がんばれない自分がダメ

 昨日女子高生がブロン飲む~!と言っていて、私自身かなりOD(オーバードーズ、薬物を多量摂取すること、この場合故意に摂取することに使われることが多い)をしてきた人間なので振り返ってみる。読んでもなんの得もないです!!!

 私は以前(何年も前です)、処方された安定剤があれば10T(タブレット・錠の意、ちなみにシートはS)以上は飲んでいた。フラフラして転んだり、吐いたり、もうなにもかも嫌だ、という自暴自棄な気持ちのとき飲んでいた。今だったら翌日起きられなくなるのでやらない。要するに、その当時は、次の日以降のことなんてどうでもよかったし考えられなかった。浅はか。おかしな言動をしたり、幻覚を見て花の形のピアスを蠢く虫だと思いアースジェットを噴射し続けていた(素面になってそっかー、と気づいた)。錠数が多ければ多いほど現実から逃避できると思っていた。最大120Tですが一度も救急車は呼んでない(人に迷惑をかけるな厨へ)。お酒も飲めば飲むほどわけわからなくなって楽しいと思い吐くまで飲んでいた。

 ブロンは最初こそ、上記のような理由で飲んでいたのですが、就職してから全く手放せなくなりました。職業が営業接客。裏に何台契約したかのシールを貼られ、売り上げの悪い者は合宿送り。チームを組むので脚を引っ張れませんでした。私は、人との距離感をつかむのが苦手(どこまで踏み込んで提案してよいか分からない)、人と目を合わせられない、クレームが普通にしんどいなど、苦手なことがたくさんありました。
 ブロン始めとする咳止め薬には「コデイン」「エフェドリン」が含まれています。コデインは眠くなる作用、エフェドリンは活性化や多幸感が得られる作用があります。多幸感を得つつまったりしたいという人が主に使う感じですね。
 私は、エフェドリンの効果が強く出るタイプだったので接客に使いました。出勤前に30T、コンビニで買ったグレープフルーツジュースで飲む。すると営業時間には効き目が表れ、積極的に臨むことが全く苦でなくなりました。しかし、昼を過ぎるとそろそろ効き目が切れて普段の自分に戻ってしまうかもしれない、どうしよう、と思い会社のロッカーで隠れて10T足して、その後吐いてということをやっていたので同僚からは陰で「薬中」と呼ばれていました。(メンヘラのおまいらへ、メンヘラは隠せてるつもりでも大体ばれます、今までの経験から言うけどバレる。)でもODを辞めると営業成績が落ちるかもしれないのでやめられませんでした(接客が苦手なのに行ってこい、とお客さんをあてがわれ、ブロンを飲んで自分を殺しながら行くのは、毎朝崖から突き落とされる気分だった、と夢遊病というラップのバースにも書いています)。
 
 どうしてブロンを辞められたか。ドラッグストアのおばさん(悪意はないがこれ以上どう表現したら良いか分からない)に注意されたから。「あなたいつも買ってるよね。毎回咳ひどいの?」こんな感じのことを強めの口調で言われ驚いて逃げた。ダッサい。毎回そのドラストで「ブロン84錠入り2つください」と言っていたから。週二回くらい。2つなのは個数制限、先述した副作用がある為、遊びに使われやすいので(今はどこも一個ぽい?)。物分かりのいい店員なんかは私がレジに並ぶと、スッと後ろの棚から「いつもの」を用意して待ってくれた。一年以上はそんな感じだった。
 なんだかそこまでして買うのもバカバカしいなって急に、目が覚めた。他人からちゃんと注意されるのっていいですね。それもネットなんかじゃなくて地域の人という距離感がいい。なんだてめー!ってならない(人によるけど)。
 
 これはまた別の話になるけど、その後一旦ブロンは辞めましたが、また他の薬をODしたり酒を電車の中も手放さず飲んだり、幻覚で知らない女の人が部屋にいて「一人じゃないからよかった」などと思ったり(おそらく座椅子がそう見えていた)、ブロン液2本をスプライトに混ぜて飲んだりしていた。よくない。肝臓の数値もよくなかった。

 今はODはしていません。毎日やることがあるから。家事とか勉強とか。そんなことをすれば翌日の午前中までフラフラして動けなくなる。OD自慢して空いた瓶や開いた錠剤のカスや手に乗せた錠剤の写真をツイートするメンヘラのことを「甘えじゃん」と思う人多いんじゃないかな。私も思う。甘えんなよボケって。でも私含め本人はすごくがんばって耐えてきたから多少おかしくなってるところもあると思う(私は当事者の声を人より少し知ってるだけだけど)。昔の言葉で言うと、ファッションメンヘラもある種の精神疾患であると思うし。おまいらはメンヘラたったり精神障害者を馬鹿にするけど、その人たちと同じ生育環境にいても正常でいられるのか、という話。まぁそうはなれないからわからないって話でもあるけど。それぞれにそれぞれの不幸も幸せもあるので。

 仕事が苦痛だったと書きましたが、自分で言うのもなんですが、私は職場においてけっこう優秀だったのです。接客大会では優勝しました。全国誌には写真付きでお客様の声が載りました。講習も積極的に受けに行きました。感謝されることはやりがいの一つでしたし、評価されることもやりがいのひとつでした。
 ただ、先述した通りどうしても人の気持ちに踏み込むのが苦手なので、接客営業は二度とやらないだろうな、と思います。ODしてまでやらないと価値がない、どこへ行っても拾ってもらえない、と思いつめていたので。

 このどうしようもない人生を振り返ったって無駄なことってあんまりないよな、と思います。無駄だったり落ちこぼれと決めるのは勝手に決めるのは世間です。「私は」無駄じゃないと思う。その世間も被害妄想で存在しないかもしれないし。世間じゃなくて自分の物差しを持とう。
半年くらい前叔母からは「つぶあんちゃんは大分遊んでたし、うちの子も少しくらい遊んでも大丈夫よね!」と言われました。私は遊んでいたとされる時期、苦しんでたし、その子は寝ていることが多いらしい。真実は知らないけど。いくら苦しくたって外から見たらさぼってるようにしか見えないことって多いのでは。でも私はそうじゃないってわかる。
 書いてて今思い出したのですが、今日はそのドラッグストアにたまたま入りました。何も買わず出ました。そんなもん。おわり。


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