンクソールが…白黒…黒白…靴の主人たちが演奏する音楽に合わせて踊るように間断なく責め立てて…

下半身がこのまま溶け落ちてしまうような、痺れるような…だけどペニスの先の陰嚢に感じるひんやりとした痛みと心地よさでついに精液が尿道へ充填されて、射精の秒読みに入った。

曲は終盤に差し掛かったのか、軽やかで華々しく展開し、白黒の靴たちが踊り合うような旋律の中、これまで覆っていた雲が切れて晴れ渡る青空が眼前一杯に広がるような清々しさと上昇してゆくイメージを含み始め、カノンちゃんとソナタちゃんの足に蹂躙されたペニスが十分すぎる歓喜を味わいながら…

「いよいよ終幕です…イチロウさんっ!」

「お兄さん…今だよ…」

ギュゥゥゥッ!!!

「んああぁぁっ!?」

カノンちゃんの白い厚底靴とソナタちゃんの黒い厚底ローファーが同時に深々とペダルごと僕のペニスを踏みしめる、そして、二人の靴底の下で今日三度目となる最も大量の精液を噴出し、ずっと一緒に踏まれ続けた相棒のペダルと二人の靴を白く粘つく体液で汚し尽くした…

そして彼女たちの演奏も、テンポを若干落として、駆け抜けた先にかつて忸怩たる思いで、分かれ道から見送った友が待っている、そんな場面を想起させるゆったりとした曲調へと変化し、喜ばしくピリオドを迎えた…

「はぁ…はぁ…お兄さん、3回目なのに…沢山出たね…」

「はぁ…はぁ…ストッキングまでベトベトです、なんかイチロウさんの匂いで少し頭がぼんやりしますね…でもすごくやり切った感じがします」

「うん、こんなに気持ちの入った演奏なんてなかなかできないよ、お兄さんがいなかったらこんな事はしないだろうし…出発前にこの演奏会ができてよかった…」

「うん…二人とも凄かったよ」

「これもお兄さんのおかげだね、向こうでも不安なくやれそう、いつもありがとう…」

「そうですね、足元にイチロウさんがいなくても今日掴んだ感覚で自信が持てそうです、ありがとうございます」

僕は大したことをしていない、ただこうして二人にペダルにされていただけ…時には助言にもならないような感想を述べることもあったけど、カノンちゃんも、ソナタちゃんもそれが自身の変化につながったと言い、こうして不安の払拭や自信が持てたと言ってくれる、その言葉は…こんな僕だけど何か自信が持てるような気にさせてくれた。

ニチッニチッ…
ジュッジュッ…

水っぽい足音を立てて、白と黒の二足の靴が僕の眼前に並ぶ…そして、やり切ったような清々しさと思わず見惚れてしまうような優しい笑顔でカノンちゃんとソナタちゃんの二人が手を差し伸べてくる。

「「ご清聴、ありがとうございました!」」

さっきの気迫溢れる演奏を繰り出した、二人の柔らかい手をとって…

「こちらこそ、ありがとうございました」

こうして、再会を誓う観客一人の特別な演奏会は幕を閉じた。

それからまた数週間…ついに二人の出発の朝となった。

「おはようカノンちゃん」

「おはよう、お兄さん…」

カノンちゃんのスタジオでいつもとさほど変わらない挨拶、僕は今日もレンタカーを借りて二人を空港まで送る役目だ。

「おはようございます、イチロウさん、カノン」

「おはよう、ソナタ」

「いよいよだね…」

「はい、これまでありがとうございました…」

「うん、お兄さんにはすごく感謝してる、今日だって空港まで連れて行ってくれるんだし」

「そうですね、この大荷物で電車で行くのは少し大変ですからね」

「いや、僕にできるのはこれくらいだから…」

僕は二人の大きなスーツケースを借りてきたワンボックスに載せる。

「じゃあ、そろそろ行こっか…」

「うん」

ガチャ…

カノンちゃんがスタジオの扉に鍵をかけた、本当に色々なことがあったこのスタジオもしばらく主人が不在になる。
そして僕は運転席に乗り込んで車にエンジンをかけ、後部座席に二人が乗り込んだ。

「二人とも、忘れ物はない?」

「はい、大丈夫です」

「うん、大丈夫だよ」

二人に確認をとって車を発進させる、都心から高速道路に乗って湾岸方面へ…目的地は県境付近にある国際空港。

道中は僕を含めて言葉を発するものはいない、車内は車のエンジン音だけ…

「……」

「……」

都心部を抜けて海が見えてくると轟音がして、頭上を機影が追い越して行った…もうすぐ空港だ。
車は特に渋滞もなく順調に進み、湾岸の空港のインターチェンジで降り、駐車場へ…

今日は二人のこれからの道を暗示するような雲一つない快晴、門出には最高の日和だ。

「せっかくここまで来たんだし、中まで見送ってもいいかな?」

「うん、もちろん」

「是非お願いします」

大きなスーツケースを引いてターミナルビルに入る、今し方到着した便で入国してきた期待に弾む外国人風の家族、久しぶりの帰国なのかどこかホッとしているようなビジネスマン風の男性、他方にはこれから新婚旅行だろうか…腕を絡めてスーツケースを引く幸せそうな若い男女、そして新天地へ…不安と期待を抱えて異国へ旅立とうとするカノンちゃんとソナタちゃん…そして、それを見送る僕、ターミナルを行き交う人々は皆、様々な物語を抱えているように見える。

二人はカウンターでチェックインを済ませて、あとは搭乗する便を待つだけとなった。

「お兄さん…」

「ん、何かな?」

カノンちゃんがスカートのポケットから可愛らしいキーホルダーのついた鍵を取り出して僕に寄越してくる、これは…

「これって、カノンちゃんのスタジオの鍵?」

「うん、アタシたちが帰ってくるまで、これはお兄さんに預けておくね」

「え、でも…」

「大丈夫心配しないで、両親には本当に信頼できる人に預けたって昨日電話しておいたから、大体、あの人たちは普段から滅多に帰ってこないしね…」

「本当にいいの?」

「もちろん、お兄さんだからこれを預かっていて欲しいの…」

そこからはカノンちゃんが顔を僕に寄せて耳元で囁く。

「中のドレスや靴はそのままだから…寂しくなったら好きに使っていいからね…」

彼女の言葉の意味を理解する前に僕の耳元から離れ際に右の頬に唇の感触がした…

「っ…!?」

「大事に使ってね!」

「……」

「イチロウさん…」

「え、あ、ソナタちゃん…?」

今度はソナタちゃんが僕に詰め寄ってくる…
そしてカノンちゃんと同じように、耳元で…

「イチロウさんの好みそうな私の靴を何足か…カノンのスタジオに預けておきました…不在の間、寂しい時は使ってくれると…その、嬉しいです…」

ソナタちゃんは少し顔を赤くして、左頬に唇の感触…

程なくして、彼女たちの乗る予定の便が到着してまもなく搭乗開始になるアナウンスがターミナルに響く。

「そろそろ…時間だね、僕は屋上で君たちを見送るよ」

「うん、ありがとう」

「はい、ありがとうございます」

カノンちゃんとソナタちゃんは大きなスーツケースを引いてゲートの方へ向かっていくその二人の背中に…

「…いってらっしゃい!」

「「いってきます!!」」

カノンちゃんとソナタちゃんは振り返って手を振って応えてくれた、そして僕は二人が見えなくなるのを見届けてから彼女たちが乗る便が見えるターミナルビルの屋上へ向かうことにする。

「……」

都心部ではあまり感じることのできない海風…車で大した距離でもないのに随分空気が違う、空を見上げると雲一つない青空。
普段はそんな感想を抱くことなんて滅多にないが…とても爽やかで清々しい。

しばらくして…彼女たちが乗っているはずの飛行機が搭乗口を離れて滑走路へとゆっくり進んでゆく。

「……」

そして離陸位置についた飛行機は甲高いエンジン音をあげて一気に加速し、その巨体が宙に浮く。
あれほどのものが空を飛ぶとは毎度のことながらつくづく不思議だ。

「……」

一瞬で僕の前を通過した飛行機はぐんぐんと高度を上げて、あっという間に雲一つない青空に溶けて見えなくなった…

これで…しばらくなお別れだ。

「さてと…僕も、動かないと…」

内ポケットから取り出した一本の可愛らしいキーホルダーに取り付けられた鍵を見つめて、僕はそれを大切にまた戻し、空港を立ち去った。

空港、ウィーン直行便機内

手荷物を預けて飛行機に搭乗し、自分の座席に座る。

「……」

しばらくは他の乗客たちが乗り込んできて騒がしかった機内も落ち着いて、今は離陸前の独特の空気が漂っている。
程なく、シートベルト着用と乗務員挨拶の機内アナウンスが入って、機体がゆっくり滑走路に向けて滑り出した。

徐々に甲高くなるエンジン音、そして離陸開始…地上ではなかなか体験できない強烈な加速感で体が座席に押し付けられる…続いて一瞬の浮遊感、飛行機の車輪は滑走路を離れ無事に離陸をした。

窓の外を一目見るともう、街が遥か眼下で豆粒のように見える。
そして飛行機は巡航に入り、窓の外は単調な景色が続く。

その間、食事をとったり、メールで送られてくる仕事の資料に目を通したり、仮眠をとったりして離陸から随分時間が経ったが、ウィーンまではおよそ11時間半のフライトとなる、到着まではまだしばらく時間がかかりそうだ。
ところで…時間もあるし、少しだけ僕の話をしたいのだけど、いいだろうか?

…二人を見送ったあと、僕は留学を修了し帰ってきた二人に少しでも近い世界に居たいと思い、ピアノの練習を続ける一方である計画に着手した。
カノンちゃんの音楽の力…そしてソナタちゃんの気軽に楽しめるクラシック、それらを実現する力に少しでもなりたいと思ったのだ…

まず取り掛かったのは人脈作り…これがある意味一番大変だった、何しろ僕は友人らしい友人もいないし、いたとしてもクラシックに造詣の深い者は絶無だ。
しかも僕はお世辞にもコミュニケーション能力がある方ではないのでとても苦労した記憶がある。

差し当たって僕は街に出向いて路上やカフェでピアノをはじめとする楽器を演奏している人に片っ端から勇気を奮い立たせて声を掛け、知り合いになっていった。
だけどそうしてみると、各々様々な悩みや困りごとが見えてくるもので…例えば演奏したい曲があるが、自分以外のパートを担当できる奏者のアテがない…とか、演奏できる場所や機会を探しているが見つからない…など。

そこで今度はカフェやライブハウスなどを渡り歩いて演奏させてくれる場所を探した。
最初こそ難色を示されたものだが、ライブハウスなどは彼らが擁するアーティストたちの中でクラシック的な音を取り入れたいと考えている者も多く、僕が奏者を紹介をしているうちに彼らの協力も得られるようになり、先方からミニコンサートを持ち掛けられるようにもなった。

最初はそういった困りごとをひたすら解決して…そうしているうちに僕を中心にコミュニティが出来上がり、人伝にどんどん拡大して、学生や、クラシックは経験がないが興味を持っている人々も集まってゆき、カノンちゃんとソナタちゃんの思い描く音楽の在り方を話すと彼らは皆賛同してくれた。

そして、機は熟したと判断した僕は…ついに会社を辞めるに至った。

会社、部長室 午後8時

面談を部長に申し入れたところこの時間ならばいいと許可をもらった。
部長だというのにこんな時間まで会社にいるとはいかにもウチらしい…

コンコンコン…

いざ覚悟を決めたとはいえ、この扉の前に立つと緊張する。

「入れ」

扉の向こうの返事を待って、僕は部長室に入った。

「失礼します…」

「ああ、済まない…こんな時間まで待たせてしまって、それで…何の用だ?」

「はい、今日は部長にお話ししたいことがあります」

僕は緊張に耐えながらスーツの内ポケットを探って退職届を取り出す、一緒に忍ばせたカノンちゃんのスタジオの鍵が指先に触れて、少しだけ落ち着きを取り戻せた。

「部長、私は一身上の都合で退職を致したく思います…」

決まり文句を言って部長の机に退職届を差し出した。

「そうか…わかった」

部長は差し出された僕の退職届をろくに見もせず自分の机の中にしまう…イメージでは何かと根掘り葉掘り聞かれるものだと思っていたが、少し拍子抜けだった。

「どうした、拍子抜けだと言った顔をしているぞ?」

「あ、いえ…」

「…田中、俺が部長になってから一体何人会社を辞めたと思っている? もう慣れたものだ…だが一応聞いておく、一身上ではなく本当の理由は何だ?」

「……」

まっすぐ僕を見つめる部長…その視線は圧力すら感じるほどでノドがカラカラしてきたが、僕は意を決して口を開いた。

「…それは、自分にはここではなく、別の場所にやるべき仕事を見つけたからです」

「そうか…初めてだな」

「え、それはどういうことでしょう?」

「なに、ウチで仕事を辞めにくるヤツは大概疲れ切って、ここから逃げ出したいヤツばかりで…俺が退職届を受理したらやっと解放される…そんな出所前の囚人みたいな顔をしてやってくる、田中みたいにやる事を見つけて前を向いているようなのは一人もいなかった…それだけだ」

「……」

「事情は分かった、これは俺から上に渡しておく、引き継ぎだけは怠らないように」

「はい、ありがとうございます」

部屋を立ち去る時に、何となく部長ご羨ましそうな顔をしていたような気がしたが…おそらく気のせいだろう。

そのあと、退職までの一カ月は例の散々僕を苦しめた同僚の罵声の嵐を聞き流しながら荷物を纏め、引継書を作り、僕はあまりいい記憶のないこの会社から立ち去った。

離陸から11時間後…

機内に着陸の為にシートベルトの着用を促すアナウンスが流れる、いよいよ目的地のウィーン国際空港が近いようだ。

僕の話は、まぁ、退職してからの方が色々大変だったけど、それはまた今度にしよう。

機内がにわかに慌ただしくなって、飛行機は高度を下げて豆粒のようだった街並みはどんどんと大きくなり、空港の滑走路が見えてきた。

飛行機に乗るのは別に初めてというわけでは無いが、着陸はなんとなく緊張する…

「っ…!」

下から突き上げるような軽い衝撃とともに飛行機は着陸を果たし、シートベルト着用の案内灯が消え搭乗口に空港の乗降口が接続された。

「ふぅ…やっぱり長いフライトは疲れる…」

他の乗客たちの人波が少し落ち着くのを待って座席を立ち上がり機外へ出る。

「ここがウィーンか…」

まだ空港内だし、これから入国手続きで、日本語の表記が少ないくらいで出発した日本の空港と大して変わらない景色なのだが、カノンちゃんとソナタちゃんがいる街のすぐそばまで来ていると思うと妙に感慨深いものがある。

手荷物を受け取って、入国手続きを済ませてからタクシーを捕まえ、彼女たちの留学先である音楽院…そこからほど近いしばらくの逗留先のホテルへ向かうことにする、車窓に流れる景色は明らかに日本とは異なる雰囲気だ。

「Sind Sie als Tourist in Wien?(お客さんは観光でウィーンへ?)」

タクシーの運転手が気さくに僕に声をかけてくる。

「Nein, ich bin hier, um ein Versprechen zu erfüllen, das ich einigen lieben Freunden gegeben habe.(いや、大事な友人達との約束を果たしに来たんです)」

「Nun... wir wünschen Ihnen viel Glück bei der Erfüllung dieses Versprechens.(そうなんですね…その約束が果たされるよう祈っていますよ)」

「Danke.(ありがとう)」

彼と少し話をしているうちに、目的地のホテルに着いた。
運転手に料金とチップを手渡して車を降りる…外国人が日本に来ると醤油の匂いがするなんて昔言われていたそうだけど、気のせいだろうか…ウィーンの空気はどこか音楽室のような、楽器店のような匂いがした。

僕はホテルでチェックインをすると部屋に荷物を置いて街へ出る。

「さて…」

先日、実はソナタちゃんからメッセージをもらっていた…僕は改めてスマホのその画面を見る。

『イチロウさん、お久しぶりです、お元気でしょうか? 私はお陰様で元気に過ごしています、カノンも元気ですよ、なかなかご連絡が出来ず申し訳ありません、さて今日はイチロウさんにお知らせしたいことがあります、この度は私たちは留学プログラムを全て修了して帰国する事となりました、修了の式典の後、荷物をまとめてからになります、私もカノンもイチロウさんにまたお会いできることを楽しみにしています』

メッセージを確認してポケットにスマホをしまう、まだ到着したばかりだし、二人に会いに行く前にまずはこの辺りを散策してみようと思う。

近代的な市街の中心とは違い、少し離れたこの辺りは古い街並みが残り、今にもすぐそばのアパートメントから気難しそうなくしゃくしゃ頭の男が眉間に皺を寄せながら出てきそうだし、路地裏には借金取りに追われた特徴的な白い巻き髪に貴族のような服を着た男が影から影へと逃げ回っていそうな錯覚を感じさせる。
オープンテラスを備えたカフェでは初老の男性がバイオリンを弾いていて、街を歩いていてもそこかしこに音楽が感じられ、流石は音楽の都といった雰囲気だ。

「僕もちょっと一息入れようかな…」

よく考えたらこちらに着いてから何も口にしていない、せっかくウィーンまで来たのだから本物のウィンナコーヒーなど楽しんでみようか…
そんな事を考えていると、街の一角に人だかりが出来ていることに気がついた。
しかもその人だかりの中心からはピアノの音色…誰かストリートピアノでも弾いているのだろうか?

「これって…」

そのピアノの音色…というか弾き方には聞き覚えがあった。
自由闊達で聞く人の気分を楽しくさせる、それでいて精緻に音の粒が揃った…だけど、それを最後に聞いた時よりもはるかに洗練されたタッチ…間違いない!

僕はその人垣の中心へ駆け出す、大して走ったわけではないが、心臓が高鳴る。

そしてその中心にたどり着く、そこには…

「やっぱり…」

ピアノを弾いていたのは、白い上品なワンピースに白い清楚なハイヒールを履いた、亜麻色の緩くウェーブしたロングヘアの女性。
彼女は目を閉じてゆったりと体を音の波に乗せて気分良さそうに演奏をしている。
そしてその横には、思わぬギャラリーができてしまったことに困惑しているのか、ちょっと不安げな表情を浮かべた、ピアノを弾いている女性と双子のような紺色のワンピースに黒いハイヒール姿の、綺麗に切り揃えられたボブカットの女性…僕の知る二人よりいくらか大人っぽくなったがカノンちゃんとソナタちゃんだった。

思わず僕は二人に声を掛けるところだったが、周りのギャラリーの様子や何より気分よく演奏をするカノンちゃん見て思いとどまる。

ここは演奏が終わるのを待とう…

しかし、カノンちゃんが1曲弾き終わると、万雷のアンコールを求める拍手、彼女もそれを無視できず、その後たっぷりと5曲演奏してようやく解散となった。

三々五々に崩れて散ってゆく人波…僕は頃合いを見計らって二人の方に歩み寄り…

「Eine sehr schöne und charmante Darbietung, aber Ihr Klavierspiel wird hier einen Stau verursachen, Frau Umino.(とても素敵で魅力的な演奏だね、だけど君がここでピアノを弾いていると渋滞が起きてしまうよ、右見野さん)」

「Oh... Entschuldigung.(あっ…ごめんなさい)って…えぇ!?」

「やぁ、久しぶりだねカノンちゃん、それにソナタちゃんも…」

「イチロウさん!?」

「お、お兄さん…どうしてここに…!?」

二人が驚くのも無理もない、二人とも僕は飛行機で半日かかる日本にいるものだと思っていたのだから。

「この間ソナタちゃんから二人が帰国すると聞いてね、迎えに来たんだよ」

「む、迎えって…ちょっとその辺じゃないんだよ? ウィーンだよここ、オーストリアの!?」

「もちろん知っているよ、1ヶ月ほど休暇をとってここまで飛行機に乗ってきたんだからさ」

「ですが…イチロウさん、1ヶ月の休暇って…大丈夫なんですか? その…イチロウさんの会社は…」

「そうだよ、そんなに休んだらクビになっちゃうんじゃない?」

「確かに、急に1ヶ月休ませろって言ったら渋られたけど、多分大丈夫だよ…ああ、そうだ」

さっき機内で話しそびれていたこと。
僕はポケットのカードケースから2枚,自分の名刺を取り出して二人に渡す。

『株式会社しろくろコンチェルト CEO 田中イチロウ』

これが今の僕の肩書き…前の会社を退職した後、色々あったけど、僕の会社を立ち上げて、気軽に楽しめる音楽、楽しい気分になれる音楽、背中を押してくれる音楽…それがもっと身近に広がるように、奏者間の紹介やカフェとかクラシックライブハウスの運営…音楽教室にコンサート企画と色々な事をやっている。
自分で言うのもなんだけど、それなりに名が通っていて、雑誌のコラム寄稿やインタビューなんかも受けるほどには会社を成長させているつもりだ。

「僕もさ、カノンちゃんとソナタちゃんが立っている世界に…少しでも近い場所に居たくてね、少し頑張ったんだ…」

「お兄さん…」

「昔、カノンちゃんに言ったよね? ノープレイ、ノーエラーは楽でいいって」

「うん…」

「でもその果てはつまらない生き方になってしまう…だから」

カノンちゃんが僕の言おうとした言葉を引き継いで続ける。

「だからやらない理由とか出来ない理由を考えてないで、やってみる…やらないで後悔するくらいならやって後悔した方がいい…だっけ?」

「…そうだね、あれは思い返せばカノンちゃんだけじゃなく、自分に向けて言った言葉だったんだなと、それとソナタちゃんに言った言葉…覚えてるかな?」

僕の問いかけにソナタちゃんが答える。

「はい…入口が不純だからと言って出口もそうとは限らない…ですよね?」

「うん…二人との出会いは僕にとっては大切な宝物だけど、二人とも知っての通り、僕の性癖が入口だった、だけど僕はソナタちゃん、カノンちゃん…二人のおかげで変われた」

「はい…」

「うん…」

「出口は違う、帰ったら僕の会社を見て欲しい…きっと君たちの考えている音楽の手助けになれるはずだよ」

「お兄さん…ありがとう、アタシたちがいない間、すごく頑張ってくれたんだね…」

「帰ったらぜひ見せてください、イチロウが作られたものを…これから作っていくものを」

「もちろん、楽しみにしててよ、あ、そうだ…あとカノンちゃんにはこれを返さないと…」

僕はカノンちゃんからずっと預かっていたスタジオの鍵を彼女に手渡す。

「時々掃除をしていたけど、ピアノの調律が少し狂ってしまったんだ…そっちは帰国したらウチの調律師を向かわせて調整させるよ」

「すごい…お兄さん本当に社長さんみたい…」

「いや、本当に社長なんだけどね…さてと、積もる話もあるけれど、立ち話じゃなんだからどこかに行かないかい? 生憎、ちょっと前にこの街に到着したばかりだから何もわからないんだ…二人とも、案内をしてくれるかな?」

「はいっ!」

「うん、任せてよ!」

「それと帰ったら凱旋のパーティーをしないとね、何か食べたいものはあるかな、なんでもご馳走させてもらうよ?」

「ん〜じゃあさ…アタシ、回ってないお寿司がいいな! お兄さん社長さんなんだし、すごいお店とか知ってるんでしょ?」

「いいですね、ウィーンでは日本の食べ物は手に入りにくかったですし、私もそんなお店には行った事がないので…楽しみです」

「う〜ん、カノンちゃんの会社経営者のイメージを問いただしてみたいところではあるけど、了解、日本に帰ったら早速回ってないお寿司屋さんに行こうか」

「やった! 楽しみだなぁ」

「ありがとうございます、楽しみにしています」

「それと、ここで言うのは少し気が早いけど…留学お疲れ様、おかえりなさい…カノンちゃん、ソナタちゃん」

「うん、ただいま…お兄さん」

「ただいま戻りました、イチロウさん」

僕は白と黒のハイヒールの踵を石畳に鳴らして颯爽と歩くカノンちゃんとソナタちゃんの二人とともに歩き始める。
そしてこれからも、今この瞬間のように、どこまでも…彼女たちと同じ道を歩いて行ける事を僕は祈るのだった…

しろくろコンチェルト <完>



これまでのご清聴、ありがとうございました。



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