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人生、「最適解」説。牛乳。

「人生に正解はない」とつい三日前に喫茶店で知った。

ただ、そこに、「最適解があるだけ。」らしい。

空港でエビフライハンバーぐを食べてる隣の隣で女子大生らしい女3人の向かいに一人でペラペラしゃべっている男がいわゆる社長ポーズでソファに足組んでからの自慢げに人生観を語っていたんだけども、

そのヴィジュアルぺらぺらそうな髪の毛ツンツン男の人生観が隣の隣でエビフライハンバーぐを食べてる18才の娘の心にグサリと刺さったのだから、ペラペラなのはヴィジュアルだけだったらしい。

「まあ、結局、最適解を探していかんとあかんのよ。」

が、そのままのセリフ。

「あーーー、なるほど、うん。アップデートしました。」

が、私の心の中のセリフ。

こう書くと、二人が対話してるみたいだな…
(※友達でも先輩でも知り合いでも、ましてはしゃべったこともありません※)

この考えがアップデートされてからは、生きるのがちょっと楽になった。

携帯の機種を選び間違って、最新のスペックが使えないと知った時も、「あー、間違えてたんだ~、次はあっちを買おう。」と、日々の最適解を更新していける、ポジティブにとらえられるようになった。

っというか、正解を探してしまうのは当たり前で、だって、学生時代は正解があったんだから、選択しも片手でおさまるくらいしかないから、そこに正解が出てきてしまう。

けれども、携帯の機種は、海外のも合わせると、数千こも存在して、そりゃあ、自分にぴったり合ったのを見つけようとおもったら、最適解からの最適解で正解(びったりあった機種)にジリジリと擦り合わせていかなければ無理だろう。

そこのギャップが辛かった。

けど、また、私も21世紀を楽に生きられるようにアップデートされた、「この時点の最適解になった。」ということだ。

じゃあ、あなたも

アップデートしますか?

>YES

NO

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