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マカロニにつまったきゅうり

本当は今日から壮大な小説を書いてやろうと思っていたのに、どうしても書けない。
マカロニサラダのマカロニにつまったきゅうりの切れ端を見て思ったことを書くよ。誰が興味あんだよ。

好きな映画や小説をあげるとキリがないけど、なんか好きな作品というより好きな場面と言った方が正しい気がする。作品全体が好きというよりそのある場面の記憶が他の記憶よりも深いところに引っかかっているっていう感じ?


とにかく、マカロニサラダを見ながらクサヴィエドラン監督の「ジョンFドノヴァンの死と生」ていう作品をふらっと思い出したんですね。



ジョンF〜は、小さい男の子がスター俳優と手紙をやり取りしているんだけども、その手紙の伝達手段がお母さんしかいないのね。お母さんが出して受け取って男の子に渡すというルートしかない。

つまりお母さんの采配一つで途端にそのつながりは絶たれてしまう。お母さんもそりゃ自分の息子が俳優と文通してるとは思わないし、そんな夢みがちな息子のことを心配もしているんでしょうよ。だからついにもうやめなさい!って言って手紙をぞんざいに扱って、少年の手元に届かないようにしちゃったのね。

わからんでもないよ。現実を知らないまま大人になって欲しい親なんかいないんでしょう。


でもこりゃ完全にマカロニに挟まったきゅうりだよ。



こうやってものすごくあっけなく断たれてしまうコミュニケーションってあるよな〜。マカロニにきゅうりが挟まると覗いてもなんも見えなくなるからね。(覗いてないよ)

人間ってそういうあっけなさと隣り合わせってこと!マカロニには何も詰まらないでいてほしいね。


おわり

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