私が痛風になってしまった一番の理由|(痛風でも経営者日記)
【4月27日(火)の記事です】
【禁酒18日目】【痛風無し7日目】
ここ最近はただの日常的な日記になっていたので、痛風のことも書かないといけないと思い 汗
私がなぜ痛風になってしまったのか?
それはもう、18年も前のことだ。
18年前、私はとある人材派遣会社のサラリーマンだった。
全国に23営業所ほどあり年商は当時で約90億円くらい。まぁまぁでかい会社であった(パ〇ナとかではありません)。
当時の私は責任者ということで物流現場に入っており、多くの色んなストレスを抱えていた。
うちらを雇い入れてくれている元請けの企業、そこからくだされる命令に従い業務をこなす。
業務をこなしていくためにはアルバイトを現場に入れて指示を出し回していくのだけど、その数昼と夜合わせて150名くらい。
私一人では回せないから副責任者、リーダー、サブリーダー的なポジションに使えるアルバイトを配置し、私は統括責任者として全体を見る役目。
そこの物量倉庫はめっちゃ忙しく、昼間回してーの、夜勤も回してーの、24時間体制で出荷をおこなっていた。
その倉庫で扱っていたのは当時SO〇TBA〇Kが名乗りをあげて取り扱っていたYa〇oo!B〇のモデム。
昔は大きな駅前あたりでブースを設けてタダで配っていたんだよね、このモデム。
私がいた倉庫は北関東の物流拠点だったので、いろんな種類のモデムをいろんな拠点に配送しており、ホントたくさんの人がいた現場だったね。
私は統括責任者なので、まぁ本当に忙しい。
現場を歩いているだけで色んな相談を受け、指示を出し、現場を取りまとめていた。
そんな矢先、左の足首に違和感を覚え、しばらくしたら痛み出し腫れだしたんだよね。
最初は捻挫かと思った。当時住んでいた近所の接骨院にいき、診断してもらったけど原因わからず(その病院では血液検査しなかった)。
でも仕事は休めないので出勤し、バケツに水を入れて足を冷やしながら指示をだすということをしていた 笑
いま思えばだけど、様々なプレッシャーや焦燥感、責任感などのストレスを受けていたね。
給料は良かったのだけど、でもそれを覆すくらいストレスとの闘いだったような気がする。
もう、ただ仕事だけしていたような感じだった。休みの日も朝方電話がかかってきて出勤してくれだの、休めたとしても現場から電話がかかってきて相談を受けて指示をだしたりとか。
心身ともに休めるってことがなかったなぁ。そんなストレス状況下から発生した痛風。
2回目発生したのは約2年後くらいだったかなぁ。あまりの痛みに最初に行った接骨院と違う接骨院へ行き、はじめて血液検査を受けた結果が痛風。
最初は耳を疑った。「この俺が痛風だとーーー!!??」
まさか、自分が痛風になるとは思わなかった。
そこから紆余曲折あり、コンスタントに痛風が出たり引っ込んだりをくり返し18年経過。
長いよ、18年は長い 笑
いま40代の後半であり、痛風を50代60代と続けるのは体力的にムリと思ったので、今回備忘録的にこの日記を書き禁酒をしている感じ。
18年間しっかり治す意思がなかったわけではないのだけど、なんだかダラダラと続いてしまった。
でもほんと、もうここらで痛風から卒業したい。その一心で本格的に改善していこうと決めた。
応援していただけると幸いです。
さて、本日はとある交流会の主催者から交流会のなかでミニセミナーやってくれ!とご依頼をいただいたので、その準備をしている。
10分程度のミニセミナーなので資料もそれほどガッチリ作り込まなくてもいいし、話したいこと話せばいいので幾分か気は楽。
ご期待に添えられるよう、ぼちぼちガンバリましょう。
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